<R15>15歳未満の方はすぐに移動してください。
この作品には 〔ガールズラブ要素〕〔残酷描写〕 〔15歳未満の方の閲覧にふさわしくない表現〕が含まれています。苦手な方はご注意ください。
「レミリア・ローゼ・グラウプナー!! ……お前のようなものを未来の王妃として迎え入れるわけにはいかない。王太子ウィリアルド・アーク・クライゼンの名をもって、この婚約を破棄する!」
10年にも渡る婚約を、10年の間育んできたと、思っていた信頼関係を……破棄すると、声高く宣言したウィリアルドは私を鋭く睨みつける。その中には軽蔑の色が潜んでいた。腕にすがりつく、淡い金髪にストロベリーピンクの瞳をした愛らしい少女は勝ち誇ったように薄く笑みを浮かべていた。淑女からは程遠く、はしたなくもウィリアルドの体にしなだれかかった彼女の笑みが見えていたのは正面にいる私だけだろう。
ああ、ダメだった。あんなに頑張ったのに。ウィル様も、可愛い義弟のクロードも、幼馴染みでもあるデイビッドにステファンも。おぞましいものを見るような目で私を睨む。みんな、みんな、私を信じてもくれなかった。そんな事していない、その証拠にも覚えはないといくら訴えても聞き入れられることはなかった。
そんな事レミリアがするわけない、何かの間違いだ、なんて最後まで信じてくれなかったのだ。……確かな信頼関係を築けていると、思ったのに。
絶望に目の前が真っ暗になって、さぁっと全身の血の気がひいていく。微かな浮遊感とともに、私の意識はそこで途絶えた。
意識が明瞭になる。ああ、久しぶりに感じる体の重み。そうね、エミの知識の中にあった。これが重力というものなのだろう。
自分の思い通りに動く体、おおよそ11年ぶりの事なので戸惑いそうになる。ただし無様を見せるわけにはいかない、王太子と婚約を結んでいる、淑女と名高き「公爵令嬢レミリア・ローゼ・グラウプナー」はそんな失態は犯さない。
……ある日、エミは私の中に突如現れた。幼いころ、まだわたくしがわたくしだけであったとき、風邪をひいて高熱を出したわたくしは、何の前触れもなく……目が覚めると唐突に体の自由を失っていた。
エミの知識の中にあった。憑依という事象が一番近いのではないかと思う。
最初わたくしはとても憤った。体を奪われ、全くの赤の他人がわたくしとして生きて、体を操り、喋っているだなんて。それを見ているだけで何もできない状態で怒りを感じない者がいたら聖人を通り越してとんでもない愚か者である。幼いながらにわたくしはわたくしの奪われてはならない尊厳を無理やり取り上げられた事に憤慨したが、わたくしだった体の中から喋ることも自由に動くこともできずに、わたくしの体を乗っ取った何者かが見たり喋ったり動いたりするのを誰にも届かない声で年相応の幼稚な罵声を浴びせ、内心で泣き喚きながらただ眺めているしかできなかった。
数日すると、少し冷静になったわたくしはわたくしの体を奪った対象を観察する余裕が出てきた。奪い返してやるという結論にたどり着いた結果でもある。
わたくしの体の中に入った何者かは、やはり数日は高熱の影響でうなされつつ意識が朦朧としていたようだったが、わたくしが冷静になる頃には体調もやや回復していた。その時に、わたくしの体の中に現在入っている何者かの、声に出さない意識がわたくしの中に流れ込んで来ていることに初めて気付いた。相手も相当に混乱しているらしく、当時の幼い精神のわたくしでは理解できない内容も多分にあった。
ぼんやりと分かった事をつなぎ合わせると、わたくしの体を今動かしているのは「エミ」という名の女性の精神である事、エミはこことは違う世界で生きていた年上の女性で、一度死んで気が付いたらわたくしの体で目を覚ました、というような事が分かった。
エミは元の自分の生活にとても未練があるようで、「帰りたい」「お母さん、お父さん、お姉ちゃん」「知らない世界で1人は怖いよ」と、嘘偽りない悲痛な思いがわたくしの中に流れ込んでくるうちにエミへの怒りは失われた。「この体の本当の持ち主のレミリアちゃんにも悪いし……そもそも今レミリアちゃんってどうしてるんだろう」という心配げな声を聞いたからかもしれない。
それよりもわたくしはこんな暴虐を行った神か悪魔を呪った。
エミの心の声が聞こえてくるようになって、エミへの怒りが消えた後。わたくしは自分の記憶を思い出すような意識で「エミの記憶」に触れられることに気が付いた。
エミの記憶はとても優しくて温かで、幼かったわたくしが一切知らなかった幸せな想いが満ち溢れていた。エミはふとした瞬間に家族に「会いたい」と何度も思っていた。廊下でメイドが自分の家族の話をしている時、わたくしの家族を「お父様、お母様」と呼ばなければならない時、エミの記憶の中の部屋よりもずっと広いわたくしの部屋で1人で寝る時。わたくしは家族を愛する気持ちなんて知らなかった、愛されたこともなかった。わたくしの母も父もわたくしと顔も合わせずに1日を終えることもある。わたくしがわたくしだけであった時に言葉を交わした記憶もあまりない。
わたくしはわたくしの体をエミが動かすようになった時も、自分の体を奪われたと怒りを感じこそすれエミのように「悲しい」とは欠片も思わなかった。わたくしは体の中から見聞きすることだけは出来るといえ、例えば逆の立場であったなら……エミの体にわたくしが入っていたのなら。家族を愛していたエミは、家族と自分の言葉で会話が出来ずに見ているだけしか出来なくなった事をとても悲しく感じていただろう。
わたくしはエミの記憶に触れて愛を知った。エミの記憶の中にはわたくしには分からない道具や知らない風習や文化がたくさん出てきたが、その内容もエミの記憶……知識を覗くことで少しずつ理解していく。エミの視点で紡がれる記憶は、まるでわたくしが経験しているようで。わたくしが愛されて育ったような錯覚を覚えるほど、人ひとりが生きた記憶というのは濃くて、重くて、愛おしかった。
「レミリアって、あのレミリアたん?! 悪役令嬢レミリア・ローゼ・グラウプナー……?!マジで? 嘘、私レミリアたんに転生しちゃってたの?!!」
エミがわたくしの体で数ヶ月過ごす頃には、わたくしはエミの記憶の中の色々な事を見て知るのに夢中になっていた。時折意識をエミの実際の視界に合わせる事もしていたが。エミの記憶の中には幼い子供の精神だったわたくしが夢中になるような物語や、ずっと浸っていたくなるようなエミの家族や友達との幸せな記憶に満ち溢れていたから。
エミがわたくしの母親に連れられて王宮の茶会に出たのは知っていたが、どうやらそこで王太子が内定しているウィリアルド第二王子との婚約を言い渡されたらしい。
そこで記憶の中のとある物語との奇妙な一致を感じたエミは、帰りの馬車の中でわたくしのお母様に叱られない程度に質問をしていた。第一王子の名前、ドミニッチ騎士団長とレイヴァ王宮魔導士長のご子息の名前。お母様はまだ教えていない高位貴族の名とその子息までも知っていたことに満足げな笑みを浮かべていたが、エミの心中は嵐のように荒れて手足の指先が冷え切っていた。
呆然としたまま部屋に送られたエミは言葉を発する事なく鏡に歩み寄ると、そこに映ったわたくしの姿を映す鏡をぺたぺたと触った。
「レミリアたん? あー確かに面影ある、っていうかあのイラスト忠実に実写化して子供にするならこうなるなって感じの……」
乱れた言葉遣いは心の中でだけ呟いているので、部屋の中で控える侍女には聞こえていない。自分の映った鏡をジッと見つめるレミリア・ローゼ・グラウプナー公爵令嬢に訝しげな視線を送るだけだ。
エミが心の中で叫んだ事柄をまとめると、わたくしがわたくしとして生きていたここはエミの知っている物語の中であるらしい。エミが生きていた中で、エミが「スマホ」と言う道具で遊んでいた中のゲームという物語。わたくしはまだその物語の記憶は見ていなかったので、エミの記憶の中から探し出してその内容を他人事のように眺めた。わたくし自身が出てくるらしいのに、エミの日常の記憶の方がよほど近しく感じる。
エミの記憶の中にあった、物語の中のわたくしは、エミの人生を覗き見た今のわたくしからするととても「哀れで可哀想な少女」であった。両親からは政略結婚の駒としてしか扱われず愛情を注がれた事は無く、年からは考えつかぬほどただひたすら優秀で、底が見えないほど飛び抜けた魔力を持ったレミリアは6歳になってすぐにこの国の第二王子ウィリアルド、後の王太子と婚約を結んだ。両親とは顔を合わせることも数えるほどしかない冷え切った家族関係で、使用人は公爵令嬢と必要以上の口をきかず、それは家庭教師達も同じこと。レミリアは、初めてまともに言葉を交わせる存在……ウィリアルドに、執着と依存をすることとなっていく。
親からほぼ拒絶されて生きてきたレミリアは、自分でも気付かないまま婚約者への重い感情を一方的に募らせる。レミリアは本来であれば親から与えられるべき愛情をウィリアルドにすべて求めた。子供が親に向けるような無償の愛……執着もウィリアルドに全て向かった。
当然ウィリアルドはそんなレミリアを厭うようになる。王族として、婚約者としての最低限の義務を果たすだけで、物心がついて数年もするとウィリアルドはレミリアに政略結婚の相手、以上の感情を向ける事は無くなっていった。勇者の血を引く王家に膨大な魔力の持ち主を混ぜる、家畜の品種改良のようなその婚約はそれ以上の意味を持たないまま時は経つ。
物語は、レミリアがウィリアルドに依存と執着を拗らせきった頃に始まる。魔力持ちが入学を義務と課される魔法学園がその第一章、物語の『主人公』である『星の乙女』が平民としては異例の魔力を観測され、特待生として入学式を迎えるところから。
星の乙女は学園で、ウィリアルドをはじめとした何人もの男性と親しくなっていく。騎士団長の次男にあたるデイビッド、王宮魔道士長の一人息子であるステファン、今はまだわたくしの従兄弟であるクロード。この4人が「強制加入キャラ」だそう。
ゲームの中で「イベント」と言うものを何度もこなし、自分を含めた仲間の「ステータス育成」を行い、第二章からは世界滅亡を防ぐ戦いへと身を投じて星の乙女として仲間を鼓舞しともに戦う、そういったストーリー。
レミリアは最初から最後まで物語に影を落とす。そう、悪役として。
星の乙女として、希有な「他者の能力を引き出し高める」力を持つ主人公は国からの庇護を受けた事をきっかけにウィリアルドと知り合い、惹かれあっていく。学園を舞台にした第一章ではレミリアはウィリアルドの恋に本人よりも早く気付き、主人公に様々な嫌がらせを行う。それは秘められた思いを抱き合う2人には気持ちを盛り上げる丁度良い障害にしかならず、最終的に「星の乙女の命を奪おうとした」事を断罪されて、婚約は破棄され貴族令嬢としての身分も失う。ただし追放されたりましてや処刑などはされなかった、その身に流れるのは確かに高貴な血であったから。犯行は未遂で防がれたこともあり、公的な身分だけを奪われて、グラウプナー公爵家の領地の片田舎に幽閉という名の軟禁をされるに留まった。
しかし、そこで全てに……今までの人生において「全て」を占めていたウィリアルドを失ったレミリアは絶望した。優秀さと膨大な魔力をもってして古代文明の遺跡や文献を独自に紐解き悪魔召喚に手を染め、ついに成功してしまう。
レミリアは呼び出した悪魔に「この国の破滅とウィリアルドの魂」を願った。地の果てに存在すると言われる御伽噺の存在、魔族の王がそれに応えてしまった。
これにより世界は「厄災の時」と呼ばれる滅びの道を歩み始める、ここまでが第一章。星の乙女とその仲間たちが魔王に立ち向かうきっかけの話。その後レミリアは作中何度も主人公達に強敵として立ちはだかって来るのである。
エミはこの物語のことを「乙女系育成RPG」と呼んでいたようだ。物語を進めるゲームとしては、必須キャラ……ウィリアルド達との新しい「ストーリー」を「解放」するためにイベントをこなしたり、それらを育成するための経験値を稼いだり育成アイテムを集めたり。必須キャラ以外にも何人も男性を仲間にできるらしく、そのための「ガチャ」というものにお金を払うかエミがうんうんと悩んでいるのも記憶にある。まぁこれはあまり関係のない話である。
わたくしはわたくしの、歩むはずだったらしい物語を眺めた。物語とともにあった、エミの抱いていた感情も。エミはずっと「レミリアたんは寂しかっただけ」「美味しいもの食べさせてあったかい布団に寝かせてあげたい」「レミリアたんを幸せにする道は無いんですか?!」「うちの妹に生まれてくれればこんな悲しい思い絶対させなかったのに」と物語を読み進めながら涙することさえあった。
エミはこの、レミリア・ローゼ・グラウプナーという存在をとても愛してくれていた。最初は見た目がとても好きだったからというきっかけであったけど、物語を進めていくエミはレミリアの事を何より気にするようになって、他の誰よりもわたくしの幸せを願ってくれるようになっていた。その事実に何より嬉しさを感じる。エミの本当の家族は記憶の中にいて、わたくしの両親とまともに口すらきかない事を気にもしていない。そのため「誰にも愛されない可哀想で孤独な少女レミリア・ローゼ・グラウプナー」はこの現実世界には存在しなかった。
「うわっ、さすが公式の認めるチート! ステータスだけで言ったら邪神と魔王に次ぐだけあるなぁ……」
「レミリアたん……私、頑張るから! 絶対に、私がレミリアたんの事を幸せな女の子にしてあげる!」
流れ込んでくる感情は常にとても温かで、心地の良いもの。エミがわたくしの事を愛してくれているのが、愛を知らなかったわたくしにも分かるほど。
「レミリア・ローゼ・グラウプナーの幸福を」祈りにも似た強い誓いはエミの中にいたわたくしを優しく包んで、エミと共に過ごして、エミの中でわたくしを育んでいった。
「ゲームと同じことが起きたけど、クロードのお父さんが助けられたのは良かったなぁ。でもここがゲームの世界とは決め付けられないし、ただよく似てるだけの世界かもしれない……油断しちゃダメだ」
「私は厄災の時を起こす気はないけど、魔界はどのみち救わないと世界も滅びちゃうから、メインイベントに関しては起きる前提で動こう。ゲームの強制力がある世界の可能性も考えないと。それに万が一星の乙女が現れないかもしれないし、備えだけはしっかりしておかないと」
エミはゲームの知識とやらを使って「レベル上げ」「育成」というのを行っていった。
特定の条件下で、錬金術に使う素材を混ぜて作った、魔法薬と言えないような何かを飲んでから魔法を使うと、その魔法を使う際の熟練度が飛び抜けて上がると言うこともエミは苦労して探し当てた。エミが見ていた物語では、育成素材を集めたらタップひとつでスキルのレベルが上がっていたものね。まさか飲まないとならないとはわたくしも思わなかったわ。
魔晶石を使った高速レベリングとやらも行っていた。
魔物の体内から採取できる魔石、これを加工して得られる「魔晶石」。エミの記憶の中ではログインボーナスや課金などで得られる青紫の宝石様の物体だ。ガチャに使うと「神殿で祈りを捧げながら握りしめると魔晶石は強い輝きの後に消え、新しい仲間の訓示が得られる」という演出でキャラクターを得られる。他には……掲示板というところで「割る」と呼ばれていたが、これを消費するとスタミナと呼ばれる行動可能回数が最大値まで回復していた。
実際にこの現実世界では「体に接触させた状態で破損させる(割る)と魔力や体力が回復する」という使われ方をしている。物語の中のように一律に最大まで回復できる訳ではなく、大きさによって回復量に差があるものだが一般的に普及している存在だった。神に祈りを捧げるために握り込むのも一般的だ。啓示がおりることは実際にはとても稀らしいが。
それを公爵家の令嬢として自由になるお金は全て魔晶石と育成素材に費やし、エミは魔法の鍛錬と自身を高める事に注ぎ込んだ。魔法の才能を開花させて見せたエミはわたくしの両親にも「さらに有能な駒」として物語の中より話を聞いてもらえるようになっていて、クロードの父親である子爵が領地の視察中に夜盗に襲われて護衛ともども命を奪われる事もこれで防げた。
しかし、その翌年流行病を拗らせてあっと言う間に亡くなってしまったことで、出産時に母親を失っていた従兄弟のクロードは物語の中の通りわたくしの義弟となってしまうが。
エミは物語の強制力がと恐れていたが、未来は少しだけ変わった。クロードとその実の父親の確執を結果的に解くことができたのだから。物語では星の乙女がそれを行っていた。クロードは出産時に母親の命を奪った自分は父親に恨まれていると思っていた。子爵は仕事で忙しくして、母のいないクロードをあまり構えなかった事で、物心ついた息子と接するようになって罪悪感から態度がぎこちなくなっていたのがすれ違いの原因だった。物語の中では星の乙女が、学園で仲を深めた後、クロードの故郷である子爵領の領主邸に訪れた時に執務室でクロード宛ての手紙を見つけて誤解が解ける。
わだかまりを解消しようと、クロードの次の誕生日に子爵が渡そうと用意していたものだった。貴族には珍しく恋愛結婚で結ばれた、愛した女性の遺した息子に対して、仕事を理由にあまり家族の時間が持てなかった事を謝罪する父の筆を目にしてクロードは泣き崩れる。
