長嶋引退後の日米野球、仙台でメッツ戦

[PR]

続みやぎ野球史再発掘 伊藤正浩

 今回は、今年の文化勲章を受章した「ミスター」、長嶋茂雄・巨人終身名誉監督の宮城でのエピソードをご紹介する。

 まずは、長嶋選手の県内最初のプレー。プロ野球公式戦記録としては、巨人に入団した年、1958年7月15日の大洋戦(宮城球場)だ。ダブルヘッダーの2試合目で放ったヒットが、宮城での初安打となった。

 実は、その前年の57年7月1日に、立教大学チームの一員として来仙し、宮城球場で仙台鉄道局と対戦。4打数ノーヒットだったが、すでに仙台に足跡を残していた。

 では、宮城で最後にプレーしたのはいつか。

 公式戦では、引退前年の73年5月16日の巨人―広島戦だ。ちなみにこのとき、「ON」として並び称された王貞治選手が本塁打。通算868本のうち、仙台での唯一のものだということは、前回紹介した。

 翌74年にも、5月15日に宮城球場で巨人―広島戦が予定されたが、これは雨天中止になった。

 そして10月14日。後楽園球場で、「わが巨人軍は永久に不滅です」という名言を残し、ミスターは引退した。そう思っていた。

 ところが長嶋選手は、引退セレモニー約2週間後の10月30日、宮城球場で行われた日米野球に出場していた。ニューヨーク・メッツが大リーグチームとして3年ぶりに来日し、その第4戦として、仙台で巨人戦が組まれたのだ。

 2―2の同点で迎えた七回無死一、二塁の場面に、代打で登場。スタンドを埋めた3万人の観衆を大いに沸かせたが、遊飛に終わっている。