「あなたは、屋敷しもべ妖精?」
セレネが尋ねると、しもべ妖精は黙って頷いた。
「クリーチャーでございます、ゴーント様」
クリーチャーと名乗った妖精は、静々とお辞儀をする。
屋敷しもべ妖精を見るのは、これが2度目だった。
マルフォイ家のクリスマスパーティーの時に見て以来だったが、このしもべ妖精はそれに比べても随分と汚らしくみすぼらしい。皺だらけの顔からして、たぶん高齢なのだろうと思われたが、それにしても、薄汚く、吹けば飛ばされそうなくらい細かった。
「どうして、私の名前を知っているのですか?」
「クリーチャーはホグワーツで働かされています。ホグワーツの噂は、だいたい耳に入ってくるのです。名門ゴーント家とフランケンシュタイン家の血を継ぐ娘様」
クリーチャーはしゃがれ声で答えた。
「意地悪な旦那様が入院している間、ホグワーツで働けだなんて……ああ、可哀そうな奥様。クリーチャーが御屋敷から引きはがされ、穢れた血が蔓延る学校で働いていることをお知りになったら、どれだけお嘆きになられることか……」
「えっと、クリーチャーさん?」
セレネはクリーチャーが唐突に独り言を呟き始めたので、少し驚いてしまった。そっと声をかけると、独り言をぱたりとやめて、セレネに向き直った。
「クリーチャーでかまいません、ゴーント様」
「なら、クリーチャー。どうして、私のところに現れたのですか?」
セレネの知る限り、しもべ妖精は人前に姿を見せない。
ハーマイオニーが以前教えてくれたが、掃除の時以外は地下の厨房から出ることはないそうだ。それなのに、どうして自分の前に現れたのか。実に興味をそそられた。
「……ロケットをお持ちですね。レギュラス様のロケットを」
「ロケット……? ……ああ、これのことですか?」
セレネはポケットの中から、あの洞窟で手に入れたロケットを取り出した。すると、クリーチャーは老いた瞳を輝かせた。
「ゴーント様、それをどこで手に入れたのですか? レギュラス様のロケットを、いったいどこで?」
「レギュラス様、ね」
セレネは判断に迷った。
本当のことを話してもいいのか、それとも、これはある種の罠なのか。それを見定める必要がある。セレネは少し悩んだ末に、口を開いた。
「それを答える前に、その、レギュラス様のファミリーネームを教えてくれませんか?」
「ブラックです、ゴーント様。レギュラス・アークタルス・ブラックでございます」
「……なるほど、だから、RABなのね」
セレネは小さく呟いた。
このロケットの持ち主が、RAB……つまり、レギュラス・ブラックだった可能性が浮上する。ブラック家といえば、魔法界有数の純血の名家だ。これほどまでに立派なロケットを持っていたとしても、不思議ではない。
「……ある洞窟で、手に入れました。
クリーチャー、あなたがこれがレギュラス・ブラックさんのロケットだと分かったということは、これがあるロケットの偽物として用意されたことも知っているのではありませんか?」
一瞬、沈黙の間があった。
クリーチャーは背筋を伸ばして、しっかりとセレネを見つめてくる。
「はい。クリーチャーは、それがすり替えられたロケットだと知っております」
「では、本物はどこにありますか?」
クリーチャーは次の言葉にセレネがどう反応するのか、見るに堪えないというように目を瞑った。
「……なくなりました」
「え?」
「マンダンガス・フレッチャーが、全部盗みました。ミス・ベラやミス・シーシーの写真も、奥様の手袋も、勲一等マーリン勲章も家紋入りのゴブレットも、レギュラス様のロケットも!!