この現実世界では、子爵は夜盗に殺されること無く、自分の手でクロードに手紙を渡していた。仲の良い父子となっていたクロードは、子爵を流行病で亡くした時はとても憔悴していたが、引き取られた先で出来た心優しい義理の姉に世話を焼かれてゆっくり回復していく。
ここも物語とは違う道を辿った。物語では、クロードは「自分は誰にも愛されていない」と思い込みずっと陰鬱に生きていた。星の乙女が父との誤解を解いた後も、どこか影のある少年として描かれる。
実際のクロードは、エミと家族になってからは本来の子供らしさと天真爛漫さを少しずつ取り戻し、姉が大好きな少年へと育った。エミは気付いていなかったが、中から第三者として眺めていたわたくしにはクロードが淡い思いをエミに抱いていたのを察した。クロードが家に来た時にはエミ……レミリアは王太子の婚約者であったため、その思いを表に出すことはなかったが。
エミは他の「主要キャラ」達の心の闇も晴らしていった。デイビッドが、兄の才能に劣等感を抱いていた事や、ステファンが周囲から王宮魔導士長の父親と同等の期待をかけられて悩んでいたが自身は芸術の道に進みたいと思っていた事も。いずれも物語の中では星の乙女が解決していた事だったが、エミは生来のお人好しらしく、救う方法を知っているのに何もしないのはできないようだった。
物語の知識を生かして自分を磨き様々な才能を開花させるエミ……レミリアにウィリアルドが嫉妬するという、物語には無かった問題も起きたが真っ直ぐで心優しいエミにかかればそんなわだかまりはすぐに解消された。
わたくしはエミをどこか眩しい気持ちで眺める。エミが言っていたわ、レミリアが幸せになる姿が見たいと。わたくしもその気持ちが今なら分かる。わたくしの大好きなエミが慕われ、幸せそうに過ごす様子は見ているだけで嬉しく感じる。このまま婚約破棄する事なく、エミが心を寄せるウィリアルドと幸せになるところが見たい。
エミは、「ウィル様はレミリアの婚約者なのに」と内心では申し訳なく思っているようだが……今のわたくしはウィリアルド殿下には何も思うことはないし、わたくしがわたくしのままだったらウィリアルド殿下もわたくしを大切に想うことは無かっただろう。エミが心配することは何もないと伝えたいのに、意思疎通ができないのを良い意味でもどかしいと思ったのはこの状態になってから初めてだったかもしれない。
ただ、そんな平穏で幸せな時間も壊された。星の乙女が学園に入学してきたのである。当初はウィリアルドをはじめとして、エミの心配とは裏腹に星の乙女は最初から好意的には受け入れられていなかった。
むしろ、星の乙女とは言え高位貴族の子息、特に婚約者のいる男性にまで気軽に声をかけ、その手や腕に触れたりする姿に常識を持った者なら男女問わず倦厭されるまでであった。エミの中から貴族としての一般常識から教養まで学んだわたくしからすれば、あれは物語の中だからこそ色々な殿方に粉をかける話が独立して存在することが許されていただけで、現実世界で同じ事をしたらこうなるのは当然の結果であると思うのだが。
エミは、ウィリアルドがすぐさま星の乙女に惹かれなかった事と、星の乙女と出会った自分が物語のように勝手に虐めを行うような事にならずに心底安堵していた。ただ、星の乙女……この現実では「ピナ・ブランシュ」という名の元平民の少女もエミと同じ、この物語の記憶を持っており、物語と同じ出来事を起こそうとしているのを知ってからは警戒していたようだったが。
それでは足りなかったのだ。わたくしの言葉が届かないこの状況に甘んずることしか出来ないことが何より口惜しい。エミの中からどんなに声を張り上げても、エミにはわたくしの忠告が聞こえない。
ピナという女と関わらないだけでは足りなくて、積極的にあの女が広げる噂を打ち消すように動き公の場で否定しなければならなかったのも、王家に忠誠を誓い、常に複数人に互いの監視もさせて……偽りを報告することのできない影を付けるよう自ら申し出るのも、善人のエミには思い付けもしなかった。自分が、やってもいない事で悪人に仕立て上げられるとは思ってもいなかったのだろう。
わたくしだってエミの中からどうにか出来ないかと色々手を尽くした。体の主導権を奪い返すことが出来ないのは分かっていたが、中にいるわたくしに魔法が使えはしないか、声は届けられないか、夢で干渉できないか。
でも、ダメだった。わたくしには何も出来なかった。見ていることしか出来なかった。エミが、覚えのない悪意の噂で傷付けられて、友人や信頼していた人たちを失うのを。初めは「あの子はちょっと変わってるね……」と呆れ気味に言っていたウィリアルド達さえもが気付けば「平民だったからしょうがないか、少しずつ学んでいけばいい」からすぐに「レミリアがあんな事をしたなんて信じてないけど、あの子は住んでた世界が違うから僕達と捉え方がちがうのかもしないし接し方には気を使ってあげた方がいいと思うんだ」と口にしていた。それが「レミリアはこんな事するなんて思いたく無かったのに」と、まるで事実のように扱われるようになるまでわたくしは、ただ、見ているしか出来なかった。
エミの味方はいなかった。表面上は残っているように見えた友達の顔をした裏切り者は、星の乙女と内通していて「レミリアが星の乙女に虐めを行っていた」証拠として後に提出される私物を盗んで提供したり、レミリアが1人となる……現場不在証明の出来ない時間帯を調べたりの手駒となっていた。
星の乙女は周囲の人間を籠絡させる手腕に長けていて、この偽装工作もそうして獲得した取り巻きに「グラウプナー公爵令嬢のご機嫌を損ねないように時間と場所をずらして行動しようと思って」「寮の部屋に届いた脅迫状に使われていた便箋がどうもグラウプナー公爵令嬢が使っているものに似ていて確かめたい」などと口にしていたらしく、それを何人にも分けて少しずつ頼んでいたせいで明るみに出ることは無かった。
ウィリアルド達から、星の乙女への立場を諫められるレミリア、自分の罪を認めないレミリア、そのレミリアを庇って健気に過ごす星の乙女、という構図が出来てすぐ。階段でエミとすれ違おうとした星の乙女は小さく悲鳴を上げて体を傾けた。お人好しのエミが思わず助けようと手を差し伸べたその瞬間、大きく悲鳴を上げながらあの女は階段を転げ落ちた。
その場には、驚いたまま中途半端な体勢で手を伸ばしたままのエミと、階段の下に倒れる星の乙女。
あっと言う間に人だかりができて、近くにいたウィリアルドと側近達が駆け付ける。わたくしはエミが陥れられた事をすぐ悟った。
わたくしは、あの女が、落ちていく瞬間薄く笑っていたのも見ていたのに……見ているだけしか、出来なかった。エミが何もしていないことは、エミの中から全てを見ていたわたくしが1番知っている。知っているだけで、何もできない自分が憎くて情けなくて、いっそ狂ってしまいたかった。
物語の中でエミへの婚約破棄と、星の乙女の命を狙った事を断罪された王宮の夜会で同じように婚約破棄が行われた。物語では、レミリアは暗殺者を雇って星の乙女にけしかけていたが、その時1番好感度の高い主要キャラが助けに駆けつけて窮地を脱する。あの時ピナを助け起こしたのはウィリアルドだったので、おそらくもう完全に骨抜きになっているのだろう。
たいして長くもない階段から落ちて打撲と捻挫で済んだと言うのにそれを「殺人未遂」と言い張るとはいっそ呆れる。エミの言葉は一切聞き入れられず、ウィリアルドは星の乙女を傷付けた愚かな女と詰め寄り、無実を訴えるエミを「反省なし」と切り捨てて婚約破棄を行った。
ウィリアルド殿下をウィル様と呼び、幼馴染みや義弟とも確かな信頼関係を築いていたと思っていたエミはすべてに絶望した。絶望して、強く人生に悲観を抱いたエミは自分の中に沈んでいってしまった。きっとわたくしがいなければ、エミは気を失って、その後は会話もままならないような人形のように過ごしただろう。それほどエミの抱いた絶望は強かった。
わたくしは心の中で涙を流しながら、今度はわたくしの中に閉じこもってしまったエミへと言葉をかける。あなたが何もしていないのはわたくしが誰よりも知っていてよ。だから大丈夫、『エミ』の事はわたくしが守ってあげる。幼いわたくしの心をエミの思い出が救ってくれたように。
エミが心を砕いてくれた「レミリア・ローゼ・グラウプナーの幸福」もわたくしが取り戻すわ。
「……陛下と、わたくしのお父様はご了承してらっしゃるのでしょうか」
「当然だ。道理を通さずこのような事はしない」
「わたくしは何もしていないと言っても……聞き入れては、くださいませんのね」
「今更しらを切るつもりか。お前に依頼された下級貴族の子息子女達の証言、その際に使われたお前の紋章入りの手紙、それらについてはお前付きの専属侍女2人の裏付けも取ってある。何より先日、衆人環視の中で行われた殺人未遂……今更言い逃れが出来ると思うなよ」
「それらはすべて悪意によって捏造された物です、とわたくしにはそれしか言いようがございません」
「往生際の悪い……君はもっと頭の良い女性だと思っていた。幼馴染みでもあった、長い付き合いの分情は残っている。……自らの過ちを心から悔い、謝罪を行い心を入れ替えるならそれを受け入れるつもりだが──」
「いいえ、わたくしはわたくしの名において……レミリア・ローゼ・グラウプナーの犯していない罪を認めるなど、偽りを述べるわけにはまいりません」
「……ここまで証拠も出揃って。ああ、そうかい。あくまでもシラを突き通すつもりなのか」
おぞましい、とでも言いたげにウィリアルドは口を歪める。グラウプナー公爵家に仕えるはずの侍女に護衛もとっくの昔に内通者と化していた。公爵令嬢の予定を漏らし、罪の捏造に使われた私物を持ち出し、冤罪としてでっち上げられ星の乙女への加害を示す証拠を紛れ込ませ……わたくしはそれに気付いていながらも、エミに伝える術を持たなかった。
エミと……レミリアと過ごした時間があって、それでも星の乙女の言い分を信じたこの男とこれ以上言葉を交わす意味は無いだろう。わたくしはそれ以上抵抗する事をやめ沙汰を待った。
別室に移動した後、本日の夜会が星の乙女の社交界デビューを兼ねた最終通告であり、心を入れ替えて星の乙女に謝罪をすれば、婚約は一旦保留とされ、今後の様子次第では婚約破棄とはならなかった事を陛下から伝えられる。横に座る、わたくしのお父様からは失望がひしひしと伝わってきた。
だがしかしわたくしは、エミがやってもいない事をしただなんて口が裂けても言えない。
「何か、最後に言い残したい事はあるか? レミリア嬢。義娘になるはずだった君がこのようなことになるとは残念だよ」
「……王家に直接誓いを立てた、顔を見せぬ影に互いを監視させつつ常に複数わたくしにつけてくださいと、星の乙女がウィリアルド殿下に近づき始めた時に申し出なかった事を後悔しております」
「…………」
陛下は何も言わなかった。ほんの少し、わたくしに対する疑惑が生まれたような気がしたが、わたくしはそれを利用して思い切り哀れっぽく申し出る。エミのように人から愛される笑顔は出来ているだろうか。
「わたくしの身柄は貴族籍を持ったままグラウプナー公爵領内の田舎に幽閉されるとお聞きしています。罪を認めぬわたくしを疑うためで構いません、どうぞわたくしの生活を監視させる者をお付けください」
「……考えておこう」
「ご配慮、痛み入ります」
陛下はここにきてようやく疑念を抱いたようだったが、隣のお父様からの怒りは消えない。愚かな事をしたのか、工作に負けたのか、どちらにしろわたくしという駒の利用価値は無くなってしまった。物語とは違って貴族籍の剥奪まではされなかったが、星の乙女を傷つけようとして幽閉された令嬢など何の価値も無いだろう。
ああまで星の乙女に骨抜きになっても、物語とは違い「婚約者のレミリア」に対しての情は残っていたのが窺える。親しかった幼馴染みでもある婚約者が嫉妬から醜い行いをした失望も。今夜は皆の前で断罪し、エミ……レミリアから謝罪の言葉を引き出して、それによって手打ちにするつもりだったのだそう。
嫉妬から星の乙女を傷付ける王太子の婚約者を非難する声は強く上がっていた。そうでもしないと王家とは言え貴族の反発を一方的に抑え込む事は出来ない。予想と反して、レミリアが最後まで罪を認めないばかりか婚約破棄に同意したのは彼らにとって計算外だったのでしょうが。
「……レミリア嬢、いいのか」
「わたくしはレミリア・ローゼ・グラウプナーの名において、身に覚えのない罪を認めるわけにはまいりませんの」
先ほどの、ウィリアルドの宣誓を踏襲するようなわたくしの言葉に陛下はため息をついた。
最後まで、わたくしは背筋を伸ばしたまま退室の礼までをきちんとこなす。……今はまだ手札がない。そう、ここは大人しく引き下がるべきである。エミを絶望させた者たちに報いを受けさせるためにはまだ足りないものが多すぎる。
数日後、質素な装いに身を包んだわたくしは田舎の片隅にあるこじんまりとした館の前に立っていた。わたくしの名前は「星の乙女に危害を加えた悪役令嬢レミリア」として広く知られてしまっていた。声高に無罪を叫んでも今は誰も聞いてくれない。お父様がお情けで手配した使用人達も、「とんでもない事をしでかしてここに幽閉される貴族のお嬢様が来る」としか聞かされていないらしくわたくしに向ける目は冷たい。
いいわ、エミにこんな思いをさせる所だったと考えれば、何の痛痒にも感じない。
エミがわたくしの中に閉じこもってからも、今もエミの記憶に触れる事が出来ていた。わたくしはそこから、ウィリアルド達に何が起きたかを察していた。ほぼ推測だが間違っていないだろう。
エミの記憶の中の物語には「課金アイテムショップ」が存在した。魔晶石もそうだが様々な効果をもたらす品を扱っていた。通常のアイテムや素材ならRPGパートの戦闘の報酬で入手できるし、そういった普通のアイテムのみを取り扱うショップメニューもある。
課金アイテムは魅力値を上げたり攻略対象の好感度を上げるアイテムが存在した。もちろんお金を使わなくても好感度を上げる事は可能だが、最大値が100%に対して通常入手が可能な好感度アップアイテムでは本、お菓子、お酒の中から好みに合わせた物を贈っても0.02%しか上昇しない。パーティーメンバーに加えて戦闘を行うとランダムで好感度が0.05〜0.1%上がるのだがいずれにしろ時間がかかる。愛着をもってずっと戦闘メンバーに入れておけば気付けば上限に達しているものだが、あの短期間でピナが行うのは無理だ。
この通常の好感度アップアイテムは戦闘で1、2個ドロップする程度だが、課金ショップでは1つで好感度が5%も上がる「恋の秘薬」が無制限に購入できた。プレゼントや行動を共にした時の好感度上昇を2倍にできる「魅力の香水」というアイテムも存在する。一度使用すると効果は1ヶ月続くという設定だったが……あのピナという女はいつでもかぎ慣れない匂いがしていた。それにわたくしが見てすぐ気付いたあの女の底意地の悪さを、あれ程大勢の貴族の子息子女達が見抜けず信奉者に回っていたのが不可解すぎる。
それに反して第一王子はあの女に一切傾倒していないのがわたくしの仮説に裏付けをする。あの恋の秘薬と魅力の香水は魔族と、魔族の血が濃いものには効かないからだ。物語の中で明らかにされるが、第一王子を産んだ陛下の側室は魔族だ。魔族とその近縁達の好感度を上げるための課金アイテムは、第7章に入って魔界フィールドが解禁されてからでないと購入できないのだが、今はこの話はいい。
あの女が王都の裏通りにある、という設定の課金アイテムショップを利用していたのは間違い無いだろう。
さらに証拠の捏造の手腕も素晴らしかった。別々の人間に頼んだものを様々に組み合わせてレミリアの罪を作り上げた。偽証を行ったもの達は、一つ一つは些細なことすぎて、「自分はほんの少し裏付けを強めただけ」としか思っていないだろう。
確信して嘘をついて裏切ったのは、グラウプナー公爵家に忠誠を誓っていたはずだったレミリアの専属侍女と数人の護衛くらいだ。でなければ、「レミリアお嬢様は私共に『ここで待つように』と言われてお一人で過ごすことが頻繁にありました」などと言うはずがない。その、監視がない時間にレミリアは星の乙女を虐げる行いを影でせっせと行っていたことになっていた。
「きっと、あの女はレミリアが厄災の時を引き起こした事にしようとしてくるわよね」
物語と同じ筋道以外認めようとせず、ウィリアルド達以外にも将来仲間になる殿方を学園で見つけてはマーキングをするように親しげに振る舞っていた。まるで自分に惚れるのが当然とでも言うように。いじめの証拠を素晴らしい手腕で捏造してくれたあの女の事だ、このまま「レミリア」を厄災を引き起こした大罪人にしてくるだろう。
当然わたくしはそんな事をするつもりはないが、捏造された証拠を持ち込まれてはたまらない。エミが「前世チート」と呼ぶレベリングを行なったおかげで魔法を扱う力だけはずば抜けていたわたくしは使用人全員に十分な手当てを渡して紹介状を書き、勝手を詫びると暇を出した上でこじんまりした屋敷全体に結界を張った。人間は信用できない。ピナの手駒になる可能性があるから。
