幼馴染が効率的すぎる
1
彼女と出会ったのは確か、小学一年生の時だった。
その頃、学年全体でブランコ遊びが流行っていて、休み時間になると、誰もが校庭のブランコ目掛けて駆け出していたものだ。
子供というのは奇妙な決まりを作るもので、「最初にブランコにたどり着いたグループがその休み時間中、ブランコを独占できる」という、暗黙のルールがいつしか出来上がっていた。
この悪き定めを打ち破ったのが彼女、
ある日、ブランコ争奪戦にタッチの差で敗れた俺と友人たちに声をかけたのは、驚くべきことに勝者グループの一人である静子だった。
「一緒に遊びましょう」
俺は驚きをもって「どうして?」と聞き返した。
「そっちのほうが効率的じゃない」
静子は小学一年生にして、誰かがブランコを独占するより、皆で遊んだ方が大勢の人間が幸せになるということを知っていた。そして、鉄のように重い悪習を正論で持って打ち砕いたのである。
当時、ようやく
それ以来、俺は静子とよく一緒にいるようになった。といっても、思い返せば俺が引っ付いていただけのような気もする。静子に特撮のヒーローに向けるようなあこがれを抱いた俺は、彼女の立ち居振る舞いを間近に見ることで、その高潔な哲学を吸収しようとしたのだ。
成長するにつれ、女子と一緒にいる俺はからかいの対象になることがあった。
「お前いっつも女といるよな! キモイ! かっこ悪い!」
この思春期の心理的発達に伴う過剰な性差意識からくる、きわめて幼稚な
「俺、静子ちゃんと遊ぶのやめる」
夕陽のさす教室で、俺は静子にそう告げた。
「なんで?」
かけらの動揺も感じない、冷静で、しかしどこかやさしさを感じさせる声で、静子は俺にきく。
「女の子と一緒にいると、バカにされるから……」
「それは効率的じゃないわね」
「ど、どうして?」
「私はあなたの知らない遊びを知っているし、あなたは私の知らない遊びを知っているでしょ? だから、二人で方が色んな遊びを効率的に知ることができて、効率的に楽しくなれるわ。クラスのひとにからかわれるつまらなさを上回るくらいにね」
「た、確かに……!」
静子にとってあのようなからかいなど、取るに足らないものだったに違いない。
彼女の言葉に感銘を受けた俺は、次の日からクラスや学年の皆に、いかに男女関係なく一緒に遊ぶことが効率的かを説いて回った。結果、俺のいた小学校における、男女の奇妙な隔たりを取り除くことに成功したのだ。
とりわけ、クラス全員で発明した遊び「お人形チャンバラごっこ」が学校全体を巻き込む一大ムーブメント引き起こしたことは、静子の哲学が生んだ、学校史に刻まれるべき功績だと言えるだろう。
中学生、高校生になると、静子と俺は小学生時代とは別の意味で
若い男女が四六時中一緒にいるのだ、何かあると思われるのも自然だろう。見目好い静子はそれだけで注目を浴びやすいというのに。
俺は静子との関係を誰かに問われるたびに、俺たちの関係が敬意と信頼の土台の上に成り立つ、潔白なものであることを丁寧に説明した。
そんなふうに骨を折っていた俺に対し、やはり、静子は効率的だった。静子は俺との関係を疑われようが、一切否定しなかったのである。
その理由を、静子はこう答えた。
「他人にどう思われるかなんて、私たちにとっては意味がないじゃない。わざわざ対応するのは非効率的よ」
考えてみれば至極当然の理由だった。俺たちの関係は俺たちの問題であって、他のだれかに干渉されるものではないのだ。
「だからあなたも人に聞かれるたび、いちいち懇切丁寧かつ入念に私との関係を否定するのは絶対にやめなさい。いい? わかった?」
そう告げる静子が半ギレだった理由については未だによくわからないが、この一件で俺は静子へのあこがれを一層深めた。
持ち前の効率性をもって効率的に学力を向上させ、効率的に大学入試をパスした静子は、偶然にも俺と同じ大学に入学することとなった。
そこで問題になったのは、在学中の居住先である。都心の大学に通うにあたり、便利を考えれば都心に住むのが上策である。しかし、都心の家賃は一学生に過ぎない俺たちにとってあまりに重い負担だ。そんな問題を静子はやはり効率的手法によって解決した。
「どうせ同じ大学に通うのだから、同じ部屋に住んで家賃を折半したほうが効率的だわ」
「た、確かに……!」
静子の思考能力に感動していると、静子は間取り等、諸々の情報が書かれた紙を差し出してきた。すでに最善の物件を調べておいたということだろう。なんという効率的思考だろうか。
「でもこの物件……、ベッド二つ置いて、とかやってたら、ちょっと狭くない?」
都心のリーズナブルな物件は大概部屋が狭めだ。
「ベ、ベ、ベッドは一つにして、生活スペースを確保するわ」
この発想には俺も舌を巻いた。
敷布団を使うとか、折り畳みベッドにするとか、そんな単純なアイデアを超越している。「寝具は一人一つ」という常識を覆すことで、ベッドのフカフカ感と居住空間の両取りに成功したのだ。
話す静子の顔が真っ赤だったのは、流石の彼女も自らの天才的閃きに興奮を隠せなかったということだろう。
実際に大学生活が始まってみると、日々は相当なドキドキものだった。静子にはそんなつもりがなかったのかもしれないが、素敵な幼馴染と手がふれそうなほど近い距離で暮らしていて、平静でいられるわけがない!
