時に人は、
「己こそが正しく、
己と違うものは間違いである。」
と言う過ちを犯します。
“正論の主張”
を声高々に上げても、それは単なる
“己の価値観の押しつけ”
にしかなりません。
その“自称 正論”に対して、従わざる者と悪と定め、
我は天の使い(天性に基づく)と言わんばかりの主張をする
例を見かける事があります。
それは
「火を水に使い、木を金属として扱う様」(≠杓子定規)
であり、そして
「物の自由にならぬことを
立ち帰り悔る心は無くて、
いよいよ我を強く張り、
邪曲の思案工夫に性根を疲らし、
果ては天を怨み、人を咎む。」
また自称 正論の理由の多くは
「自己を向上に思い見誤り、
他人を目八分に見落す。」
からに他なりません。
このような精神状態で武を極めようとしても、
武の上限値を超える事は出来ません。
武の上限値とは何か?
「己に劣る者には勝ち、
己に勝る者には負ける。」
と言う結果の事です。
つまり
”当たり前の事しか起こらない”
となります。
反対に、己と言う個も
全の1つである事が本心とならば、
武の上限を超える可能性が出てきます。
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