Regret of "Nansyu"-南掲遺蚓1 | 芚曞き

芚曞き

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テヌマ

 

 

遺蚓
西郷隆盛



䞀 

 

廟堂に立ちお倧政を爲すは倩道を行ふものなれば、些ずも私を挟みおは濟たぬもの也。いかにも心を公平に操り、正道を蹈み、廣く賢人を遞擧し、胜く其職に任ふる人を擧げお政柄を執らしむるは、即ち倩意也。倫れゆゑ眞に賢人ず認る以䞊は、盎に我が職を讓る皋ならでは叶はぬものぞ。故に䜕皋國家に勳勞有る共、其職に任ぞぬ人を官職を以お賞するは善からぬこずの第䞀也。官は其人を遞びお之を授け、功有る者には俞祿を以お賞し、之を愛し眮くものぞず申さるゝに付、然らば尚曞○曞經仲※(「兀のにょうの圢虫」、第4氎準2-87-29)ちゆうき之誥かうに「埳懋さかんなるは官を懋んにし、功懋んなるは賞を懋んにする」ず之れ有り、埳ず官ず盞配し、功ず賞ず盞對するは歀の矩にお候ひしやず請問せいもんせしに、翁欣然ずしお、其通りぞず申されき。

 


二 

 

賢人癟官を瞜べ、政權䞀途に歞し、䞀栌かくの國體定制無ければ、瞱什たずひ人材を登甚し、蚀路を開き、衆説を容るゝ共、取捚方向無く、事業雜駁にしお成功有べからず。昚日出でし呜什の、今日応ち匕き易ふるず云暣なるも、皆統蜄する所䞀ならずしお、斜政の方針䞀定せざるの臎す所也。

 


䞉 

 

政の倧體は、文を興し、歊を振ひ、蟲を勵たすの䞉぀に圚り。其他癟般の事務は皆歀の䞉぀の物を助くるの具也。歀の䞉぀の物の䞭に斌お、時に埞ひ勢に因り、斜行先埌の順序は有れど、歀の䞉぀の物を埌にしお他を先にするは曎に無し。
 

 

四 

 

萬民の䞊に䜍する者、己れを愌み、品行を正くし、驕奢を戒め、節儉を勉め、職事に勀勞しお人民の暙準ずなり、䞋民其の勀勞を氣の毒に思ふ暣ならでは、政什は行はれ難し。然るに草創さうさうの始に立ちながら、家屋を食り、衣服を文かざり、矎功を抱ぞ、蓄財を謀りなば、維新の功業は遂げられ間敷也。今ず成りおは、戊蟰の矩戰も偏ぞに私を營みたる姿に成り行き、倩䞋に對し戰死者に對しお面目無きぞずお、頻りに涙を催されける。
 

五 

 

或る時「幟ビカ歎テ二蟛酞ヲ䞀志始テ堅シ。䞈倫玉碎愧ヅ二甎党ヲ䞀。䞀家ノ遺事人知ルダ吊ダ。䞍䞋爲メニ二兒孫ノ䞀買ハ䞭矎田ヲ䞊。」ずの䞃絶を瀺されお、若し歀の蚀に違ひなば、西郷は蚀行反したるずお芋限られよず申されける。
 

六 

 

人材を採甚するに、君子小人の蟚酷べんこくに過ぐる時は华お害を匕起すもの也。其故は、開闢以䟆䞖䞊䞀般十に䞃八は小人なれば、胜く小人の情を察し、其長所を取り之を小職に甚ひ、其材藝を盡さしむる也。東湖先生申されしは「小人皋才藝有りお甚䟿なれば、甚ひざればならぬもの也。去りずお長官に居すゑ重職を授くれば、必ず邊家を芆すものゆゑ、決しお䞊には立おられぬものぞ」ず也。
 

䞃 

 

事倧小ず無く、正道を蹈み至誠を掚し、䞀事の詐謀さがうを甚ふ可からず。人倚くは事の指支さし぀かゆる時に臚み、䜜略さりやくを甚お䞀旊其の指支を通せば、跡は時宜じぎ次第工倫の出䟆る暣に思ぞ共、䜜略の煩ひ屹床生じ、事必ず敗るゝものぞ。正道を以お之を行ぞば、目前には迂遠なる暣なれ共、先きに行けば成功は早きもの也。
 

八 

 

廣く各國の制床を採り開明に進たんずならば、先づ我國の本體を居すゑ颚教を匵り、然しお埌埐しづかに圌の長所を斟酌するものぞ。吊らずしお猥りに圌れに倣ひなば、國體は衰頜し、颚教は萎靡ゐびしお匡救す可からず、終に圌の制を受くるに至らんずす。
 

 

九 

 

忠孝仁愛教化の道は政事の倧本にしお、萬䞖に亙り宇宙に圌り易かふ可からざるの芁道也。道は倩地自然の物なれば、西掋ず雖も決しお別無し。
 

 

䞀〇 

 

人智を開癌するずは、愛國忠孝の心を開くなり。國に盡し家に勀むるの道明かならば、癟般の事業は埞お進歩す可し。或ひは耳目を開癌せんずお、電信を懞け、鐵道を敷き、蒞氣仕掛けの噚械を造立し、人の耳目を聳動しようどうすれ共、䜕に故電信鐵道の無くおは叶はぬぞ猺くべからざるものぞず云ふ處に目を泚がず、猥りに倖國の盛倧を矚み、利害埗倱を論ぜず、家屋の構造より玩匄物に至る迄、䞀々倖國を仰ぎ、奢䟈の颚を長じ、財甚を浪費せば、國力疲匊し、人心浮薄に流れ、結局日本身代限りの倖有る間敷也。
 

䞀䞀 

 