エミの記憶のおかげで多少の家事なら手間ではないし、掃除や洗濯は魔法で片付く。知らない人間にそばにいられることの方が煩わしかった。
ああ、今はこの家の中にエミとわたくし2人だけなのね。こんなに心休まった事は無いわ。
待っててねすぐにエミの名誉は取り戻すから。
わたくしはわたくしの胸の上に手を当ててそっと祈った。
守りを固めたわたくしが次にしたのは、ピナが利用していると思われる課金ショップを潰す事。潰すといっても物騒な話では無い。エミとわたくしが意思疎通が出来たのなら、エミが提案しそうな事をするだけである。
ここの店主は実は魔族で、同じような店が世界中にいくつもあり、魔界から転移魔法で仕入れた品を売って得た金銭で食料などを買って魔界に送っているのだ。魔界は大地の実りが少なく、魔物資源とそれを加工した品をこうしてこっそり人間の生活圏で売って何とか祖国を養っている。国とは言ってももう魔族は全体で3万にも満たない少数種族になってしまっているが。
わたくしは名目だけは寂れた村の村長である。村といっても住民はおらず、使用人は近くの村から数日に一度通うことになっていた程度の閑散とした土地で、近くに打ち捨てられた廃村がある、森のそばの一帯だ。
わたくしはそこに店主を含めた魔族に「この国に潜伏している魔族で村を作らないか?」と誘った。最初は警戒心をあらわにしていた魔族の男も、復讐劇に必要な根回しをしがてら定期的に店に訪れて熱心に誘うわたくしに少しずつ心を開き、「今居場所がない奴らだけなら……」と少しずつ村に受け入れる事を了承してくれた。
店主は、大罪を犯した、とされるわたくしが「栄えた街を作ってわたくしを冤罪で追いやった奴らを見返してやりたいの、そのためには最初にわたくしの領地でもいいと言って入植してくれる人が必要で」という言い分と、担保にと預けた子供の頃から貯め込んでいたわたくしの全財産を見て少しずつ信頼を寄せてくれた。実際にこれはわたくしの本心ではある。「悪役令嬢と言われたレミリアが、魔族も幸せに住む街を作る」のは計画上必要な事だった。
魔族だけならピナに骨抜きにされる心配を当分しなくていい。わたくしはやっと手駒を手に入れた。店主にはさらに、恋の秘薬と魅力の香水については貴族に目をつけられ始めているから販売を中止するか相手をごくごく厳選するようにと伝える。「この2つが一番売れるんだけどな」と渋る店主に、代わりにわたくしの作った魔晶石を大量に融通する事で首を縦に振らせた。
やはりピナはこの店を利用していたらしい。
当時のピナの行動を思い返す。香水をつけて周りをうろつき、そうして少しずつ好感度を上げ、護衛の兵や側近まで手懐ける。一度懐に入り込んだ後は恋の秘薬を仕込み放題だっただろう。毒味はあるがあれは毒物ではなく即効性もない。エミは課金アイテムの存在に思い当たってウィリアルド達にピナの淹れたお茶や差し入れのお菓子を口にしないように話していたが、「毒味は毎回しているしそれで異常が出たこともない」「嫉妬か? 被害妄想が過ぎる」と、その時にはもうまともに取り合ってももらえなくなっていた。
他にも間違いに気付くきっかけはいくつもあったはずなのに、こうして最後まで踏み抜いたあの者らをわたくしは許せない。
ピナに復讐を仕掛ける事にしたわたくしには勝算があった。
エミがレベリングと呼んでいた作業には最初膨大な資金が必要になる。魔晶石はそこまで安い買い物ではない。去年まで平民だったあの女にはとてもではないが出来ないだろう。物語の知識があれば効率の良い資金稼ぎは出来るだろうが、恋の秘薬と魅力の香水に使い込んでいたあの女の星の乙女としてのレベルは間違いなくまだ低い。
エミは、子供の頃はレベリングのために魔晶石を購入していたが、錬金術を学んで腕を上げてからここ数年は自分で作ってそれを使うようになっていった。魔物を討伐し、魔石を回収し、それを加工して魔晶石を作り、作った魔晶石を割って魔力を回復したらまた魔物を討伐する。「ヤバイw永久機関できたw」とすごく興奮していた微笑ましい光景が昨日のことのように思い出された。
わたくしは今日も紅茶を飲む片手間に魔石を魔晶石に加工し続ける。魔道具の動力にもなるため需要は無くならない、作ったら作っただけ売れるので資金稼ぎとしては優秀な手段だ。これをあの店の店主を経由して半分は売るが、もう半分はわたくし自身の「レベリング」に費やすのがこのところの日常である。
入植した魔族の民は正体を隠して数人が廃村に住み始め、わたくしの援助した資材と食料を使って慎ましやかだが平穏な生活を始めた。感謝を告げてくる村人達に困っていることはないかを頻繁に尋ね出来るだけ力を尽くす。もっともっと彼らには恩を売らないと。
「悪役令嬢レミリアは公式チートの存在である」とはエミの記憶の中にあった言葉である。何でも出来る完璧令嬢。学園では主席以外をとったことがない。魔力にも秀でた天才。さらに1人で古代文明の遺跡と文献を紐解き辿り着いた悪魔召喚の儀式を独学で再現し、自分の魔力だけで起動してしまう。主人公達に立ちはだからせるために物語の開発者は悪役令嬢レミリアに、物語に起きる不都合を解消させるさまざまな能力を与えた。
どこにでも出没して邪魔をするために非常に稀有な転移魔法の才を、主人公達を惑わせるために幻惑や変身の魔法を、人々を混乱に陥れるために魔物を先導するようなテイマーに似た能力や、変異させた疫病を流行らせ特効薬になりうる素材をあらかじめ破棄する医学知識と手腕、その他主人公達に問題を振りかけるために毒物や呪術にも精通していた。
さらに戦闘ではレイピアを使った剣技から攻撃魔法、自己強化、自分を回復させる治癒魔法まで扱える。ステータスの数値だけでいうと、主人公側で最強に育つ、勇者の血を引くウィリアルドさえも大きく凌駕していた。レミリアは魔力が高い魔術師型のキャラクターだったが、最終決戦時は物理攻撃力でウィリアルドに勝る。
レミリア1人対主人公パーティーだというのに、人数と手数の有利をもってしてもしっかり育成を行っていないとあっさり負けるほどレミリアは強い。
そう、エミの大好きだったキャラクター「悪役令嬢レミリア・ローゼ・グラウプナー」はそのくらいのポテンシャルを持っている。
エミが途中までやったレベリングのおかげでわたくしは十分強くなっていたけど、わたくしの目的に必要な、その途中を達成するためにはまだ足りない。そのためのレベリングだ。魔法の技術もしっかり磨いて、ポーションに魔道具も山ほど持ったわたくしはエミの知識の中にあったいくつもの遺跡に飛んで、必要なものを集めつつ自分の能力をさらに高めた。
物語の中ではターン制、というカードゲームのようなお行儀の良いシステムのせいで悪役令嬢レミリアは負けたが、現実世界でわたくしが戦うなら攻撃魔法を放ちながら剣技を使ったり回復をしながら防壁を張ったりをしないはずがない。斥候も索敵も戦闘も1人でこなすのは大変だったが、エミが愛していた「悪役令嬢レミリア」も、魔王の配下になった後も手下がいるような描写はなかったので問題ない。
聖鎧を身につけ遺跡を回って鍵を集めたわたくしは、天界の門を開くとその先にある白亜の城に向かった。その庭の広い池には創世神の末娘が蓮の花となって捕われている。天界の主に見初められ、それを拒否した罰として蓮の花の姿に変えられてしまった哀れな女神だ。物語の最終章に登場し、主人公に協力を願い世界の破滅を防ぐために力を貸してくれる。
彼女を助け出すには、この天界の主をくだす必要があった。物語の中では、「世界が汚れきる前に心の美しい者だけを拾い上げ、その他を全て水で洗い流して一度きれいな世界にリセットしなければ」という考えのもと文明を滅ぼそうとしていた存在なのでわたくしにも躊躇はない。
余裕を持って力を高めたわたくしに、天界の主はたった1人を相手にその存在を抹消されることとなった。
さてあとは創世神の浄化だけである。
父である創世神が権能を振るうたびに蓄積していくこの世の淀みを払う役目を持っていた末娘が姿を消した事で、かつての創世神はその身に淀みが溢れ邪神へと堕ちている。彼女が蓮の花に変えられたのは、エミの世界で蓮の花が浄化と密接に関わっていた神秘の花だったからだろう。
女神としての力を取り戻した「レンゲ」の協力を取り付けたわたくしは、これで用は済んだとばかりに天界を後にした。城の裏の試練の洞窟を踏破すると装備が手に入るのだが、あれは星の乙女の専用衣装なので興味はない。
「村長さん、お変わりは無くて?」
「ああ、レミリア様か。いやぁ、拠点にできる土地があるとこうまで便利だとはね……色々トラブルはあるけど援助もしてもらってるし、助け合って何とかなってるよ」
「それなら良かった。また取ってきた魔石を魔晶石に加工したから、村の建設資金に回していただける? そろそろ一回り広い柵が必要だと思うの」
「ありがたい、耕作地がこれで増やせます」
空間魔法から取り出した皮袋を村長、元王都の課金ショップ店主に手渡す。彼が店を畳んでくれて本当に良かった。これは計画からは外せない段階だったから。
王都にも情報収集のため少し潜伏して残っている仲間がいて、そこから「店だったところにどこかの貴族の私兵が大挙して押し寄せ、中を全部ひっくり返す勢いで捜査していた」と伝わったらしい。わたくしの放った使い魔の情報からすると、好感度アップアイテムを売ってもらえなくなったピナが痺れを切らして店主を捕縛させて秘密裏にアイテムの製造をさせるつもりだったということが分かっている。
学園編と呼ばれる1章が終わったため、ガチャ加入キャラが増えて好感度を上げる手段がなくなってしまったのだろう。現実世界には会話イベントや選択肢は無いし、通常好感度アップアイテムだった本にお菓子やお酒も、現実でプレゼントするならその中で更に好みが分かれる。冒険譚が好きな人に経済学の本を渡してもあまり喜ばないように。そのあたりの機微を察するのをあの女は出来ていなかった。
物語とは違って、当然だがある程度親しくならないと命を預け合うパーティーに加わって戦闘に参加してくれるわけもない。あの女は人の好意を得る手段を実質なくしたわけである。
店主は「レミリア様が言ってた通り貴族に捕まる前に逃げ出せて良かった」とわたくしへの信頼が一層増したようでさらに嬉しいばかりだ。
「それでね、村長さん。わたくしお目通りしたい方がいるの」
「目通り? そんな偉い方の知り合いなんてレミリア様以外に俺にはいませんけど……」
「魔王陛下にお会いしたいの」
「い、いくらレミリア様でも、それは……」
「難しい、かしら? あなた達が数百年前から悩んでいる、『狂化』を解決する手段が見つかったと言っても?」
「! ……詳しく、聞かせていただけませんか」
わたくしはにっこり笑って、エミを思い出して無垢な目を村長に向けた。「助ける手段があるなら、私がそれを出来るなら助けてあげたい」と言っていたエミの言葉を思い出して。
見返りもなく、クロードの父親の命を助けたエミと同じ表情をすることがわたくしは出来ているかしら。
「それで……人の娘よ。そなたが狂化を治す事ができると言うのは誠か?」
「発言を、お許しいただけますか? ……ありがとうございます。治すとは異なりますが、狂化について、解決する手段は確かにございます」
寂れた魔王城の手入れの行き届いていない謁見室で、カーテシーをして頭を下げていたわたくしは声をかけられた事で直答を許されたのだと判断してゆっくり顔を上げた。
狂化、とは魔族に現れる滅びの時だ。元々魔族に寿命らしい寿命はなかったのだが、ある時から理性を失い同族を食らう発作のような症状が観測される。狂化を起こすと理性を失うがすべての身体能力が上がり、今まで使えなかった強力な魔法を操り、それでめちゃくちゃに転移を使って人の住む領域に飛んでしまう個体もいる。そのような存在が恐ろしい「悪魔」として人の世界に伝わっているのだ。同族の命を奪うほどの体積を食べると理性が戻るが解消手段は他にはない、魔族の中では「死に至る病」とも呼ばれていた。
狂化に至った魔族は誰かを食べる前に殺してやるのが慣習らしいが、まれに自分を差し出してしまう家族や友人や恋人がいる。それで理性を取り戻した魔族は、再度の狂化を防ぐために自ら死を選ぶことが多いが、わたくしの村で匿っている人達のように人の世界に混じって生きていく事を選ぶ者もいる。発症時に子供であった者はこの傾向が強い。
「狂化とは、この地に発生する瘴気、これを取り込み続ける事でいつか必ず理性を失い発症してしまうものでございます。個人によって瘴気に耐えうる量は変わりますが……」
「どこでその知識を得たかは知らぬが……ああそうだ、だからこの地を捨てろと? 数が減ったとはいえ我が国の民は3万はいるのに何処へ行けと? 全員が海を渡る手段もないのだぞ?」
「いいえ、そのような問題の先送りを提案しにきたのではございません。それに……魔族としての力の強い方は角や牙などの特徴が人に混じって暮らすには目立ちすぎます」
「ならば……」
物語では時系列は詳しく語られていなかったが、この時点で狂化の原因が瘴気と判明しているなら「狂化のしやすさは魔族としての力による」のも分かっているだろう。幼い頃に狂化を発症するような魔族には魔族としての特徴を強く持った者はおらず、魔王のように皮膚の一部が硬質の鱗状だったり目に人ではありえない色がついていたり、爪、角や牙に羽を持つような強力な存在はまず狂化しない。それが分かってから、狂化しやすい、人に近い姿で生まれてきた力の弱い魔族を人の世界に送ってそこで生活させているのもこの王が生み出した苦肉の策だ。瘴気に満ちたこの地では実りが少なく、金策以外にも少しでも魔族を救おうと瘴気の無い土地に送り出しているのだ。
物語では、レミリアと契約して「滅びた後のこの土地を魔族が貰い受ける」と狂化に悩まずに済む土地を欲して厄災を起こしていく。星の乙女の力によって魔族の問題が解決できる可能性も考えて、レミリアには内密に星の乙女の確保にも動いていた。
物語冒頭では「悪魔召喚」と描写されていた儀式は実際には魔界と物資をやり取りするために使われていたもので、その名残は王都にあった店でも使われている。かつて悪魔と恐れられた存在は狂化した魔族の成れの果て。狂化して転移が使えるようになった個体は本能的に瘴気の薄い違う大陸を目指して跳ぶらしく、そうして人の住む世界に現れたものが「悪魔」と言い伝えられていたのだ。
恐ろしい見た目で描かれていた魔王は国を治め苦悩する指導者だった、というのが魔界編で明らかになるストーリーである。
今はまだ生きている、隣に立つ角の生えた男が彼の弟だろう。彼は魔王が万が一狂化した時、真っ先にその身を捧げて魔王の理性を取り戻す用途として生きている。物語では、魔王はこの弟を含めた魔族を救うために遠い国を滅ぼして乗っとる事を決めた。
魔界編が始まってすぐに彼は狂化した魔王によって命を落とす。エミはその話でも泣いていた。悪役令嬢レミリアといい、エミは悪役として出てくるキャラクターに感情移入しすぎだと思うの。
「それに、この瘴気は魔界の中心に眠る創世神から湧いて出ているものです。放っておけばこの世界全てを覆い、魔族の安寧の地どころか人や他の生き物も住めない世界へとなってしまうでしょう」
「何故人間が、魔界の地に創世神の神殿があると知って……」
「これを防ぐためにはただひとつでございます。創世神が神としての権能を使うたびに溜まっていく淀み、これを払う役割を持っていた浄化の女神『レンゲ』をその前までお連れして、あるべき姿にお戻りいただくこと。これしかございません」
「……それを、何故、お前が知っている? 人間」
わたくしは微笑むと言葉を続けた。物語では、魔王は嘘と真実を見抜く瞳を持っていた。わたくしが、今語った事を「真実だ」と本音で思って喋っているのは分かっただろうが、それを「何故知っているのか」情報源を確かめなければ荒唐無稽すぎて真実とは思えないだろう。
「わたくしには、この世界を救う乙女の記憶があるのです」
「記憶?」
「はい、記憶でしかございませんが、わたくしはその記憶を頼りに自分を高め、たった1人で世界各地の遺跡をめぐり鍵を集め、天界の主さえもくだしました。どう鍛えるか、何処に天界への鍵があるか、創世神の浄化をする女神が数百年前突然姿を消したのは何故なのか、その世界を救った乙女の記憶から知りました。ただ、それを良しと思わぬ悪しき心を持った存在に妨害を受けてしまい、記憶の中の出来事とは大きな乖離がありますが……」
エミがこの世界を救って、その記憶があるのは本当。物語の中でね。ピナに邪魔をされたのも本当、わたくしが悪役令嬢になってないのは大きな乖離。何も嘘はついていない。嘘をつかずに伝えたいように話をするなんて簡単にできる。それを魔王は気付いていないようだけど。
魔王の中ではその「悪しき心をもった存在」が周囲を騙してわたくしを追放したように見えるだろう。
「……それが間違っていた場合、如何する」
「邪神となりかけた創世神に近付いて、愚かな女が1人命を落とすだけにございます。わたくしは創世神の浄化を助け、滅びゆくこの世界を救うことが、わたくしがやらねばならぬ事なのだと思っております。魔王陛下、あなた様が持つ、創世神の神殿の鍵をお貸し願えませんでしょうか」
