大正時代の伝説の強豪、アマチュア倶楽部
続みやぎ野球史再発掘 伊藤正浩
大正時代の中葉、仙台の社会人野球に君臨した伝説のチームがあった。その名は仙台素人倶楽部。素人と書いて「アマチュア」と読ませた。
千葉善助、及川虎男、前田常男(ブラザー軒主人)といった野球好きたちや、金野一男、松浦弘一、庄子博ら仙台二中(現・仙台二高)出身で東北学院専門部(東北学院大学)の若手らを主力としていた。
1920(大正9)年に始まった仙台実業野球大会の初代王者になり、翌年も連覇。さらに来仙した在米日系人チーム、シアトル・ミカド軍を相手に善戦して引き分け、チームの名を高めた。また、映画にもなったバンクーバー朝日軍とも対戦した。
22年には、頭角を現してきた仙台鉄道局(JR東日本東北)に仙台実業大会の3連覇を阻まれたが、秋の東北実業大会(塩釜)では素人倶楽部が雪辱。社会人球界は2強時代に突入し、両者が対決する「素鉄戦」は人気を博した。
しかし、栄光の時代は長くは続かなかった。地元出身選手で構成され、人気では仙台鉄道局をリードしたが、新人の供給力に差があったのだ。
27(昭和2)年創設の都市対抗野球大会では、当初の数年間、仙台市代表の座は「素鉄戦」で争われた。素人倶楽部は、勝てないまでも接戦を演じ続けたが、石巻日和倶楽部や気仙沼体育協会、仙台市内にも澱(よどみ)倶楽部、G倶楽部(東北学院OB)といった新勢力が台頭してくると、次第に注目は薄れてゆく。
35年の都市対抗県予選は優勝で飾ったが、翌年の大会目前に活動継続を断念。歴史に終止符を打った。