平成楽曲研究所《キョクラボ》

平成生まれのオタクたちが、音楽について語ります。

ウマ娘で二次創作のあり方を考えた人をボロクソ言ってみる -二次創作における神は実在するのか-

kokukoku.hatenablog.com

 

大変久しぶりの更新になりました。

 

本日は、上記ブログに文句を言うためにパソコンに向かっています。

全然音楽関係ないですが、長文かけるとこがここしかないので・・・すいません。

 

はじめに(自己紹介)

まず最初に、このブログ書いてる私のことを簡単に書きます。

Twitter上では ほえぃる と名乗っている者です。

10年くらい前からコミケに通いはじめ、3年ほど前からジャンルを絞った小規模な同人誌即売会を主催するようにもなりました。

 

そのため、基本的に二次創作には寛容・・・というか、表現の自由過激派です。

 

オリジナルだろうと二次創作だろうと、筆を握って世に自己表現される方を人生で一番に尊敬しています。

よく自分の苦手なジャンルを"地雷"と表現して、表現者にタグでの回避などで対策を求める風潮がありますが、私が世界で一番嫌いな文化です。

万人を幸せにする表現などありはしないのだから、表現の受け取り手こそが自衛をすべき。という考えを持っております。

 

・・・上の考え方が合わない方は、恐らくこれ以降も相当不快な内容になるかと思いますので、遠慮せずブラウザバックしてくださいね。でも読まずにこの記事を叩くのはやめてね!

 

ウマ娘をきっかけに、二次創作を考えたブログを見た

そんな私がふと目にしたものが、上記の記事です。

投稿日は2021年4月。かれこれ1年と2か月経っている記事ですが、これが"ウマ娘の二次創作についてわかりやすい!"というツイートと共に拡散されているのを目にしました。

正直なところ、表現の自由過激派の私にとって、肌色面積が多いウマ娘の二次創作を"ガイドライン違反!"とか"削除しろ!"と指摘する文化はとても不快です。

なぜなら私が尊敬する方は、ウマ娘界隈の自治に奔走する自警団ではなく、イラストを描かれた創作者だから。何の権利もない第三者が、自分を馬主だと勘違いでもしているのだろうか。

そんな訳で、あまり良い印象を持っていないウマ娘の二次創作を取り巻く環境について"わかりやすく"書いてある記事とのこと。とても興味を惹かれました。

 

結論から言うとクソ記事です。本当に中身読んだかお前ら????

 

若者の活字離れが叫ばれるようになって早幾年。私は今日ほど日本語を読めない日本人を恐ろしいと思ったことはありません。

あんな内容に"うんうん"と目を輝かせて頷くオタクがこうもたくさんいるのかと。

この記事が投稿されただけなら"バカじゃねえの?"と悪態突いてスルーできますが、結構な勢いでRT拡散されているのを見たら、流石に看過できません。

とはいえ私はさきに述べたように、表現の自由過激派。創作を少しでも阻害するような意見があるとすぐに顔真っ赤にして怒ってしまう悪いクセがあります。

そして"クソ記事"と唾棄したものの、自身の考えを形にして出された投稿者は、私が一番に尊敬する表現者でもあります。

いち受け取り手の分際で表現者様のお言葉に文句を言うだなんておこがましい。

 

そこで私も記事を書くことにしました。

 

これで同じ土俵に上がりました。はい!もう文句ないですね!

それでは、記事を読んでここがおかしいと感じたところを徹底的に叩いていきます。

 

※以下から当該記事を画像として貼り付けますが、記事内容の批評を目的として、著作権法32条1項によって利用が認められている"引用"の範囲内で行います。

億が一バスったときに、コピペは犯罪!!とか文盲キッズに言われたくねえし

 

 

①二次創作は犯罪ではない

 

そんな訳ないだろバカ!!!!!