「……これは国宝だ、貸し渡す事は出来ぬ」
「そんな、」
「俺も行く」
「兄上?!」
「控えろクリムト。……勘違いするな、人間。お前を信用したわけではない……お前の言葉に嘘が無かった故、ボロが出るまで監視を続けるだけだ」
「……感謝いたします」
頭の中で計算する。今のわたくしは原作のレミリアの最終ステータスを軽く凌駕している。1人でも「堕ちた創世神」は倒せる予定だったが、戦力として魔王が加わるならばこれ以上助かる事は無い。物語の通りなら創世神を浄化するには一度徹底的に弱らせる必要がある。物語の時より早い段階とは言え完全状態の邪神に近づきつつある創世神をそのまま浄化は出来ないし、瘴気の濃い状態ではレンゲを召喚出来ないからだ。
「それでは、魔王陛下。準備はよろしいですか」
「……アンヘルと呼べ」
「は、」
「俺の名だ」
そう言うと、わたくしの「準備はいいか」の声に答えないまま魔王……アンヘルは神殿の奥の扉を開けた。
……戦闘時に呼びかけるには長い呼び名は不便だから、という理由を考えたがどうやらそうは見えない。エミを意識して「悪役にされても健気に世界を救おうと見返りもなく頑張るレミリア」にアンヘルはどうやら好意を抱き始めているようだった。
これも利用できそうだ。「世界を救うことにいっぱいいっぱいで、他人からの恋慕になんて気づかない一生懸命なレミリア」に見えるように心がけよう。嘘ではないわ、エミならきっとそうなるもの。
「堕ちた創世神」のダンジョンは他に魔獣は現れない。アイテムもなし。戦闘は創世神とのみ。「悪役令嬢レミリア」のいたこの物語はエミの世界では珍しく円満にサービスを終了したソーシャルゲームで、緩やかにプレイ人数を減らしていった6年目に最終章を配信した。
何故瘴気が発生するのか、何故創世神は堕ちたのか、最後に取ってつけたような設定も多く、エミが見ていた掲示板もそのせいで荒れていたが解決策や背景が分かるというのは今とてもありがたい。完結後に発売されたファンブックもエミは買っていたので、そこに書かれていたこともわたくしは記憶を見て全て知っている。
魔界に発生する瘴気の問題を解決した星の乙女とその一行は、世界を救ったと称えられながら幸せなエンディングを迎える。一番好感度の高いキャラ、または上限に達していたキャラが複数いるならその中から1人を選んでハッピーエンド。他の人のエンディングも見たいなら課金して専用アイテムを買えば全員との結婚式も見られる。アンヘルさえもその対象になっていたのに、悪役令嬢レミリアは、最終章の途中でかつての婚約者ウィリアルドに討たれて命を散らす。「わたくしだって誰かに愛されたかった」と言い残して。何故彼女だけ救われないのかとエミは泣いていた。
この堕ちた創世神のダンジョンでは道中、行動選択時に5回に1回は「先に進む」ではなく「アイテム/魔法」からの「浄化」を使わないと仲間のうち魔族と人間が狂化する。そうすると仲間との戦闘が発生して、勝つと正気に戻るが瀕死になってしまう。魔王のステータスで狂化されるととても面倒なので、忘れずに浄化をかけておく。
浄化は聖魔法に属するため、治癒魔法が使えるレミリアももちろん使える。これは物語のレミリアもそうだったが、使える魔法の属性と本人の善悪は一切関係ない。
わたくしはファンブックに書いてあった裏情報もアンヘルに語って聞かせる。エミだったらきっと全部教えてあげていただろうから。
魔族と人は元は同じ存在であり、瘴気の発生する地に住んでいた人たちの中で「瘴気に耐性がある人が生き残っていった結果」魔族と呼ばれる種族が出来た、という話。極寒の地に生息する動物の毛皮が厚くなるのではなく、「厚い毛皮の固体しか極寒の地では生き残れず、生き残った厚い毛皮の固体がさらに交配する事でその特性は強まる」と同じことが起きたのだと。
「日差しの強い国では肌の濃い人が産まれるし、寒い国の人は体温が高くなる、生まれた場所で少し特徴が違うだけ。だからきっと人と魔族は手を取り合える」
アンヘルは涙を堪えるようにぐっと歯を噛み締めた。わたくしは強い意志を持ってレンゲを召喚する触媒となる、あの池の蓮の種の入った瓶のペンダントトップに服の上から触れる。
エミは魔族の境遇にも同情していた。エミならばきっとこう言ったはず。
狂化は瘴気が蓄積して起きる症状だが、瘴気が原因だと判明したのも魔界では最近の話だ。そして、瘴気を払うことのできる聖属性の魔法の使い手は、瘴気に耐性の強い魔族からは生まれない。
定期的に浄化を受ければ狂化を発症する魔族はいなかっただろう、それを知ったアンヘルはひどく悲しむからと、きっとエミはこの話だけはせずに創世神を浄化したあとレンゲから聞いたことにして伝えるに違いない。
堕ちた創世神との戦いは想定していたよりもはるかにあっさりと終わった。さすがエミの言う公式チートの悪役令嬢レミリアと、実質表ボスの魔王アンヘル。ターンの制約が無く、回復アイテムさえ潤沢に使えれば物語のような苦戦などするわけがない。ステータスは主人公側よりも高いのだから。
まだ弱ったままの創世神を手助けするために、レンゲは神殿の最奥に残ると言い残してわたくしに「浄化の乙女」の称号を授けた。星の乙女でなくとも貰えるのかと一瞬思ったが、エミならきっと「恐れ多い」とばかりに慌てるのだろうと思ってその通りの反応を返す。
「そんな、このような称号、わたくしに相応しいとは到底思えません……!」
そう返すと正気を取り戻した創世神も、レンゲもアンヘルも微笑ましいものを見るような顔をして「いや、レミリアにこそ相応しい」などと言葉を続けるので戸惑いながら受け入れたような態度を取る。
実際わたくしは嘘偽りなくこんな呼び名を付けられたくなどなかった。物語の星の乙女とお揃いではないか。エミの愛してくれた「レミリア」に、星の乙女の手垢の付いたものを贈られた気分だ。
瘴気と狂化の問題が解決した魔界は、魔界有史以来初めての平穏が訪れた。まだ土地に染み付いた瘴気が心配だからと各地を回ってわたくしが浄化をかけることを提案する。「そこまで迷惑をかけるわけにはいかない」と渋るアンヘルに、「ではその褒美に欲しいものがあるのですが」と持ちかけた。
あの物語の中では、「好感度を下げるアイテム」というのが存在していた。好感度が一定値に達すると短いエピソードが読めるのだが、それが後から追加されたキャラクターが数人いて、「すでに好感度を上げきっていても図鑑画面から見られるようにはなっているが、自分の進めたゲーム画面でちゃんと見たい」というコアな層の熱い意見によって実装されたアイテムだ。
中には何度もそのアイテムを使って、「この時期のツンツンした反応のディル君が一番可愛い」などと好感度が上がりすぎないように調整で使うディープなプレイヤーもいたほど。
これをウィリアルドなどに使ってピナへの好感度を下げようと思ったのだが、エミが築いた「レミリア」への想いも消えては困る。そこでアンヘルに「わたくしを冤罪で追いやった悪しき存在の企みを暴くために」と前置きをした上で「魔族の作る恋の秘薬によって植え付けられた偽りの感情だけを消したい」と相談した。
「……レミリアは、その……ウィリアルドという男を今も想っているのか?」
「いいえ……偽りの好意を植え付けられていたとはいえ、それまでに築いた信頼関係を全て否定されてはもう……洗脳でもされていたのならあるいは許せたのかもしれませんが……」
「そうか」
ほっとしたように小さく安堵のため息をついたアンヘルをわたくしは視界の端にとらえた。わざとそれには一切気付かなかったフリをして、言葉を続ける。
「ただ、その悪意をもって嘘をついた方……星の乙女と呼ばれるピナさん、という少女なのですが。わたくしの婚約者だったウィリアルド殿下をはじめ、わたくしの弟や他の殿方の心も手中に収めてしまっています。わたくしとしてはウィリアルド殿下が望むなら婚約破棄は受け入れるつもりだったのですが、あの方が複数の殿方を侍らせたまま王太子の傍に在る事は国の未来も含めて看過できません……」
「レミリアはそのような目に遭っているのに寛大だな」
アンヘルの見る目がなさすぎてフッと鼻で笑ってしまった。表情は取り繕ったままだったので、アンヘルから見たら悲しげに微笑んだように見えただろう。
寛大? そうかしら? でもあそこまで悪意をもってエミを陥れた女を殺さずにおいてやろうというのだから寛大なのかしら。ええ、殺すつもりはございませんわ、わたくしの手で、直接は。ふふっ
「恋の秘薬」を打ち消すアイテムの開発を依頼したついでに、「世界を救った乙女の記憶に出てきたのですが……」と、物語の中で魔族の好感度を上げるアイテムとして存在したいくつかの物品を取り扱い禁制品にする事をすすめた。魔族にとっては無理に感情を操り最終的に身を滅ぼす危険もある品である、と伝えるとアンヘルはわたくしの言葉に嘘がない事を見てただちに進言を聞き入れてくれた。
高品質のポーションの材料になるような素材もあったが、魔族の弱みにもなるので絶対に輸出はしないとアンヘルは言う。これでピナが魔族に取り入る手段は奪った。わたくしは心からの喜びを胸に、満面の笑みを浮かべてどこか頬の血色の良いアンヘルに礼を告げた。
魔族の使う魔術も習得して、王宮に保管されていたかつてレミリアの断罪に使われていた証拠を探る。ああ、あの女は罪を捏造するのが本当にうまかった。例えばこれ、「中庭にて、レミリア公爵令嬢が星の乙女ピナの頬を打ち、汚らわしげにその手を自身のハンカチで拭うとそれを投げ捨て立ち去った」と言うもの。
これにはそれぞれ「中庭に星の乙女を呼び出す手紙」「渡り廊下からレミリア公爵令嬢が星の乙女に詰め寄っているのを目撃したもの」「ちょうどその時間中庭から立ち去る不機嫌そうなレミリア公爵令嬢とすれ違ったもの」「うずくまって泣くピナの前に落ちていた、レミリア公爵令嬢のハンカチを拾った者」が存在する。第三者目線で見れば揺らぐことのない証人と証拠が揃っているように見えるだろう。
ただしこれにはわたくしがはっきりと、エミはこんなことしていないと断言できる。
「私を叩いたのを見ていた方はいるのですが、他にもグラウプナー公爵令嬢がその場にいたと証言してくれる方はどこかにいないでしょうか……?」
「ああ、そう言えばその時間にそこから立ち去るグラウプナー公爵令嬢を見たかもしれない」(叩いた現場を目撃してた人がいるならこのくらいは偽証にならないだろう)
「私を叩いたのを目撃されたと思ってか急いで立ち去るレミリア様を見た方と、その時に私を叩いた手を『汚い』と拭って投げ捨てたハンカチはあるんですけど、実際に叩いた場面を都合よく見ている人はいなくて……レミリア様が私を手紙で呼び出したことはレミリア様付きの侍女の方が証言してくれると約束してくれたのですが……この時間に『渡り廊下から中庭を見ていた人』は知りませんか?」
「昨日のその時間は俺のクラス移動教室だったな、その時間の中庭に君がいたのは見たけど、その時に?」
「はい、レミリア様は見てませんか?」
(雇われてる侍女が証言するなら王命が働いてるか、状況証拠は揃ってるしこっちに味方していた方が得か?)
「グラウプナー公爵令嬢! お待ちください!」
「あ、あれ……君は星の乙女のピナ嬢……?」
「ライフォンツ伯爵子息……」
「グラウプナー公爵令嬢がどうかしたのかい?」
「さきほど、この高そうなハンカチを置いていかれてしまって……この刺繍はグラウプナー公爵令嬢の持ち物で間違いないですよね……?」
「ああそうだな、この紋章を持ち物に刺すのが許されているのはグラウプナー公爵家のレミリア様だけだ。……今は、地べたに手をついているように見えたけど、何かあったのか?」
「あの……何でもないんです……ただ、私が元々は平民なのにこんな場違いな所に……ううっ」
「! どうしたんだ、頬が腫れているじゃないか」
「王太子殿下達と恐れ多くも交流の場を与えていただいたから、それが……グラウプナー公爵令嬢は気に食わなかったみたいで……」
「! 許せないな、そんな話……俺も証人になるから、今すぐ訴えに行こう」
「お待ちください、……ライフォンツ伯爵子息が実際に現場を見たわけではありません、きっとこのハンカチだけでは公爵令嬢を罪に問うには証拠不十分だと言われるでしょう……」
「だからって……」
「ですので、後々何か聞かれたら、事実だけをお答えいただけたら……グラウプナー公爵令嬢が落としたハンカチを一緒に確認したと……」
「いや、せめて……これは俺が拾って証拠として保全したことにさせてくれ……」
「ライフォンツ伯爵子息……良いのですか?」
「あと3歩早く着いていれば、うずくまっていたピナ嬢の前に落ちていたハンカチを拾ったのは俺だったし、グラウプナー公爵令嬢とすれ違ってもいただろう」
(さっき金髪を見たような……? ではやはりグラウプナー公爵令嬢か。殿下は王命で星の乙女を守護しているのに女の嫉妬は怖いな。叩いたところを見たとまで言うわけではないから嘘にはならないだろう)
「なるほどねぇ……」
偽証は全て学園で行われた。つまり学園の敷地内の過去を見ることができれば何が起きたのかつぶさにわかる。あの女の演技力だけは素晴らしい、星の乙女よりも女優の方が向いていたのではないかしら。
最初は偽証している人間の過去を覗こうと思ったのだが、「よほど魂の相性が良くないと相手が廃人になる」とアンヘルに言われてやめた。エミは大切な人を守るためとは言えそんな手段を取らないだろう。
魔族に伝わる「過去の水鏡」の魔術を教えてもらえなかったら別の面倒な手を取らなければならないところだったから助かったわ。
魔族はこの魔法がプライベートな空間や内密にしたい時間を映さないように簡単に防げるおまじないを生活圏にかけるらしいのだけど、人間の世界には存在しない魔法だったので想定されてもおらず、学園で起きたことは全て収得出来た。
エミの記憶にあったファンブックにも書いていない話だったので、教えてくれたアンヘルには感謝しないと。
あの女が偽装工作をする様子を全て記録した映像を編集して、魔晶石にひとつずつおさめる。誰のものかきちんと名前を書いた升目に納めれば、標本箱のような綺麗な仕上がりだ。これが、エミを……エミが望んだ「悪役令嬢レミリアの幸福」をぶち壊した者達に裁きを与えると思うととてつもなく愉快に思うわ。
「レミリア、嬉しそうだな」
「ええ、これでウィリアルド殿下も、わたくしの可愛い弟や幼馴染み達も、皆偽りの愛情の呪縛から救ってあげることが出来ると思うと」
「そうだな……例の、恋の秘薬の解毒薬も丁度完成したと報告があった」
「本当に……?」
「ああ。……ありがとう、レミリア。転移門の設置もレミリア無しでは作れなかったからな。この会談は整うこともなかっただろう」
転移門、とは転移魔法とは違い無制限に人や物を送り込める、エミの記憶の中にあった猫型ロボットの持つピンクのドアのようなものだ。結ぶ座標は固定されて変更は出来ないが、これでやっとわたくし以外のものも簡単に行き来ができるようになった。そうでなければ海を挟んで隔絶している魔界と人の住む大陸だ、アンヘルが渡る手段は実際に海を越えるしか無かった。悪魔召喚……と思われている、古代に行われていたあの儀式だって物資のやり取りのためのもので、姿と声は互いに届くが行き来ができるものではない。
……通常転移魔法で送れるものは物と、術者、それに術師よりもはるかに魔力の小さい存在のみ。人の世にひっそり混ざれるような魔族としての力の弱い者は別として、転移魔法の才はなかったアンヘルを連れて跳べる術者はいない。さすがにわたくしでも無理だわ。
ちなみに物語の中の転移門は魔界と呼ばれている大陸にたどり着く少し手前でそれを設置する知識と素材が揃う。それまでも移動手段として空中艇などは出てくるが、魔界編の後は物語の都合上国と魔界を大勢が頻繁に行き来する必要が出て来るためだろう。わたくしはその知識を使って転移門のほとんどを作り上げたのだ。
「俺達は明日、ブルフレイムの王城に行くが……やはりレミリアも一緒に来るか?」
「いいえ、わたくしは予定通り、話がまとまって落ち着いた後に……星の乙女を傷付けた大罪人が最初から一緒におりましたら、アンヘルの事を悪の親玉と思う人が出てまとまる話もまとまりませんもの……」
「こんな時まで、周りの心配ばかりだな、お前は。……なぁ、レミリア。この同盟が無事結べたら、俺と……」
「……アンヘルと?」
「いや、……いい。こういうのは、めでたい話がまとまって、落ち着いてから伝えたい」
「なぁに、それ」
ふふふ、と何も分かってないように笑みを浮かべる。もちろんわたくしはわかっている。きっとアンヘルはわたくしに求婚するつもりなのだろう。
彼の心づもりとしては、真実を知ってレミリアに謝罪をするウィリアルドにレミリアが絆されたら、と心配して伝えるのを先延ばしにしているのが感じとれた。もう信用できないとは言っているが、かつて愛した相手が涙ながらに後悔して詫びる姿を見たら決心が変わるかもしれない、その時レミリアの負担にならないように、と。