俺は心の内に芽生えた何かが、あっという間に育っていくのを感じていた。
そうして今、俺たちは大学の卒業を間近に控えている。もうお互い進路は決まっていて、余白のような大学生活を過ごすなか、俺は一つの発見をした。あこがれとか、尊敬という言葉じゃ説明のつかない感情。
「それで、話ってなにかしら」
雪が街の喧騒を吸い込んでしまったように静かな夜、俺たちは小さな部屋の中で、やはり小さなソファーに並んで座る。
「ようやく気付いたんだけど……」
静子は目を細めて、俺の言葉に耳を傾けている。
「効率的なものを追い求めるのは結局、幸せになりたいからだと思うんだ」
「そうね」
「で、今日までを振り返ると、俺が一番幸せになれるときは、静子といるときだったんだよ」
「うん」
「それで、その、勝手かもしれないけど、それは静子も同じなんじゃないかって」
「もちろん」
そう言って、いたずらっぽく笑う静子の顔をまともに見れないのはどうしてだろうか。でも、何とか彼女に顔を向けて、俺は言葉をつづけた。
「だから、俺たちはずっと一緒にいたほうが、なんというか、1の努力で100の幸せを生み出せるぐらい、効率的なんじゃないかな」
俺はこんなことが言いたかったのだろうか。
しどろもどろな俺を導いたのは、静子のやさしい声と手のぬくもりだった。
「もっと、簡潔で効率的な言葉を聞きたいかしら」
「……あ、愛してます、結婚してください」
「……うん」
うなずいて、静子は笑った。
2
薄明るい陽が差す午前五時、私は目を覚ました。朝食にはちょっと早いけど、二度寝するにはちょっと遅い。
台所でコップに汲んで、ベッドのわきに置いた椅子に座る。
ひとくち水を飲んで、ベッドに目をやると、
彼は私がとても効率的で、クールな人間だと思っているみたいだけど、実は全然そんなことない。
あの時、一緒にブランコで遊ぼうと誘ったのも、彼の表情があんまりに悲しそうだったからで、「効率的」なんて、聞きかじった難しそうな言葉で照れ隠ししただけだ。
「そういうの、わかってる?」
ふと意地悪な気分になって、寝ている彼の頬をつつく。やわい。
中高生になっても、やっぱり彼と私はいつも一緒にいて、よく「付き合ってるの?」とか聞かれた。私は
大学生になろうと私は彼と二人でいたかったから、「効率的」という言葉一つを武器に無理矢理な理由付けをして、彼と同棲することに成功した。寝る所まで一緒なんて、自分でも大胆かつバカだったと思う。
まあでも、そんな努力が功を奏したのか、大学生になってようやく、彼も私を恋愛的な方向で意識し始めたんじゃないだろうか。
そして、大学卒業を控えた冬の夜、彼は私に思いを告げてくれたのだ。いろいろすっ飛ばして結婚までいくとは予想してなかったけど、うれしかった。泣いちゃうくらい。
春先の空気は寝間着姿じゃ少し寒い。私は再びベッドにもぐりこんだ。
どうせ今日は二人とも休みだし、やっぱりもう一回寝てしまおう。彼の体温を頬で感じながら、私は目を閉じる。
私たちが一緒にいれば、1の努力で100の幸せを生み出せるって、彼は言った。
でも、私たちの関係が、100の努力で1の幸せを生むだけだったとしても……。
――あなた以外なんて、考えられないのよ?
それだけは、「効率」なんて関係のないことだから。