文明ずは道の普く行はるゝを莊皱せる蚀にしお、宮宀の壯嚎、衣服の矎麗、倖觀の浮華を蚀ふには非ず。䞖人の唱ふる所、䜕が文明やら、䜕が野蠻やら些ちずも分らぬぞ。予嘗お或人ず議論せしこず有り、西掋は野蠻ぢやず云ひしかば、吊な文明ぞず爭ふ。吊な野蠻ぢやず疊みかけしに、䜕ずお倫れ皋に申すにやず掚せしゆゑ、寊に文明ならば、未開の國に對しなば、慈愛を本ずし、懇々説諭しお開明に導く可きに、巊は無くしお未開矇昧の國に對する皋むごく殘忍の事を臎し己れを利するは野蠻ぢやず申せしかば、其人口を莟぀がめお蚀無かりきずお笑はれける。
 

䞀二 

 

西掋の刑法は專ら懲戒を䞻ずしお苛酷を戒め、人を善良に導くに泚意深し。故に囚獄䞭の眪人をも、劂䜕にも緩るやかにしお鑒誡かんかいずなる可き曞籍を與ぞ、事に因りおは芪族朋友の面會をも蚱すず聞けり。尀も聖人の刑を蚭けられしも、忠孝仁愛の心より鰥寡かんくわ孀獚を愍あはれみ、人の眪に陷るを恀うれひ絊ひしは深けれ共、寊地手の屆きたる今の西掋の劂く有しにや、曞籍の䞊には芋え枡らず、寊に文明ぢやず感ずる也。
 

䞀䞉 

 

租皎を薄くしお民を裕ゆたかにするは、即ち國力を逊成する也。故に國家倚端にしお財甚の足らざるを苊むずも、租皎の定制を確守し、䞊を損じお䞋を虐しひたげぬもの也。胜く叀今の事跡を芋よ。道の明かならざる䞖にしお、財甚の䞍足を苊む時は、必ず曲知小慧せうけいの俗吏を甚ひ巧みに聚斂しうれんしお䞀時の猺乏に絊するを、理財に長ぜる良臣ずなし、手段を以お苛酷に民を虐たげるゆゑ、人民は苊惱に堪ぞ兌ね、聚斂を逃んず、自然譎詐き぀さ狡猟かうくわ぀に趣き、䞊䞋互に欺き、官民敵讐ず成り、終に分厩ぶんぜう離析りせきに至るにあらずや。
 

䞀四 

 

會蚈出玍は制床の由お立぀所ろ、癟般の事業皆な是れより生じ、經綞䞭の暞芁なれば、愌たずばならぬ也。其倧體を申さば、入るを量りお出づるを制するの倖曎に他の術敞無し。䞀歳の入るを以お癟般の制限を定め、會蚈を瞜理する者身を以お制を守り、定制を超過せしむ可からず。吊らずしお時勢に制せられ、制限を慢にし、出るを芋お入るを蚈りなば、民の膏血かうけ぀を絞るの倖有る間敷也。然らば假什事業は䞀旊進歩する劂く芋ゆる共、國力疲匊しお濟救す可からず。
 

䞀五 

 

垞備の兵敞も、亊會蚈の制限に由る、決しお無限の虚勢を匵る可からず。兵氣を錓舞しお粟兵を仕立なば、兵敞は寡くずも、折衝犊䟮共に事猺ぐ間敷也。
 

䞀六 

 

節矩廉恥を倱お、國を維持するの道決しお有らず、西掋各國同然なり。䞊に立぀者䞋に臚で利を爭ひ矩を忘るゝ時は、䞋皆な之に倣ひ、人心応ち財利に趚り、卑吝の情日々長じ、節矩廉恥の志操を倱ひ、父子兄匟の間も錢財を爭ひ、盞ひ讐芖するに至る也。歀の劂く成り行かば、䜕を以お國家を維持す可きぞ。埳川氏は將士の猛き心を殺ぎお䞖を治めしか共、今は昔時戰國の猛士より猶䞀局猛き心を振ひ起さずば、萬國對峙は成る間敷也。普䜛の戰、䜛國䞉十萬の兵䞉ヶ月糧食有お降䌏せしは、逘り算盀に粟しき故なりずお笑はれき。
 

䞀䞃 

 

正道を螏み國を以お斃るゝの粟神無くば、倖國亀際は党かる可からず。圌の匷倧に畏瞮し、圓滑を䞻ずしお、曲げお圌の意に順埞する時は、茕䟮を招き、奜芪华お砎れ、終に圌の制を受るに至らん。
 

䞀八 

 

談國事に及びし時、慚然ずしお申されけるは、國の凌蟱りようじよくせらるゝに當りおは、瞱什國を以お斃るゝ共、正道を螐み、矩を盡すは政府の本務也。然るに平日金穀理財の事を議するを聞けば、劂䜕なる英雄豪傑かず芋ゆれ共、血の出る事に臚めば、頭を䞀處に集め、唯目前の苟安こうあんを謀るのみ、戰の䞀字を恐れ、政府の本務を墜しなば、商法支配所ず申すものにお曎に政府には非ざる也。
 

䞀九 

 

叀より君臣共に己れを足れりずする䞖に、治功の䞊りたるはあらず。自分を足れりずせざるより、䞋々の蚀も聜き入るゝもの也。己れを足れりずすれば、人己れの非を蚀ぞば応ち怒るゆゑ、賢人君子は之を助けぬなり。
 

二〇 

 

䜕皋制床方法を論ずる共、其人に非ざれば行はれ難し。人有お埌方法の行はるゝものなれば、人は第䞀の寶にしお、己れ其人に成るの心懞け肝芁なり。
 

二䞀 

 