投稿者は、二次創作を犯罪とする根拠として、著作権法の位置づける"翻案権"と"同一性保持権"を理由としています。

翻案権とはつまり、作品の続編やサイドストーリーとかを作る権利。同一性保持権は、権利者の意に反した切り抜きや改変を禁止できる権利のことです。

確かに上記2つの権利は著作物の権利者が有しており、ファンの作ったいわゆる同人誌やファンアートについて、権利者がこれを行使することで、いつでもそれをさし止めることは可能です。

実際に1998年には、ポケモンの同人誌を描いて頒布した作者が任天堂ら3社に著作権法違反として起訴された事件がありますし、今後も有り得ないとは言えません。

ですが、著作権法親告罪であり、それが適用される事案か否かの判断は、権利者にのみ委ねられています。

 

そして大前提として、親告罪とは権利者が違法と判断し告訴しなければ犯罪として取り扱われません!

犯罪が見過ごされているのではなく、権利者が犯罪ではないと判断しているから告訴されていないのです。

 

仮にもし、二次創作が違法なまま見過ごされている状態なのだとしたら、以下の事件はどう捉えるべきでしょうか?

nlab.itmedia.co.jp

 

もしも二次創作が、当該記事のようにすべからく犯罪であるとするならば、二次創作を違法にアップロードした運営会社の賠償責任は、棄却されるか、本来の権利者のもとに支払われるべきです。

しかし実際は、二次創作の作者のもとに賠償金の支払いが命じられています。

 

もう一つ事例を挙げます。

2012年に、環太平洋パートナーシップ協定によって、諸外国の法に則るかたちで著作権法非親告罪化が話題となりました。

二次創作がすべからく犯罪であるならば、違法状態を見過ごす構造は適切ではなく、これを容認すべきであったと考えます。

しかしこれに異を唱えたのは、他でもない原作権利者の一人である、マンガ家赤松健先生をはじめ、集英社の取締役、エヴァの監督としても知られる庵野秀明氏などなど、錚々たる顔ぶれの"一次創作"参会者が中心となって創り上げた"MANGA議連"

"コミケは我が国が誇るコンテンツのゆりかごである"と、公式に言及した大手出版社も登場し、最終的に著作権法非親告罪化は見送られることとなりました。

 

これだけの過去の事例をもってしても、本当に二次創作は犯罪と言えますか?

②Cygames社員のお気持ちを勝手に代弁するな

お前はいつからウマ娘の権利者になったんだ????

ビジネスによる利益がどうとか、そんな権利者の目論見がわかるのは、他でもない権利者だけです。

想像して書くのは自由ですが、であるならばその考えに至った根拠を書くべきだし、根拠があったとて「である」とか「言える」とか断言できるわけないでしょ。

なにかウマ娘の二次創作の拡大が売り上げに影響した具体的な売上額やネット検索トレンドの数値を出すでもなく、さもこれが前提のように言っていますが、なに言ってんだお前?????

 

とあるソーシャルゲームのプロデューサーは、自身の作品の同人誌を読みたくてゲーム作ってる。というインタビュー記事があがった。なんて話も聞きますし、

私自身が主催した同人誌即売会でも、題材にした作品の監督がすごい勢いで同人誌を買い漁っていく姿を目撃したりしているので、本当に彼らがビジネスのことを考えて二次創作を黙認しているのかは、ちょっと判断が難しい点かと思います。

(いつもお越しいただきありがとうございます監督。個人的にはすごく嬉しいです。おもてなしはできませんが、いつでもお待ちしております。)

 

わからないことなら、断言は避けるべきですし、それを前提に話を進めるべきではありません。

 

当該記事は、こんな感じの根拠のない妄想から始まる駄文なので、15000文字中12000文字くらいはゴミです。

 

③わかりようがないことを"絶対"とか"である"と言い切るな

②に付随する内容ですが、②以外にも該当箇所があまりにも多く、引用がだるいので皆さん自身でご確認いただきたいです。

この記事はとにかく自分の想像で書いたことに対しての言い切り表現が非常に多いです。

SNSとか、駅前の抗議活動でよく見る「我々は迫害されている!」とか訴えちゃう主語のでかすぎるクレーマーですか?

