仙台で幻の試合 黒人リーグ知られざる歴史

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続みやぎ野球史再発掘 伊藤正浩

 かつて人種差別が厳しかった米国で、黒人は大リーグでプレーすることができなかった。彼らは、独自のプロ野球「ニグロリーグ」を組織して活動。その実力は大リーグに匹敵するものであったという。

 大リーグの全米チームが1931(昭和6)年、34年に来日したことは、有名だ。一方、ニグロリーグの「フィラデルフィア・ロイヤル・ジャイアンツ」も27年、32年と日本に来ていたことは、どれだけ知られているだろうか。

 この黒人チームが仙台にも足を延ばしていたことを、筆者は突き止めた。

 32年9月の河北新報や東京日日新聞宮城版には、黒人チーム「ロイヤルジャイアント」の試合予定の記事がある。しかし、試合結果は見当たらない。何かの事情で宮城に来なかったのではないか?

 だがよく調べると、「宮城県史」などに符合する記述があった。33年に黒人チームを招いたが、4日続きの雨で試合ができず、経費4千円の欠損が生じた――というものだ。年代に1年の相違があるものの、「ロイヤル・ジャイアンツ」とみて間違いないだろう。

 従来の研究では、このときの行程は9月25日の埼玉・熊谷から10月1日の兵庫・宝塚まで、5日間が謎の空白だった。実は仙台で雨にたたられていたのだ。

 時は流れて一昨年12月。米大リーグ機構は、ニグロリーグをメジャーリーグとして認定し、今後メジャーの公式記録にも加えることを発表した。伝説の類だったニグロリーグに、いよいよ歴史研究の光が当たる。

 今回の発見は、メジャー球史の新事実として輝きを放つ可能性を秘めている。