各所でここ数か月議論の焦点となっている事柄の一つである防衛関係予算と国防に関して、正直なところ左右どちらの側からも好まれなさそうな意見を述べてみたいと思います。まあ、正直あまり面白い見解ではありませんが・・・参考意見の一つということで。
GDP比で考えるのは意味が無い
時々見かける議論は防衛関係予算のGDP比に関してです。1%とか2%とかの話をされる方がいらっしゃいますが、重要なのは%の大小ではなくそれが目的に対して必要充分かどうかだと考えます。まず予算ありき、は役人的発想過ぎてあまり現実的とは思えません。
A国が石斧しか持っていないのであればB国にも高価な潜水艦や戦闘機などは要らないでしょうし、そもそもB国の目的がA国への侵攻ではなく自国防衛であるならばA国と同程度の武装でも問題ありません。
つまるところ軍事力というのは相対的なものです。関連国の軍事力と自国の目的という内外双方の事情を勘案しなければならず、GDP比のような自国の都合だけで数字を考えることに意味は無いでしょう。
そもそも数字の議論をする前に目的を整理すべきだと思っています。人によって軍事力の範囲と目的が違う状態で予算の話をしても意味がありません。予算が先にあるべきではなく、目的が先にあるべきです。
極論、『世界中の国を侵略して統一政府を打ち立てることで平和を成し遂げるんだ!』というちょっと過激な目的意識を持っている人が居れば、その人にとってはGDP比100%でもまったく予算が足りないことになります。その反対の極致に居る人からすれば予算なんてGDP比0%で良いと考えることでしょう。それぞれの人がどのような考えを持っているにしても、何を目的として、そのためには予算がどれだけ必要かを明確にするという順序での議論が必要だと考えます。
軍拡競争に関する所見
歴史的に見ても軍拡競争の果てに戦争となることはまずありません。経済力が均衡した国同士であれば双方が経済破綻する前にどこかで話し合いによる軍縮が行われ、経済力が乖離している場合は片方の経済破綻という結末で終わる場合が多く、少なくとも戦争にまで至った事例は思いつきません。
逆に軍縮が戦争に至った事例はあります。例えば第二次世界大戦、世界恐慌による不景気によって各国は軍縮を進めましたが、軍事力が相対的なものである以上周辺国の軍縮がドイツの相対的軍拡へと繋がり、ドイツの侵略意思を高める結果となってしまいました。これは軍縮が逆説的に戦争リスクを高めるという事例であり、軍拡競争を避けて軍縮をするには片側だけでなく諸国での話し合いが不可欠という教訓が得られます。
そもそも論ではありますが、軍拡は目的ではありません。他国への侵略企図や他国との緊張の高まりによって戦争の回避又は備えるために軍拡が行われるのであって、軍拡は手段です。軍拡競争をするから緊張が高まるのではなく、緊張が高まったから軍拡競争になるのであり、真っ先に手を打つべきは軍拡の停止ではなく緊張原因自体の解消です。
私個人としては争い事は好まず、軍事力が不要な世界になればそれは理想的だとは思います。しかし前述したように安易な片側だけの軍縮は他国の相対的軍拡を招き、逆に戦争を引き起こしかねません。軍縮をするにしてもまずは相互に話し合って調整し、その後に対称的な軍縮が必要だと考えます。
小国の国防の是非について
『小国では大国の軍事力には適わないのだから軍事力を備えることは無意味だ』という意見があります。申し訳ないですが私としてはその意見には不賛成です。それを肯定してしまうと大国のエゴによって小国が蹂躙されることを黙認することにもなりかねません。ルクセンブルクやモナコ、アイスランドのように軍事力を持たない小国であっても大国に侵攻された歴史的な事例があり、むしろ小国であるからこそ大国の侵略企図を挫き掣肘するための国防力が不可欠だと考えます。
全ての大国は広い国土を有しておりその国土を防衛する必要があることから、持ち得る全ての軍事力を侵略に割くことはできませんので、小国は何も大国と同じだけの軍事力を持つ必要はありません。また同盟・協商・集団安全保障によって大国の戦力を分散させて侵略に割ける戦力を低減させたり共に抵抗する約束をすることで必要な軍事力はさらに小さくて済みます。
しかしいずれにしても所定の軍事力が無ければこれらは為し得ず、むしろ小国が無闇に武装解除をすることは「どうぞ侵略してください」と大国へ間違ったメッセージを送ることになりかねません。肉食獣の前に美味しそうな肉を置いて、それを肉食獣が食べることは自然なことです。それを攻めても意味は無く、肉が食べられるのを避けるためには檻を作るなり肉自体に食べられないような手を加えるなり手を尽くさなければなりません。
また、軍事力が必要になるのは何も他国との関係だけではありません。過去にはモルディブのように軍隊の無かった国において実業家が傭兵を雇って国家転覆を図ったような事例もありますし、アフリカでは今なお国内の武装勢力による内乱が続いている国があります。小国と言えどもあまりにも腕力が弱いと内部から崩壊する危険があるということで、やはり最低限の力は必要ではないでしょうか。
結言
他国を侵略するような国家の人権意識に縋るというのはあまりにも希望的観測が過ぎると思えるため、どのような国家においても侵略を避け得るだけの軍事力は必要だと考えます。ただ少なくとも日本においてはこちらから侵略するような戦力や兵器は不要でしょう。倫理的にももちろんですが、日本は産業全体が他国に依存している国家ですので侵略などしようものなら国が滅びます。平和外交を基本とし、高圧的な武力行為は行わず、他国のエゴには毅然と立ち向かう。それが出来る程度の軍事力があれば良いかと思っています。
つまるところ、中江兆民の「三酔人経綸問答」でいうところの南海先生のような考えが望ましいと考えています。紳士君や豪傑君のような考え方があることも分かるのですが・・・