校庭にやってきたプロ野球 「二軍」事始め
伊藤正浩 続みやぎ野球史再発掘 校庭にやってきたプロ野球
塩釜高校と、気仙沼小学校。この2校の校庭で、なんとプロ野球の試合が行われたことがある。二軍戦ではあるが、本当の話だ。
2017年に刊行された「二軍史」(啓文社書房)という書籍がある。会社勤めの傍ら野球史を研究する松井正さんが、試合結果すら明らかではなかった二軍の歴史を、国会図書館に通って調べ上げた。その業績は感嘆するばかりだ。この情報をもとに、筆者も宮城の二軍戦の歴史をひもといてみた。
プロ野球最初の二軍チームが生まれたのは、1948年のこと。いずれも北海道日本ハムの前身となる急映フライヤーズの二軍チック・フライヤーズと、金星スターズの二軍リトル・スターズだ。チーム合併による余剰選手の活用のためだった。48年7月7日に評定河原球場で行われた仙台初の二軍戦は、この両チームで戦われた。
その後、大陽ロビンズ(横浜DeNAの前身)、阪急ブレーブス(オリックスの前身)、そして巨人が、それぞれ若手選手の育成のために、二軍を結成。49年7月、この3チームが合同で遠征を行い、宮城県では気仙沼と塩釜で試合をしたのだ。
今と違って、プロの試合ができる球場がどこにでもあるわけではない。9日は気仙沼小、11日は塩釜高の校庭で行われた。気仙沼で巨人が大陽から挙げた勝利は、現在も続く巨人二軍の初勝利となった。
なかなか一軍戦が行われない地域でも、二軍の試合は施行されていた。いまだテレビ中継のない時代。プロの野球を見たいという人々の熱い思いに応えて、各地で人気を博した。