道は倩地自然の道なるゆゑ、講孞の道は敬倩愛人を目的ずし、身を修するに克己を以お終始せよ。己れに克぀の極功きよくごうは「※「毋の真ん䞭の瞊棒が䞋に぀きぬけたもの」、12-7シレ意※「毋の真ん䞭の瞊棒が䞋に぀きぬけたもの」、12-7シレ必※「毋の真ん䞭の瞊棒が䞋に぀きぬけたもの」、12-7シレ固※「毋の真ん䞭の瞊棒が䞋に぀きぬけたもの」、12-7シレ我」○論語ず云ぞり。瞜じお人は己れに克぀を以お成り、自ら愛するを以お敗るゝぞ。胜く叀今の人物を芋よ。事業を創起する人其事倧抵十に䞃八迄は胜く成し埗れ共、殘り二぀を終る迄成し埗る人の垌れなるは、始は胜く己れを愌み事をも敬する故、功も立ち名も顯るゝなり。功立ち名顯るゝに隚ひ、い぀しか自ら愛する心起り、恐懌戒愌かいしんの意匛み、驕矜けうきようの氣挞く長じ、其成し埗たる事業を負たのみ、苟も我が事を仕遂んずおたづき仕事に陷いり、終に敗るゝものにお、皆な自ら招く也。故に己れに克ちお、睹ず聞かざる所に戒愌するもの也。
 

二二 

 

己れに克぀に、事々物々時に臚みお克぀暣におは克ち埗られぬなり。兌お氣象を以お克ち居れよず也。
 

二䞉 

 

孞に志す者、芏暡を宏倧にせずば有る可からず。去りずお唯歀こにのみ偏倚ぞんいすれば、或は身を修するに疎に成り行くゆゑ、終始己れに克ちお身を修する也。芏暡を宏倧にしお己れに克ち、男子は人を容れ、人に容れられおは濟たぬものず思ぞよず、叀語を曞お授けらる。
恢二宏スル其ノ志氣ヲ䞀者ハ。人之患ハ。莫シレ倧ナルハレ乎䞋自私自吝。安ゞテ二斌卑俗ニ䞀。而䞍ル䞭以テ二叀人ヲ䞀自ラ期セ䞊。
叀人を期するの意を請問せしに、堯舜を以お手本ずし、孔倫子を教垫ずせよずぞ。
 

二四 

 

道は倩地自然の物にしお、人は之を行ふものなれば、倩を敬するを目的ずす。倩は人も我も同䞀に愛し絊ふゆゑ、我を愛する心を以お人を愛する也。
 

二五 

 

人を盞手にせず、倩を盞手にせよ。倩を盞手にしお、己れを盡お人を咎めず、我が誠の足らざるを尋ぬべし。
 

二六 

 

己れを愛するは善からぬこずの第䞀也。修業の出䟆ぬも、事の成らぬも、過を改むるこずの出䟆ぬも、功に䌐ほこり驕謟けうたんの生ずるも、皆な自ら愛するが爲なれば、決しお己れを愛せぬもの也。
 

二䞃 

 

過ちを改るに、自ら過぀たずさぞ思ひ付かば、倫れにお善し、其事をば棄お顧みず、盎に䞀歩螏出す可し。過を悔しく思ひ、取繕はんず心配するは、譬ぞば茶碗を割り、其猺けを集め合せ芋るも同にお、詮せんもなきこず也。
 

二八 

 

道を行ふには尊卑貎賀の差別無し。摘぀たんで蚀ぞば、堯舜は倩䞋に王ずしお萬機の政事を執り絊ぞ共、其の職ずする所は教垫也。孔倫子は魯國を始め、䜕方ぞも甚ひられず、屡々困厄に逢ひ、匹倫にお䞖を終ぞ絊ひしか共、䞉千の埒皆な道を行ひし也。
 

二九 

 

道を行ふ者は、固より困厄に逢ふものなれば、劂䜕なる艱難の地に立぀ずも、事の成吊身の死生抔に、少しも關係せぬもの也。事には䞊手䞋手有り、物には出䟆る人出䟆ざる人有るより、自然心を動す人も有れ共、人は道を行ふものゆゑ、道を蹈むには䞊手䞋手も無く、出䟆ざる人も無し。故に只管ひたすら道を行ひ道を暂み、若し艱難に逢うお之を凌んずならば、圌々いよ道を行ひ道を暂む可し。予壯幎より艱難ず云ふ艱難に眹りしゆゑ、今はどんな事に出會ふ共、動搖は臎すたじ、倫れだけは仕合せなり。
 

䞉〇 

 

呜もいらず、名もいらず、官䜍も金もいらぬ人は、仕末に困るもの也。歀の仕末に困る人ならでは、艱難を共にしお國家の倧業は成し埗られぬなり。去れ共、䞪暣かやうの人は、凡俗の県には芋埗られぬぞず申さるゝに付、孟子に、「倩䞋の廣居に居り、倩䞋の正䜍に立ち、倩䞋の倧道を行ふ、志を埗れば民ず之に由り、志を埗ざれば獚り其道を行ふ、富貎も淫するこず胜はず、貧賀も移すこず胜はず、嚁歊も屈するこず胜はず」ず云ひしは、今仰せられし劂きの人物にやず問ひしかば、いかにも其の通り、道に立ちたる人ならでは圌の氣象は出ぬ也。
 

䞉䞀 

 

道を行ふ者は、倩䞋擧こぞ぀お毀そしるも足らざるずせず、倩䞋擧お譜るも足れりずせざるは、自ら信ずるの厚きが故也。其の工倫は、韓文公が䌯倷の頌を熟讀しお會埗せよ。
 

䞉二 

 

道に志す者は、偉業を貎ばぬもの也。叞銬枩公しばおんこうは閚䞭けいちゆうにお語りし蚀も、人に對しお蚀ふべからざる事無しず申されたり。獚を愌むの孞掚お知る可し。人の意衚に出お䞀時の快適を奜むは、未熟の事なり、戒む可し。
 

䞉䞉 

 

平日道を蹈たざる人は、事に臚お狌狜し、處分の出䟆ぬもの也。譬ぞば近隣に出火有らんに、平生處分有る者は動搖せずしお、取仕末も胜く出䟆るなり。平日處分無き者は、唯狌狜しお、䞭々取仕末どころには之無きぞ。倫れも同じにお、平生道を蹈み居る者に非れば、事に臚みお策は出䟆ぬもの也。予先幎出陣の日、兵士に向ひ、我が備ぞの敎䞍敎を、唯味方の目を以お芋ず、敵の心に成りお䞀぀衝぀いお芋よ、倫れは第䞀の備ぞず申せしずぞ。
 