ああ、クリーチャーはご主人様の命令を果たせませんでしたッ!!」
クリーチャーは息を吸おうと喘いでいた。
当時のことを思い出したのか、こちらが見ていて心配するほどの身震いをし、苦しそうにしている。最後の方の言葉なんて、血も凍るような叫び声だった。そして、すぐに近くの床に頭をぶつけ始める。セレネは慌ててクリーチャーの細い身体を抱えると、床から遠ざけた。
「ど、どうしたのですか!?」
「クリーチャーは悪いしもべ妖精です。ご主人様の命令を守れなかった、悪いしもべ妖精です!!」
「いや、だからって床に頭をぶつける必要はないですよ!? ほら、血が出ているではありませんか」
セレネの言う通り、クリーチャーの皺だらけの額からは血が流れ出ていた。
「まずは、落ち着いてください。
そのロケットについて話を聞きたいんです。どうしても、自分を罰したいなら、話が全部終わってからにしてください。お願いします」
セレネがなるべく優しい声色で言うと、クリーチャーは幾分か落ち着いたようだった。
少なくともセレネの腕から逃れようと、暴れるのは止めた。そっと床に降ろせば、まだぴくぴくと痙攣していたが、頭をぶつける奇行に走ることはなくなった。
しかし、まだ命令を果たせなかったことが悔しいのか、たるんだ両目からぼろぼろと涙を零していた。
「レギュラスさんのロケットは……」
ここからが肝心なところだ。
セレネは言葉を選びながら、慎重に問いかけた。
「すり替えられたロケットは――つまり、どうして、レギュラスさんはあの洞窟に本来あったロケットとすり替えたのでしょう?」
「レギュラス様の考えは、クリーチャーには分かりません」
クリーチャーは皺だらけの顔を涙で濡らしたまま、静かに言った。
「ですが、あの日のレギュラス坊ちゃまは正気を失っているように見えました。
闇の帝王がクリーチャーを連れて行った洞窟に、案内するように言われました。洞窟の中央にあった小島に着くと、坊ちゃまは……坊ちゃまは……ゴーント様が持っているロケットを取り出し、水盆が空になったら取り換えろと」
クリーチャーはさめざめと泣き始めた。
「それから、坊ちゃまは命令されました。一人で去れ、と。家に帰れ、と。奥様には決して、自分のしたことを言うな、と。そして、最初のロケットを――破壊しろ、と」
「……そして、レギュラス・ブラックはあの水を飲んだ」
セレネが呟くと、クリーチャーはますます啜り泣いた。
ハリーがかけた呪文がまだ効いているか、不安になり、セレネがもう一度、入り口に向かって「マフリアート‐耳塞ぎ‐」をかけ直す。これで、もうしばらくは、誰にも邪魔されずに話すことができるだろう。
「それで、あなたはロケットを破壊しようとしたのですね」
「クリーチャーが何をしても、傷一つつけられませんでした。
クリーチャーは全部やってみました。でも、どれもこれも、上手くいきませんでした。外側のケースには強力な呪文があまりにもたくさんかかっていて、クリーチャーは破壊する方法は中に入ることに違いないと思いましたが、どうしても開きません。なにをやっても、開かないのです!!
……クリーチャーは罰しました。開けようとしてはまた罰し、罰してはまた開けようとしました。
でも、それなのに、まだクリーチャーは坊ちゃまの命令をこなしていないのに、あのコソ泥マンダンガス・フレッチャーが――ッ!!」
すすり泣きが激しくなり、言葉を聞き取ることも難しくなっていた。
分霊箱を破壊する手段は、さほど多くない。セレネは「直死の魔眼」があるので、これまで容易く破壊してこれたが、(おそらく)ごく普通の屋敷しもべ妖精に過ぎないクリーチャーが破壊できるわけがない。クリーチャーはとても苦しんだのだろう。いまこの瞬間も、おいおいと泣き喚いているクリーチャーを見ているだけで、その悲痛さが伝わってくる。
セレネは一瞬、目を伏せた。
「……ねぇ、クリーチャー」
セレネはクリーチャーの位置までしゃがみこんだ。
「私なら、たぶんロケットを破壊できる。だから、マンダンガス・フレッチャーを探し出す協力をしてくれませんか?」
「ゴーント様なら、あのロケットを?」
クリーチャーはおずおずとセレネを見上げる。
「でも、私はフレッチャーの居場所を知りません。それどころか、そいつの顔すら知りません。だから、あなたに探し出して欲しいんです。
もちろん、ただでとは言いません」
正当な仕事には正当な報酬を。
それが世の常だろう。
もちろん、しもべ妖精が主人のために働くにあたり、報酬を望まないと知っていた。だが、自分はクリーチャーの主人ではない。だから、こちらの気持ちとして、報酬を提示する。断られてしまえば、無理に押し付ける必要はない。
「このロケットを差し上げます。あなたの主人のロケットだったのですから、あなたが持つべきです」
セレネがロケットを掲げると、クリーチャーは衝撃と悲しみで大声を上げ、またも床に突っ伏した。
