いろいろ横道に反れますので悪しからず。
成田さんの最初の画集が出る83年の少し前。ソノラマの編集部へ成田さんが来るので安井尚志さんに声をかけてもらいました(その時の成田さんの歳を越えてしまいました)。
成田さんに会えた事とデザインを見せてもらった感動は言葉にならないほどでしたが、同時に面白い発見をたくさんしていきます。
「宇宙船VOL.13」の成田亨特集を手伝った際、彫刻作品を載せましょうよと安井さんに頼みました。彫刻のアルバムが素敵でした。直感で、デザインの原点がそこにあるような気がしたからです。
画集が出てからぼくは安井さんと距離が出来てしまいました。安井さんはバンダイの仕事を積極的に成田さんへ引き渡していました。
ぼくは独自に高井戸のお宅へ何度か伺い、日野へ越してからも何度か伺った。もちろん個展会場へも。
デザインの秘密はなにかより成田さんはどういう人なのかが興味深く、絵の新作も楽しみでした。
ウルトラマンへの関心は人一倍あったと思うんですが、そればかり話題にするのも申し訳ない気もしました。90年代後半はほとんど伺う機会がなくなってしまって、もっと貪欲に聞いておけば良かったと後悔しています。
ネットの時代は情報が錯綜し、熟考されずに事例が覆されます。
シュレンマーやドラケンを成田さんのデザインに結びつける人があちこちで出て来ます。それ自体は悪い事でなく、なるほど無関係じゃないかも?と疑問も浮かびますが、ぼくの疑問はすぐ消えます。
成田さんは当然バウハウスは知っているでしょう。シュレンマーも知っていたかもしれませんが、当時の資料でいまネットで手に入る程度のものがあったかどうか。参考にしたなら当然自身が口にしたはずです。
この映像資料など、成田さんは見てないと思っています。
https://www.youtube.com/watch?v=mHQmnumnNgo
嫌だなと思うのはウルトラマンやウルトラホーク1号がパクりだと口汚く言う人です。否定するのは簡単です。
成田さんは美術教室を開いたり個展も積極的にやっていましたから、疑問に思ったならば直に聞くべきだったでしょう。
個人的には、というか個人的な解釈しか出来ませんが、成田さんのデザインは表面の装飾よりフォルム出しにあるように思います。
まず成田さんの彫刻がフォルムの追求にありました。
その癖というか発想が怪獣デザインにおいてもフォルム出しにあったと踏んでいます。奇を衒ったり流行を採り入れてあっても、基本はフォルム出しです。
成田さんが好んだフォルムは、たとえば、
<画像A>
作品「八咫」や「巽の丸」などで使われた逆三角形の翼のような形です。
東宝映画「空飛ぶ戦艦」の検討スケッチ(のちのウルトラホーク1号)は、画集未収録のものを見るとシルエットはほぼ同じですが、ドラケンとは似つかない段々のついた無骨なものでした。
成田さんが実機を参考にしたのは、ソ連の潜水艦の写真があったためハイドランジャーに使ったと、画集で断り書きを書いています。
実機の知識はほとんどない、家電程度も苦手だと仰った。
ぼくも同様なので、実機と比較するという物の見方ではなく、例えばウルトラホーク1号の機首を下に立たせてみると、あら不思議。ガンマー号の部分、翼が羽を広げた怪獣と同じになります。
作品「八咫」や「巽の丸」の翼と同じ物です。このグループにボスタングやビラ星人、ガンダーが含まれます。そういう分析に膝を叩きます。
<画像B>
「啼く」という作品の烏の翼は、ペギラ、ラゴン、ドドンゴ、ゼットンなどの羽や角に同じ形状を見つけられます。
ペギラは、「ウルトラQ」の先任者でさらに東宝でも先任者でもあった井上泰幸の絵が先にあったので、とりあえず羽だけ自分の好きな形にしたと述懐しています。アイロス星獣が広げた翼もこの系統でしょう。
<画像C>
同じ題名で別の「八咫」で見せた、逆三角形で四方から切り刻んだような鋭角のあるフォルムは、怪獣では「怪獣大行進」描き下ろしの新怪獣アイアンや「突撃!ヒューマン」のブランカー、NGのポンコツ怪獣などにテイストを重ねていますが、およそそのままは科特隊基地です。
粘土をヘラで刻みつけて形を見つけていく作業の延長に、デザインがあるように感じます。
さて本題。前回の分析の図像を今度は狭く考察してみます。
渡辺明作画のベムラーを金城哲夫から見せられた成田亨は、金城さんから「ともかく格好良いものを」と注文を受けます。