䞉四 

 

䜜略さりやくは平日臎さぬものぞ。䜜略を以おやりたる事は、其迹あずを芋れば善からざるこず刀然にしお、必ず悔い有る也。唯戰に臚みお䜜略無くばあるべからず。䜵し平日䜜略を甚れば、戰に臚みお䜜略は出䟆ぬものぞ。孔明は平日䜜略を臎さぬゆゑ、あの通り奇蚈を行はれたるぞ。予嘗お東京を匕きし時、匟ぞ向ひ、是迄少しも䜜略をやりたる事有らぬゆゑ、跡は聊か濁るたじ、倫れ䞈けは芋れず申せしずぞ。
 

䞉五 

 

人を籠絡ろうらくしお陰に事を謀る者は、奜し其事を成し埗る共、慧県けいがんより之を芋れば、醜状著るしきぞ。人に掚すに公平至誠を以おせよ。公平ならざれば英雄の心は決しお攬ずられぬもの也。
 

䞉六 

 

聖賢に成らんず欲する志無く、叀人の事跡を芋、迚ずおも䌁お及ばぬず云ふ暣なる心ならば、戰に臚みお逃るより猶ほ卑怯なり。朱子も癜刃を芋お逃る者はどうもならぬず云はれたり。誠意を以お聖賢の曞を讀み、其の處分せられたる心を身に體し心に驗する修行臎さず、唯䞪暣かようの蚀䞪暣かようの事ず云ふのみを知りたるずも、䜕の詮無きもの也。予今日人の論を聞くに、䜕皋尀もに論する共、處分に心行き枡らず、唯口舌の䞊のみならば、少しも感ずる心之れ無し。眞に其の處分有る人を芋れば、寊に感じ入る也。聖賢の曞を空く讀むのみならば、譬ぞば人の劒術を傍觀するも同じにお、少しも自分に埗心出䟆ず。自分に埗心出䟆ずば、萬䞀立ち合ぞず申されし時逃るより倖有る間敷也。
 

䞉䞃 

 

倩䞋埌䞖迄も信仰悊服せらるゝものは、只是䞀箇の眞誠しんせい也。叀ぞより父の仇を蚎ちし人、其の麗かず擧お敞ぞ難き䞭に、獚り曟我の兄匟のみ、今に至りお兒童婊女子迄も知らざる者の有らざるは、衆に秀でゝ、誠の節き故也。誠ならずしお䞖に譜らるゝは、僥倖の譜也。誠節ければ、瞱什當時知る人無く共、埌䞖必ず知己有るもの也。
 

䞉八 

 

䞖人の唱ふる機會ずは、倚くは僥倖の仕當しあおたるを蚀ふ。眞の機會は、理を盡しお行ひ、勢を審かにしお動くず云ふに圚り。平日國倩䞋を憂ふる誠心厚からずしお、只時のはずみに乘じお成し埗たる事業は、決しお氞續せぬものぞ。
 

䞉九 

 

今の人、才識有れば事業は心次第に成さるゝものず思ぞ共、才に任せお爲す事は、危くしお芋お居られぬものぞ。體有りおこそ甚は行はるゝなり。肥埌の長岡先生の劂き君子は、今は䌌たる人をも芋るこずならぬ暣になりたりずお嘆息なされ、叀語を曞お授けらる。
倫倩䞋非レバレ誠ニ䞍レ動カ。非レバレ才ニ䞍レ治ラ。誠之至ル者。其動ク也速。才之呚ネキ者。其治也廣シ。才ト與レ誠合シ。然ル埌事ヲ可シレ成ス。
 

四〇 

 

翁に埞お犬を驅り兎を远ひ、山谷を跋枉ば぀せふしお終日獵り暮らし、䞀田家に投宿し、济終りお心神いず爜快に芋えさせ絊ひ、悠然ずしお申されけるは、君子の心は垞に斯の劂くにこそ有らんず思ふなりず。
四䞀 身を修し己れを正しお、君子の體を具ふる共、處分の出䟆ぬ人ならば、朚偶人も同然なり。譬ぞば敞十人の客䞍意に入り䟆んに、假什䜕皋饗應したく思ふ共、兌お噚具調床の備無ければ、唯心配するのみにお、取賄ふ可き暣有間敷ぞ。垞に備あれば、幟人なり共、敞に應じお賄はるゝ也。倫れ故平日の甚意は肝腎かんじんぞずお、叀語を曞お賜りき。
文ハ非ル二鉛槧ニ䞀也。必ズ有リ二處スルレ事ニ之才䞀。歊ハ非ル二劒楯ニ䞀也。必ズ有リ二料ルレ敵ヲ之智䞀。才智之所レ圚ル䞀焉而已。○宋、陳韍川、酌叀論序文

   远加

䞀 

 

事に當り思慮の乏しきを憂ふるこず勿れ。凡思慮は平生默坐靜思の際に斌おすべし。有事の時に至り、十に八九は履行りかうせらるゝものなり。事に當り率爟に思慮するこずは、譬ぞば臥床倢寐むびの䞭、奇策劙案を埗るが劂きも、明朝起床の時に至れば、無甚の劄想に類するこず倚し。
 

二 

 

挢孞を成せる者は、圌挢籍に就お道を孞べし。道は倩地自然の物、東西の別なし、苟も當時萬國對峙の圢勢を知らんず欲せば、春秋巊氏傳を熟讀し、助くるに孫子を以おすべし。當時の圢勢ず略が倧差なかるべし。

   問答

     岞良眞二郎 問
䞀 

 

事に臚み猶豫狐疑こぎしお果斷の出䟆ざるは、畢竟憂國之志情薄く、事の茕重時勢に暗く、䞔愛情に牜さるゝによるべし。眞に憂國之志盞貫居候ぞば、決斷は䟝お出るものず奉レ存候。劂䜕のものに埡座候哉。
 

二 

 

䜕事も至誠を心ずなし候ぞば、仁勇知は、其䞭に可レ有レ之ず奉レ存候。平日別段に可レ逊ものに埡座候哉。
 

䞉 

 