また額を打ち付けるのでは?と警戒したが、そのようなことはせず、わんわんと泣き叫ぶ。セレネがクリーチャーを宥めるのに、かるく30分はかかった。最初は「物で釣るなんて、しもべ妖精を馬鹿にするな」という怒りの涙だったのかと思ったが、どうやら、クリーチャーはブラック家の家宝を自分の物として譲渡されることに感激に打ちのめされていたらしい。
「ありがとうございます、ゴーント様。それでは、コソ泥マンダンガスを連れてまいります」
クリーチャーは「クリーチャーが戻ってくるまで、ロケットを紛失しないこと」を約束させると、うやうやしくお辞儀をして、ぽんっと姿を消した。
「――と、いうことがありました」
セレネは両面鏡に向かって話しかけた。
本当は秘密の部屋で話したいが、あの場所にクリーチャーが現れるのは避けたい。
仕方ないので、セレネは「必要の部屋」で話すことにした。両面鏡を日夜持ち歩く――つまり、グリンデルバルドに交友関係が知られてしまうというリスクを負う羽目になったが、クリーチャーがマンダンガスを捉えるまで、数日の辛抱だ。
「……なるほど。ブラック家の子息が持っていたとはな」
鏡の向こうのグリンデルバルドは悠々と肘掛椅子に座っていた。長い足を優雅に組み、左手にはコーヒーカップを手にしている。
「その男が売り払っていないことを祈るとしよう」
「盗まれたのは、夏の初めだそうです。開かないロケットだそうですし、まだ売れていませんよ」
セレネも自分の淹れた紅茶を飲みながら、ゆっくり答えた。
「それで、そちらの進展はどうです?」
「まずまずといったところだ」
グリンデルバルドはコーヒーを啜ると、カップを小綺麗なテーブルの上に置いた。
「実は長旅に出ようと思っている」
「長旅ですか?」
「分霊箱の隠し場所かもしれない場所に見当がついた。アルバニアに行こうと考えている」
「アルバニアって……」
セレネは国名を口にし、はたっと気が付いた。
アルバニアといえば、長らくヴォルデモートが潜伏していたとされる国名だ。詳しい情勢は知らないが、近年まで鎖国をしていたことはマグルの本で読んだ。ネズミ講が蔓延り、国民の三分の一が破産しているとかしていないとか、そんな話をマグルのニュースで耳にしたことがある。
「危険では?」
「私を誰だと思っているのだ、フロイライン? 今のイギリスで1番か2番目に危険な男だ」
グリンデルバルドは口ひげを上げるように笑った。
それは否定しない。鏡の向こうで笑っている男は、下手したらヴォルデモートより危険な男である。
「ヴォルデモートが何故数ある国の中から、アルバニアに潜伏していたのか興味があってね。
おそらく、そこに分霊箱かそれに繋がるヒントが隠されているのだろう。
……もっとも、準備はある。出立は12月になりそうだ。年明けには戻ってくる」
「しかし……」
「君が渡航するより、はるかに安全だ。少なくとも、君の父親が許してくれると思うかい?」
「……思いませんね」
義父を連れて行くなら、もう少し治安のよい国へ連れて行きたい。
自分の都合で無理やりアルバニアに連れて行くのは、絶対に違う気がする。
「では、よろしくお願いします。……ちなみに、魔法使いが海外へ旅行するときは、箒を使うのですか? 以前、ダンブルドアがフラメルのところへ連れて行ってくれた時は『姿くらまし』でしたけど……」
「基本は移動キーだ。長距離の『姿くらまし』は危険が伴う。もっとも、今回は飛行機で行くつもりだ。仕組みやフライトに興味があってね」
そう言いながら、グリンデルバルドは胸ポケットから航空券を取り出した。両面鏡越しなので見えにくいが、目を凝らしてみると、ビジネスクラスの券である。セレネは一瞬、むっとした。エコノミーしか乗ったことがない身としては、羨ましい限りである。
「……随分と羽振りがよろしいようで」
「安心したまえ。牢獄に入れられる前に、いろいろな場所に隠しておいた活動資金から捻出している。向こう20年は遊んで暮らせるほどあるので、心配しなくていい」
「どれだけ蓄えているんですか」
セレネが言うと、グリンデルバルドは愉快そうに微笑みながら航空券をしまった。
「飛行といえば、君の方はどうだ? 空は飛んでみたかね?」
「……ええ、友人から箒を借りて」
セレネは紅茶に目を落としながら答える。
「やはり、空からの攻撃は有効かと。ただ、バランスを取ることを考えると、箒なしで飛べた方がいいと思いました」
魔法史を紐解くと、魔法戦は基本的に地上で行われている。
セレネが調べた限り、箒に乗った魔法使いが地上に爆発物を落下させたり、空から狙い撃ちをしたりすることは滅多になかった。箒の上から何かをするというバランスの悪さもあると思うが、なによりも箒が高価であまり乗る練習をしたことがない、ということが一番だろう。
きっと、ヴォルデモートも急な空からの攻撃には対応できないはずだ。
戦っている相手がいきなり上昇して、空から攻撃をしかけてきたら、おそらく防戦一方になるに違いない。
「箒なしで飛べる方法を模索中ですけど――……なかなか上手くいきそうにありません。
