仙台初のプロ公式戦は? 幻の国民リーグ
伊藤正浩 続みやぎ野球史再発掘 仙台初のプロ公式戦は
プロ野球はペナントレースの真っ盛りだ。ところで、仙台で最初のプロ公式戦はいつだろう。
野球が盛んな仙台には、大正時代から職業野球(プロ野球)団が訪れていた。昭和の戦前にも巨人軍などが来仙したが、いずれも相手は仙台鉄道局などのアマチュアだった。プロ同士となると、1936(昭和11)年8月15日、スポーツマン球場であった阪急(現オリックス)―セネタース(現存せず)の試合だが、これはオープン戦だ。
日本プロ野球機構の記録によれば、48年5月16日に評定河原球場で行われた、巨人―金星(千葉ロッテの前身の一つ)戦が公式戦の最初。この試合で、巨人軍の川上哲治選手がプロ史上初の1イニング2本塁打を記録している。
実は、プロ野球公式戦はこの前にもあった。
47年10月2日、国民野球連盟(国民リーグ)の熊谷レッドソックスと大塚アスレチックスの試合。同じ評定河原球場だった。
国民リーグとは、終戦直後に自動車部品製造で財を成した宇高勲らが巨人、阪神などのリーグとは別に、4チームで設立した新リーグだ。スター選手不在による集客不振、親会社の経営悪化などで、わずか1年で破綻(は・たん)した。とはいえ、プロを名乗ってリーグ戦として行われた公式戦。始球式に千葉三郎県知事を迎え、盛況の中で行われた。
リーグを創設した宇高は破綻後は事業を畳み、培った人脈をもとにスカウトに転身。そして二十数年のちに、思わぬ形で仙台へのプロ野球チーム進出に関わることになる。その奇縁の物語は、次回のお楽しみに。
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