事の勢ず機會を察するには、劂䜕着目仕可レ然ものに埡座候哉。
 

四 

思蚭ざる事變に臚み䞀點動搖せざる膜力を逊には、劂䜕目的盞定、䜕より入お可レ然ものに埡座候哉。
     南掲 答
 

䞀 

 

猶豫狐疑は第䞀毒病にお、害をなす事甚倚し、䜕ぞ憂國志情の厚薄に關からんや。矩を以お事を斷ずれば、其宜にかなふべし、䜕ぞ狐疑を容るゝに暇あらんや。狐疑猶豫は矩心の䞍足より癌るものなり。
 

二 

 

至誠の域は、先づ愌獚より手を䞋すべし。間居即愌獚の堎所なり。小人は歀處萬惡の淵藪えんそうなれば、攟肆はうし柔惰の念慮起さざるを愌獚ずは云ふなり。是善惡の分るゝ處なり、心を甚ゆべし。叀人云ふ、「䞻トシレ靜ヲ立ツ二人極ヲ䞀」○宋、呚濂溪の語是其至誠の地䜍なり、䞍レ愌べけんや、人極を立ざるべけんや。
 

䞉 

 

知ず胜ずは倩然固有のものなれば、「無知之知ハ。䞍シテレ慮ヲ而知リ。無胜之胜ハ。䞍シテレ孞バ而胜クス」○明、王陜明の語ず、是䜕物ぞや、其惟たゞ心之所爲にあらずや。心明なれば知又明なる處に癌すべし。
 

四 

 

勇は必ず逊ふ處あるべし。孟子云はずや、浩然之氣を逊ふず。歀氣逊はずんばあるべからず。
 

五 

 

事の䞊には必ず理ず勢ずの二぀あるべし。歎史の䞊におは胜芋分぀べけれ共、珟事にかゝりおは、甚芋分けがたし。理勢は是非離れざるものなれば、胜々心を甚ふべし。譬ぞば賊ありお蚎぀べき眪あるは、其理なればなり。芏暡きが術略吟胞䞭に定りお、是を癌するずき、千仞に坐しお圓石を蜉ずるが劂きは、其勢ずいふべし。事に關かるものは、理勢を知らずんばあるべからず。只勢のみを知お事を爲すものは必ず術に陷るべし。又理のみを以お爲すものは、事にゆきあたりお迫぀たるべし。いづれ「當ツテレ理ニ而埌進ミ。審ニシテレ勢ヲ而埌動ク」○陳韍川、先䞻論の語ものにあらずんば、理勢を知るものず云ふべからず。
 

六 

 

事の䞊にお、機會ずいふべきもの二぀あり。僥倖の機會あり、又蚭け起す機會あり。倧䞈倫僥倖を頌むべからず。倧事に臚では是非機會は匕起さずんばあるべからず。英雄のなしたる事を芋るべし、蚭け起したる機會は、跡より芋る時は僥倖のやうに芋ゆ、氣を付くべき所なり。
䞃 變事俄に到䟆し、動搖せず、埞容其變に應ずるものは、事の起らざる今日に定たらずんばあるべからず。變起らば、只それに應ずるのみなり。叀人曰、「倧䞈倫胞䞭灑々しや萜萜らく。劂ク二光颚霜月ノ䞀。任ズ二其ノ自然ニ䞀。䜕ゟ有ラン二䞀毫之動心䞀哉」○明、王耐軒筆疇の語ず、是即ち暙的なり。劂レ歀體のもの、䜕ぞ動搖すべきあらんや。

   補遺

䞀 誠はふかく厚からざれば、自ら支障も出䟆るべし、劂䜕ぞ慈悲を以お倱を取るこずあるべき、決しお無き筈なり。いづれ誠の受甚じゆようにおいおは、芋ざる所においお戒愌し、聞かざる所においお恐懌する所より手を䞋すべし。次第に其功も積お、至誠の地䜍に至るべきなり。是を名づけお君子ず云ふ。是非倩地を證據にいたすべし。是を以お事物に向ぞば、隱すものなかるべきなり。叞銬枩公曰「我胞䞭人に向うお云はれざるものなし」ず、この處に至぀おは、倩地を證據ずいたすどころにおはこれなく、即ち倩地ず同體なるものなり。障瀙しやうがいする慈悲は姑息にあらずや。嗚呌倧䞈倫姑息に陷るべけんや、䜕ぞ分別を埅たんや。事の茕重難易を胜く知らば、かたおちする氣づかひ曎にあるべからず。
二 剛膜なる處を孞ばんず欲せば、先づ英雄の爲す處の跡を觀察し、䞔぀事業を翫味し、必ず身を以お其事に處し、安心の地を埗べし、然らざれば、只英雄の資のみあ぀お、爲す所を知らざれば、眞の英雄ず云ふべからず。是故に英雄の其事に處する時、劂䜕なる膜略かある、又我の事に處すずころ、劂䜕なる膜力ありず詊范し、其及ばざるもの足らざる處を研究勵粟すべし。思ひ蚭けざる事に當り、䞀點動搖せず、安然ずしお其事を斷ずるずころにおいお、平日やしなふ處の膜力を長ずべし、垞に倢寐むびの間においお我膜を探蚎すべきなり。倢は念ひの癌動する處なれば、聖人も深く心を甚るなり。呚公の埳を慕ふ䞀念旊暮止たず、倢に癌する皋に厚からんこずを垌ふなるべし。倢寐の䞭、我の膜動搖せざれば、必驚懌きようくの倢を癌すべからず。是を以お詊み䞔明むべし。
䞉 若し英雄を誀らん事を懌れ、叀人の語を取り是を證す。
譎詐無クレ方。術略暪出ス。智者之胜也。去リテ二詭詐ヲ䞀而瀺スニレ之ニ以テシ二倧矩ヲ䞀。眮むテ二術略ヲ䞀而臚ムニレ之ニ以テス二正兵ヲ䞀。歀レ英雄之事。而智者之所レ䞍ルレ胜ハレ爲ス矣。○陳韍川、諞葛孔明論の語
 英雄の事業劂レ歀、豈奇劙䞍思議のものならんや。孞んで而しお至らざるべけんや。

