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異世界転生騒動記外伝 岡左内伝 作者:高見 梁川
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北の関ケ原


 岡左内の同僚に前田穀蔵院咄然斎まえだこくぞういんとつねんさいという男がいる。(異説あり)

 世間の派手な噂とは裏腹に、雅な風体で優男とさえ言えるような男前である。

 五月になってもまだ咲き誇る会津の桜に、ほう、とため息を漏らしながら見惚れる様は、戦人というよりは、市井の風流人の好々爺のようですらあった。

 逝去した大老前田利家の甥にあたり、前田慶次朗利益の名で世に知られる大傾奇者とは到底思えぬその姿に、一人の男が思い立ったように声をかけた。

 「傾奇者として名高い前田慶次郎殿とお見受けいたすが相違ござらぬか?」

 「それを問うお主は何者かな?」

 薄く笑う慶次郎の声は、唄を謡うように色気のあるもので、馬鹿にされたように感じた男は、憤然として言葉を返す。

 「其れがし、羽州は月山の産にて蓬田十郎右衛門と申す者。前田殿に一手所望いたす!」

 今にも切りかからんばかりに身構える十郎右衛門を、慶次郎は手をひらひらと振ってたしなめるように言った。

 「お主、何故この上杉家の門を叩いた?徳川殿との戦いで手柄を挙げ、仕官をするためであろう?わしと戦ってもつまらぬ怪我をして、結局大望を果たせなくなるばかりよ。くわばらくわばら」