魔力を足に集中させ、放出するように飛べばいいのかもしれませんが」
「習得難易度はAランクの魔法だ。私もできない。……もっとも、試したことがないとも言うがね」
グリンデルバルドは爽やかな表情のまま答える。
本当に、腹の立つ言い回しをする老人である。セレネが苦労して成し遂げたことも、この男なら息をするように楽々とこなしそうな気がする。
「ところで、1つ相談があるのだが――……」
グリンデルバルドが何か言おうとした、その瞬間だった。
指を鳴らすような音が「必要の部屋」に響き渡る。自分の座っている椅子の脇に、なにか小さい影が見えた。セレネが急いで立ち上がると、塊から身を解いたクリーチャーが深々とお辞儀をし、しゃがれ声で言った。
「ゴーント様、クリーチャーが盗人のマンダンガス・フレッチャーを連れて戻りました」
その後ろで、あたふたと立ち上がった小男が杖を抜いた。セレネも反射的に杖を引き抜くと、まっすぐ小男に狙いを定める。
「『エクスペリアームズ‐武器よ去れ』!」
小男の杖は宙に飛び上がり、弧を描きながらセレネの手に収まった。
「『インカーセラス‐縛れ』」
そのまま逃げようとする小男を縄で縛りあげる。杖さえあれば逃れることができたかもしれないが、武器もない小男が縄抜けなどできるわけがない。
「何だよぅ。おまえさん、誰だ?」
小男――マンダンガスは身を捩りながら叫んだ。
「俺が何したって言うんだ? 屋敷しもべ野郎をけしかけやがってよぅ!」
「そうね、貴方は私には何もされていないですね」
セレネは小男を見下した。
セレネが見たことある男性の中で、一番小汚い男だった。
酸っぱい汗の臭いと煙草の臭いをプンプンさせ、髪はぐしゃぐしゃにもつれ、ローブは薄汚れている。説明されるまでもなく「ならず者」だった。
「……なるほど。そいつがマンダンガスだったわけか」
グリンデルバルドが鏡の向こうから興味深そうな声を上げる。
すると、ぴたりと小男の動きが止まった。
「マンダンガス……だから、ダンク。なるほど、君なら盗みも犯すだろう」
「げっ、グレイブスの旦那っ! なんでそこに!?」
「……知り合いですか」
セレネがグリンデルバルドに横目を向けると、彼はゆっくり頷いた。
「亡者のふりをして、私の隠れ家に押し込み強盗をしようとしていた。もっとも、未遂で終わったがね。そのあと非常に有意義なおしゃべりをした。それだけの関係だ」
グリンデルバルドは平然と言ったが、小男はますます小さくなっていく。
彼の言う「有意義なおしゃべり」は、きっと碌なものではないのだろう。セレネはそう確信したが、詳しく問いただす気にはなれなかったので、さっそく本題に切り込むことにする。
「あなたはクリーチャーが仕える家から、開かないロケットを盗み出しましたか?」
「あ、ああ。でもよぅ、盗み出したっていうには誤解があるぜ? シリウスの野郎はあの宝の山をガラクタだって――……このしもべ野郎、なにすんだ!?」
マンダンガスがすべて言い切る前に、クリーチャーが手頃の椅子を持ち上げ、マンダンガスを叩き潰そうとした。
「クリーチャー、落ち着いてください」
「しかしですね、ゴーント様。由緒正しきブラック家の財産を侮辱されたのです。クリーチャーとしては許すことができません」
「……まだ有意義な話し合いの途中です。叩くなら、すべてが終わってからにしてくれませんか?」
セレネが頼むと、クリーチャーは渋々椅子を置いた。だが、その眼は忌々しそうにマンダンガスを睨み付けている。許しが出れば、すぐにでも殺しにかかりそうな勢いがあった。
「では、問い方を変えましょう。開かないロケットはまだ持っていますか? 持っているのであれば、見せてください」
「わ、わかった。いま、取り出すからよう、縄を解いてくれ!」
「……分かりました」
怪しげな動きをすれば、また縄で縛りつければいいだけの話である。
セレネは軽く杖を振ると、マンダンガスを縛っていた縄はするすると解けた。マンダンガスはトランクに飛びつくと、いそいそと開いた。トランクには、ありとあらゆるガラクタや高価なものがぎっしりと詰まっていた。彼はその中から一際大きいロケットを取り出した。
「これだ、これ。このロケットだ!」
金色のロケットは、見るからに値打ちものであると主張している。
中央には「S」という文字が刻まれていた。心なしか、蛇のようにうねっているように見える。セレネがクリーチャーに目を向けると、重々しく頷いている。
これが、本当の3つ目の分霊箱だ。
「……そう。それの代金、これくらいでどうかしら?」
一応、盗品とはいえ売り物だ。
セレネは財布から金を取り出すと、マンダンガスに弾き飛ばす。
「1クヌート!? 銅貨一枚だなんて、そりゃないですぜ、お嬢ちゃん!」
「あら。それは盗品でしょ? たとえ、それに2万ガリオンの価値があっても、内側に潜む悪霊の駆除代で消えるわ。むしろ、1クヌート貰えるだけでも良いと思いなさい」