TBSの栫井巍と円谷英二はスーパーマンを指標にしたようですが、成田さんは正義の宇宙人「ベムラー」のイメージからスタートしています。
ここで改めると、「ウルトラマン」は、「科学特捜隊ベムラー」「科学特捜隊レッドマン」と企画が変遷します。成田さんはベムラー、レッドマンの時期にデザインをしました。
黄色の地肌で青いラインの怪獣のような顔のベムラーが一番最初でしょう。画像を参照して下さい。
<ベムラー、レッドマンのデザインの流れ>
実はこのベムラーの要素に、成田さんが生み出していくヒーローの源泉を発見します。
先端の突起のような角(赤いラインのところ)はレッドマンを経てウルトラマンに受け継がれました。
いきなりレッドマンになるのではなく、ベムラーのセンターの角がレッドマンのセンターのツバになります。
したがって、シュレンマーのマスクとは無関係です。
左右へ張り出した青い模様と突起(青いラインのところ)はこれもベムラー改訂、レッドマンを経て、グリーンマン(サンダーマスクの検討稿)、Uジンへ発展します。
突起のないデザインも描かれています。
ウルトラマンはやがてセンターのツバを取ってマヤラーやネクストへ変容したと考えます。
ここではウルトラセブンとヒューマンは含めません。フォルムが違うからです。
セブンがロボット的な要素を採り入れたのは事実でしょうが成田さんはサイボーグとロボットの違いまで分かってないかもしれません。
石森章太郎作詞のハカイダーの歌に、「おれはロボット、サイボーグ」というのがあります。当時の大人たちの理解はそんな感じです。スペクトルマンに到っては超能力のサイボーグってワケ分かりません。
単純化を求めたウルトラマンの次は、その逆をします。セブンは複雑化でした。
また頭身がウルトラマンのギリシャ彫刻の黄金比7頭身に比べてセブンは5.5頭身と、あまり格好のよいスタイルでなかった事も成田さんを悲観させるのですが、ぼくらにはどっしりとしたセブンが格好良くて、そこは作者の理想と、ファンの思い入れの乖離と割り切るしかありません。
成田さんにとって大きかったのは、俳優古谷敏との出会いです。ラゴン、ケムール人で古谷さんを起用して自信を持ち、ウルトラマンの創作意欲を掻き立た。初めは外見からです。
ウルトラマンで忘れてはいけないのは、デザインと造型を繋ぐ存在です。
石膏でライフマスクを取った古谷さんの面長な顔がウルトラマンのベースになりました。
造型は佐々木明。粘土原型へ石膏で型を取り、ラテックスや樹脂で複製してあの3つの顔が出来ました。
ウルトラマンの面はそのまま古谷敏の面影を宿したものになりました。
ウルトラマンのマスクとスーツが出来て演技者が着る。演出が付けられれば今度は成田さんの思惑を越えていきます。
役者は演技が出来る。これは最低条件です。台本があって演出がある以上、素人では務まりません。
演じた古谷さんは宝田明のメロドラマに憧れ東宝の芸能学校へ学び、東宝ニューフェイス15期としでデビュー。
軽妙なウルトラマンのステップは学校時代に学んだタップダンス、スペシューム光線の左手の美しい反りも学校で学んだ日舞からヒントが来ている気がします。
有名な腰をかがんだファイティングポーズは、古谷さんが好きなジェームズ・ディーンの「理由なき反抗」の喧嘩場面の再現でした。
左手を幼少時の火傷で疵付けていた成田さんはスペシューム光線のポーズに感動したそうで、写真に撮り、写真のままのウルトラマンを絵にしています。
ただ、カラータイマーは嫌いだと徹頭徹尾、言っています。
それと、目穴を開けることが断腸の思いだったと。
この2つも、われわれファンには大事な要素ではあるんですが。
「レッドマン」のまま撮影が始まった「ウルトラマン」は飯島組3本が同時進行でした。特撮の的場徹は大映から円谷英二によって引き抜かれましたが、特撮はやれても殺陣は出来ないと拒否。
代わって飯島さんが高野宏一カメラマン(のち特撮監督)と相談して演出を考えました。
飯島監督の言では、忍者の手裏剣のイメージでスペシューム光線や八つ裂き光輪の基礎を考えたそうです。
飯島さんは目穴のない、中の人が視界さえない出来上がったばかりのマスク姿を見て、デュマの「鉄仮面」を思い出したとか。
アレクサンドル・デュマの「ダルタニャン物語10」に出て来る、幽閉された顔のない男の正体は?というやつです。
奇しくも、「ウルトラマン」のマンガを描いた楳図かずおが「鉄仮面」を元に「笑い仮面」を書いています。
ぼくは「ウルトラマン」より古いと記憶していたのにネットで調べると67年と書いてありました。
