日蓮正宗化儀の相伝元
日蓮正宗は何故、創価学会出現まで弱小教団だったのか、下記の如く、理由の一端が理解できました。
1765年(明和2年、滅後484年)8月12日 31世日因 著「袈裟数珠の事」(富要1巻377頁)
現代訳
大石寺に念珠の相伝が三通ありました。日目の文書、日道の目録に記載されています。ところが日精の時にこれを紛失したという記録があります。
日舜は、日精が江戸にいた時に相承を受けた際、長持の中に相承書があるはずだと言われたが実際には無かったと書かれています。たとえその時には有ったとしても、日典の時代に大坊が焼亡した際に焼失してしまったのでしょう。故に今は相承書の目録の十七条だけが存在しているのです。
相伝書は悉く皆失われたので、21世日忍や22世日俊以来、数珠の相伝についての大石寺の相伝は失われてしまったけれども、(京都)要法寺の日大や比叡山に相伝があるのです。
喜ばしいのか、悲しいのか、大衆達は正法を守っているのに、近代の上人(大石寺貫主)は皆正法を失ってしまい、天台真言の邪義を付属しているので、今、日因がこれを改めて、最近の上人(大石寺貫主)たちの付属してきた邪義を疑っているのです。
一には日主上人の立行は関東奥方だけに残り伝わっている故、二には当山の古老僧が之れ(邪義)を伝える故に、三には日目の相伝は全て房州保田・妙本寺に有る故に、四には要法寺二代日大や比叡山の相伝が大石寺に伝わっている、故に知っているのです、近代の上人方(大石寺貫主)は要法寺日大の邪義の相伝を付属しているのだということを。
※日蓮正宗は、大石寺の化儀の相伝が火災で焼失し、興門派他寺や比叡山の邪義の相伝を付属したのだ、と大石寺31世日因上人が記述しています。
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Re:無題
法華講のともともさん
御投稿、御意見、有難うございます。
●なんで創価は戸田時代から大石寺に会員を登山させて戒壇の大御本尊を信仰の対象としたんだ!
今さらそんを事を主張するなら、戸田時代に宗門と手をきればよいだろうよ。
学会員を長年なんで日蓮正宗の信仰は絶対に正しいと会員に指導したのを納得する説明を求めたい。
○口は悪いが貴方も熱心な日蓮正宗(現・日顕宗)の信徒なのでしょうね。
戸田先生も僧侶の横柄な態度に業を煮やしていましたが、宗義、特に楠板本尊については、在家信徒の代表として「無疑日信」「信伏随従」の姿だったのです。
当時、資料も少なく、当然、学会員もそれに習ったのです。
然しながら創価学会が破門され、学会員自身が自主的に宗義・宗史を学ばずとも調査した結果、日蓮正宗が「作り法門」である事が判明し、創価学会こそが大聖人の御遺命を実現する団体であると確信したのです。
貴方は、まだ、お若いのでしょうね。
ならば貴方が、宗門のこれまでの興隆とこれからの没落を見届ける生き証人になるのでしょうね。
●お前らは信濃の職業幹部に利用されているのに気付きなさい。
○私のこの主張の容認は、大幹部にはまだ無いのですが、私は、遅かれ早かれ「大聖人御真筆本尊」を掲げて「創価学会の真の顕本発迹」を実現する時が訪れるであろう、と楽観視しているのです。
私の宗義・宗史に関する反論があれば、お応えするつもりです。
サム
2021-03-16 03:16:19
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