追跡 記者のノートから新宿・歌舞伎町 “トー横キッズ”

2022年6月10日社会

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新しい年が明けた、ことしの元日。時刻は午前6時。
15歳だという少女は、援助交際の相手をSNSで探していた。
安いホテルを転々とし、家にはほとんど帰っていないという。

新宿・歌舞伎町には家や学校に居場所がない少年少女が、集まってきている。
「トー横キッズ」と呼ばれ、周辺ではトラブルや事件も相次いでいる。

いま、何が起きているのか。
現場に密着した。

居場所なき子どもたちの声

東京新宿・歌舞伎町。

飲食店や風俗店、それにホストクラブ、キャバクラ店などがひしめき合う歌舞伎町。

その中心部に、10代の男女が多く集まる広場がある。

ここは、近くにある「新宿東宝ビル」の名前にちなんで、「トー横」と呼ばれている。

歌舞伎町に詳しい人物によると、3年ほど前から中学生や高校生くらいの少年少女がどこからともなくやって来るようになったという。

私たちがまず感じたのは、そこにいる子どもたちの独特なファッションだ。モノトーンの洋服に厚底のブーツを合わせ、目の涙袋を際立たせたメイクは、「地雷系」などと呼ばれている。

こうした格好で自分たちの動画や写真を撮影して、SNSに投稿するのが大きなブームになっているという。

女子中学生
「こういう格好で原宿に行ったりすると『地雷系だ!』って馬鹿にされるんだけど、ここなら同じ好みの子がいっぱいいるのでいいなって」

女子高校生
「同じような趣味の人と繋がれて友達を増やせるから、自撮りした動画をSNSに投稿している感じですね」

若い世代の一部にはよく知られるようになっている「トー横」。しかし、事件やトラブルが起きることは、しょっちゅうだ。

去年5月には、薬物を摂取したとみられる未成年の男女2人が近くのホテルから飛び降りて亡くなった。さらに、11月には少年2人が逮捕される傷害致死事件も起きた。

傷害致死事件があった現場

昼間は比較的どこにでもあるような雰囲気だが、夜になるとその様子はガラリと変わり、危険なにおいが漂う街となる。

日が暮れ始めた頃になると、中高生くらいの子どもたちが、どこからともなくぞろぞろと集まり始める光景は毎日のように見られる。

多くは、体に似つかわしくない大型のキャリーバッグを引っ張っていて、その姿はちょっと異様な感じもするほどだ。

キャリーバッグには、着替えの服や生活用品などが詰まっていて、何日も家に帰らずに路上や近くの安いホテルなどで寝泊まりしているのだという。

夜が更けてくると、荷物の傍らで缶チューハイを飲んでいるグループも多い。通りかかる大人もいるが、ほとんどが気にかける様子もなく通り過ぎるのが現状だ。

難航した取材

少年少女による事件が相次いだことを受けて、私たちは去年10月、記者とディレクターで取材班を結成し、歌舞伎町で何が起きているのかをつかむために本格的に取材を進めることになった。しかし、現場の取材は想像以上に困難だった。

「NHKの者です。トー横について取材をしていて…」。

自分の所属を明かして取材を試みるが、最初は会話すらほとんどできなかった。ビデオカメラを片手に近づこうものなら、その場から走って立ち去られてしまうこともたびたびだった。

中には、強い口調で「やめてよ」と言われることも・・・。

もともと、そう簡単な取材でないことは覚悟していたが、正直なところここまでだとは思わなかった。取材班のメンバーは20代後半から30代前半で、少年少女のこともまだ理解できる年代だとは思っていたのだが・・・。

理由ははっきりとは分からなかったが、これまで経験した少年や少女の取材とは、感触が明らかに違ったことをはっきりと覚えている。

私たちは取材の方法を変えようと、SNSを使って「トー横」に来ているとみられる子どもをネット上で探して直接アクセスを試みた。

しかし、こちらもまったくうまくいかない。取材依頼のメッセージを送っても返信してくれることはほとんどなく、なんとかアポイントを取れても、待ち合わせをすっぽかされることが続いた。