同盟を結び、何の枷も無い状況でレミリアがかつての婚約者を振り切れたらアンヘルは想いを伝えるつもりなのだろう。そんな心配しなくていいのに、エミを信じないで断罪したあの男にレミリアの幸せを託す事なんてあり得ないわ。あの女の1番のお気に入りは魔王アンヘルなのだとエミに向かって言っていた、ピナの前でアンヘルの腕を取るのが楽しみだ。
「おかえりなさい、同盟は……?」
「無事に締結した。こちらは魔物の素材と魔晶石を、あちらは食料をはじめとした生活必需品を。しばらくは様子見に小さな規模で行うが、それでも店を隠れ蓑にしていた時よりはるかに多い取引額だ。手土産も効果があったしな」
「良かった」
わたくしは心の底からの笑顔を浮かべる。この同盟が友好的に結ばれるのはわたくしの計画に欠かせない事だったから。
まぁ星の乙女とウィリアルド達が学園を卒業してから1年も経っておらず、エミのようなレベリングもしていないのを考えると、逆らったところで魔王含めた魔族に立ち向かえるような戦力が無いというのが大きいだろう。物語の中で、当時国内の最高戦力だったドミニッチ騎士団長が魔族と戦って討ち死にした事から推測するに、物語の中のような無理な強化と育成を行なっていない人間が魔族に戦闘で勝つのは無理な話だ。当然か、かなりレベル上げを行った主人公達がどうにか魔界の住民と渡り合えるという描写だったくらいだ。
アンヘルと一緒に向こうの王城に行ってきた、その弟のクリムトに話を聞くと向こうの面々は隔絶した存在の魔王を前に、冷や汗に塗れてアンヘルの言うことに頷くだけの人形のようになっていたらしい。
「アンヘルは嘘を嘘と見抜けるせいで、目の前にいる相手の実際の表情や反応をきちんと見ないのよね……向こうが言葉の通り心から受け入れていたのは真実だろうけど。最初から最後まで平和に終わったように言ってましたが、きっと向こうは生きている心地がしなかったでしょうね。国を滅ぼせるような戦力が城に乗り込んできている前で否と言えるわけがないもの」
「兄さんは自分がどれだけヤバい存在か分かってないんだよなぁ」
そうね、と笑いながら計画の進度をひとつ進める。しばらくすると王都に放ったわたくしの使い魔は、平和裏に魔族との貿易が始まって、厄災の時の災禍は学園を卒業してしばらくした今も影すら見えないことに「何で?! どうして?!!」と自分の部屋で荒れ狂うピナの姿を映し出した。
ああ、すぐよ。もうすぐ。わたくしの大切なエミの望む「レミリアの幸福」を悪意を持って壊した女の首に手がかかる。
最後の仕上げに入る前に、大切な下拵えに手をかける。王都の使い魔を通じて、偽証をした者達の意識にほんの少しだけ洗脳をかけた。ふとした瞬間に湧き上がる「グラウプナー公爵令嬢の事件の偽証をしたままでは良く無い事が起きる」という焦燥感。
これで4人が家族や同僚に真実を告げた。そのうち2人は王宮にて証言の訂正まで行った。「でも他に証言してる人はいっぱいいたし」「自分の証言だけで決まった事じゃ無いから」「何かあの時は少しくらいの嘘をついてでもピナ嬢を助けないとと思ったんだよな」と。あらあら、思ったより大分少なかったわね。でもこれで王宮の人間にもささやかながらくさびを打ち込む事が出来たでしょう。
貿易を行う事で魔族への偏見が少しずつ解けていく。瘴気に触れることのなくなった魔族はあれから1人も狂化者を出していない。実際に取引を行う商人をはじめとした市民達から魔族の正しい姿や、伝承の悪魔とは違う存在である事が伝えられてジワジワと広がっていく。魔界からやってくる交易品の、魔物の素材や魔晶石は質が良いものが多いと歓迎されたのもあるだろう。
瘴気の発生源が消えた事で、今は特産品となっているそれらの減産が見込まれているが……魔晶石の加工や魔道具の技術は魔族の方が高い。製造業がもう少し活発になれば代わりにそういった品々が交易品として並ぶだろう。
市井に広めた顛末については。
魔族の祀っていた創世の神が邪神との戦いで力を削がれ、醜い策略によって浄化の女神も捕らえられた。邪神は悪魔をはじめ尖兵を生み出し長きにわたって人も魔族も苦しめていたが、この度浄化の女神を救い出し、当代の魔族の王が邪神を見事にくだした事でやっと魔族の住む国に平和が訪れ、こうして国交を結びにやってきたのだ、という事になっている。
創世神が堕ちて邪神となりかけていた事は公にはされていない。魔族でも知っているのは魔王アンヘルとあの場にいたクリムトだけだ。「悪いのは全てその邪神という存在である」と話を持っていくためでもあるが、創世神への信仰は魔族の心の拠り所でもあったから、それが瘴気を生んだせいで今まで自分達が苦しんでいたと知ったらこれから生きていく枷に感じる人もいるだろうから、とわたくしが提案したのだ。天界の主をわたくしが打ち倒したのも天罰を心配する方が出るだろう、とこれも公にはしていない。魔族には過ぎた事を憂う事なく幸せな生活を送ってもらわないと困る。これはアンヘルの前でも嘘偽りなく告げられるわたくしの本心からの言葉だ。
ピナは「そうではない」と物語の中で知った事実を元に反論しようとしていたが、「なぜそんな事を星の乙女が知っている?」「向こうの国のトップが発表した話を何の根拠も無しに否定するなんていくら星の乙女でも……」「創世神が堕ちて邪神になった? そんな言いがかりを向こうに聞かれたら戦争が起きる」と諌められてとても不機嫌になっていた。
あの女の独り言をまとめると、「狂化した危険な状態を悪魔と呼ばれ、その悪魔と同一視されて迫害されながら人間社会で生活を始める魔族達の誤解を解いて感謝されるのは自分であったはずなのに」と言うところだろうか。確かに物語ではそうだったが、愚かで自分よがりすぎていっそ哀れになる。
エミは見返りなんて求めずに誰かを助けていた。「きっとそっちの方がみんな幸せになれるから」と、より良い未来を求めて。こんな女にわたくしの可愛いエミが絶望してわたくしの中に閉じこもるほど傷付けられただなんてやっぱり許せない。
計画に必要な根回しをしながら魔界で
数年は小規模な取引で様子を見ると言う話だったが、魔族との交易品に魅力を感じる人は少なくなかったらしく、貴族や大商人からせっつかれた結果らしい。
ピナの周りに潜ませている使い魔から、あの女がアンヘルに会える事を大喜びしている様子が伝わってきた。「もう少し節制を」と王宮の財務官につい昨日泣きつかれたと言うのに。また新しいドレスを作らせるの? 袖を通してもいないのがまだ何着もあるのに……ピナ付きの従者達は気の毒にね。
しばらく前から取り繕いきれなくなったピナの本性が少しずつ見え始め、レミリア公爵令嬢の婚約破棄を含めたあの一件が全くの冤罪とまではいかなくとも「これだけ『良い』性格をしてる女が自分の婚約者に付き纏ってたら、嫌がらせの一つや二つしてもおかしくないよな」と思われ始めていた。
ウィリアルド達も、上げられきった好感度は下がらないものの、それを上回るほどの嫌悪を無意識に感じているようだ。今では顔を合わせる事もすすんでしない。
子は親に対して無条件に愛を向けるけど、ひどい親の元に生まれた子供は親を嫌う。でも憎みきれないのは、最初に刷り込まれた親への愛を覚えているからだろう。それと同じように、植え付けられた偽りの愛情が、ウィリアルド達がピナを見限る選択肢を最後の最後で取らせていないのか。または、「レミリアを断罪した自分は間違っていない」と拠り所を失うのが怖いのか。
星の乙女と呼ばれてはいるが、あまりにも醜悪な
物語と現実とは遠く離れた展開を迎えている。
半年前には魔族の学生を学園に受け入れる留学も始まっている。「魔族に攻め入られたら今のこちらにはなす術もない」と言う本音を隠し、魔族の有用性を認めて共存を選んだ。それを機に第一王子は自身に魔族の血が流れている事を公表し、魔界との外交の先頭に立つようになっている。
先月は魔族と人間のカップルの結婚も報告された。寿命の差など課題はあるがこれからもっと増えていくだろう。
ウィリアルドがグラウプナー公爵家の後ろ盾を結果的に失うことになってまで断罪した公爵令嬢レミリアの事件についてポツポツと偽証が見つかり、ピナの本性が時折垣間見えてヒステリックな顔が幾度も目にされるうちに「あの断罪は正しい行いだったのか?」と王太子であるはずのウィリアルドのことを疑う者も出始めている。やはりここでも、「嫌がらせ程度は実際あったのだろうが、あれが相手ならその気持ちも少しは分かるし、婚約破棄はやりすぎだったのでは」というものだ。王家に対して表立っては言わないが、特に当時学園にいた女性にこの傾向が強い。
魔界との外交で輝く第一王子とは真逆に、陛下からは「あそこまでして婚約者を退けた元となった御令嬢なのだから」とピナの面倒を全面的に押し付けられたウィリアルドは鬱屈とした思いを抱えるようになった。
「なぁ、ピナ……いい加減にしてくれよ。まだ着てないドレスならたくさんあるだろう? 予算は湧いて出るものじゃないんだよ」
「どうしてそんな冷たいことをおっしゃるの? 今クローゼットにあるドレスじゃ恥ずかしくってアンヘル様を歓待することなんて出来ませんわ。ウィル様はご自分の婚約者候補がみすぼらしい格好をして出席して魔界の方達に笑われてもいいとおっしゃるの?」
「そうは言ってないよ、ただ限度が……」
「酷いわ……! ウィル様は冷たくなられましたわ。学園にいた頃は、わたくしの声に耳を傾けて、お時間だってたくさんとってくださったのに。今では自己鍛錬のお時間も必要ですと私がいくら言っても郊外に魔物討伐に行くことすらしてくれなくなって……なら他の方と、と言う話もウィル様は許してくださらないし……」
ピナがまだ婚約者候補、であるのは星の乙女のピナが当時そう望んでいたからだ。ピナ自身は他の男を侍らせるのに婚約者が決まっていては問題があるからのらりくらりと「まだ学ぶことが多いので正式な婚約者など務まりません」と逃げていて、周囲の「そんなことない」という言葉を待っていたが返ってきたのは「まぁたしかにそうだな」といった冷ややかな反応で、それにピナが憤慨していたのは教育係とピナ付きの侍女だけが知っている。
今はウィリアルド自身も望まなくなったのでその話は凍結されている、今更ピナが望んでも今度はウィリアルドが渋るだろう。
ピナの不機嫌の元、王太子であるウィリアルドが自己鍛錬……エミが行っていたようなレベル上げが今となっては出来ないのは当然である。王太子としての執務があるからだ。物語……ゲームの中では、レミリアが呼び出した魔王によって厄災の時が引き起こされ、各地で魔族に先導された魔物による被害が続くのを騎士団が抑える中、大元を叩くために勇者の血を引くウィリアルドが剣を持つことになっていたが現実は状況が違う。
ピナは魔王討伐の旅が無くなったせいで、ゲームのストーリーを進めると発生する好感度上昇イベントが一切起きなくなった事に焦っていた。恋の秘薬も手に入らなくなってしまい、ゲームのように仲間として共に戦う方法も取れない。ダンジョンでの夜営時の会話や魔物に襲われた人に助けを乞われた時の選択肢は全部覚えてるから、ウィリアルド達以外の男も好きなだけ自分に夢中にさせられるのに、とピナは苛立たしさから歯を噛みしめる。通常アイテムを攻略対象に贈るのは、王太子の婚約者候補が他の異性に何度も贈り物をするのは外聞が悪いとすぐに止められてしまったし、第一あまり嬉しそうにしていなかった。だからこそまだ全然攻略が出来ていない男達と魔物討伐に行かないとならないのに。ゲームとは違い、嫉妬からか自分の行動を制限してくるウィリアルドにピナは不満を抱いていた。
いくら「仕事があるから」と伝えても、それくらいの事も理解してくれないピナに最近はウィリアルドも苛立ちを感じることが多くなっていた。魔物討伐が名目とはいえ未婚の女性が他の男と外泊するだなんて外聞が悪いといくら言っても納得しないし、かと言って女騎士を連れていくのも嫌がるのでそれを許す訳にはいかなかった。それをピナは酷い酷いと目に涙を溜めて責め立てるのだ。
今になって、「こんなに悲劇のヒロインぶって騒ぐなら、レミリアのあれもちょっとのことを大袈裟に騒ぎ立てていたのかもしれない。階段から突き落としたのだって、ついカッとなって押した後ろがたまたま階段だっただけで、怪我をさせるつもりはなかったのかも……」などと思う始末だった。
心の声までレミリアが聞けたのなら、復讐劇を切り上げてでも「何を今更」とすぐさまウィリアルドの首を刎ねていたかもしれない。
ウィリアルドの側近達は、ピナに入れ込む姿をかつての婚約者に見捨てられたり呆れられて穏便に婚約解消をされたまま次は決まっていない。彼らも他の貴族からは見放され始めている。
彼らも今はもうわがままばかりのピナに疲れ果てていたが、何故だか最後の一歩で見限ることができない。星の乙女と肩書はついているが、戦時中でもなければその力はよほど上手く使わないと役立たない。
ウィリアルドはピナのキンキンした泣き声から逃れるように「新しいドレスは作れないから」と言い捨てると、部屋を出て行った。「何でこんな事になったんだろう」という後悔をぽつりと呟いて深くため息をつきながら。
城の中は「ウィリアルドは廃嫡されて第一王子エルハーシャが立太子するのでは」なんて意見も聞かれるようになってきた。
当時噂を聞いてレミリアの断罪執行を許した王は、ウィリアルドが「裏付けまで完璧にとった」と言い放って提出した証拠とは別に王家の隠密に再度調べさせるべきだったとあの後からずっと後悔している。書類上では確固たる証拠に見えていたが……
最近になってそれを裏付けるように、良心の呵責に耐えかねた当時の証人が「実は星の乙女に頼まれて偽証を行った」と言ってきた。その告解を聞いた者から密告が上がったものもいる。その数は少ないが疑惑は生まれた。
「他の証拠は捏造されたものではないのか?」
冤罪であるとレミリア嬢は訴えていた。罪状とそれを裏付ける証拠が多すぎて、言い逃れも甚だしいとしか思わなかったが、万が一それが真実なら。あの膨大な第三者を語る証人に証拠が、全て偽りなら。
「いや、まさか……」
ウィリアルドはあの時婚約を破棄するつもりは無かった。あの時の断罪劇はレミリアに反省を促し、星の乙女とレミリアの和解を広く貴族に知らしめる茶番、のはずだった。変わってしまったレミリアに愚かな行いを突きつけ、もし渋ればこのままでは婚約破棄だと脅し、そしてレミリアは星の乙女に頭を下げて大団円の予定。だから記録に残ってしまう正式な裁判は行わなかったし、実際それは手打ちを行った後のレミリアの今後を考えてのことだった。
自分を含め、ウィリアルドの側近や一部の貴族は裏話を知っていたが、なのにレミリアが罪を認めず強情を張ったまま婚約破棄を受け入れてしまったためすべてが狂ってしまった、と。
あの時無実の貴族令嬢を自分達が貶めていたのなら。星の乙女と呼ばれる力を持っているとは言えそれを成した毒婦をそうと見抜けず国を挙げて推した事になる。それを認めるわけにはいかないがために無意識で、「そんな訳がない」と違和感にすべて目を瞑って否定している。
当時16歳だったレミリアに責任を押し付けるような事を考えているのを「レミリア」が知ったのなら、やはりウィリアルドと同じく復讐劇を終える前に首と胴体が泣き別れしていただろう。
魔界との親睦を兼ねた夜会の開催が発表されたが、その日がすぐやって来るわけではない。国の威信をかけた行事だ、準備期間は十分にとられ、参加する方もそれに備えて色々な手配を行う。高位の女性貴族はドレスのための布を織らせる所から始めるというのも普通の話だ。
わたくしも夜会に備えて準備を行う。と言ってもドレスと装飾品は魔族の女性達が嬉々として用意してくれる事になったのでお任せしている。夜会の装飾品に使って欲しい、とアンヘルの作ったらしいアンヘルの瞳の色の金色の魔晶石を渡されたが、それには気づかないフリをして「綺麗な色の魔晶石ね」とただそれだけ伝えて喜んで受け取った。綺麗な色なのは真実その通りだ、わたくしの、レミリアの、エミの髪の色もアンヘルの瞳と同じ、煮詰めたような濃い金色をしているから。
「あの……レミリアさん、それ、兄さんが作った魔晶石ですけど……それを身に付ける意味、ご存知ですか?」
「いいえ、聞いたことなくってよ? ……何か良くないのかしら?」
「違うぞクリムト、その、わずらわしい虫除けのためというだけで他意はないし、そ、そういうのじゃないから」
「……兄さん、騙して外堀を埋めるのは感心しませんよ」
「違うぞ、違う。まだ伝えてないだけで騙してはいないぞ」
自分の作った魔晶石を異性に渡してプロポーズする文化が魔族にあるのも、それを身に付けるのが承諾を示すのも物語の知識から知ってはいたが、「レミリア」としては事実聞いた事がなかったのでそう答える。
クリムト君とアンヘルは好きよ、この子は兄と国のために躊躇せず命を差し出せる忠臣だし、アンヘルは民と国の未来のために私情を殺して行動できる執政者だもの。たとえこれからピナに惑わされて何を吹き込まれたとしても、彼らなら自分の恋心よりも国のために必要なわたくしを選ぶ、と心の底から信頼できる。
……そう、洗脳されて操られていたわけではないのだもの。幼い頃から横にいて、長い時間を過ごして何度も救ってもらったエミを信じずにこの結末を選んだのは自分の責任だわ。ねぇ、そうでしょ皆さま?