西洋の鎧かぶとに似たようなものがあるのは収斂のかたちでしょう。後で説明するシュレンマーの鉄仮面はむしろ、そっちから取っているかもしれません。
ウルトラマンを造型した佐々木さんのテイストはどこまでも曲線です。
佐々木さんの彫刻を見ると分かります。ぐいーんと筋肉が誇張されます。
サイクロン号が佐々木さんだと聞いて、なるほどと思いました。
彫刻でいう<緊張>で曲線でぐいーんと引っ張って、ラインを綺麗に見せています。
佐々木さんは「ウルトラQ」でセミ人間の体、操演用カネゴン、マンモスフラワーなどをやり、続いて、ウルトラマン、ウルトラセブン、ネロンガやバルタン星人への改造(異説あり)を作っています。
「悪魔くん」の化けガラスも佐々木さんなのだとか。
いずれにしても、写真も撮っていない1週間から2週間の作業を何十年か経って思い出して欲しいと言われても困りますよね。
わずかな断片からわれわれが探り出すしかありません。
ウルトラマンは佐々木さんが造型していなければ、あんなに綺麗な面は出ていないはずです。
90年代に成田さんが半分サイズのマスクを作りました。ツリ目でウルトラマンというよりその頃始めたネクストの目の角度そのままでした。微笑みつつ、厳しい顔でした。
佐々木さんの方が柔和です。佐々木さんも近年、半分サイズのマスクを作っています。穏やかな優しいウルトラマンになりました。
ウルトラマンが終わってからの成田さんは、70年代にまたヒーローの企画に巡り遭います。あるいは自分でも企画を考えます。
ウルトラマンのフォルムをそのまま、トサカのツバを取ったマヤラー、90年代はネクストのシリーズを展開しました。
ウルトラマンで不採用とした王冠のような角は、グリーンマン(「サンダーマスク」)で復活します。
「ウルトラマンタロウ」が、セブンに角を付けただけのものだと知ると、宇宙人の角はあんなに貧相ではいけないと、Uジンを考えます。
そのように、ベムラーから始まった成田さんのヒーローのデザインは、どんどん変わっていくようでいて発想の原点からそんなに離れてなく、つながりがありそうです。
シュレンマーの鉄仮面はそれ自体は良い出来と思うんですが、中世の鎧兜の変容で、人間の顔の風刺、カリカチュアのようなニュアンスを受けます。頬をふくらませて唇を突き出し、日本でいうお多福やひょっとこのような印象です。
ただ、トサカのツバ、つり上がった大きな目、金属、などの点で通じる部分は誰が見てもあるんです。
それは部分だけの類似です。上半身の円盤に内包される3つの円、頭、胸、腰、そのうちの1つが仮面で、それぞれ円で構成しています。上半身すべてが1つの表情です。参考に図を用意したので見て下さい。
バレエの動きのためのもの。歯車のような動きです。やはり風刺的な演出でしょう。
ここまでは成田さんのデザインを考えてみる試みでした。
さて、日本のヒーローはそれまでたくさん居ました。古くは記紀神話、平安、鎌倉、戦国時代、江戸時代、たくさんの英雄が伝説、歌舞伎や講談で語り継がれます。
SF的なのは、大江山の酒呑童子、その正体を見つけた安倍晴明、源頼光の活躍。
成田さんは80年代以降、鬼をテーマに創作を始めました。鬼の活躍を特撮で描いたら面白いと話してくれました。
鬼は悪です。闇です。
しかし、姿を見せずに人智を越えた超能力をふるう点で、鬼と神は同じ次元にいます。果たして本当に鬼は悪なのでしょうか。
京都の市政記念行事の一環でやった成田さんの鬼の彫刻は、晩年の成田さんのライフワークでした。
ウルトラマンと鬼が、成田さんにとって同じ情熱のように感じました。
われわれの愛する変身ヒーローの元祖はなにか? たとえば牛若丸を題材にした能の「鞍馬天狗」が最古になるのか、伝統芸能はよく分かりません(室町時代に最古の記録があるそうです)。
大佛次郎の「鞍馬天狗」シリーズはこの伝承の鞍馬天狗を剣士が名乗ったという設定で、能とは無関係でした。
人気を決定づけたのは戦前から始まったアラカンこと嵐寛寿郎の映画「鞍馬天狗」シリーズです。覆面をかぶったヒーローはこのあたりかもしれません。成田さんも古谷さんも鞍馬天狗ゴッコをした世代です。
現代劇での覆面・変身ヒーローは「月光仮面」で登場します。「スーパーマン」の影響です。
戦後の復興期の終わり、53年にテレビ放送が始まりました。
翌年、プロレスが放送されて大ブームになります。力道山の活躍が巨大なアメリカ人をばったばったと倒していくようで、街頭テレビに人だかりが出来ました。