 

わからないことは断言しない!!!!

そう思うならば、根拠を書く!!!!!!

 

本当に大事なことなので、2回書きました。

 

④同じ作品の二次創作する人間を、勝手にグループ化するな

そもそも論なんですけど当該記事、ウマ娘の二次創作をする人を勝手にひとつのグループとみなしています。

確かに、創作のことに詳しくない馬主や、アニメにあまり触れたことのない根っからの競馬ファンなどから見れば、確かにウマ娘の二次創作をしている人は1つの大きなコミュニティに属しているように見えるかもしれません(私の想像なので言い切りません)。

しかし大前提として、仮にウマ娘のエロ表現を堂々とSNSに投稿する方がいたとして、それについて異を唱える権利があるのはCygamesだけです。(当該記事:なぜウマ娘は馬主から許可を取っているのか でも言及されていますが、実在の馬名を使用するにあたって馬主の許可は不要です)

なので、どれだけ馬主が二次創作に不快感を覚えたとしても、二次創作の是非に対してアクションを起こせるのはCygamesしかいません。

行くところまで行って、馬主が馬名の使用を取り下げるように言及するような事態になったとしても、それを受け入れるかどうかの判断はCygamesのみが担っています。

 

つまり、ウマ娘の二次創作の問題は、どこまでいっても、二次創作者個人とCygamesの1対1でしか解決しません。

勿論Cygamesとしては、馬主が笑顔で見守ってくれている環境で作品作りたいという思惑があるかもしれません(私の想像なので言い切りません)が、コンテンツ展開に対して馬主からなにを言われようと、それを突き放す権利があります。

よって、そもそも二次創作者とCygamesだけの問題に対して、馬主とか、それ以外のウマ娘の二次創作者の心情への配慮というのは意味がありません。

仮にウマ娘のエロイラストが投稿されたことが原因で、二次創作すべてが禁止になったとしても、その判断をする権利は常にCygamesにのみ存在し、その権利を行使するのもCygamesが特定の個人に対して行われるものです。

 

だからこそ、ウマ娘の二次創作をする者全員を同じグループとしてみなす考え方は根本的に間違っています。

そして、この間違いこそ、私が⑤で述べたいことの原因に繋がっている。と考えています。

⑤いかなる理由があれどネットリンチを絶対に許容するな

お前その口で二度とLGBTQとか言うんじゃねえぞ

いかなる理由があれど、多数派の意見を聞き入れない人間のリンチは容認できません。

当該記事で最も私が腹立たしかったのはここです。あれ読んでわかりやすーい!とか言ってる奴ら全員少数意見の迫害に加担してるからな。

それを信条としてるなら、少なくとも現代社会はその考えを許容していないことだけは理解しろ。

 

当該記事ではこれを"常識を自治ですり合わせる"ことによって埋めていき、明確な線引きのできない(むしろ権利者にさせてはいけない)二次創作の許容範囲をみんなで作ろう。そして、みんなで決めた線引きを破るものは攻撃して排除しよう。それが二次創作を守る方法だと言及しています。

 

④で述べたグループ化の考え方がもたらした、本当に、本当に恐ろしい結論です。

 

何度も申し上げた通り、二次創作の線引きと、それに対しての責任は、二次創作者と権利者の1対1の問題です。

それを、二次創作者全員をひとつのグループとして捉えてしまったことで、多数派の意見を認めぬ少数派を攻撃してもよい。という錦の御旗にしてしまったのです。

本来、権利者のみが排除を提言できる著作権法違反という武器を、無関係の第三者が手に取り他人を攻撃することが、二次創作を守るためならば本当に許容されるべきだとお考えですか?