セレネがにっこり微笑むと、マンダンガスはいやいやロケットを投げてよこした。
「クリーチャー、ありがとうございました。これから、レギュラスさんの代わりに、悪霊を祓いますから」
「ありがとうございます、ゴーント様」
クリーチャーは恭しくお辞儀をした。
セレネはそっと眼鏡を外す。途端、死の線が蔓延る世界が視界を覆いながら広がっていく。
クリーチャーは「破壊するためには、開かなければいけない」と言っていた。クリーチャーの言う通り、ロケットには数えきれないほどの呪いと思われる線がびっしり張り巡らされていたが、この眼があれば開けずとも解体することができる。
セレネはポケットからナイフを取り出すと、ロケットに向き合った。
「さてと、しっかり殺しますか」
セレネがナイフを構えると、ロケットは触ってもいないのにカタカタ震え出した。実に勘のよろしいロケットである。セレネは口の端を上げると、一番表層の線を切った。そして、その次の線、さらに絡み合った線と、爆発物を解体するように切り裂いていく。その都度、ロケットが悲鳴を上げるような音を発したが、別に気にならない。マンダンガスは椅子の向こうに身体を隠していたが、クリーチャーは瞳の奥にめらめらと炎を燃やしながら解体作業を眺めている。
「な、なんでぇ。あの女の目は、なんだよぉ」
マンダンガスの震える声が聞こえた。その頃、ようやく残りの線は一、二本まで減っていた。最後の線は特に邪悪で殊更禍々しい空気を惜しみなく放っている。セレネがそれに狙いを定めると、唐突にロケットの蓋が開いた。ロケットの内側には、生きた目が一つ瞬いている。細い瞳孔が縦に刻まれた、ハンサムにも思える黒い瞳だ。
十中八九、若かりし頃のヴォルデモートの瞳に違いない。
『おまえは平穏に暮らしたいのだろう、ゴーント。俺様なら、すぐにその手伝いを――……』
「ありがとう。でも、命乞いするような人に助けてもらわなくて結構です」
セレネはぴしゃりと笑顔で断ると、リドルの瞳に走る線めがけてナイフを振り下ろした。
鋭い金属音と長々しい叫び声が、必要の部屋に木霊する。ロケットはひときわ大きく震えると、ぴたりと動きを止めた。もはや、ロケットの中にリドルの瞳はない。リドルの目があった場所には、シミのついた絹の裏地が微かに煙を上げていた。
セレネが静かにロケットを見下していると、どこからともなく拍手が聞こえてきた。
「3つ目の分霊箱の破壊、おめでとう」
鏡の向こうのグリンデルバルドだ。
嬉しそうに微笑を浮かべながら、セレネに拍手を送っている。
「では、私はこれで失礼するとしよう。ダンク、またいつか会おう」
グリンデルバルドはそう言うと、両面鏡の通信を切った。もう住み心地のよさそうな部屋もグリンデルバルドの悠々とした姿も映し出していない。セレネは肩を落とすと、ナイフをしまった。
「ありがとうございます、ゴーント様。クリーチャーはなんとお礼を言ったらいいか」
「お礼はいいわ。それよりも、はいどうぞ」
セレネは鞄からレギュラスのロケットを取り出すと、クリーチャーに握らせた。
クリーチャーは感極まった目でそれを受け取ると、大事そうに胸に抱える。
「ちぇ、なんでぇ。オレには銅貨一枚で、しもべ野郎には高値そうなロケットとは、どういうつもりだ!?」
「マンダンガス・フレッチャー、でしたっけ?」
マンダンガスは不満そうな顔をしていたが、セレネがにこっと微笑みかけると、不気味そうに縮こまる。
「今日、ここで見たことを秘密にして欲しいんです」
セレネはそう言いながら、バインダーを取り出した。バインダーには事前に作って置いた契約用紙が挟まっている。
「万が一のこともありますし、念のため、サインください」
「……ちぇ、嫌な女だ」
マンダンガスはぶつくさ言いながら、用紙を目を皿にして読み通す。
さすが裏社会で生きてきた人間。契約の抜けがないか、不利なことが書いていないか、抜け目なく読み通していた。バインダーで挟まっているにもかかわらず、わざわざ裏面まで確認している。もちろん、表面には大したことは書いていない。
1.今日のできごと、ロケットに関することを口外しないことを誓う。
2.これを破った場合、自ら吸魂鬼にキスを求めに行く。
この二項目だ。
吸魂鬼のキスは、魂を取られる――すなわち、ほとんど死刑同然だ。そのような行いを自ら求めに行くような真似をするくらいなら、絶対に話さないだろう。
「これでどうだ」
マンダンガスは最後まで読み終えると、羽ペンで名前を書いた。
セレネは嬉しそうに笑いながら、バインダーごと契約用紙を受け取った。
「ありがとうございます。では、これからよろしくお願いしますね、フレッチャー」
「あぁん? これからよろしくとは、どういうことだ?」
セレネはブラックライトを取り出した。
バインダーから契約用紙を外し、何も書かれていないように見えた裏面を照らし出す。すると、文字が浮かび上がってきた。
「『この用紙にサインした人間は、セレネ・マールヴォラ・ゴーントに絶対服従する』