舞台は整った。久しぶりに、わたくしが領主としておさめている事になっている村へと戻る。いえ、今は村とは言えない規模になっているから適切ではないかしら。近隣の国境で隠れ住んでいた魔族もこの地に呼んだし、今は魔界との交易はここを拠点に行われている貿易都市となっている。
王都やその近くに直接魔界と繋がる転移門をいきなり作るのは警戒されるだろうから、とここに道を開いたのだ。
もちろんその事は国の中枢も知っている。わざわざ「わたくしを監視してください」とあの時言ったのはこのためだもの。魔族の有用性が周知されたこの状況で「レミリア・ローゼ・グラウプナーがおさめる村ではそれよりも前から魔族が幸せに暮らしていた」と知られるための。
わたくしがこの村のために資材を用意して、手ずから入植者に炊き出しを振る舞い、最初は廃屋の修繕も行い、自ら魔法をふるって開拓をしたのも。学校も商店も仕事先も請われれば手配した。税金はほぼ全額この開拓地に還元して、それどころかわたくしが魔物を
今では魔族だけではなく、王都やよその領地で行き場をなくしていた子供や物乞いも集めて農業や街の清掃、堆肥造りにも仕事を斡旋しているのも知っているだろう。「最後まで自身の無実を訴えていたレミリア・ローゼ・グラウプナーは、僻地に追いやられてからも腐る事はなく、せめて自分にできる事をと人々のために尽力していました」そう語られる行いは十分出来ている。
……わたくしはただ、エミならしていただろう事をやっただけよ。エミの知識にあった、エミの世界で成功していたシステムを利用して。きっとエミも同じことをしていたわ。いいえ、わたくしよりももっと優しい街を作れていたはずよ。
成功を続けるわたくしの街とは違って、王太子ウィリアルドの直轄地は良い話を一向に聞かない。まぁわたくしが全てそう差配しているのだけど。
ピナから聞いた前世の知識らしい話から「輪転式農業」を提案し、どの作物が土地の回復に適しているのか研究をしている最中だったのを先にわたくしが広めてあげた。エミの世界ではマメ科植物の根に存在する菌が肝心だとさらに詳しい知識を知っていたわたくしはこちらの世界でそれにあてはまる存在を探し当てたから。どんなものを探すか決まっていれば道は大幅に短縮できる。さらに清掃業から派生させた、堆肥を作って安価に販売する事業も今では国内に広がっている。
洪水を繰り返す地域に河岸の補強を含めた大規模な治水事業を行う予定だったのを、それより上流に位置するわたくしの領地の奥にダムを作った事でその計画は立ち消えた。河川工事を請け負う予定だった選定済みの国の息がかかった業者ではなく、地元の人夫をメインに工事の発注を行った。雨季の氾濫だけでなく晩夏の日照りにも対応できる素晴らしい施設が来年完成する予定である。これもエミの中にあった知識だ。
馬車がすれ違えるほど大きく広い橋もついでとばかりに先に作ったので、そこを流通に使うものが増えたせいで王太子の直轄地は寂れはじめてきているようだが。治水事業に王家の予算を使う事を渋って、わたくしの計画書に許可を安易に出すからこうなるのよ。まぁ、橋の建設については「ダムの工事に必要な簡易的なもの」と勘違いできるようには書きましたけど。ウィリアルド様、恨むならご自分の父親を恨んでくださいね。
厄災の時は訪れず、今は戦もない。瘴気の発生を止めたこの後は魔物の脅威も弱まることが見込まれており、功績を立てるには内政に励むしか無いがそれはわたくしが潰す。ウィリアルドの側近として周りに残っているものも今は実家に居場所らしい居場所はなく、大きな事をする力はもう無い。逆転の目があるとしたら彼らが
アンヘルから贈られた、彼の髪の色と同じ青から黒へとグラーデーションになった美しいドレスを体にあてながらわたくしは鏡の前でうっとりする。秘書代わりにわたくしの領主の真似事を補佐してくれているスフィアが「お似合いです」と微笑んだ。アンヘルから贈られたドレスに見惚れていたように見えたのだろう。
わたくしはその期待に応えるように、「アンヘルは喜んでくれるかしら」と可愛い乙女のように答えておいた。ああ、本当に楽しみだわ。
魔界とわたくしの祖国の親睦会には国内の貴族のほぼ全員が参加する予定となっている。少しでも魔族と友好的な繋がりを持ちたいという事だろう。それだけ魔族との交易品は魅力的で、「これに欠席でもして魔族に否定的だと思われては堪らない」と怯えているのだ。
開拓地のわたくしの村にも実家から便りが届いた。おおよそ2年半ぶりの接触だが何も思うところはない。要約すると「すでに魔族と商売をしているそうだが本当か? 一枚噛ませろ」と言うことらしいが、情報戦が命の貴族社会で公爵をやっているくせに耳が遅すぎである。
別に交流を持つ気はないのでスフィアに言って手紙は暖炉の焚き付けに使った。わたくしをここに追いやる時に「陛下の温情で貴族籍まで取り上げられなかったが、お前には今日から家族はいないと思え、私もお前を赤の他人と思おう」とおっしゃったのはお父様……いえグラウプナー公爵だもの。知らない人に出すビジネスの手紙としては無礼すぎるわ。
一日千秋の思いで待った夜会の当日にアンヘルやその他魔界の重鎮と共に転移門を馬車ごとくぐった。アンヘル以外はほとんど、物語の中での戦闘や狂化によって命を落としていた。今は誰も欠けていない。そのまま開拓地の中にもう一つ新しく設置した、ここと王都を繋ぐ転移門を更に抜けると交易所を建設途中の王都郊外に出る。今日は夜会のために魔界から魔族の王を含めた一行が通ると聞いて、道沿いには人々が興味津々といった様子でひしめいていた。
騎馬の代わりに魔獣を操る騎士に歓声が上がり、角や尻尾など見慣れぬ姿をしているが美形揃いの魔族に誰もが好意的な視線を向けている。
「……レミリアにとっては帰省になるが。緊張しているのか?」
「ええ、少し。また信じてもらえなかったらどうしようと思うと……」
「レミリア……」
あの女が捏造した証拠を全て否定する用意はできているが。それでも自分の信じたいものだけしか見ようとしない愚か者がいたら本当にどうしてくれましょうか。その時は物語の中のエイプリルフールイベントに出てきた、「丸一日真実しか話せなくなる呪い」の再現を検討しないとならないかしら。
不安げなわたくしの顔を覗き込みながら、アンヘルがわたくしの膝の上の手を取る。広い馬車の中でわざわざ隣に座った彼は、向かいに座る自分の弟妹の呆れた視線に気付かないフリをしたまま「俺がついてるから」と甘くささやいた。
正装したアンヘルの胸元には、物語の中では主人公の瞳の色である薄紅色が存在していたが今は見ての通り水色のクラヴァットが飾られている。わたくしの瞳と同じ色。カフスなどの小物はわたくしの髪と同じ濃い金色でまとめてある。反対にアンヘルの髪と瞳の色を身に付けたわたくしを見れば、何も知らない人からは恋人同士としか思えないだろう。
これだけ主張の激しい事を、わたくしに伝えもせず了解を取らないままやるのだからこの男はずいぶん愛が重いし臆病だ。
「本当に別々に会場に入るのか?」
「ええ、魔族の皆様とわたくしが最初から行動を共にしているのはこの国の貴族の方々はあまり面白くないと感じるはずだわ」
もちろん理由はそうではない。実際貴族としての力を失ったと思われているわたくしがこれから国を挙げての重要な取引相手となる魔族とすでに親交を持っているのを歓迎されないのは事実だが、おそらく国賓対応になるアンヘルの腕をとって最初から目立つのは良い判断では無いからだ。
あの、断罪劇の日から今日をどれだけ待ち遠しく思ったか。会場の中の人に混じって給仕から受け取った発泡酒をくるくると回す。天井にはシャンデリアがきらめき、高価な魔道具を贅沢に用いて会場を明るく照らしていた。
わたくしは玉座を見たまま目を動かさずに周りに意識を巡らせる。「公爵令嬢レミリア」に気付いた人は遠巻きにしながら何事かを囁き合っているのが見えるが、王家に近い位置の者からはわたくしがわたくしと分からないよう、ある程度離れるとわたくしを認識できないような軽い阻害の術を組んだので夜会の前に騒ぎになる心配はない。
「親善のために」という名目で魔族から持ち込まれた金色の発泡酒が灯りを反射してキラキラと輝く。「元は人と同じ体の魔族の寿命が違う種族になるほど延びた事に関係があるのでは」と言われ始めている、魔界で実る数少ない作物のひとつであるリリンの実を発酵させて作ったお酒だ。物語の知識で大丈夫だと知っていたが、わたくしや、わたくしの作った街に住む人間にある程度長期間摂取させて改めて安全性をしっかりと確認してある。
発泡酒を見る貴族達の目はギラギラ輝き、乾杯の挨拶のために配られたと自分を律していなければすぐにでも飲み干してしまいそうな欲深さを見せる者や、リリンの実の話を知らなそうな田舎者に親切面して声をかけて「酒精の入っていない飲み物にかえたい方はいないかね?」とリリン酒を一杯でも多く手に入れようと画策している者までいる。全員に飲ませるため「持っている魔力に応じてその健康に寄与する」効能については話してあるため誰も手放そうとしないが。
ポーションのように直接治す力ではないが、リリンの実には摂取した本人の魔力を消費してポーションや治癒魔法の効かない持病を改善する力がある。先日、レイヴァ王宮魔道士長が病で伏せっていたのをリリンの実が治したのを知っているものは多いだろう。普通の人はあれほど大きな魔力をもたないからあそこまでの劇的な効果は期待できないのだが、夢を見るのは自由だ。
現在リリンの実の作付け範囲も広がり、今後の交易品の目玉になる予定だが、このリリン酒はこの場にいる全員に必ず飲んでもらわなければならない。2杯目以降を求めるのは良いが1人1杯は摂取させないと。これはただのリリン酒ではない特別製なのですから。再度用意して飲ませる場を整えるのは骨が折れてしまうもの。
夜会は始まり、この国の王は魔族の王を歓迎する言葉を述べると次は乾杯へと移る。静かに待ちながらも、リリン酒を口にする熱狂を抑えきれない人々は手に持ったグラスから意識を外せない。この国の王もチラチラと気にして視線をやってしまっている。
そうして形式ばった挨拶を終えた後、訪れた歓喜の時に貴族達はグラスを一気に煽った。わたくしもグラスを傾ける。ほのかな酸味に爽やかな果実の香りを持ったリリン酒は、こちらの下位貴族がたむろする会場奥のエリアに配られて時間が経ってしまっていたため少しぬるくなっていたが、勝利につながる美酒だと思うと今までのどんなものよりも美味しく感じた。
前方の、おそらく高い魔力を持っていた高位の貴族達を中心に歓声が上がる。おそらく体に変化があったのだろう。持病が重く魔力が高い者ほどその効果は顕著だ。
王も、王太子も、その側近達も確かにリリン酒を飲み干したのを見届けたわたくしは玉座……アンヘル達がいる会場の前方へと静かに移動を始めた。
「体の様子はどうだろうか、人の国の王よ」
「これは……長年患っていた腰痛が溶けたように消え、常にあった息苦しさが嘘のようになくなった。まるで若く健康だった頃の体のようだ。リリンの実を口にした時もその力は実感したが、この発泡酒にしたものは更に素晴らしい」
「それは良かった」
「リリンの実は交易品としても販売していただけるというお話でしたが……」
「ああ、望むだけ全てというわけにはいかないが。需要が高いということは私達も把握している。ただ人の魔力量で頻繁に使いすぎると枯渇を起こすから、話したように流通させる際は何らかの方法で制限をかけた方がいい」
「それは確かに」
裾をさばく衣擦れの音もさせずに滑るように移動するわたくしを、近付いてはじめてこちらに気付いた高位貴族達がぎょっとした顔で見た後道を開ける。アンヘルと王の声も聞こえてきた。とは言っても風属性の魔法で増幅して拾っているので他の者の耳には届いていないだろうが。
さらに一歩前に出ると、今は騎士となっているデイビッドと、その傍に立ちアンヘルをうっとりとした目で眺めるピナとステファンが見えた。デイビッドの、ピナを見る目は困惑と驚愕に彩られている。わたくしは「悪役令嬢レミリア」の勝利を悟って思わず口角が上がった。
「リリンの実の素晴らしさはお分かり頂けたでしょうが。今回お配りしたリリン酒は特別製、弱いが解呪の力も持っているのにはお気付きか?」
「なんと?! 呪いとは……どのような?」
「体調不良と違って我が事ながら把握しづらいであろう……人の感情を操り偽りの好意を植え付ける悪しき呪いの一種だ。今まで何故か理由もなく好意的に認識していた相手への好感が消え失せているのでは無いかね?」
そう、この酒はリリンの実の特性を活かした「恋の秘薬」の解毒薬だ。この国の中で流通していた恋の秘薬は幸い1人の魔族の手によって作られていた。リリンの実の成分が魔力を消費して病を治す特性を利用して、ハーブなども併せて使うことで、恋の秘薬の製作者の魔力によってもたらされた効果……つまり「恋の秘薬」で上げられた好感度のみをきれいさっぱり消し去る力を持つ。
その言葉に驚愕を貼り付けたこの国の王は気付くことがあったのか星の乙女の方を見た。横で話を聞いていたウィリアルドも自身を覗き込むように息を飲むと、すぐさまピナに視線を向ける。
「魔王陛下!」
それを何と勘違いしたのか、どこまでも自分に都合良く考えたあの女は他国の王に突然走り寄った。
アンヘルの側近達が眉を顰め、剣に手を添えたクリムトが身体を割り込ませてピナを威圧する。
「……この女は」
「は、その……我が国の言い伝えに残る『星の乙女』の力を持つ少女でして……」
「ほう、良い『お飾り』のようだな」
大層な名は付いているが中身は伴っていないと鼻で笑ったアンヘルの反応に、人間達はさっと顔色を変える。嫌味にも気付かぬピナだけが滑稽にも、褒められたと勘違いして頰に手を当てて「いやですわ、そんな」などと照れたように笑っていた。
「魔王陛下、あの、アンヘル様とお呼びしても?」
「……この女の名は」
「やだ、私ったら……あの、私、ピナ・ブランシェって言います。星の乙女って周りからは呼ばれてますけど、是非アンヘル様はピナとお呼びください」
無礼な者の名を相手側に聞いただけなのに、曲解したピナにそう返されてアンヘルの額に青筋が浮かんだ。言っていることのすれ違いすぎに喜劇のようにしか見えなくて、はしたなくも歯を見せて笑ってしまいそうになる。何故この女を国賓の前に出そうと思えたのだろう? 時間はあったのにマナーを教える講師は何をしていたのかしら、これなら茶会デビューもしていない5歳児の方がまだマシだわ。
ピナの走り抜けた空間からはふわりと予想通りの香りが漂っていた。期待通りに罠にかかってくれたことにわたくしの機嫌はさらに上向く。やはり何人も人を介してはいたが「リリスの花の蜜」を求めたのはこの女だったのね。
物語の中では魔族の好感度を上げる課金アイテムとして登場していた、今はアンヘルが取扱禁制品に指定して国外の持ち出しを厳しく禁じている。もちろん、この女の手に渡ったのは実際にはリリスの花の蜜でない、特徴的な匂いのする魔界原産の害のない花を使った香水だ。ピナ自身も実物は手にしたことが無いのだから気付かないだろうと罠に使ったのである。こうして証拠を身に付けて出てきてくれて、いっそ可愛いと感じるほどに愚かな女。
「ところで人の国の王よ……我が国では資格者以外が扱えぬ、精神に影響を与えるからと国外持ち出しを固く禁じた薬物として知られる香りがそこの女からするのだが、これは魔族に対する敵対行動と見て宜しいか?」
「な……?!」