 

・・・創作の世界に限らず、多種多様な価値観が存在する社会において、他者とのすれ違いは往々にして起こるものです。

肌の色や性的志向、産まれた土地、イデオロギー、宗教などなどなどなど・・・・・・

様々な違いが生まれるなかで、多数派と少数派という区分けがなされたときに、それを受け入れる社会にしていこう。という考えが、昨今メディアを騒がせているSDGsの目指す、誰一人取り残さない社会の考え方ではありませんか?

 

少し話が大きくなりすぎてしまいましたが、言葉の捉え方にも一人ひとり違いがあり、それゆえに明確な線引きというものは、二次創作に限らず難しいものです。

わからないものに対して、自分なりの解釈や考えを持つことは重要です。しかし、それが正しいかを判断するのはあくまでも、そのルールを用いて人を裁くことを認められた権利者のみです。

創作の世界なら一次創作の権利者。法廷なら裁判官。ライブ会場なら会場責任者。おうちの門限なら各家庭の保護者(?)。

それに異を唱えるならば、あくまでも冷静に、根拠と共に伝えるべきです。

そして、考えの合わない人を無理に同じ輪の中に迎える必要もありません。静かに距離を取り、それを裁く権利がある方からの沙汰を待つべきです。

なぜなら、あなたはCygamesではないからです。

 

⑥権利を持たぬ者の自治が好影響をもたらしたことは過去一度もない

(6/8追記)

歴史上、権利のない第三者自治が長期的に継続し、好影響を与え続けたことは、恐らく一度たりともありません

全部調べたわけでもないのに言い切ってしまいました。ちゃんと理由があります。

ガイドライン遵守を促す自治に賛成する方は、"権利者と良好な関係を保ちながら創作を続けたい"といったような、良心によって動こうとしているのだと思います。

しかし、それが最も危険な行いであることをご理解ください。

 

過去の事例を1つ紹介します。

"警備業法"という法律をご存知でしょうか?

起きた犯罪に対してしか捜査や逮捕などの行動が取れない警察組織に対して、私人による自治行為によって盗難などの事件を未然に防ぐことを目的に、"警備員"という職業が設けられました。

警備員発足当初は警備業法は存在せず、あくまでも私人として事件を未然に防ぐべく職務に当たっていました。

しかし需要の高まりとともに警備員として採用される方が増えていき、まるで警官であるかのようなふるまいをする人や、警官を装って窃盗行為などを行う人も増えてしまいました。

そこで急遽制定された法律が"警備業法"です。

その十五条(警備業務実施の基本原則)の内容は以下の通りです。

警備業者及び警備員は、警備業務を行うに当たつては、この法律により特別に権限を与えられているものでないことに留意するとともに、他人の権利及び自由を侵害し、又は個人若しくは団体の正当な活動に干渉してはならない。

この一文は、まさに自治行為のエスカレートが招いた警備員の暴走を止めるために制定されました。(何故知っているのかというと、私が以前警備員のアルバイトをしていた時期があるからです)

これをきっかけに、警備員として職務に当たるためには、4日間の研修を受講することが義務付けられるようになる。警察官と似た制服の着用が禁止となる。など、多くの規約が定められることとなります。

 

このように、始めた当初は良心ある私人によって始まった自治だとしても、悪意を持った人の混在を完全に防ぐ術はありません。

何故かというと、権利のない良心によって突き動かされるあなたが自治権を行使することは、権利のない悪意を持った第三者自治権を行使することと何ら変わらないからです。

そのため、短期的に自治によって安全や平和が守られることはあっても、長期に渡れば必ず悪い結果を生むことになります。

いずれ崩壊することがわかっている悪手を、わざわざ選ぶ必要はありません。やめるべきですが、ここにも落とし穴があります。

それは、正義中毒です。

www.ntv.co.jp

人間は、他人を罰すると快感を覚えるように出来ています。良心によって動かされたあなた自身も、いつしか他人を罰する快感を求めて自治行為をエスカレートさせてしまうかもしれません。

仮にあなたが強い意志で良心を貫いたとしても、正義中毒に侵された第三者をどのように見抜きますか?そして、見抜いたとしてあなたに何ができますか?