これに違反した場合、ヒキガエルに変身することになるので、ご注意を」
「き、汚ねぇぞ!!」
「でも、命を失うよりはマシでしょ? 最初の命令は、今日起きたことに関する私のことを口外することを禁止します」
セレネはにこにこしながら、契約用紙を鞄にしまった。
マンダンガスは非常に悔しそうにこちらを見てくる。
このまま、彼にはクリーチャーと共に元々いた場所へ退席してもらった。
必要の部屋は、静寂を取り戻す。セレネは椅子に勢いよく座ると、足をふらつかせながら指を折り始めた。
「リータ・スキーター、ゲラード・グリンデルバルド、マンダンガス・フレッチャー……増えたとはいえ、ろくな大人がいないわね」
マスゴミ、世紀の犯罪者、コソ泥……闇払いなんて贅沢は言わないので、もう少しまともな大人を協力者にしたいものである。
もっとも、まともな大人ほど16,7歳の娘がヴォルデモートに立ち向かうことを反対し、協力してくれないのだと思うが。
セレネはそんなことを想いながら、冷めきった紅茶を飲み干すのだった。
季節は少しずつ過ぎていく。
11月になると、クィディッチのシーズンが始まった。
スリザリンのチームは一新され、シーカーもノーマン・ウォルパートに決まった。選抜の日、結局、マルフォイは姿を見せなかったのである。本人曰く
「僕には大きな使命があるんだ!」
と純血派の友人たちに言いふらしていたが、その使命に関しては誰にも明かそうとしていなかった。
「マルフォイの使命について、本当に知らないの?」
ハリーは会うたびに、こっそり聞いてくる。
ハリーは今日もスラグホーン主催、スラグ・クラブ終了後に尋ねてきた。
スラグホーン主催のパーティーは、正直にいえば退屈極まる会だ。スラグホーンの自慢話に耳を傾けるのだ。たまに、スラグホーンが優秀な教え子を紹介してくれる。日刊預言者新聞の編集長とか、クィディッチチームのキャプテンとか。
その意味では、人脈作りには最適である。
怪しげな協力者しかいない現状を打破するに、退屈さを我慢してでも出席する価値はある。今日も妖女シスターズのバンドマンを紹介してもらい、魔法界におけるロックの価値観やマグルのバンドについて語り合うこともできた。彼らはヴォルデモート打倒に関係ない人脈だが、魔法界における娯楽の発展には重要な人物である。
とても大切な人脈だ。
「ねぇ、セレネ。聞いてる?」
「え、ええ。ごめんなさい」
セレネはハリーに顔を向けると、正直に首を横に振った。
「マルフォイが死喰い人かもしれないのは同意します。ですが、彼になにかできるとは思いません。あれは、おそらく見せしめであり、失態を重ねたマルフォイ家に対する生贄なのでしょう」
「だけど、あいつのやり口は酷すぎる。
ケイティの事件、知ってるだろ? 何者かに『呪いの首飾り』が送られて、それに触れた瞬間、死に瀕する呪いにかかったって」
ハリーは例として、昨日のホグズミードで起きた事件について挙げた。
たしかに痛ましい事件である。だが――
「ハリー、確固とした証拠がありません。あの日、マルフォイはパンジー・パーキンソンとマダム・パティフットの喫茶店にいたという証言があります。ケイティに近づいていません」
セレネは親衛隊の子が手に入れた情報を公開する。
「ですので、考えられるとしたら、外部の協力者がいたのでしょう」
「それは誰?」
「そこまでは……ケイティがいた三本の箒は広いですし、賑やかですから」
それこそ、場末のホッグスヘッド辺りをうろついてもらえていれば、簡単に協力者を逆探知できた。三本の箒を選んだ辺り、ある意味、その人物はハーマイオニーより冴えた人物ということになる。
「ハリー、セレネ。何を話しているの?」
ハーマイオニーが追い付いてきた。彼女もスラグ・クラブの一員である。
ハリーが早口に
「マルフォイのこと」
と言うと、ハーマイオニーはあからさまにウンザリした顔になった。きっと、いつも一緒にいる彼女は何十回となく同じ話を聞かされているのだろう。
「ハリー、何度も言っているでしょ。たしかに、マルフォイは怪しいけど、死喰い人なんてありえないわ。
それよりも、セレネにプリンスの話はしたの?」
「プリンス? 王室のことでしょうか?」
魔法界では聞き覚えのない言葉である。セレネが首を傾げると、ハリーはバツの悪そうな顔になり、ハーマイオニーは鬼の首を取ったような顔になった。
「それは、セレネと関係ないことだろ?」
「ねえ、セレネ。最近、ハリーは異常に魔法薬の成績が上がったでしょ?」
ハーマイオニーはハリーの抗議を聞かず、セレネに向かって話し始めた。
「実は、ハリーが上級魔法薬の古本にあった書き込み通りにやった結果なの。半純血のプリンスの書き込みに従ってね」
「……まあ、ある種のカンニングはしていると思いました。それで、なにか問題でも?」
セレネが言うと、ハーマイオニーは愕然とした。
「問題でもですって!? 本人の実力じゃないのにやるのはいけないことでしょ!?」