 

 

 

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西郷隆盛

西郷隆盛語録
角川文庫 1974
ISBN:4043216084
[蚳線]奈良本蟰也・高野柄
私に千糞の髪がある
墚よりも黒い
私に䞀片の心がある
雪よりも癜い
髪は断ち切るこずができおも
心は断ち切れたい
敬倩愛人。西郷南州。



 残念ずは䜕かず思う。残念ずは念が残るこずをいう。残念無念は、その念すら芋あたらないずきをいう。本来の無念は芚悟そのもののこずである。

 誰からもずくに咎められたこずがないからずいっお、自らに咎めがないずはかぎらない。誰しも人前では申し䞊げない咎めずずもに生きおいる。がくには䜕十もの咎めが跋扈する。その跋扈ず去来は止みそうもない。

 さあ、これをいったいどうしたらいいか。時蚈の針を戻しおその珟堎に自分を眮いおみるのか。謝るべき盞手に䜎頭しおお䌺いをたおにいくものか。自分の内奥の土蔵をひたすら枅掃するべきか。しばしば迷ったものだ。キリスト者の「懎悔」ずいうものが矚たしく感じられ、仏教者の「瞑目」に説埗力を感じもした。

 しかし、日々の䜓隓はどういうものであれ、たえず激動なのである。どんなに小さな出来事も激動なのだ。それらは間髪をいれずに過去を぀くっおいく。そのうち、それらの堆積が新たな残念を生んでいく。さらにそのうち、自身の過剰や衰退がうずたしくもなっおくる。これではどうにも萜ち着かない。自分でわざわざ萜ち着かない境遇を遞んでいるようだ。

 過ぐる冬、西郷隆盛の曞簡集をちょいちょい読んでいたずき『西郷南州曞簡集』実業之日本瀟・本曞に䞀郚収録、明治幎月日に倧山匥介に圓おた手玙の、こんな文面に出䌚った。

 明治幎ずいえば、西郷が䞋野しお鹿児島に私孊校を぀くり、開墟に熱䞭しおいた「退耕」の時期である。か぀おの薩摩の盟友だった倧久保利通は明治政暩の䞭心の䞭心にいお、呚囲から「西郷の勝手なふるたい」を問題にされ、盟友ずの察立を深めきっおいた。そんな時期に、西郷の埓匟で、のちに陞軍元垥ずなった倧山巌に、西郷は手玙を曞いおいた。

 フランスずプロシャのあいだに緊匵が高たり、䌝蚀が䞀発届いたらすぐお出掛けになられる予定ずのこず、さぞお楜しみであろうず存じおおりたす。私も䞀緒にどうかずのこずでございたすが、今幎は倧䜜にずりかかりたしたので、ずおも逃げ出すわけにはたいりたせん。お断り申し䞊げたすので、巊様にお含みおき䞋さい。

 いたはたったくの癟姓になりきっお䞀心に勉匷しおおりたす。はじめのころはずいぶん難枋しおいたしたが、いたでは䞀日に二畝ぐらいなら鋀を䜿えるようになりたした。もういたでは、きらずの汁で芋飯を食うのにも銎れたしたから、困るこずはありたせん。人間はどのようにでも萜ち着けるものだず思いたした。お笑い䞋さい。幞䟿に任せ、甚事のみ。頓銖。

 うヌん、ず唞った。そうか、「今幎は倧䜜にずりかかりたした」ず蚀うのか、「ずおも逃げ出すわけにはたいりたせん」ず自分に蚀い聞かせるのか。いや、それよりなにより、ずりわけ「人間はどのようにでも萜ち着けるものだず思いたした」に、脳倩をガツンずやられた。そしお「お笑い䞋さい」なのである。

 この文面は、その埌もがくの心のどこかにずっず匕っ掛かっおいる。この文面が匕っ掛かっおいる釘を、䜓のどこかでい぀もご぀んご぀んず感じおいる。
 がくはいたなお、「人間はどのようにでも萜ち着けるものだ」ずいう堎面を、自分のなかにたったく䜜りきれおいない。しかもそのこずを、「このようにあらわせば䜕かの玍埗になるのかもしれない」ずいう文脈ずしお、これたでちゃんず曞いおこなかった。最近になっおずくにその残念を感じるのである。

 では、「人間はどのようにでも萜ち着けるものだ」ず思った西郷は、どのように残念を捚おたのか。それずも残念を䜿いきったのか。

 今倜は、たこずに少々ながら西郷隆盛を思いたい。い぀かは西郷その人のこずを曞かなければず思っお、延ばしのばしにしおいたのだから、これはい぀かはそうしなければならない宿呜だ。

 断片的にはいろいろ感想を匟はじいおきたけれど、そんなこずでは西郷を掎むずいうこずはずうおい叶わない。たた、倚くの“西郷もの”も読み、名状しがたい感動も受けおきたけれど、それで西郷が芋えたずいうわけにもいかない。だいたい、西郷隆盛ずいう人物の思玢ず行動は日本近代の最倧の謎であり、それゆえ今日の日本の根本の謎なのである。それゆえ西郷をめぐる呚囲の毀誉耒貶にも甚だしいものがあった。

 耒めちぎった者も倚かった。勝海舟倜が「䞖の䞭に本圓におそろしい人物がいるものだ。暪井小楠ず西郷南州だ」ず驚嘆し、䞭江兆民倜が維新埌のおいたらくに接しお「西郷さえいれば、日本はこんなふうにはならなかったろう」ず嘆じ、新枡戞皲造倜が「日本にリンカヌンのような人物はいるのか」ず問われお「それが西郷隆盛だ」ず答えたずいう、そういう西郷隆盛像だ。
 䞀方、反察のこずを蚀う連䞭も少なくなかった。近代の歎史研究者たちは、たずえば比范的公平な目をもっおいただろう井䞊枅ですら、西郷は愛囜的民族䞻矩者だが、䞋玚歊士たちの士族倧衆の代衚から離れられずに矛盟に満ちた埁韓論に走ったずみなした。圭宀諊成たたむろたいじょうや石井孝は、「排他的な郷党意識」ず「独善反抗的な政治理念」をもった野心家だずか、「蚎幕掟に利甚されただけの叀い䜓質の噚量」だずか断じたものだった。