なぜこれほど取材をすることが難しいのかはっきりしないまま、最初の数週間は、ただ時間だけが過ぎていったのが現実だった。

少しずつ分かってきたのは、我々大人に対する強い「拒絶」や「嫌悪」のようなものが、「トー横」にいる子どもたちの心の中にあるということだった。

密着取材で見えた素顔

話を聞く取材班

どうすれば、子どもたちの心のうちを知ることができるのだろうか。

取材班で話し合い、「取材」という目的を前面に出さずじっくりと子どもたちと向き合うしかないのではないか、という結論にいたった。

私たちは子どもたちとの距離を縮めるため、「トー横」近くに寝泊まりすることにした。そして、記者とディレクターが手分けをして毎晩のように歌舞伎町を歩き回った。

そこでは、いきなり取材交渉やインタビューをすることはやめ、まずは子どもたちと一緒に時間を過ごすことを心がけた。時には、深夜や早朝まで、相手の話を聞きながら夜を明かすこともあった。

初めて向き合ってくれた少年

1か月間ほどこんな生活を続けていると、子どもたちは徐々にこちらの顔を覚えてくれるようになっていった。そして、時には向こうから話しかけてくれたり、少しずつと自分自身のことを話してくれたりする子どもも、増えていった。

こうした中、ある少年と出会う。13歳だという、中学生の「レオ」だった。

「レオ」

彼は、私たちにきちんと向き合って話をしてくれた初めての相手だった。

レオは都内の中学校に在籍しているが、今は登校していないという。自宅にもほとんど帰らず、家出状態だと話した。

しばらく話を聞いていると、レオは、自分の腕にある生々しい傷跡を見せてくれた。傷は、自分の親から暴力を受けた時のものだという。

自宅からは、事実上閉め出されていると話し、SNSで知った「トー横」に来るようになったという。同じように家出してきた友人と一緒に、安いホテルを転々としながら暮らしているが、トラブルに巻き込まれることも少なくないらしい。

レオは、あるいざこざがきっかけで、20代くらいの男に暴行を受けたこともあると話した。ただそれでも、「トー横」には居続けるしかないとつぶやいた。

レオ
「ここはね、要するに児童館のような場所なんですよ。自分と同じような境遇の人が集まって過ごしている。親から暴力を受けたりさ、学校からはトラブルを起こすから『来ないでほしい』って言われたりね。そんなやつらばっかり。家出するにしても1人じゃ心細いから、みんなここに集まって来るんじゃないのかな」

レオは、本来は自分の味方になってくれるはずの親や先生に頼ることができなかった経験から、「もう大人を信じることはできなくなった」と強い口調で話した。

だから、「トー横」にいるしかないと言う。

レオ
「だってしかたないじゃん。うちら、ここにしか居場所ないんだからさ」

大晦日の夜に

さらに歌舞伎町を歩き回って取材を進めると、別の少女が話を聞かせてくれることになった。

「ミカ」

15歳だという「ミカ」。もう長く「トー横」にいて、私たちが取材に入った時からミカの存在は知っていたが、ふだんは友人たちと一緒にいることが多いこともあって、なかなか心を開いて話をしてくれることはなかった。