「試験本番では教科書を持ち込めませんよね。そこで化けの皮が剥がれるので、心配する必要はないかと」
それに、スラグホーンだって馬鹿ではない。
いや、確かに、ハリーを贔屓する癖はあるが、普段の様子と試験の様子が明らかに違ったら、何かおかしいと気づくだろう。まさか「試験の緊張のせいで、思った通りに動けない」とは思うまい。
このままカンニングばかり続けて、肝心の試験を落として、スラグホーンの信頼を失えば、それは自業自得だ。プリンスとやらの書き込みに甘えて、自己の努力を忘れた罰である。
「そうかもしれないけど……」
ハーマイオニーは、まだ納得いかないのか、むすっとしている。
「でもね、セレネ。他にもその本にはプリンスが作った魔法が書いてあるの。レビコーパスとかラングロックとか」
「舌縛りの魔法なら、私も使いますよ」
セレネが言うと、ますますハーマイオニーの機嫌が悪くなったようだ。彼女は「もういいわ!」と言うと、すたすた先へ歩いて行ってしまった。ハリーが嬉しそうに、にやっとこちらに笑いかけてくる。
「ありがとう、セレネ」
「いやいや、まったく庇っていませんけど。それよりも、あなたは試験でも実力を発揮できるよう、ことさら勉強しないと。このままでは、確実に怪しまれますよ? それに……プリンスのことですが、魔法の開発は、そう簡単にいきません」
セレネも実際、独力で空を飛ぶ魔法を開発中だが、これもなかなか上手くいかない。
それを、ぽんぽんっと今も使われている便利な魔法を創り出すのは、至難の業である。
「プリンスという人物について調べる必要がありますね。ハーマイオニーの言う通り、危険な人物かもしれません。もしかしたら、マッドドサイエンティストも目を剥く危険極まる魔法があるかもしれません」
「おおげさだよ、セレネ。気にしすぎ」
「はぁ……これとマルフォイのことの温度差が激しすぎますよ」
セレネが疲れたように額に手を置くと、ハリーはすまなそうに笑った。
「あー……ところで、セレネは明日だっけ? 17歳の誕生日」
「ええ、まあ……そうですね」
セレネは苦々しい思いになった。
誕生日の日付など気にも留めていなかったが、自分がフランケンシュタインの末裔に製造されたのだと考えれば、少し話は変わって来る。
フランケンシュタインが生み出されたのは、11月の物悲しい夜だ。
それと重ね合わせるように、自分を創り出したのだろう。そう考えると、ひどく人為的な誕生日にあまり良い思いはしない。
「おめでとう、セレネ」
「ありがとう」
セレネが返事をしたが、ハリーはまだ何か言いたそうにしていた。もうすぐ分かれ道である。もうかなり夜が更け、そろそろ管理人のフィルチに見つかったら処罰の対象になる頃合いだ。寮に戻る前に話したいことがあるなら、はっきり言って欲しかった。
「ハリー?」
「あのさ、そのー……スラグホーンが帰り際、言っていたこと覚えてる?」
「えっと……クリスマスパーティーのことですか? スラグホーン主催のスラグ・クラブ・クリスマスパーティー」
「そう、それ。スラグホーンが皆にぜひ参加して欲しいって言ってたよね。そのことなんだけど――……」
分かれ道のところで、ハリーは立ち止まる。
セレネとしては早く帰りたいので、はっきり言いたいことがあるなら口に出して欲しい。何か気恥しいのか、口をもごもごさせている。
セレネが自分の腰に手を当て「さっさと言って欲しい」と言おうとした。
その直後だった。
「おい、そろそろ消灯だぞ」
前からセオドールがこちらに歩いてくるのが見えた。
彼もスラグ・クラブに(半ば強引に)加入しているのだが、あまり面白くないのだろう。いつも終わると、すぐに帰ってしまう。今日もその例にもれず、帰ってしまっていたのだが、どういうわけか引き返して来たらしい。
「お前さ、いくら何でも帰って来るのが遅すぎだろ。……なんだ、ポッターと大事な話でもしてたのか?」
セオドールがハリーを横目で見る。ハリーの緑色の瞳に戸惑いの色が一瞬、浮かび上がる。
「……いや、なんでもない。またね、セレネ」
ハリーはそれだけ言うと、さっさと階段を上がっていってしまった。
セレネは小首を傾げると、セオドールと一緒に寮へと階段を下っていった。
「ポッターと何の話をしてたんだ? あー、言いたくないなら構わないけどよ」
「大した話ではありませんよ。マルフォイが死喰い人か否かという話です」
「……いや、論じるまでもないだろ、それ」
「あと、それからプリンスなる人物の話です。あなたは知ってますか、プリンス?」
セレネが問いかけると、セオドールは首を横に振った。
「魔法使いに王家はない」
「そうですよね……では、ただの呼称ですか」
「なんだ、お前。継承者じゃなくて、プリンスって呼ばれたいのか? やめとけ、やめとけ。プリンスやプリンセスはお前の柄じゃない」
「それ、どういうことですか?」
セレネが軽く睨むと、セオドールは笑ってごまかした。
次の日の朝、セレネが目を覚ますと、自分のベッドの前に小さな山を発見した。