 西郷は、民䞻開明掟ずも保守反動ずも、無私の者ずも野心の者ずも、そのような揺れのなかにいた人物ずも思われおきた。ようするに、西郷隆盛は誰にずっおも掎たえられない人物なのである。なかで坂本韍銬が、「倧きく打おば倧きく響き、小さく打おば小さく響く」ず評したのが、いかにも韍銬らしく、たた西郷らしかった。たた内村鑑䞉倜が『代衚的日本人』の人の筆頭に西郷をあげ、「日本の維新革呜は西郷の革呜であった」ず蚀い、そのうえで次のように曞いたこずも西郷にふさわしい。

 新日本を西郷の日本であるなどず蚀う぀もりはありたせん。それは、その事業に携わった倧勢の立掟な人達をたちがいなく無芖するこずになりたす。
 たしかに西郷の同志には、倚くの点で西郷に勝る人物がいたした。経枈革呜に関しおいうず、西郷はおそらく無胜であったでしょう。内政に぀いおは、朚戞や倧久保のほうが粟通しおおり、革呜埌の囜家の安定をはかる仕事では、䞉条や岩倉のほうが有胜でした。今日の私どもの新囜家は、この人々党員がいなくおは実珟できなかったでありたしょう。
 それにもかかわらず、西郷なくしおは革呜が可胜であったかずなるず疑問でありたす。朚戞や䞉条を欠いたずしおも、革呜はそれほど䞊銖尟ではないにせよ、たぶん実珟をみたでありたしょう。

 しかし必芁だったのは、すべおを始動させる原動力であり、運動を䜜り出し、倩の党胜の法にもずづき運動の方向を定める、西郷隆盛の粟神であったのです。

 ずころで、こういう西郷に぀いおのがくの思いの䞀端を、幎の瀬抌し詰たる今倜にしたのは、前倜のヘミングりェむの「キリマンゞャロの凍豹」ずの関連がないのかず問われれば、そういうこずはい぀だっおあるでしょう、぀たらんこずを蚊くもんじゃないず答えるしかあるたい。

 その、そういうこずはい぀だっおあるでしょうを、西郷はこう詠んでいる。「狂蚀劄語 誰か知り埗ん。仰いで倩に慚はじず、況んやたた人を」。

 私も人だからずきに狂蚀も綺語も匄するが、だからずいっお倩にも人にも慚るずころはない、ずいう意味だ。がくもいたのずころはこの蚀葉で返したい。なんら慚るものはないずいうふうに。けれども、がくの堎合は、それでも心の内なる咎めは残るのだ。西郷はどうだったのだろうか。

 今倜ずりあげる䞀冊は奈良本蟰也ず高野柄が線蚳した『西郷隆盛語録』であるが遺蚓・挢詩・曞簡の郚に分かれおいる、以䞋にはずきどきその匕甚を入れるものの、ずくに本曞にこだわらないで、がくの感想を進めよう。おびただしい参考文献に぀いおは、「附蚘」にその䞀郚をしるす。海音寺朮五郎の『西郷隆盛』や叞銬遌倪郎の『翔ぶが劂く』ずいった倧䜜は、今回は振り返らなかった。


 西郷は二床、流眪になっおいる。島流しされおいる。たず、そのこずから話しおみたい。
 䞀床目は歳のずきで、安政幎のこずだった。奄矎倧島に流されおいる。その盎前には自害や心䞭も図った。自害や心䞭だなんお、豪胆磊萜ずみえる西郷にはふさわしくないず思う向きがあるかもしれないが、それこそは人を芋る目がないずいうものだ。西郷にこそ、そういう倧胆なフラゞリティがあった。
 この幎の月、西郷が敬愛しきっおいた薩摩藩䞻の島接斉圬なりあきらが急死した。時代情勢は日本䞭が颚雲急を告げおいる真っ最䞭、ハリスが䞋田に着任し、黒船の察応に党力を傟泚した老䞭阿郚正匘はあっけなく歳で病没、圊根藩の井䌊盎匌が倧老になっお、日米修奜通商条玄を勅蚱を埅たずに匷匕に締結しおしたったばかり。西郷は斉圬の極秘の䜿呜をもっお江戞詰めを呜じられた矢先だった。

 日本の危機である。䞻君の斉圬ず腹心の郚䞋の西郷は䜕を盞談しおいたのか。二人しお、朝廷ず薩摩藩を組み぀なげお幕政改革を䞀挙になしずげようず蚈画しおいたのである。西郷はそのための協力芁請を、ひそかに束平慶氞春獄・越前、山内豊信容堂・土䜐、䌊達宗城宇和島らに蚗すため、密曞を携えおいた。

 ずころが、井䌊倧老の打぀手のほうが早かった。アメリカずの開囜にいちゃもんを぀ける束平慶氞・尟匵慶勝・氎戞埳川斉昭をただちに謹慎蟄居させ、斉圬らが次期将軍に画策掚挙する䞀橋慶喜の登城を犁止しおしたった。おたけに倩皇を圊根に移し、京郜に藩兵を差し向けようずしおいるらしい。
 西郷のほうは、かくなるうえは䞀刻も早く斉圬の䞊京出兵を促すしかないず螏み切った。そこで、その旚を薩摩に戻っお報告し、自身は先兵隊の頭目ずしお再び䞊京しお、盞囜寺を薩摩藩兵の拠点ずした。ずころが、その盎埌のこず、斉圬急死の蚃報が届いたのだ。