それでも、少しずつこちらのことも気にとめてくれている雰囲気があったので、タイミングを見計らって声をかけるようにしていた。

それは、大みそかの夜だった。

ミカが珍しく1人で歌舞伎町を歩いていたのを見つけたので、私たちが話しかけると、「なに?」と言いながら立ち止まってくれた。

この日、友人たちは年越しのカウントダウンをするために横浜に行ったが、ミカは手持ちの現金が少なく電車賃を使わないために、1人で歌舞伎町に残ったのだという。

「家には帰らないの?」と尋ねると、「ずっと家出状態だし、年末年始も帰りたくない」という。

ただ、寒い大みそかに1人で過ごすことに対しては、「さみしい」と甘えたような表情で訴えた。

私たちは、支援団体の窓口を紹介しようかとも提案したが、それは絶対に嫌だという。

それからしばらく路上で話をしたあと、最終的には私たち女性記者、男性記者と3人で年越しをすることになった。

ミカが、きょう泊まるところだと言って私たちを案内してくれたのは、歌舞伎町のはずれにある、安いラブホテルだった。

ふだん、街中で見かけるミカは、同年代の少女よりも大人っぽい雰囲気を漂わせているが、この日は周りに友人がいないこともあるのか、15歳の少女そのままという無邪気な様子だった。

1人で年越しをする不安から解き放たれたせいもあるのだろう。ホテル内の照明スイッチをいじりながら、少しはしゃいでいるように見えた。

しばらくすると、ミカは自分の過去や「トー横」での暮らしについて、ポツポツと話し始めた。

ミカは、親との関係がうまくいっていないそうだ。暴力をふるわれたこともあり、家には自分の居場所がないという思いが強くなったという。そして、5か月前に家を飛び出してからは、ほとんど帰らずに歌舞伎町で過ごしていると話した。

ミカ
「母親もさ、男と遊んだりして、夜とか家にいなかったりとかでね。私もさみしかったんだ」

入学した高校にはすぐに行かなくなったという。うまく友達をつくることができず、楽しい思い出がほとんどなかったと話す。

ミカ
「学校ではずっと友達いなかったから。高校は1か月くらい行って、その時はもう全力で友達つくろうと頑張っていたんですよ。めっちゃLINEとかしてね。電話とかもかけてたんだけどね。でも、そのうちよく分からないけど、周りから『気持ち悪い』って言われるようになって・・・」

そして、「トー横」に自分と同じような年代の少年少女が多くいることを知って、わずかな荷物を持ってやって来た。

寝泊まりするのはほとんどが安いホテルで、1つの部屋に雑魚寝で何日も過ごすこともたびたびあるという。

日々の生活費はどのようにしているのだろうか。

ミカは、私たちの質問に対して、おもむろに自分のスマートフォンを取り出すと、SNSで誰かとやりとりしている画面を見せた。

見知らぬ男性とネット上で知り合い、いわゆる援助交際をしてお金をもらっているのだという。

ミカ
「でもね、私は“本番”はやらないよ。手でやったり触ったりするだけ。プチだけなの。お金は、だいたいイチ(1万円)とかかな。この前はね、『かわいいね』って言われて、2万円もらったんだけどね」

