武道、武術あるいは武芸と呼ばれる物には
それこそ沢山の種類があります。
一般的なものに柔道、剣道や空手などがあり、
また空手には沢山の流派流儀が存在します。
どの武道をやるのかは、個々の価値観以外にはありません。
武士をイメージして剣道や剣術を第一と思う人もいるでしょうし、
男なら素手で!と言うイメージで柔道や空手を好む人もいます。
反対に武道なんかやらない、と言う価値観も存在します。
さて、
自分の価値観を“お相手”に理解をしてもらうには?
これが困難です。
あるSNSで、習いに来た人を“イビッタ自慢”をしている御仁を見かけました。
その投稿に武道の道は甘くない厳しものだ、と言った一言が添えられているのを見て
「ああ、この御仁は武道を甘く考えているんだなぁ~。」
と思いました。
なぜ武の道は甘くないのでしょうか?
答えは簡単です。
「自分の価値観を理解してもらえるだけの実力を持ち合わせていないから。」
だから武の道は厳しいのです。
そして、その実力とは何か?
「(自分の)心を以って、(お相手の)心を打つ。」
未熟な心で、お相手の心を打っても
それは鞭を打つのと同じです。
鞭でお相手を打てば、怒り、憎しみ、悲しみの感情しか生まれません。
当然、そんな下らない価値観などを理解しようとは思ってもらえません。
お相手の心を打つのは、肉体を鞭で打つよりも困難です。
だから
武の道は険しいと言われるのです。
どのような武道を目指そうとも、
心を打つための心が無ければ、
何も無い事と同じです。
武の道で得るための武器とはただ1つ。
それは