驚愕に目を見開いたこの国の王が、後ろに控えていた近衛騎士に視線で指示を出してピナをアンヘルから遠ざけさせる。動いた近衛はドミニッチ家の長男、デイビッドの実兄だった。自分がかつてちやほやしていた女を罪人のように扱われて、しかし反論の声を上げる根拠も浮かばず伸ばしかけた手をおろし、気まずげにそろそろ近づくだけになっている。王宮魔道士長の息子のステファンも立ち位置からするとまだピナ寄りだが、その父親は完全にアンヘル側に立って、自分の持病を治したリリンをもたらした魔王アンヘルに薬物をもったと名指しされたピナを睨みつけるようにしている。
「そんな! 違います、あたしはただ……」
「交易を行っている担当者から報告が上がってきている。輸出を禁じた薬物原料を求める者がいて、断ったが賄賂を積んで詰め寄られたため別の花の香水をそうと偽って渡したと。その香水の匂いが鼻に付くほどお前から漂っている。もう一度聞く、私に害を為そうとしたのではないのなら、何が違う?」
「っ、……」
相手の感情を無視して籠絡するために惚れ薬を盛ろうとした、は十分に「害を成す」に該当する。
魔王アンヘルの瞳は嘘を見抜くと知っているピナはさっと顔の色を変えて俯いた。嘘をつかずに真実を隠す話術もないのだ、嘘がバレるのを避けるためには黙るしかない。
「ほう、やはり、俺の瞳が嘘を見抜くと知っているのか。聞いていた通りだ」
「ち、ちがいます……ただ、私、魔族の皆さんともっと仲良くなりたかっただけで……」
「それで薬物を使うのか? レミリアの忠告してくれた通りだな」
「なん、でアンヘル様がそいつの名前を……?!」
「……そこの騎士、そいつの口を塞いでおいてくれ。我が国を救ってくれた大恩ある女性を侮辱されると思わず縊り殺しそうになる。あと女、俺は名を呼ぶことを許していない。俺は一国で祀り上げられるお飾りの立場を
苛立ちすぎて、よそ行きの言葉が剥がれたアンヘルの怒りを抑えるように音もなく近寄ったわたくしはその腕に手をかけた。見知った体温が触れたことに眉間のシワをほどいたアンヘルは、ピナから視線を外してわたくしを見るとふわりと微笑む。
アンヘルに凄まれた後で流石にまずいと思ったのか、「なんでお前が」と言いそうになった口を慌てて閉じたピナがわたくしを睨んだ。あらあら、被ってた猫がどこかにお散歩に行ってしまってるわよ。
「禁止された薬物だなんて……私知らなくて、仲良くなれるおまじない……みたいなものとしか……そ、そうだ! あの、王様、魔族の方と友好のために同盟を結ぶんですよね? その同盟のために、この国を代表する星の乙女のあたしと……魔王陛下が結婚するとかとても良いアイデアだと思うんです」
「……なぁレミリア、こいつは何を言ってるんだ?」
「ア……魔王陛下、あの、私は星の乙女として様々な才能を引き出したり人の才能を高めたりできる力があるのです、不便な魔界の開発に困ってる魔王様のお妃にぴったりですよ」
理解の範疇を超えたらしいアンヘルが無表情にわたくしを見てきた。その奥には困惑が張り付いていて、困っているのが見て取れる。おそらくピナは心の底から「私はアンヘルにお似合いだしアンヘルも私と喜んで結婚するべき」と思っていて、そこに嘘が無かったからだろう。アンヘルの弱点は、相手がそれを真実と思い込んでいる場合に混乱してしまう事ね。
まるで雨に濡れて救いを求める仔犬のようなすがる目で見つめられて、場違いにも笑ってしまうところだったわ。
「国王陛下、ご無沙汰しております」
「……レミリア嬢、そなたは……」
「今日のわたくしはグラウプナー公爵家の娘ではなく、魔族の国の客人としてアンヘル様にご一緒させていただいておりますの」
「……左様か」
一国の王だ、馬鹿ではない。優しい顔で私を見つめ、アンヘルの腕に手をかけた私の手を覆うように自分の手を重ねた魔王を見て、大恩があるという言葉も含めて寵愛がわたくしにあると察して高速で計算を始めたようだ。
「……星の乙女は体調が優れないようですが、少し休息をとられては如何でしょうか。込み入った話は、夜会の後にでも」
「そうだな、レミリア嬢の言うとお……」
「レミリア様、『また』私に酷いことしにきたんですか?! やめてください!」
星の乙女の体に触れるのをためらっていたドミニッチの長男を振り切って、ピナは前に駆け出ると握り拳を体の前に構えてわたくしを上目遣いに見上げた。アンヘルがぶわりと怒りを膨らませる。魔術師として秀でた者は、その圧に震えて思わず膝を着く姿も見えた。
あらあら、ここで喧嘩を売るつもりなのね。エミなら晒し者にするような真似はしないとアンヘルの怒りも宥め、奥に引っ込ませてあげようと思ったのにピナはそれを無碍にするつもりらしい。
「ま、魔王様……! お聞きください、きっと魔王様は騙されてるんです。そちらの女性は王太子様の婚約者だったんですけど、えっと……私を虐めて、最後には命まで狙ったと婚約破棄と一緒に断罪されて社交界から追放されたような人なんですよ!」
嘘をつかずに真実を曲げようと、とっさに頭を捻って考えたらしい言葉はとてもお粗末なものだった。それを聞いたアンヘルの怒りはさらに強まる。
「レミリアは『悪意をもって嘘をつかれて冤罪で追いやられた』と言った、その言葉に嘘は無かった。お前は俺が嘘を見抜ける魔眼を持つと何故か知っているのなら、この言葉の意味がわかるだろう?」
「違います……その、レミリア様は罪を犯した自覚が無いだけで……あの時も最後まで認めようとなさらなくて……」
「ならば、『はい』か『いいえ』で答えるが良い。あの時嘘を吐き、証拠を捏造し、買収した証人を使ってレミリアを冤罪で罰しようとしたのか?」
「……っ」
「俺の前で沈黙を選ぶのは肯定するのと同じだが」
ハッ、と鼻で笑ったアンヘルは不機嫌そうに顔を歪めた。顔面蒼白となったピナは唇をわななかせると、顔を伏せた前髪の隙間から私にだけ見えるように睨みながらブツブツと何事か呟き出した。
「違う……違うの……だって私は星の乙女だから、魔王様に相応しいのは私のはずで……」
「どれほど祀り上げられてるか知らんが、俺は肩書きだけで誰かを欲したりすることはない。レミリアは創世神の末娘レンゲ様に加護をいただき浄化の乙女となったが、俺が愛しているのは味方が1人もいない中、腐らず折れず信念に基づき世界のために尽力したレミリアという少女だ、なんの加護を持っていても関係ない」
愛している、と初めて聞いたように驚いて、その言葉に頬を染めて見せるとアンヘルは困ったように笑みを浮かべた。腰を抱かれながら「悪い、2人きりの時にちゃんと伝えたかったんだけど」と囁かれて、わたくしは照れたように「びっくりしたけど、とても嬉しい」とはしたなく潤んだ瞳で笑い返す。
ええ、心の底から嬉しいわ、ピナに一番ダメージを与えられるタイミングでそんな事を言ってくれるなんて。予想以上よ。
わたくしの笑顔を見たウィリアルドが、ピナの後ろで息を呑んだのを視界の端で捉えていたがそれには気付かないフリをする。
目の前で、アンヘルがわたくしに愛を囁いたのがよほど気に食わなかったのかピナは身をよじって暴れようとしだした。女性騎士が駆けつけており、両側から掴まれていた彼女は地団駄を踏むことしかできなかったが。まぁ、なんてお下品。
わたくしの本音が出て、愉悦に歪みそうになる顔を理性で留めてアンヘルの言葉を戸惑いつつも喜び受け入れているような表情を作る。ピナに対しては哀れみの目を時々向けるのを忘れない。
「なんで、なんでアンタがそこに……! 騙したの?! ふざけないでよっ、浄化の乙女も私が手に入れるはずの称号だったのに!」
「ピナ……本当なのか、魔王陛下がおっしゃっていた、レミリアに冤罪をかけたとは……?」
「! ち、ちがうのウィル……私本当にいじめられて……その、レミリア様が怖くて、えっと、」
チラチラと、アンヘルの事を気にしながらピナがウィリアルドに弁明する。嘘だと暴かれるのを恐れてだろう。
実際ピナはエミの事が怖かったのだろう。好感度を上昇させるアイテムなんて使わなくてもエミは彼らに好かれていた。自分が物語の知識を使ってズルをしている自覚があったからあそこまで焦ったのだ。
エミは、星の乙女が現れた後ウィリアルドが心変わりをするなら婚約解消を受け入れるつもりだった。父親に言っても了承はされないだろうから、と王妃にだけだが。「ウィル様が心を寄せる相手ができた時、その方が私より国のためになる人なら婚約解消を受け入れます」と。ただ、王妃は星の乙女とは言えピナと接することがほぼなかったためピナの魅了の香水には絡めとられておらず婚約者のすげ替えを了承することはなかった。
その後も、娘のように可愛がっていたレミリアを追いやった女として嫌っていたためピナに籠絡されてはいない。監視していて気付いたが、あのアイテムは少しでも好感度がないと効かないらしい。最初からピナに悪い印象しか持っていなかった者達は落とされることは無かったから。
「国王陛下、発言をお許しいただきたく」
「そなたは……ラウド伯爵令嬢」
「今はレミリア様の秘書のようなことをしております、ただのスフィアでございます」
「何をされるつもりか」
「
スフィアは元伯爵令嬢、そこでオロオロしているデイビッドの元婚約者だ。エミの頃から彼女は女騎士として活躍していて当時はあまり交流は無かったが、「レミリア」が王都を去った後婚約者の態度に呆れ、それでも結婚を強要してくる家族に辟易して絶縁状を叩きつけた上で貴族籍から抜けているサッパリとした女性である。わたくしの開拓地で身寄りのないものを引き取ったりしているのを聞きつけ、やはりあれは何かの間違いだったと確信してわたくしの部下になりたいと半ば押しかけてきてこうなっている。わたくしとしてはスフィアには対等な立場で働いて欲しいのだけど……。今は魔族の国で、出来たばかりの「騎士の洗礼」を受けて今回も魔族側として女騎士の出で立ちで参加していた。
その手には、わたくしが馬車の中で預けた、あの「過去の水鏡」の映像を封じた魔晶石が標本のように綺麗におさまったケースがある。
ピナは「何よ過去の水鏡って?!」とヒステリックな悲鳴を上げていたが、その魔術の名前からおおよそどんなものか想像がついたのか途端に挙動不審となった。嘘を見破れるのはアンヘルだけだから、他のものはまたどうとでも言いくるめられるだろうと思っていたのだろう。
「スフィア、こんな場所でそのような……星の乙女が晒し者になってしまうわ」
「いいえ! この女はあの時レミリア様を大勢の前で吊し上げました。騙されている者達にも真実を教えてやらねばなりません」
「もう、スフィア……それは夜会の後に、正しい判断の参考にしていただくために渡す事にしてたじゃないの……」
困ったような表情をして、「なんとか止めてくれ」と言うようにアンヘルを見る。そうそう、正義感の強いスフィアに預けておいたら、このような事になったら真実を
わたくしの反応を見たアンヘルは、悪巧みをしていそうな黒い笑顔を浮かべると、スフィアに頷き返して「会場中に見えるように、大きく投影するのは俺がやろう」と提案した。
「アンヘル……!」
「レミリアは下がってなさい。クリムト……このお人好しが止めに入らないようにちょっと見ておけ」
「はいはい、兄さん」
苦笑したクリムトに促されて後ろに下がるようエスコートされる。わたくしは戸惑ってうろたえているような態度をとって、ピナの方に気遣わしげな視線を向けた。それを遮るように、クリムトが自然な動作で間に立つ。
「真の罪人は裁かれるべきだと思うよ。まさかあのピナって女が無実だとはレミリアさんも思わないよね?」
「それは……そうだけど、その。こんなやり方はどうなのかしら……」
「レミリアさんの失われた名誉を回復させるためでもあるよ」
「わたくし自身の名誉は別にどうでもいいのよ……ただ、人をああまでして積極的に陥れる方が国の中枢近くにいるのは良くないと思って。……夜会をこうして乱す事になってしまうなんて……」
わたくしは、真実わたくし自身の名誉はどうでもいいと思っている。わたくしが奪い返したいのはエミの築き上げた「レミリア・ローゼ・グラウプナー公爵令嬢の名誉と幸福」である。
わたくしがオロオロとした態度をとって、何度もアンヘルとスフィアの言葉を遮ろうと飛び出すフリをするのをクリムトが止める。それを振り切ろうとすれば、やれやれと言う顔のアンヘルが半透明の黒い障壁でわたくしとクリムトを隔離してしまった。これをわたくしなら力ずくですぐ壊すことができるのも知っているが、「レミリアなら周りを危険にさらさないために力ずくで壊したりはしないだろう」と思っているのも。わたくしは途方に暮れた顔をクリムトに向けて見せた。
ウィリアルドは昔から綺麗事を言うのが大好きだったが、実際政治を行う貴族なんて陰謀奇計に手を染めたことのないものの方が少ないだろう。清濁合わせ飲める第一王子の方が王族らしい。アンヘル? 彼は別にいいのよ、嘘は見抜けるから理想を追う国の指導者でいても最悪の事態にはならないもの。
その点で言えば確かにエミは王妃には向いていなかったし、苦もなく嘘をつけて証拠の捏造まで素晴らしい手腕でこなせるあの女の方が相応しかった。あんなに優しくて正直な子には汚い世界は似合わない。
事実、わたくしのお父様が「レミリア」を見限ったのはそれ故だ。どちらが真であったとしても、バレるような犯罪に手を染めるほど愚かだったか、
ただ、エミはこの男に対して家族としての愛情を抱いていたわけでは無かったから、この男が実の娘を見放した事にエミがそこまで傷つきはしないのもわたくしは知っている。だから今回の復讐劇からは外してさしあげた。
わたくしのターゲットはピナと、ウィリアルド、クロード、デイビッドとステファン。エミを陥れた女と、エミの信頼を裏切った男達だけよ。
ピナに依頼されて偽証した者達にも沙汰はあるだろうが、ウィリアルド達に現実を見せるためにこの断罪劇は必要だったから仕方ない。
魔族への友好アピールとして廃嫡されたり未来が閉ざされたりする者が大勢出るでしょうが自業自得だから諦めてくださる?
スフィアとアンヘルのナイスコンビネーションで、ひとつひとつ証拠と証人の嘘が暴かれ「レミリアに中庭で頰を打たれたという話はこれで物証も目撃者も全てなくなった、それでも真実だと言うなら私が今聞くが? そこの女よ」と冷静な魔王の仮面をかぶり直したアンヘルが詰め寄る。ピナは俯いたまま何も話さず、ウィリアルド達は最初は戸惑う様子を見せていたが今は距離を置いて遠巻きに気まずげな視線を送るのみになっている。
偽証を行ったとして映像で吊し上げを食らった者達は、真偽を改めて問われると流石に自分の罪を認める者が多かった。「この映像も捏造だ」と言い出す輩もいたが、「その言い分を信じてくれる者がいるといいな」とアンヘルに鼻で笑われて泣き出してしまった。
「公爵令嬢レミリア」の罪の偽証を行った者の中には平民も多い。わたくしについていた専属侍女や護衛は下位貴族の三女や四男だったりで成人後は貴族籍を失っていたが、それとはまた違う。学園の使用人やピナのような特待生だ。彼ら彼女らまでもがわたくしの偽証に手を貸した。王国法では平民が貴族を陥れると罪はより重くなる。
きっと彼らは、金銭で買収された「公爵令嬢レミリア」の従者達と違って、「元平民の星の乙女と王子様の恋」を純粋に応援して、その障害を取り除く手助けが出来たならと思ってほんの少しの嘘をついただけだったのでしょうけど。でも自分が望んで偽証を行ったのだから、きっとどんな罰を受けても後悔は無いわよね?
陥れた相手は「浄化の乙女レミリア」として今や魔族全体の恩人になっていて、魔族に目をつけられたくない、とここで名を告げた者を解雇する貴族が出たとしても。
「これより未婚の女性には刺激が強い影像が流れますので、どうかお嬢様方は耳を塞いで後ろを向いておくことをおすすめします! ……アンヘル様、こちらを」
「ロマノ・ドール・マルケロフ……レミリアの護衛だった男だ。護衛についていた貴族令嬢の予定を簡単に漏らした事に加えてこの男は王太子の恋人と不義密通を行っていた」
あらあら、そんな! そこまでスフィアが積極的に動いてくれるなんて!