 蚈画のすべおがおじゃんになった。それだけではない。垫ずも芪ずも敬愛する斉圬の死は、西郷を痛哭断腞に远いこんだ。
 呆然ずしお殉死を心にした西郷だったが、朝廷偎を仕切っおいた近衛忠煕ただひろや近衛家の顧問栌の枅氎寺塔頭䜏職の月照らに、むしろあなたこそが䞻君の志を継ぐべきだず䜕床も諌められ、なんずか殉死は螏みずどたった。けれども西郷はここで回、あきらかに“死んだ”のである。
 近衛や月照が蚀うには、斉圬䟯が亡くなったいたや、氎戞の斉昭の抌し蟌めを解いお江戞城に迎える以倖はない斉昭を第二の斉圬に仕立おる以倖はない。それには朝廷の埡沙汰を仰いで斉昭の幕政埩垰を掚進するしかないだろう。そう、蚀うのだ。
 たしかにすでに梅田雲浜うんぎん、頌らい䞉暹䞉郎、梁川星巌やながわせいがんらの急進的な勀皇掟が、秘密裏に動き出しおいた。吉田束陰も壮絶なテロ蚈画を緎っおいた。西郷も悲嘆をはねのけ、意を決しお事態の刷新にずりくもうずするのだけれど、呚囲の盛り䞊がりのほどには心が及ばない。

 そこぞたたもや井䌊倧老の電光石火の鉄槌が、あたかも倧鉈のように䞋っおいった。安政の倧獄が始たったのだ。
 梅田や頌を捕瞛した叞盎の手は執拗で、西郷にも䌞びおいく。逆䞊した西郷は、いっそ圊根に攻めお戊死するかず思うのだが、事態は前埌巊右が雁字搊めになっおいお、なんらの動きもずりにくい。やむなく平野囜臣を䌎っお、月照ずずもに身を隠し぀぀、ひずたず薩摩に垰ろうずする。男ばかりの逃避行である。月照を䞋関の豪商・癜石正䞀郎の屋敷に身をひそめさせ、西郷は䞀人で薩摩に戻っお月照の庇護を申し出た。
 しかし薩摩の地は名君斉圬を倱っお、実暩は島接久光の手に移っおいた。久光は悪女の名をほしいたたにしたお由良が生んだ子で、そのお由良掟が長らく䞻君の座を虎芖眈々ず狙っおいた人物である倜『南囜倪平蚘』参照。お由良が呪詛調䌏をしおたでも斉圬を亡きものにしようずしおいたのは有名な話、むろん西郷はそういう久光を心底嫌っおいた海音寺朮五郎は斉圬が久光・お由良に毒殺されたずいう仮説をたおおいる。
 䞀方、久光のほうは、面ず向かっお先代藩䞻お気に入りの西郷を排陀できないものの、月照などずいう坊䞻は関係がない。ずうおい薩摩には入れられないずしお、西郷に月照の攟逐を厳呜した。
 これで西郷は参っおしたった。どうにも窮した。すでに月照は䞋関から薩摩に向かっおいる。こうなれば月照もろずも死ぬしかないず芚悟しお、倜陰の錊江湟に数人で舟を出すず、二人は乗合の者が寝静たるのを埅っお、ひしず抱き合い入氎した。二人の蟞䞖がのこされおいる。

  倧君のためには䜕か惜しからむ
      さ぀たの瀬戞に身は沈むずも䞭将坊月照
  ふた぀なき道にこの身を捚お小舟
      波立たばずお 颚吹けばずお西郷吉之助

 運呜はいたずらなものだ。このずき月照は絶呜し、西郷は間䞀髪で船頭らに助けられた。戻っおみるず皎所節、倧久保䞀蔵利通らが西郷を助けた。
 しかしこのずき、西郷は氞遠の「土䞭の死骚」ずなったのである。この蚀葉は西郷自身のもので、以来、西郷は月照ずの共死ずもじにを遂げられなかったこずをずっず悔い぀づけおいる。残念は捚おられなかったのだ。西郷を語るにあたっおは、この「未遂の死」のこずを、この咎めのこずを、攟眮しおはおけない。
 河䞊肇の『貧乏物語』に、枅氎寺にある西郷の詩碑を芋るくだりがあるがくもしばしば眺めおきた。月照を思う西郷の悔恚がうたわれおいる。河䞊は「西郷の、詩碑仰がむず今日もたた、五条坂を登り行くなり」ず曞いお、䜕床も西郷隆盛の䞇感を偲ぶためにそこを蚪れたず告癜した。

  盞あい玄しお淵に投じお 埌先なし
  豈に図らんや 波䞊再生の瞁
  頭こうべを回めぐらせば 十有䜙幎の倢
  空しく幜明を隔おお 墓前に哭こくす

 こうしお、冒頭に曞いた西郷の最初の島流しになる。
 薩摩藩は、西郷を奄矎倧島に流したのだ。幕府の目を憚ったのは蚀うたでもない。いや、そういう面子だけで西郷は流された。どんな事態であれ、面子には匱い西郷である。
 奄矎倧島での流人西郷の日々は、実に幎におよんだ。そのあいだ、アむカナ愛加那ずいう嚘を島劻ずし、アむカナは菊次郎ずいう男子を身ごもった。西郷は玄冊の曞籍を日がな読砎し、島の子には手習いをさせ、ずきにサトりキビの幎貢未玍者の解決に乗り出しもした。
 このずき、おそらくは「敬倩愛人」の思想が育たれたかず思う。少幎期より朱子の『近思録』や王陜明の『䌝習録』を読み耜り倜、「倩呜」を知識にもっおいた西郷であるけれど、䞻君の急死、二人しおの入氎、自分だけの助呜、島流しの宿呜などを幎にわたっお盎撃されおみれば、のちの西郷隆盛の倧半はここで醞成されたずみなしおいいだろう。が、これらはすべお「咎め」から出所したものだったのだ。「残念」ずの闘いだった。
 かくお「敬倩愛人」ずは、裏を返せば「土䞭の死骚」なのである。ちなみにこのずきの西郷は「菊地源吟」ずいう倉名になっおいる。幕府を憚り、藩内を憚ったからだった。