何のことはない、誕生日のプレゼントである。
制服に着替え、さっそくプレゼントの山に取りかかる。
親衛隊規則「継承者自身が望まぬ限り、貢物は可能な限り控えるべし」により、親衛隊隊員個人からのプレゼントはない。ただし、「親衛隊全体から」という名目で、少し大きめな箱が届いている。重さから考えるに、バタービールの瓶一ダースあたりだろう。見当をつけて開けてみれば、どんぴしゃり。予想外だったことといえば、その中にファイアーウィスキーが一瓶交ざっていたことくらいだろう。
ミリセントからは「学校に行けなくて、つまらない!!」という怒りの手紙付きの大鍋チョコレートのセット。
手紙が長文過ぎて、チョコレートが主役なのか手紙が主役なのか、分からなくなってしまっている。だが、きっと、それだけ鬱憤がたまっているのだろう。
「ジャスティンからは……去年発売されたオリジナルアルバム! これ、聴きたかったのよ。しかも、映画のビデオテープまで……大盤振る舞いじゃない」
さすがは、金持ちの坊ちゃんである。
プレゼントのセレクトが豪華かつ、セレネの欲しい物だ。こちらの趣味を完全に理解し、かつ、セレネが持っていないものを攻めてきている。これは、来年の彼の誕生日に返すプレゼント選びが大変そうだ。セレネは苦笑いを浮かべながら、CDアルバムとビデオテープをトランクの中へ大切にしまった。
「さてと、他は……リータから羽ペン。これは無難ね。……これは……あとで開けよう」
セレネは包みの中に、グリンデルバルドからと思われる包みを発見し、そっと別のところへ置き直す。
安全を期すため、これだけは最後に、それも秘密の部屋あたりで開けた方が良いだろう。
「あっ、おはよう、セレネ!」
セレネがリータから届いた孔雀かなにかの羽ペンを指の先で回していると、隣のベッドから声をかけられる。ダフネ・グリーングラスだ。まだネグリジェ姿の彼女だったが、包みを大切そうに持っている。
「これ、誕生日おめでとう」
「ありがとう、ダフネ。開けてみますね」
セレネが包みを解く様子を、ダフネはにこにこ嬉しそうに微笑みながら見守っている。
箱を開けてみると、そこにはティーカップが入っていた。白磁のティーカップだが、持ち手のところが品のよさそうな銀と深緑で彩られている。
「セレネ、紅茶が好きだから」
「……使うとカエルになる呪いはかけられていませんよね?」
「そんなのかけないよ!?」
ダフネが心外そうに目を見開いていたので、セレネはすぐ「冗談です」と謝った。
「ありがとうございます。大切に使わせてもらいますね」
「え、えへへ……気に入ってもらえてよかった」
ダフネは照れくさそうに頬を掻くと、着替えに戻っていった。
セレネはティーポットを割れないようにしまい直し、残ったプレゼントに視線を向ける。
「……あれ、これ……?」
小綺麗な箱が出てきた。
手のひらサイズで、リボンの間に手紙が挟んである。セレネは手紙を広げ、あっと息をのんだ。
それは、最愛の義父からの手紙だったのだ。
『セレネへ。
17歳の誕生日、おめでとう。
そして、魔女としての成人おめでとう。
リータに”魔法使いが成人すると贈るもの?”を聞いたよ。時計を贈るのがならわしなんだって。それも懐中時計! なんだか、クラシックでかっこいい習慣だよね。
それじゃあ、クリスマス休暇で会おう。
今年も旅行を計画しているから、楽しみにしていてね! クイールより』
手紙を脇に置き、そっと手のひらサイズの箱を開けてみる。
純銀製の懐中時計が入っていた。
蓋の表面は、深い森を閉じ込めたようなガラスが嵌められている。その周りを銀細工が蔦のように囲んでいる。時々、思い出したようにルビーが散りばめられていた。
蓋を開けると、シンプルな時計で大変見やすい。
底には、スイス製であることと、そして『1996.11 QからSへ』と刻まれている。
しきたりとはいえ、大盤振る舞いにもほどがある。
この調子なら、来年の本当の成人のプレゼントが思いやられた。
「……魔女の成人祝いはいらないって言ったのに」
気が付くと、セレネは口の端を上げていた。
そして、蓋をそっと撫でると貰ったばかりの懐中時計を胸ポケットに滑り込ませる。
「ダフネ、朝食に行きますよ」
「えっ、待ってセレネ。あと3分!」
支度が終わらない友人を見つめながら、セレネはクリスマス休暇に思いを馳せる。
直前にスラグホーンのクリスマスパーティーなどという面倒極まる行事があるが、それを乗り切れば、待ちに待った休暇に突入だ。
今年、義父は自分をどこに連れて行くつもりだろう。
また日本だろうか。それとも、フランスか、ドイツか。はたまた、アメリカか。
少なくとも、アルバニア以外であることには間違いない。
次回は3月17日 0時に投稿します。
これで、分霊箱が3つ破壊されました。
そして、次回はいよいよスラグホーンのクリスマスパーティです。
「謎のプリンス編」前半の山場にさしかかるので、気を引き締めて執筆していきます。