忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

たとえ話の欠点と効用

 私は物事を説明する際に『たとえ話』を多用します。本日はそのたとえ話に関する所見を述べていきます。

 

たとえ話の欠点

 たとえ話は結局のところたとえでしかなく、本質的な理解から遠のいてしまうことや意図を誤るといった欠点が間違いなくあります。それは時に全体の輪郭を錯誤させてしまったり、逆に一部の特殊な事例を全体だと誤解させてしまうことでしょう。また、ピントがズレたたとえ話は理解の助けにはならず、役に立たないどころか害悪ですらあるかもしれません。

 

たとえ話を用いる意図

 それでもたとえ話を用いるのは敷居を下げる効能が高いためです。物事の本質を深く理解するためにはその物事の表層的な部分だけでなくバックグラウンドにある膨大な情報を体系的に理解する必要がありますが、全ての物事においてそれをすることは寿命のある生き物には不可能です。意識的にせよ無意識的にせよ人はその手間を嫌い本質的な理解を求めることを避けがちになります。場合によってはその物事を理解すること自体から遠ざかることすらあるでしょう。

 よって物事を説明する側としてはそういった手間を可能な限り省いてとにかく興味を持ってもらうことがまずは肝要であり、そのためにはたとえ話が有益です。

 

 例えばよくある質問の代表格、子どもFAQの上位である「なんで空は青いの?」「なんで夕日は赤いの?」という質問に対して、「それは光が散乱しているからだよ」という答えは中くらいの正解と言えます。回答自体は間違ってはいませんが、本質的には浅く、しかし興味を惹けているかといえば落第点です。

 

 では本質的なところを説明してみましょう。

空が青いのはレイリー散乱が起きているため。

レイリー散乱が起きるのはそもそも光が電磁波であり波動性と粒子性を持っていることに起因する。波動性を持っているので光には周波数特性があり、しかし粒子性を持っているために進路上の粒子と相互作用が起きる。

太陽と距離の近い日中であれば波長の短い青と紫の可視光が大気中の粒子と相互作用して多く散乱するため目に入ってくる。紫は波長が短く上層で散乱しきってしまうため、陸地では青が一番よく見える。また人の目は3色型色覚であり、錐体細胞の原理上、青のほうが紫よりも見やすいため空が青く見える。

夕方になると太陽との距離が遠くなるため大気中の粒子との相互作用が起きる回数が多くなり、波長の短い可視光は散乱しきってしまい波長の長い赤だけが残って見える。だから夕焼けは赤く見える。

 このように、空が青い理由を本質的に理解するには電磁気学や量子力学の基礎的な知識や視覚への理解が必要になってきます。

 これを人に説明することが正しいことかと言えば、まあ多くの場合は正しくないどころか無意味でしょう。だってそんなことは求められていないのですから。もちろん本質的な理解を必要とする人、例えば理系に進んだ学生に説明するのであれば問題ないでしょう。しかし子どもに説明するにはどう考えても不適切です。

 それに、多少極論ではありますが本質的な理解は不要な場合も多々あります。誰もが全ての物事のプロである必要は無く、必要なのは大枠の理解です。空が青いことを説明するのであればこんな話をせずにもっと単純化したほうが良いわけで、そのためにはやはりたとえ話が適しています。

空にかかっている虹を見たことがあるよね?

光っていうのはああいう感じにいろんな色が混ざっているんだ。

色も小学校の子どもと同じなんだよ、ちょっと考えてみようか。

青色は元気な子だから凄くちょこまかと動く。逆に赤色はおっとりした子でゆっくりと動くんだ。

校長先生のお話で皆が集まって並んでる時や遠足で歩いてる時にどういった子が目立つと思う?そう、ちょこまかと動いてすぐに列から離れる子だよね。青色はそういう子、だから一番目立つんだ。

でも夕方になると、青色みたいに元気な子はお昼に動き回ってたせいで疲れちゃってたり、友達と遊びに行きたいからすぐに教室から飛び出して帰っちゃう。そしてゆっくりしてる子だけが教室に残ってる。放課後の教室に一人二人だけ残ってたら逆に目立つよね?赤色はそういう子なんだ。

青色は元気だからお昼はよく見えるけど、夕方になると疲れていなくなっちゃうから見えないんだね。それで赤色だけが残ってる。だからお昼は空が青く見えて、夕方になると空は赤くなるんだよ。

 これでは本質的なところを正確には掴めませんが、まあイメージは掴みやすくなるでしょう。人に説明するのであればこういった形のほうが適切な場合もあるということです。これが良い例かどうかは、まあ・・・

 なんにせよ、上手く興味を惹ければなんで青が元気で赤がおっとりしているのかという話から、紫外線が体に悪い理由や赤外線ストーブが暖かい理由など話を繋げらます。そもそも虹がなぜああ見えるのか、異なる錐体細胞を持つ別の生き物は空が何色に見えているのか、というように話をいくらでも広げることが出来るかもしれません。しかし何よりも話を広げるためにはまず興味を持ってもらう必要があり、たとえ話はその一助となり得るわけです。

 

たとえ話と寓話

 とはいえ、たとえ話はやはりどうしても説明調でありくどいものです。よって物事を説明する理想系は寓話だと考えています。たとえや比喩を物語で包み込み、説教臭い表現を用いずに諭すことが出来る寓話こそが説明の理想系であり、人に何かを伝えたい時にはナラティブを用いるのが最適だと、そう考えます。

 

 

余談

 そんなわけで、このブログでもたとえ話で説明するのではなくちょっとした短編小説的な寓話を書いて説明をしてみようと考えてみました。みたのですが・・・ちょっと驚くことに、物語のプロットを2,3考えてみたところ全部バッドエンドになりました。私自身はハッピーエンド大好き人間なのですが、自分で書こうとすると物語が悪い方向に悪い方向にと進んでいく・・・なんだか心の闇を見てしまった気分です。