所詮何の権利もない私人でしかないあなたが、どうやって良心ある自治を維持し続けるのですか?

 

まとめ

当該記事を読んで、私の意見をまとめると以下です。

  1. 二次創作は犯罪ではない
  2. 二次創作が犯罪かを決めるのは、権利者ただ一人
  3. わからないことに対して想像することは必要だが、根拠もなく断定してはいけない
  4. 二次創作の線引きを作るための自治は、少数派をリンチにする構造を生むため絶対にやってはならない
  5. 自治行為はいずれ必ず崩壊する。権利のない人が作った組織において、悪意を持った人や、正義中毒に侵された人を排除する方法がないから。

先ほども述べた通り、そもそもの前提条件からしておかしいのでツッコミ所をすべて挙げればきりがありません。

特に私がこれだけは言及したい。という箇所を絞って記事を書きました。

馬主が馬主をする理由は感情である!とか、馬主に対してリンチを見せつけることで二次創作を見逃してもらおう!とか、本当に何言ってんだこいつ????っていう意見だらけで頭が痛くなりましたが、ひとまず今回はこれで以上とさせてください。もう疲れた。

 

反論お待ちしてます。私にも二次創作大好きオタクっていう強烈なバイアスがかかってると思うので、それは違うよってあったらほんと気兼ねなくコメントください。Twitterのが返答はやいかも。

そんな意見がたくさん寄せられたら、また記事書くかもしれません。

 

最後に -二次創作の神は実在する?-

私のTwitter見た方は、"こいつ最後に「相容れないけど理解はできた」って言ってたくせに、全然わかった風のこと書いてないんだけど"と思ったかもしれません。その件について最後触れます。

 

ここです。

投稿者はつまり、権利者という、普段は見えないけど確実に存在する神様のような存在に対して、とにかく怒りを買わないように。波風を立てないようにして創作をすべき。という考えを持っています。

対して私は、まさに引用にある通り、見えない神に怯えるなんで不毛だから、各々の尺度で自由に神の怒りを買わないように生きればよくね?という考えです。

 

この価値観が絶対的にずれているからこそ、私はこの記事に対してこれほどまでの怒りを覚えたのだ。と理解できたからです。

 

そして、この価値観のずれを理解してもなお、私は投稿者の二次創作に対する意見は間違っている。と断言します。

 

投稿者が述べるように、見えない神に怯え、はみ出し者を排除する社会には必ず生贄が必要になります。

厳しい生活環境に置かれ、明日を生きることにも団結を求められる旧社会ならまだしも、価値観の相違を許容し共存すべきとする現代社会において、生贄は必要ありません。

生贄など出さずとも、それぞれがそれぞれのイデオロギーを抱えたまま生きていくことを目指す社会だからです。(これはSDGsとか、いろんなメディアが提示している根拠がいっぱいあるので言い切っちゃいます。)

 

自治によって少数を排除することで維持した集団は、また別の線引きで少数派を排除し、その数をどんどん減らしていきます。必ずです。何故なら言葉の解釈は人それぞれで曖昧だから。

そんな悲しい削りあいをするくらいなら、自分と考えを共にできる小さなグループを、色んな尺度で無数に作って少しずつ所属したほうがはるかに建設的で、平和的で、現代社会的です。

 

私は今後も、創作を続ける人全員を応援し続けます。

考えの合わない方とも沢山遭遇し、それが原因の別れを経験したこともあります。

ですが、いつかまた違う枠組みでうまく共存できる場があれば、いつでも力になりたいなとも思ってます。キレイゴトじゃないよ!!マジだよ!!!!

 

最後までお読みいただきありがとうございました。皆様の創作活動に幸あらんことを願って、締めの言葉と代えさせていただきます。