 十郎右衛門は男ざかりの三十歳、武芸の技量も円熟の域に達しており、生半な相手に引けを取るとも思えない。

 翻って慶次郎は、数々の逸話の主とはいえ、時すでに五十一歳(異説あり)の老境に達しようとしている。

 その老人に怪我をする前に止めておけ、とあしらわれたのである。

 十郎右衛門は、この戦いだけの牢人で終わるつもりはない。

 名声は高いが全盛期をとうに過ぎた慶次郎を打ち負かし、上杉家中で名を挙げようというのが十郎右衛門の思惑だった。

 「其れがしを愚弄いたすか?怪我をするのはどちらか思い知らせてくれん!」

 激高する十郎右衛門に慶次郎はくつくつと腹を押さえて笑う。

 「わしは喧嘩ならいつでも買うが、お主それで本当にいいのだな?」

 「問答無用!」

 十郎右衛門は身の丈六尺にもなろうという大男で、差料も月山鍛冶の名人、月山貞勝の鍛えた見事な太刀であった。

 足軽にすぎない十郎右衛門が太刀を佩いていることを見ても、彼の上昇志向が窺える。

 太刀を佩くのは騎乗の武者が多く、足軽のほとんどは打刀を帯びているからだ。

 深い反りと冴え冴えと光る見事なにえはまさに名刀の名にふさわしいものであった。

 現在ではこの出羽月山鍛冶は、分家が奈良に細々とその道統を伝えている。

 並みの男では持ち上げるのも難しそうな太刀を、悠々と抜刀して正眼に構えた十郎右衛門は勝利を確信して口元を吊りあげた。

 慶次郎は自然体で立ったまま、愛刀の孫六兼元、三尺三寸(およそ一メートル)の大太刀を抜きもしない。

 その度胸だけは褒めてもよいが、今さらそのくそ長い大太刀を抜くような隙を、十郎右衛門は与えるつもりはなかった。

 「――――御覚悟!」

 まるで花崗岩の岩肌のように隆々とした筋肉を盛り上がらせて、十郎右衛門は躍りかかった。

 その巨体から想像もつかぬ獣のような俊敏な動きであった。

 誰もが次の瞬間に慶次郎が脳漿をまき散らして無惨に倒れることを確信したほどに、十郎右衛門の打ち込みは容赦がなく、隙のないものだった。

 「――――遅いな」

 「うむ―――――ちょろこいわ(弱い)」

 だが愉快そうに二人の仕合いを見つめる男たちは、微塵も慶次郎を心配してなどいなかった。

 一人を上泉主水、もう一人の男を岡左内といった。

 確かに、一人の兵として見るなら十郎右衛門は稀に見る武芸達者であろう。

 しかし十郎右衛門は戦場を知らぬ。

 数々の戦を生き抜いてきた老将というものが、どれほどの存在か、というものを決定的に知らなすぎる。

 だからこそあれほど不注意に慶次郎の間合いに飛び込んだりするのだ――――。

 「噴っ!」

 はたして刹那ほどの時間すらあったかどうか。

 十郎右衛門が慶次郎の殺傷圏内に入るやいなや、慶次郎は鞘ごと愛刀を振り抜いた。

 裂ぱくの気合いに身の丈五尺三寸(約百六十センチ)ほどの慶次郎の身体が、まるで十尺を超えたように膨れあがったように錯覚してしまう。

 十郎右衛門は魂の底からこみあげる恐怖に後悔した。

 後悔する暇が出来るほどに、十郎右衛門に実力があったのは不幸であった。並大抵の人間ならば何が起きたかを自覚する暇さえなかったであろう。

 まるで見えない巨人の拳骨に殴られたかのように、十郎右衛門の身体は白石の敷き詰められた庭園の方へと吹き飛んでいた。

 「―――ほう、生きとる」

 愉快そうに左内が笑うと、慶次郎は静かに、そして悲しそうに呟いた。

 「本当の戦人いくさにんはそうそうなことでは死なぬ」

 だが十郎右衛門の怪我が、戦の前に完治することはないことは確実だった。

 天下分け目の戦に参加することが出来ず、戦人の働き場も、死に場所も失わせてしまったことにどうやら目の前の傾奇者は傷ついているらしかった。

 左内にとって、慶次郎は小田原の陣からの知己であるが、知れば知るほどに情けの強い男であった。

 それと相反するように、彼は戦なしでは生きる価値を見出すことのできない不器用な武人でもある。

 この二律背反する慶次郎の宿唖は、彼が山形で死ぬまで解き放たれることはなかった。

 哀れな男だ、と左内は思う。

 生まれ持ってしまった深い愛情と、獣のごとき戦いを求めてやまぬ衝動が、本来百万石すら望めたはずの男を一個の傾奇者とした。

 戦場の将としてならばともかく、一騎討ちで慶次郎を討ち取る自信は左内にもない。

 天は愛する者のために試練を与えるというが、愛された方としてはたまったものではあるまい。

 ふと、左内は慶次郎の戦う理由が気になった。

 慶次郎が直江山城と幕逆の友であることは十分に承知しているが、これほどの男が一人の武者として戦場に立ち続ける理由が知りたかった。

 「さて、わえらは何のために戦うのかのう?」

 左内もまた戦の中でしか生きられぬ異形である。

 太平の世を迎えるまえに、左内は一世一代の死に場所を求めていた。

 この会津で最後に相応しい死に場所を得られるかはわからないが、少なくとも主君上杉景勝は、己の死を懸けるに相応しい主君であった。

 「……なあに、喧嘩をしたい餓鬼がいるだけのことよ」

 はっはっ、と朗らかに慶次郎は笑ったが、その言葉がまるで血でも吐いているかのように左内は感じた。

 おそらくは、慶次郎は死に場所を失った人間なのだ。

 死ぬと思い定めた時を生き延びてしまったために、もう二度と出会うことのない死に場所を、うたかたの夢のように追い求め続けている。

 そしてそのむなしさに慶次郎自身が気づいている。

 もしかしたら、慶次郎の常識外れの無法の数々は、そうした絶望の表れなのかもしれなかった。

 「なるほど、業が深え」

 死ぬべき時に死ねないのは戦人にとってつらいものだ。

 しかし、安易に死ねないがゆえにこそ、戦人は戦人であった。

 (わえの死ぬべき場所は……)

 左内は知らない。

 自分自身もまた、慶次郎と同じように死に場所を失い、懊悩の果てに畳の上で死を迎えるということを。

 

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