ある程度想像はついていたものの、15歳の少女からこんな話を直接聞くと、なんと反応していいか、分からなくなってしまう。

バッグの中を見せてもらうと、着替えの服などと一緒に市販の風邪薬やカミソリが入っていた。風邪薬については「OD用だよ」とあっさり言う。

いま、市販の薬を大量に飲んでオーバードーズ(OD)状態になる若者が増えていて問題になっているが、ミカも「トー横」に来てから経験するようになったらしい。

ミカ
「薬を飲むといろいろフワフワして現実を忘れられるっていうか。飲み過ぎると記憶がぶっとんじゃうけどね…」

カミソリは、リストカット用だという。ミカの体には、まだ生々しい線状の傷があちこちに残っていた。

ミカ
「リスカして血を見るとね、なんか安心するんだ。友達と一緒にやる時もあるよ」

ここ「トー横」に来てから、先行きの見えない不安や孤独感に押しつぶされそうになると、市販薬を大量に飲んだりリストカットをしたりしていると明かした。

「だって、さみしい時あるじゃん・・・」

そうつぶやくと、ミカは同意を求めるような目でこちらを見た。

「そんなこと、やめたほうがいいよ」というのが正解なのかもしれないが、見せられている現実が強烈なこともあって、何も言えなくなってしまった。

しばらくして、「体調は大丈夫?あまり無理しないようにね」と声をかけることが精いっぱいだった。

元日の朝

ホテルの部屋でミカと話をしているうちに、時間はあっという間にたっていた。すでに時刻は午前6時過ぎ。年が明けて2022年の元旦だった。

ミカは、生活費を得るために、この日もSNSで会う相手を探すという。

元日の朝から、援助交際で会うような男性はいるのだろうか。

少し戸惑っている私たちを横目に、ミカは慣れた手つきでSNSに書き込みを始めた。

「今日、新宿で会える方いますか?」

すると、ほんの数分で10件近くのメッセージが次々に届いた。

返信が届いたことを次々と知らせるスマホの通知音に圧倒されているうちに、ミカはその中から条件が合いそうな相手に返信をしていく。

改めて言うが、この時、年が明けたばかりの1月1日早朝である。

これが「トー横」で生活している子どもたちの実態なのかもしれないが、ミカのあどけない表情とのギャップに、正直どうしていいか分からなくなった。

しばらくすると、ようやく取材中であることを認識し、現実に引き戻された。
支援団体や行政に助けてもらおうとは考えないのかやんわりと尋ねてみた。

ミカは、すぐにこう言った。

「私、そういうの嫌なんだよね」

ミカ
「前に家出したあとに児相(児童相談所)に2回保護されたことがあるんだけど、そこでの生活が最悪だったんだ。携帯も使えないようにされるから、1日中友達と話をすることもできないし。外出も全然できないんだよ。なんか、ずっと閉じ込められているように感じるというか。

1人でずっと児相の部屋にいるとね、寂しさで耐えられなくなるの。だから、そういうところには二度と行きたくない。また街で補導されて何回家に戻されたとしても、すぐにトー横に来ちゃうんじゃないかな」

児童相談所では、子どもたちのことを考えて生活環境や規則などを決めているが、ミカは大人が作った枠組みそのものを拒否しているかのようだった。

ただ、ふだんは大人びていて少し強がっているような雰囲気のミカだったが、自暴自棄的な発言をすることも少なくなかった。

ミカ
「自分が体を売っていることも気持ち悪いと思うしね、そんな自分が嫌になってリストカットして、体が傷ついていくことも気持ち悪いと思うの。この先、どうなるのかなって。

大人になってずっと体を売ることはできないだろうし、私はどうなるのだろうって考えてるよ。安楽死ができるなら、したいなって思うこともある」

午前7時。SNSで数人の男性とやりとりしていたミカは、これから会う相手を決めたという。40代くらいの男性らしい。

少女たちは、援助交際相手の中年男性を「おじ」と呼ぶ。

ミカ
「こんな正月の朝から元気だな、このおじ。本当にかわいそうなおじだ。私が相手をしてやるわ。1万円もらって」

ミカはそうつぶやくと、ホテルの部屋を出て早朝の街に出て行った。

12歳の少女も

歌舞伎町で取材を始めてから3ヶ月ほどたったある日。
私たちは、昼間のトー横で、「ユメ」という少女に会った。都内の中学生で12歳だという。

小柄でまだあどけなく、小学生かと思ったくらいだ。

この日、「トー横」に来るのが2回目だという彼女は、SNSで知り合った友人と一緒だった。この友人と直接会ったのはつい30分前だという。

「ユメ」

ユメ
「SNSでトー横に行く人を探していたらコメントくださって。学校の人たちだと、なんか『トー横行っているの?』みたいな感じで変なうわさが回りそうで怖いなあと思って。ネッ友(ネットの友達)だったら、新たな経験になるかなと思ったので、一緒に行こうって誘いました」