56年に放送が始まる「スーパーマン」は正義のアメリカ人でした。子供は素直に憧れます。時代が変わっていきます。吹き替え式の海外ドラマの先駆です。大平透が吹き替えました。
57年、和製スーパーマン、鞍馬天狗のテレビ版のような形で「月光仮面」が始まります。
KRT(TBS)が宣弘社を介してを制作。原作を川内康範、スポンサーの武田薬品工業はのちに「ウルトラマン」にこの枠(タケダアワー)を提供します。
和製スーパーマンは映画でも作られます。新東宝、石井輝男監督の「スーパージャイアンツ」(57~59年)。
「月光仮面」が時代劇的な展開だったのに対して、「スーパージャイアンツ」は宇宙人や人工衛星、核実験など、SF的な解釈で味付けされました。石井監督のアングラな雰囲気やエログロのテイストが決して子供に媚びた映画ではなく、飽きさせないものでした。
映画は62年をピークを見せ、動員数が下降します。
64年、皇太子の成婚、オリンピック開催で爆発的にテレビが普及して、それまで娯楽の王様だった映画産業がテレビに取って代わられました。
映画はお金がかかるがテレビは無料。子供向けの番組も登場していきます。
映画界から人材の流出が始まって、テレビを電気紙芝居などと言っていた映画界はあわてて五社協定を作ります。キャストとスタッフが他社で使われないための措置であったものの映画界の中でというよりテレビを敵対視したものようです。
高度成長期、特撮映画は外貨を稼ぎました。
円谷英二の東宝映画は製作の始まる前に海外のバイヤーが買い付けたそうです。
しかし円谷の名があってもアメリカはすでにモノクロの時代でなかったため「ウルトラQ」は海外セールスを失敗、その反省を活かして「ウルトラマン」は肝いりでカラーを意識したものになったのです。
同じ時期の「マグマ大使」も輸出を前提の製作でした。
その他のテレビの変身ヒーローも振り返ってみましょう。
59年、東映が取り組んだ初の仮面ヒーローものが「七色仮面」でした。
七つの顔をもつ男、多羅尾伴内の子供向けと言った趣です。
SFヒーローに見えるのは七色仮面の不思議な格好だけの探偵物。川内康範の原作です。
片岡千恵蔵の当たり役、大映の「多羅尾伴内」シリーズは、戦後のGHQによる刀狩り(軍国主義につながるので)を受けた京都撮影所の苦肉の策でした。剣劇をピストルに変えた現代劇という解釈でした。
その続編「新七色仮面」の後番組は、同じ川内康範の「アラーの使者」(60年)。
「月光仮面」に始まったターバンとマスク(おそらく鞍馬天狗の影響)は少し派手になりました。「アラーの使者」はのちに「愛の戦士レインボーマン」に受け継がれます。こうして見ても川内先生は日本のヒーローの産みの親の1人です。
その枠の後番組が「ナショナルキッド」でした。
本格的な特撮ヒーロー番組です。成田さんは特撮に参加しています(キッドのデザインは関係ない)。
ウルトラマン登場以前は、ざっとそのような変身ヒーローがいました。マンガにもたくさんのヒーローが登場します。ここでは<変身>をテーマに映像ビジュアルのルーツを探ると試みなので端折ります。
七色仮面とナショナルキッドが樹脂のマスクの走りのように見えますけど定説では樹脂(FRP)でないそうです。
東宝が初めて樹脂を造型に採り入れたのは、「日本誕生」(59年)の岩、「妖星ゴラス」(62年)の怪獣マグマの牙です。
その頃、樹脂は車の板金の代用でした。ポリパテと称するポリエステル専用のパテも、車の修理用でした。
怪獣造型の高山良策が好んで使ったエバーソフト(発泡ウレタン)は元はブリヂストンの商標で車の座席のスポンジです。
車の素材が映像の造型に持ち込まれたのは面白いです。最先端の工業製品だったからでしょう。
七色仮面やナショナルキッドがこの頃なので、樹脂のマスクでもおかしくありません。ただぼくはこの時期のヒーローは専門外なので断定は出来ません。張り子なんですかねぇ?
「スーパーマン」から10年、布のヒーローが樹脂やゴムに変わった。
ウルトラマンを作った成田さんも佐々木さんも彫刻家ですから、石膏も樹脂も身近だったのです。
ウルトラマンはさまざまな偶然と必然のちょうど良い組み合わせで生まれた不世出のキャラクターです。
それにしても、ナショナルキッドは、それこそシュレンマーのマスクにそっくりですね。人間の顔の収斂で東西、似たようなものになるのだと改めてそう感じます。