昨夜から鼻水大洪水問題な猫さん。💦

なんでやぁーーーーっ!!えーんえーんえーんえーんえーん

 

 急に鼻水出てきてるん。・・・・花粉かぁ?ガーン

 

 今日は中東問題。

 

うん?

 

あっ!

 

ページを閉じるみんなの姿が見えるぅう!えーんえーん

 

こんな時は!!

 

 

 衣装チェンジでグリーンティあみんぐだお!💛

あっ、あみんぐのブログもみてねぇ!!ラブ

 

 見てくれたら!

ラブラブドキドキんぱっ!ドキドキラブラブ

 

 はい、中東の話です。💦💦

 

 

◆中東問題のそもそもの原因とは?

 一般的には第一次世界大戦頃に、イギリスが行った三枚舌外交の結果と言われてるん。

 

①フサイン=マクマホン協定(1915年)

 これは、イギリスが当時ドイツ側だったオスマン帝国内のアラブ人達と結んだ協定で、アラブ人たちがオスマン帝国に反旗を翻しイギリスに協力することで、イギリスアラブ人国家の独立約束するもの。

 

 イギリスからこの任務で派遣されたのが、「アラビアのロレンス」こと、トーマス・エドワード・ロレンス中佐なんだわね!

 

「アラビアのロレンス」さん!

この人の話、実在の実話ですよ!

 

②ケイサス・ピコ協定(1917年)

 これはイギリス・フランス・ロシア間で取り決められた協定で、中東地域での各国の権益範囲を取り決めた。

 三カ国間での領土的な問題を事前に取り払う事が目的。

 

③バルフォア宣言(1918年)

 第一次世界大戦で大量の戦費を使ったイギリスが、ユダヤ人豪商ロスチャイルド家の協力を得るために行った宣言。

 ユダヤ人から戦費を供出する代わり、ユダヤ人の居住区パレスチナの地に作る事を約束。

 

 この相反する三つの協定を、イギリスが各勢力と結んだ事で、今につながる中東問題につながる訳だけど・・・・。

 

 三枚舌外交なんて揶揄されますわな。

 

  イギリス名文的な条約を護る国であり、どこかの隣国(K国とも言う)の様に、過去に結んだ「日韓請求権協定」やら、「日韓慰安婦合意」など無かった事にする国とは違うのよん。えー

 

 

◆三協定の見方

 この三つの条約及び協定は、アラブ人には「アラブ人国家の独立」と言ってみたり、ユダヤ人には「ユダヤ人居住区」を作ると言ったり、フランス・ロシアとは勝手に境界を決めたり・・・・

 

 ところが実は矛盾して無かったりする。びっくり

 

 えっ?

 

 あっ、何も問題は無いとは言ってないよ!えー

 

 これらの条約を図にすると下記の様になる。

 

 

 図”A"だよ!

 

 

①フサイン=マクマホン協定の範囲

 この協定にはアラブ人国家の範囲が明記されて居て、「アレッポ・ダマスカス・・・より西の部分は除かれる。」とある。

 つまり図”A"中のAのライン

 

 現在のレバノン及びイスラエルは、「アラブ人国家」の範囲含まれ無いのですよ。えーえー

 

 そんな事言ってもアラブ人は住んでますがね。

 

②ケイサス・ピコ協定の分割

 こちらも、中東に関して言えば、フランスとイギリスの勢力圏を決めた物で、「アラブ人国家を独立させると言ったが、”統一国家”とは約束して無い。」訳で・・・。

 図”A"中のBのラインで分割される訳だけど。

 

 

 現在の「レバノン・シリア」と、「イスラエル・ヨルダン・イラク西部」の国境がまさに一致する。ニヤリ

 シリア①と、ヨルダン・イラク②としてイスラム国家が出来たんよ!

 

③運命のバルフォア宣言

 これは「ユダヤ人居住区」パレスチナの地に作る条約で、決

して「ユダヤ人国家」を作る約束では無かった。

 

 現に図”A”中に当たる現イスラエルの地域を、「イギリス統治領パレスチナ」としユダヤ人入植地を建設し、英領パレスチナのヨルダン川東岸「ヨルダン」として分割した。ニヤリ

 

 

 図”A”の分割線と現在の国境

 ちゃんとイギリスは約束守ってるとも言える。

 

 こうして、イギリスは各勢力との約束を(何とか)守って、アラブ人ユダヤ人は仲良く土地を分け合って仲良く・・・・・・・・・。

 

 なってなーーーーい!えーん

 

 なんでやねん!!えーん

 

 

◆増えるユダヤ人

 1918年にイギリスによるパレスチナ統治が開始され、当初は何とか無事に過ごして来たけど、1935年ごろから急激にパレスチナを目指すユダヤ人が増えてきた。びっくり

 

 

 ドイツユダヤ人を迫害するヒゲ親父が居たしね。💦

 

 そうなると、元々狭い土地で多くが砂漠なんで、元々住んでいるアラブ人との間で、トラブルが起きる(1936年-1939年までアラブ大反乱が発生!)んで、イギリス当局ユダヤ人の移民制限を始めたりした。←そらそうだ!!ショボーン

 

 すると今度はユダヤ人側も反イギリス闘争を始め・・・・・第二次世界大戦は終わった後には、当事者のイギリス「もう無理!」と匙を投げたんでした。(*´﹃`*)

 

 

 1946年ユダヤ武装組織に破壊された、ホテル・キング・デービット

 

 このホテルに、イギリス軍の本部やら、委任統治領事務局があったんで、標的にされたんですわ。えーんえーん

 

 

◆そしてパレスチナ分割へ

 そしてイギリスが匙を投げたんで、国連に問題は移管されたんだけど・・・・・まだ欧州には多くのユダヤ難民が居り、その多くがパレスチナのユダヤ人入植地での移民を希望していた事もあり・・・・・。

 

 分割しちゃった。笑い泣きえーん

 

 これは、三枚舌外交と言われるものを行っていたイギリスでさへ、「問題が多くて、パレスチナの地に国家は無理ぃぃぃぃ!」と判断してた事なんで、当然紛争に発展。

 

 そして正式にイギリスの委任統治が終了した1948年5月14日、その日にユダヤ人国家「イスラエル」の建国と、翌5月15日イスラエル建国に反対するアラブ人国家によるパレスチナ侵攻が発生し、第一次中東戦争が勃発したんですわ。えーん

 

 もうここからは泥沼の紛争史。

 

 

 第一次中東戦争時のイスラエル軍装甲車

 

 建国翌日に勃発した戦争で、良くぞ戦備を備えたもんだ!って感じですわ!(*´﹃`*)

 

 この戦備を整える話も壮絶でっせ!びっくり

 

 近年はイスラエル軍が強く成った事と、アラブ側を支援してたソ連の崩壊もあって、ガザ地区以外ヨルダン川西岸地区の大半をイスラエルが占拠してるん。ショボーンショボーン

 

 

 やっぱり、平和が良いなぁ。えー

 

 アラブ側には色々不満はあるけど、今は我慢してる状態で小康状態が続いてる感じですねかね。(*´﹃`*)

 

 詳しくは知らんけど、💦💦←ヲイ!

 

 そんな訳で、今回はおーーわり!!

 

 =①ω①= 猫☆ミ