ユメは、歌舞伎町にいる他の子どもたちとは明らかに違う雰囲気で、言葉遣いも丁寧だった。

私たちは、ユメはいわゆる興味本位で「トー横」にたまたまやって来ただけで、家にもきちんと帰るのだろうなと思っていた。そして、路上で簡単なインタビューを終えると、それ以上深く話を聞くこともなく、別れた。

しかし、私たちはそれからおよそ1か月後、今度は彼女に夜の「トー横」で会うことになる。

もう冬になっていたある日の夜の9時ごろ、1人で所在なさげに歩いているユメを見つけた。

「あれ、前にちょっとインタビューさせてくれた子だよね。きょうはどうしたの?」思わず声をかけた。

あれから「トー横」に頻繁に出入りするようになり、しばらくすると友達と一緒にホテルに寝泊まりするようになったという。そして、ここ最近はずっと家出状態だと明かした。

ユメ
「なんかね、自分と同じような悩みを抱えている子もいるし、ここのトー横界わいの人にいろいろ相談しちゃってるよ。みんなちゃんと最後まで話を聞いてくれるし、今は全然帰りたくない」

ユメは、私たちが昼間に会った時に比べると、明らかに様子が変わっていた。

まだ幼い雰囲気は表情に残っていたが、まず化粧をするようになっていた。もう子どもじゃないとアピールするかのように、化粧ポーチに入っているリップやアイシャドーなどの化粧品を私たちに見せた。

前は、丁寧だった言葉づかいも、いつのかにか「トー横風」になっていた。

ユメ
「この辺歩いていると、おじが声かけてくるけど、超ひまー。ナンパとか、『なんか、暇?』 みたいに言われることあるけど、きしょいよ。ボディタッチもされたことある。ほんときしょいよね」

歌舞伎町で生活するようになってから、いろんな男性が近づいてくるというが、それでもここにいることは怖くないと言う。

「トー横」の子どもたちに自分も早く染まりたいという意識もあるのだろうが、わずか1か月ほどでの変貌ぶりは驚いた。

ユメ「コンビニで、お酒買いたいなー」

記者「お酒はダメだよ。トー横に来るまで、お酒飲んだことはあったの?」

ユメ「飲んでなかったよ。みんなが飲んでて、『飲む?』と言われたから興味本位で飲んでみたけど、全然酔わない。わたし、多分お酒強いよ。寒い時、本当に温まりたい時に飲んでる」

この日の気温は4度。所持金は1000円ほどしかないというが、そこに悲壮感はあまりない。

ユメは、私たちの会話を切り上げると、「お金ないし、今夜は野宿すると思う」と言って、仲間のもとに戻っていった。

警察が対策強化に乗り出すも

未成年の少年少女が「トー横」に集まり、トラブルや事件が相次いでいることに対して警察も危機感を持つようになっている。

警視庁は、去年から「トー横」周辺での補導活動を強化していて、去年1年間に歌舞伎町で補導した未成年は延べおよそ180人と、前の年の3倍近くに上った。

ただ、いくら補導を強化しても、根本的な解決にはつながらないのが現状だ。歌舞伎町で深夜たむろしている子どもを警察が見つけて自宅に連れ戻したとしても、また「トー横」にやってきて保護されるケースが少なくないという。

子どもたちに話を聞く警視庁の担当者

そうした子どもたちの多くは、家庭や地域に「自分の居場所がない」と感じていて、補導という対症療法では限界がある。長年、繁華街で未成年の補導を担当している警視庁の警察官も、対策の難しさを語った。

警視庁の担当者
「補導をしたあとは必ず保護者に連絡を入れますが、子どもが歌舞伎町に来ていること自体を知らない親や、『何度言ってもいうことをきかない』と諦めている親も多いですね。あとは、『LINEとかで連絡取れているから大丈夫』と話す親もいて。

歌舞伎町という場所で、危ない目にあうリスクもあるので、本人ももちろん、保護者にももっと危機意識を持ってもらいたいのですが。子どもたちは、大人とか警察に不信感をすごく持っていますから、とても難しいです」