わたくしは歓喜を隠して目を見開いたあとに恥ずかしそうに頬を染めて見せた。極限までゆっくりゆっくりアンヘルの作った魔法障壁を解いてる最中だったわたくしをクリムトが怪訝な顔で見る。
「レミリアさん……?」
「あの……ピナさんがロマノにわたくしの行動について虚偽の報告をするように依頼する時……お金と一緒に、その……伴侶にしか見せないようなはしたない姿で殿方と体を寄せ合って……なにかする光景が映っていましたの。それは映さないようにしたはずですのに……」
わたくしは困った顔をして見せる。気付くかどうかは賭けだったが、きっと映像を確認していたスフィアが男女の関係を感じさせる発言の後に不自然な場所で切れているのを不審に思ってアンヘルに続きを映すようにでも頼んだのだろう。
思い通りに行きすぎて笑いがこみあげそうになるのを堪えて目を伏せる。映し出された男女のはしたない映像を直視できずにいるように見えるだろう。
わたくしも最初に見たときは驚いたわ。胸をくつろげたり、伴侶以外に触れさせるべきではない肌を吸わせたり、男の前に跪いてあんな場所に顔を埋めたり……乙女としての純潔だけは守っていたようだけど、その……不浄の穴を……口に出す事もはばかるような事をしていたのですもの。獣の交尾よりもおぞましくって、エミを傷付けた女に復讐するための証拠固めとはいえ途中でくじけそうになったほど。
スフィアが気付いて、こうして有効活用してくれて良かったわ。汚いものを見た甲斐があったかしら。
あらあら、お父様も顔を赤黒くして怒っちゃって。主人を裏切るような使用人や護衛をそうと見抜けず雇っていた間抜けと知られたのはプライドが高いあの方には耐え難い屈辱でしょうね。
「アンヘル! 流石にそれ以上はやめてあげて!」
ちょうど半裸で抱き合いながら口付ける2人が大映しになった所でタイミング良く解除できたように見せて障壁を消した。エミならきっと、あの女相手でさえ出来るだけ尊厳は守ろうと力を尽くしてあげただろうから。あの女はわたくしを田舎に追放した後に「中身はゲームと違うみたいだけど、幸せになられたらムカつくし結婚も出来ないように男に襲わせとこうかな」と、まるで明日買い物に行こうかなと予定を考えるような気軽さでおぞましい事を口にしていたのでわたくしとしては手心を加えたくないのだが。まぁ、うっかりこの映像を収めた魔晶石が流出して、殿方達が無聊を慰めるのに使うかもしれないけれど?
「ちが、ちがうの! ねぇ、ウィルは私の事信じてくれるよね……? 私が虐められた時の証拠、一緒に調べてくれたもんね?!!」
「いや、しかしあれは……」
大きく映されたピナとロマノのキスシーンを見上げたウィリアルドは憎々しげに呟く。
「あ、あんなの捏造だよ! レミリア様がまた、私が幸せになるのが許せなくなって……っ」
「……では、何故あそこに映し出されたピナに同じ場所にホクロがあるんだ? それもレミィが知っていたのか?」
「ホクロ……? そ、んな……ウィルは、ウィルは何で知ってるの?!」
「……学園を卒業してすぐ、君が薄着で男女の契りを交わしたいと迫ってきたことがあっただろう。結婚するまでそういったことをするのは良くないと拒絶したけど……あの時断って良かったと心から思っている」
「そんな!!」
よく見ると、画面のピナの腰の上あたりに特徴的に2つ並んだホクロが映っていた。あらあら、あんなところに都合よくあんな目立つ印があって、それが丁度映っていた上にウィリアルドも知っていたなんて、わたくしは運も特別良かったようね。日頃の行いが良いからかしら。
「ウィル……そんな、酷いよ……お嫁さんにしたいって言ってくれたじゃん……ウィル……」
「……僕は君に何をされても今まで嫌いになりきれなかったけど……不思議と今はピナのことを愛しいと思う気持ちがカケラも残っていない」
「え……え?」
「何で君をあんなに好きだったのかも全く分からない。……魔王陛下は僕達の精神を操る呪いを解いたと言っていたよ。……なぁ、ピナ……君、今まで僕らに何をしていたんだ……?」
吐き気を抑えるように顔を歪めたウィリアルドが、ピナから逃れるように一歩下がる。それを見て驚愕に目を見開いたピナが周りを見ると、クロードもデイビッドもステファンもウィリアルドと同じ目で自分を見ている事に気付いたようだが、それを受け入れられずにピナは声を張り上げた。
「うそ……うそっ、クーロ、デビー、ステフ、ねぇ私の事好きだって、可愛いって、本当は君と結婚したかったって言ってくれたよね?!」
誰も返事をしないばかりかすっと視線を逸らし、すがりつかれそうになったのを避けられる。デイビッドの腕に伸ばした手を振り払われて、べしゃりとレースとフリルたっぷりのドレス姿でうずくまったピナは「あぁ……あ……」と言葉にならない呻き声を漏らしたと思ったら突然跳ね起きてわたくしに飛びかかろうとしてきた。
「お前が!! お前が全部仕組んだんだろ!! このクソ女! クソクソクソ!! あたしが幸せだから妬んで! 自分がバカだったせいだろ!! 逆ギレしてんじゃねーよ!!」
「きゃっ」
もちろんわたくしに届くはるか手前でアンヘルがピナを叩き落とし、慌てたこの国の王が周りの近衛に容赦なく拘束するようにと告げて床に押し付けられる事となっているが。
「私が上げた好感度消したのお前だろ! 昔の事根に持ってこんなことするなんて! 何あの作り話?! ラスボスの邪神と創世神はおなじやつでしょ?! 浄化したら元に戻って……! 悪魔と魔族も! お前が嘘ついてそれもみんな騙してるんだろ?!」
「そんな、創世神様を邪神扱いするなんて……!」
「そーゆーのいいんだよ! お前! お前も転生者なんだろ! ヤな女、分かんないフリしといてさぁ!! わざわざここまで来て……っ私が幸せになる寸前でこんな事するとかほんとムカつく……!!」
「……テンセイシャ? って何かしら……」
「転生だよ! お前も前世あるんでしょ?! オトキシの! 先にアンヘル落として見せびらかしに来てほんっと最低のクソ女……!」
「オトキシ……? そんなの知らないし……わたくしに物語で見るような前世なんて無いわ、生まれた時からレミリアであった記憶しか……」
オトキシなんて知らないと口に出してからエミの記憶を探ってみた。なるほど、この世界を描いた物語の名前は「星の乙女と救世の騎士」というらしい。
実際わたくしは転生者じゃないわ。転生者であるエミの記憶を覗けるだけで。前世があるのもエミだもの、わたくしではない。
わたくしがそう告げて、何も否定しないアンヘルを目にしたピナが「訳がわからない」と言う顔で固まった。一時的に大人しくなったこの隙をついて、近衛達がピナを引きずって会場を出ていく。
「……人の国の王、私達はあの女とこの国は別々に見ている。狡猾な悪魔に騙された被害者をさらに鞭打つような真似はするつもりはない」
「ま、魔族の王よ……?! 寛大な、言葉……ありがたく……し、しかし悪魔とは……?」
ほうっと安堵のため息を吐いたこの国の王は、アンヘルの言葉に尋常ならぬ単語を拾って慌てて聞き返した。わたくしはその一言で察した。なるほど、アンヘルはたしかに施政者に向いている。あの女は始末させる事にしたのね。
わたくしは「何を言い出すの?!」という顔を作ってアンヘルを見る。
「実はレミリアにはこの世界を救う乙女の記憶があったそうなのだ。ただその記憶には、あのような悪しき存在は出てこない……そうだな、レミリア?」
「ええ……でも、悪魔だなんて……たしかに、あの方の中に入っているのは星の乙女の魂ではなく、何か別の……悪い存在だと思っていたけど……」
実際は、エミとおなじ世界に生きていた悪魔でもなんでもない女だったのだろうけど。ああ、性格だけ特別に悪い……ね。
そう口に出してから気付いたが、本来の星の乙女の魂ってどうなっているのかしら、まぁどうでもいい事ね。
「その神託と現実は乖離している。レミリアは冤罪で追い払われ、本来共に世界を救うはずだった……そちらの『元』婚約者や『元』幼馴染み達はあの悪魔に籠絡され、レミリアは1人で世界中の遺跡を回って、街を興して人を救っていた。ご存知か?」
「……街の功績は報告で知っていましたが、ご令嬢が1人で世界中を回っていたとは……」
「そうして浄化の力を手に入れて、創世神に害を成していた邪神を……レミリアは私と共に力を合わせて滅ぼしてくれた。邪神はたびたび悪魔を生み出しては……魔族にも人族にも酷い被害を出していた……。実際に命を奪うだけではなく、あのような邪悪な存在に力を持たせて人の世界に送り込み、将来自らを浄化する存在であるレミリアを謀略をもって消そうとしたのだろう」
「なんと!」
「王太子どのには同情する。悪魔の呪いによって偽りの恋心を無理矢理植え付けられていたとは……」
「そ、そんな……じゃあ僕は騙されて、レミリアを裏切って……?」
悲痛を顔に浮かべたウィリアルドから、わたくしは悲しげに目を逸らした。何、今更気付いたの? あなたが愚かだから騙されて利用されたのよ。エミと築いた信頼関係があったのにあの女の言い分を信じるからでしょ。
わたくしは混乱しているふりをしながらも、実際はアンヘルの考えていることを推測ではあるが大体把握できていた。
邪神の話を魔族にした時と同じ、この国でピナを分かりやすい罪の象徴に仕立て上げて全ての罪禍を背負わせるのだ。
ピナは前世の知識から、魔族の信仰対象である創世神が堕ちて邪神となり世界を滅ぼしかけていたことも、悪魔が魔族の狂化した末の姿ということも知ってしまっている。魔族にとって都合の悪い真実を、ピナの命ごと消し去るつもりなのだろう。
でもダメよ、アンヘル。あの女はわたくしの獲物だもの。周りに大罪人と知られた状態で罵倒されつつ惨めに生きながら、自分の行いを後悔して後悔して、そのまま長く生きてうんと苦しんでから死なないといけないの。すぐに殺して死による救済を与えるなんて当分はしてあげない。
「後悔」というのが肝心よね、「贖罪」も「反省」もいらないわ、あの薄汚い性根のまま、一切改心する事なく「嘘をついてレミリアを陥れたりするんじゃなかった」と一生後悔しながら死んで欲しいわ。
「命を奪うのはいけない」と、お人好しぶってアンヘルに言えば助命できるかしら。
「レミリア……僕は学生の頃、君になんて事を……ピナの……いやあの悪魔の計略に嵌められた僕は君を信じずにあんな真似を……」
「そうね……お互い信頼を築けていると思っていたから、とても悲しかったわ……誰もわたくしの言葉を信じてくれなくて……ピナさんに惑わされてみんなで寄ってたかって嘘をついてわたくしを断罪して……」
「……本当に申し訳なく思っている」
「アンヘルに聞いたわ……あの呪いは洗脳して操ったり、理性を奪うようなものではなくて、ただピナさんに恋をさせるように仕向けるだけだったって……ウィル様自身で判断して、わたくしの為人を知っていて、その上でピナさんの言う事を全て信じたのでしょう……?」
「レミィ! 違うんだ、気付いたんだよ、僕は……僕が本当に愛していたのは、」
「さようなら、ウィリアルド殿下」
夜会を終えてある程度今回の騒動が片付いたある日。王城に召喚されたわたくしは殿下と対話をする事になった。わたくしはアンヘルの寵愛を受けているが、星の乙女が紛い物と……向こうは紛い物だと思っている今。創世神を救ったという実績を持ち、浄化、豊穣、癒し、繁栄と様々な女神の加護を授かっているわたくしの事が惜しかったのでしょう。エミは側から見てウィリアルドに恋慕しているのがひと目で分かるほどだったから、あわよくばと思ってこの席を設けたらしい。
わたくしはウィリアルドに、悲しげに見えるような笑みを向けると決別の言葉を告げて席を立った。バカじゃないかしら、廃嫡が噂されてる落ち目のウィリアルドをあてがってわたくしの機嫌を取ろうと思うなんてよく計画できたわね。
昔エミとウィリアルドがここでよく遊んでいるのを眺めていた、庭園の中の四阿から遊歩道を辿る。姿は見えなかったが近くにいたらしいアンヘルが現れて、わたくしの隣に並び立つ。
「……もう、本当に吹っ切れたようだな」
「ええ。信頼を裏切られたあの日……『レミリア』の初恋は終わったの」
エミにはウィリアルドがあの日を後悔して泣いているのが聞こえているかしら。あの愚か者の慟哭が、エミの心の傷を少しでも癒せたのならいいのだけど。
クロードや、デイビッドやステファンと最後に話した時も思い出す、泣くほど後悔するならエミを裏切らなければよかったのに。ああ、彼らが後悔に流す涙が、エミを失った心を慰めてくれる。
ピナはあれからなんとか助命嘆願が成功して命だけは助けることが出来た。あの可愛らしい顔と喉を焼き、星の乙女だった事実も抹消され、あの女は囚人が刑罰として労働を行う開拓地の鉱山で彼らに作業効率を上げる強化魔法をかけ続ける仕事が労役として与えられた。
レミリアとして「誰も死んではいないし、わたくしがあの方にされたことはもういいから」とお人好しっぽい事を言っておいたらよほど気を遣われて、「幽閉されて一生表に出てこられない」とだけしか教えてもらえなかったからわざわざ調べたのよ。顔は焼け爛れて醜くなっていたけど、鉱山で犯罪者の男達に口にするのもおぞましい行為をされていたのを使い魔で探して見つけたの。あの腰の上のホクロがなかったら気づけなかったわ。まともに言葉を話せない喉で途切れ途切れにレミリアへの怨嗟をずっと唸っていた。あの一件で息子を廃嫡せざるを得なかった家も多かったし、ピナに恨みをもった貴族は相当あったという事だろう。
もういいというのは本心よ? わたくしは別にいいの、わたくしにされたことは。エミを傷つけた事はこれから先も生涯許すつもりはないけど。
そうなると心の中を覗く魔法が欲しいわ。あの女がどれだけ惨めな思いをして、後悔して、わたくしを恨んでいるのか詳しく聞きたいもの。
「レミリア……これは、あの王子とお前がケリをつけたら改めて告げようと思ってたんだ。……俺と結婚して欲しい」
「っ、アンヘル……!」
「もちろん、種族とか、寿命とか、問題があるのは分かってる……けど、たった1人で俺の前に現れた……お人好しで放っておけないレミリアが、好きなんだ」
「アンヘル、嬉しい……あなたのお嫁さんになれるなんて……いいのかしら、でも……わたくし、あなたとなら幸せになれる気がするの」
「レミリア、……っああ、幸せにする。絶対に……」
わたくしを抱きしめたアンヘルは、わたくしの言葉に嘘が無いのを見たのだろう、惚れた女の言葉の真偽も確かめてしまった自分に少しばつの悪そうな顔をしていたが、それでも内心ホッとして安堵を顔に浮かべていた。
ああ、嬉しいわ。アンヘルとハッピーエンドを迎えるのはあの女が望んでいた事だったから。アンヘルが一番好きだったんですって。物語の中だけじゃなくて、アンヘルが主人公の外伝的な小説も買って、製作側のトークショーでアンヘルの裏話を聞いたり、ゲームのイベントはセリフも選択肢も全部覚えているし、設定集に載っていない事までアンヘルのことなら全て知っていると豪語していた。
そのアンヘルを、あの女が一番惨めになる形で手に入れたのだもの。こんなに嬉しい事はないわ。あの女が悔しがる姿を想像するとアンヘルとの結婚生活はとても幸せなものになりそう。
花に囲まれた庭園の中、ウィリアルドとの思い出のある場所でわたくしは……レミリアはファーストキスをアンヘルに捧げた。
ねぇ、エミ。エミの魂はまだわたくしの中にいるかしら。きっといるわよね。
まずは寿命をなんとかするべきね。不死を手に入れた死にたがりの錬金術師が攻略対象のキャラにいたはずだから、まずは彼を探して協力を仰がないとだわ。そのあとは、魂の研究をするつもり。誰かの体を使ってそこに魂をうつすのはエミが嫌がるだろうから、人そっくりの人形も並行して開発しないといけないかしら? いえ、人形ではなくホムンクルスが適切? わからないわ、まずわたくしの中のエミと意思疎通が出来るようにならないと方向も決められない。
やはり同じ体内の閉じた領域で完結する分、わたくしの中に人の体を用意するのが一番成功しそうだけど……つまりわたくしがアンヘルと交わって妊娠して、そこに魂が宿る前にエミを移してしまうのが直感的に上手くいくと感じている。
ああ、それもいいわね。もちろんもう一度エミと名付けて、ウィリアルド達に裏切られた事も一切知らないまっさらなエミをわたくしが育てるの。エミが、エミのお母様にされていたように、わたくしもエミの事をたくさんたくさん愛して可愛がって、時に喧嘩する事もあるかもしれないけど、愛情たっぷりの家族になるの。
そうしてね、エミが幼いわたくしに誓ってくれた通りに、今度はわたくしがエミを世界で一番幸せな女の子にするのよ。
「大切な人のために頑張る女の子」って可愛いですよね。
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あと連載版もあります(本編完結済み)。短編で語られてなかったエピソードや別視点、後日談もあるので良かったら下のリンクからどうぞ!
追記)連載版をベースにした書籍化企画が進行してます。読んでくれた&評価してくださった方々ありがとうございます!
悪役令嬢の中の人【連載版】
普段はムーンライトの方でR18BL小説を書いてます。
「光の神子は自由に生きる」
見た目で聖人君子と誤解されてるビッチが勘違いされたまま色んなイケメンを食い散らかす食べログついでに世界を救ったりする話
R18ページは直リンク出来ないから興味ある方作者マイページのXIDページか作品名検索で飛んで読んでみてね
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