日興上人への授与本尊

 

 

日蓮正宗では、「日興が身に充て給はる所の弘安二年の大御本尊」(富要集818頁)とは、「戒壇本尊と称される楠板本尊」の事であり、日蓮大聖人の直造であり、一閻浮提総与の御本尊である、と公言している。

ところが、一般では、大聖人から日興上人に他の御本尊が授与されており、「楠板本尊」は、後世の模作である、との意見も多い。

そこで、堀日亨上人の「富士宗学要集」に書かれている日興上人授与本尊を提示し考察します。

 

 

1.文永九年大聖人御真筆本尊

 

a.「文永九年太歳壬申正月元日、問答第一、行戒智徳筆跡符法の沙門日興に之を授与す、(称徳符法の本尊と称す) 京都要法寺。」富要集82078頁)

.「同山(要法寺)の重宝と称する称徳符法の本尊は何師が相伝を受けられしや未だ記文を見ず、又此の付弟状は正本存在せず」(富要集8101)

c.「日蓮聖人大漫荼羅一覧」に記載なし

 

※当本尊は、日蓮、日興、日目、日尊に相承されてきたと言われているが、附属状に「称徳符法の大本尊」が出てこない。後世模作の可能性の高い本尊です。

 

 

2.文永十一年大聖人御真筆「万年救護」本尊

 

a.「(文永十一年)十二月、万年救護本尊書写して日興に授与したまふ」(日精上人記「日蓮聖人年譜」富要集5133頁)

b.「(文永十一年)此年十二月に万年救護の本尊之を図し日興に給ふ」(日精上人記「富士門家中見聞上」富要集5149頁)

c.「弘安二年に三大秘法の口決を記録せり、此の年に大漫荼羅を日興に授与し給ふ万年救護の本尊と云ふは是れなり、日興より又日目に付属して今房州に在り」17世日精上人記「富士門家中見聞上」富要集5154頁)

d.「同(文永十一年)十一月蓮祖大漫荼羅を書して師に授与す 万年救護の本尊と号す後目師に相伝す今房州妙本寺に在り」(日量編「富士大石寺明細誌」富要集5319

e.「文永十一年十二月日、甲州波木井郷の山中に於いて之を図す(万年救護と称す)、 保田妙本寺。」(堀日亨著「第三漫荼羅脇書等」富要集8204頁)

f.「日蓮聖人大漫荼羅一覧」 図顕番号16  

図顕時処  文永十一年太才甲戌十二月 日
      甲斐國波木井郷於 山中圖之

讃文    大覺世尊御入滅後經歴二千二百二十余年雖尓月漢日三ケ国之間未有此大本尊或知不弘之或不知之我慈父以佛智隠留之爲末代殘之後五百歳之時上行菩薩出現於世始弘宣之

寸法   丈106.0cm 幅56.7cm〔三枚綴〕

通称   萬年救護御本尊

宝蔵   千葉縣安房郡鋸南町吉濱 妙本寺

備考   御讃文中『大本尊』と称されたもの此の一例のみで、他は総べて『大漫茶羅』或は『大曼陀羅』と書かれている。

 

※【c】の御文で、編者の堀日亨上人は、「万年救護ノ本尊ハ文永十一年ナリ本師誤マル」と注釈しているが、日精上人の本文から、文永1112月に図顕された「萬年救護御本尊」と称する大本尊が弘安2年に日興上人に授与されたと考えられます。

つまり【日興が跡条々の事】の「日興が身に充て給はる所の弘安二年の大御本尊」とは、「弘安二年に日興が身に充て給はる所の大御本尊」と読むべきで、文永1112月に図顕された「萬年救護御本尊」の事と解釈できるのです。

 

 

3.弘安二年十月大聖人直造とされる「楠板製戒壇本尊」

 

a.「弘安元年蓮祖妙経の講を延山に開く(中略)同二年弥四郎国重なる者(一説に南都六郎実長の嫡男と云ふなり)霊瑞に感じて良材を得以て蓮祖に献ず、蓮祖満悦し本門戒壇の大御本尊を書して日法に命じ之を彫尅せしむ」(富士大石寺明細誌 富要集5320頁)
b.「一、本門戒壇の板大曼荼羅 一幅(中略)弘安二年十月十二日と、末代不朽の為に楠の板に書く厚サ二寸二分竪四尺七寸五分横二尺一寸五分なり、彫刻は中老僧日法に之レを仰せ付けらる(中略)此御本尊は宗門の肝心蓮祖出世の本懐日興所属の簡要当山霊宝の随一なり」(富士大石寺明細誌 富要集5334頁)

c.「(楠板彫刻戒壇大御本尊)

右現当二世の為に造立件の如し、本門戒壇の願主弥四郎国重、法華講衆等敬白、弘安二年十月十二日、 同上(総本山)。」堀日亨著「第三漫荼羅脇書等」富要集8177頁) 

 

※幾多の伝説を秘めた当本尊だが、日興上人に授与されたという御文は遺されていない。

腰書は、他の大石寺所蔵の板本尊の裏書と同様に、願主の謝礼文と考えられ、大聖人の御文で無いのは確実です。

また、「弘安21012日」が大聖人の記述ならば、他の御真筆本尊と同様に、必ず干支が併記されている筈なのです。

「仏滅度後と書く可しと云ふ事如何、師の曰はく仏滅度後二千二百三十余年の間・一閻浮提の内・未曽有の大曼荼羅なりと遊ばさるゝ儘書写し奉るこそ御本尊書写にてはあらめ、之を略し奉る事大僻見不相伝の至極なり。」(御本尊七箇相承、富要集132頁)

と書かれている通り、仏滅年紀は、「仏滅度後二千二百三十余年」とあるべきが、当本尊は仏滅後二千二百二十余年」とあり、日興上人自らの書写本尊とも違っています。

 

これまでの調査の結果、「楠板本尊」の

①大聖人直造

②日興上人に授与

③一閻浮提総与

④戒壇本尊なる名称

⑤図顕とも授与とも明らかでない弘安21012日なる日付

は、全て、大石寺系が作った、全くの後世の虚偽・虚構である事が判明しているのです。

 

 

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