声をかける1人の男性

大人に対する強い不信感や拒絶。そうした中でも、「トー横」にくる子どもたちを気にかける人がいないわけではない。

私たちが取材を始めてまもなく、週末の夜になると決まって「トー横」にやって来る、ある男性の存在を知った。

本名や年齢は明かしてくれなかったが、自らを「ハウル」と名乗り、4年ほど前から歌舞伎町でホストなどをしているという。

「ハウル」

ブルーに染めた長髪にサングラス。見るからに怪しい雰囲気で、最初はこちらも警戒していて、取材するのはどうしようかというのが正直なところだった。

ただ、手作りの食事を子どもたちに振る舞ったり相談に乗ったりしていて、大人が嫌いなはずの子どもたちに慕われていたので、機会をみて話を聞くようになった。

ハウルが自転車に乗って「トー横」に来ると、子どもたちも集まってきて車座になって、一緒に食事をする。

中には、自分の家庭環境などを涙ながらに打ち明ける子どももいた。時には、少女の恋愛相談に長時間乗ってアドバイスをすることもある。

一方で、援助交際をしている少女に対して、「このままだと一生カモにされるかもしれないよ。残念な方向に行っちゃっている」と、厳しい言葉で諭す姿も何度も見た。

ハウルは、自分自身も育児放棄にあい、路上生活も経験したことがあるのだという。

ハウル
「やっていることは、おせっかいですよ。おせっかいなんですけど、僕はひねくれずに成長できたのは周りの友人だったり先輩だったり、誰かがいつも1人は必ずいたからなんです。本当にガチで話せる人間がね。

いまここにいる子どもたちも、何かが力になって、変なことになる前に踏ん張れるようになってくれたらいいなという感じですね」

「トー横」は今も…

「トー横」には、警察の対策もあって一時期よりも数は減ったものの、今も未成年の少年少女が集まっている。

まだあどけない雰囲気の中学生・ユメは、「トー横のどこがいいの?」という私たちの問いに対して、こう答えた。

「何がいいのか、よく分からない。うーん、何なんだろうね」

居場所を求めて来た子どもたちは、自分たちでさえはっきり分からないまま、「トー横」に引き寄せられているようだった。

今月、久しぶりに「トー横」に顔を出すと、これまで見たことのない子どもの顔が、また増えていた。

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※NHKでは取材の際、必要に応じて保護者の承諾を得ることにしていますが、「親に虐待を受けている」などと話す子どもも多く、専門家と相談したうえであえて保護者と連絡を取らずに取材を進めたケースもあります。肩書きや年齢は、現地で取材をした2021年10月~2022年3月当時のものです。子どもたちの名前はいずれも仮名・敬称略としています。

取材後記

およそ5か月間の密着取材で感じたことは、子どもたちはSNSをきっかけに「トー横」にたどり着くことが多いものの、実際に求めていたのは、人間どうしのぬくもりや、ネット上のやりとりだけではないリアルな居場所だということです。

ただ、ほとんどの子どもたちは、それぞれの本名や自宅などの個人的な情報をお互いに知らず、異質なコミュニティーができあがっていると感じました。

また、夜中に明らかに幼い子どもがいても、話しかけるのは援助交際目的の大人ばかりという現実に愕然としました。

こうした社会の無関心さも、子どもたちの大人への拒否感を生んでしまう要因になっているのではないかと思います。

取材をしていて、すぐにでもカメラを止め、子どもたちを助けたいと思う瞬間も多くありました。どうすれば子どもたちを本当の意味で助けることができるのか、子どもたちにとっての「助け」とは何なのか、正直分かっていないままです。

いま、「トー横」に似たような場所は、首都圏や関西など他の都市部にもできているといいます。歌舞伎町だけでの問題ではなく、日本社会で何が起きているのかについて、取材を続けていきたいと考えています。

(取材班)