人生の選択肢を間違えたな、と思ったことはありますか?
その時どうしてましたか?
その時は気づいてません
あの時選択肢をミスったなと思った頃にはかれこれ6.7年たった頃に
そう思いました
遅かった、遅すぎた
敗北感や孤独感
喪失感、絶望もあります
何をやってたんだと
ただ自分のせいではない
それを取り巻く環境や親や兄弟を含めた周りの人間たちにも
よる
そう思う
朝早く起きるのが面倒くさくて、近くの低い偏差値の女子校に入ったら、
授業のレベルは低いし、クラスメイトには無視されるしで、「あぁ、何でこんなとこ入ったんだろう」って思いました。
解決法としてはしばらく学校休んで、もう行きたくないという意思表示をしたら、
親は私立で行ってもないのにお金がかかるのも嫌なので、辞めさせてくれました。
ありますよ~
も~
こればっかりは
長くなります
まず高校生の時
第一志望の高校に行けたのですが
そこでの授業のペースや
クラスの感じや
先生クラスメイト等と合わず
誰にも言えなくて
部屋に引きこもってしまい
どんどんどんどん差が
広がっていて
不登校になってしまったことです
それから
一番信頼していて
よく話もしていた母親に
話しましたが
分かってくれず
もうしんどい日々でした
3ヶ月程?不登校になりました
そこで鬱病になりました
もう絶望です
思い通りに宿題や勉強もできず
活字も読めなくなってしまい
焦り不安
絶望が全て頭のなかで支配していて
同級生からの陰湿すぎる
陰口悪口もあり
頭のなかがおかしくなり
しんどかったです
そこで止めておけばよかった
辞めるべきでした
でもここでやめたら
未来に希望がなくなり
過食につながり
ますます太っていくと
わかっていたので
怖くて無理に学校に行きました
疎外感等
手遅れ感もうおわりだと
毎日毎日思いながら
過ごしました
それが駄目でした
早く辞めれば良かった
中退になるけど
自分の居場所を探し
自分を大事にすれば
良かった
母親の意見ばかり意識しすぎて
アホみたいになり
今そのぶり返しがきています
なんとか生きれていますが
卒業してから
私は社会人になりましたが
その心に負った傷が深すぎて
すぐには直せなくなり
かなりの時間が要するにということで
今この分も含め
心療内科で治療中です
親の事は今でも
憎んでいます
それは母親の方が憎しみが強いです
あなたを信じすぎた結果
こうなってしまった
得られたものは
学歴卒業だけど
私の心精神は
ズタズタになり
ボロボロになりもうすぐには
立ち直れない程
ギタギタになりました
劣等感もあり
回りは自分と同じ様なレベルの人たちか自分より上の賢い人たちばかりで
浮いていただろうなと思うし
そうまでして
通うこともなかった
辛かった
先生も力になってくれず
そこからどん底で
判断力も正常じゃなかった
大学にも行けたけど
その選択も間違っていた
それは卒業してから
冷静になりわかった
途中からわかっていたような気は
するけど
母親がなんというか
言い返されるだけで
だめだと思ったから
言えなかった
それと辞めたら
中退で世に置き去りにされたような気もして
希望はおろか
絶望でしかなかったと思ったから
母親に依存していた人生だった
半生かな
後悔
もうなんにもしてやらない
あなたなんかどうにでも
なればいい
私の苦しみを同じように
背負ったらいい
何にもしてやらない
くそ悔しい
腹が立つ
そう思います
子どもを授かったにも関わらずとある事情で結婚が破談になりました。どん底まで落ち彼も両親も誰も信用出来なくなりました。
子どもと自分を守るための決断だったはずなのにそれが本当に正しかったのか未だにわかりません。
正直悔やんでいます。
戻れるのであれば3人で過ごす生活を望みます。無い物ねだりですね。
現状打破出来るように努力しています。
後悔しない人生を歩んで下さい。
間違えたと思う事は時はありますし、ひたすら悶々としていますね。IFの未来を羨んで、バカなことしたなぁと後悔。
凄く気分が落ち込んだ時はよく思いますが、結局選んだのは自分なので、そういう時は逆に前に考えるようにしています。
今後悔したから、じゃあ次はこうしよう、みたいな。とはいえそこまで冷静になるのに時間が掛かるのですが……。
間違えたかどうか定かではありませんが選択した道をひたすら進みました。
若し、間違いに気が付いて引き返す事が出来るなら多少の犠牲を払っても引き返すべきでしょう。でも選ばなかった未来に対する過大評価は止めて
今の選択が間違いでなかったと思えるようにベストを尽くすべき
と考えます。
何度も進路変更し、その時点で最善と考える道を選ぶだけです。
ものを考えるこつは、何もかもうまくいくようにするのではなく、
優先順位を決めることだと思います。
時間や体力、バイタリティ。
人生において自分にできることは限られていて、
できないことをしようとしても失敗しますから。
たとえるならある面積の畑があり、
そこに何を植えるかを考える。
ナスを植えてもいいですしコメでもいいですけど
両方欲しいならたとえば半分ずつしか得られません。
バランスを考える必要があります。
両方をたくさん欲してもそれは無理ですから。
人が欲するのはカネ、地位、名誉、愛、安息、ないし娯楽です。
結婚にはものすごく苦労していて幸せとは言えないです。人生の選択肢を間違えまいと、ものすごく、ものすごく、ものすごーく考えて、選んだ相手だったのに、面白いくらい全ての点で真逆の状態になっています。今思うのは、選択肢を間違えたというより、人生には正解はないから、正解を選ぼうとしていた自分が間違っていたということですかね。人は失敗を繰り返しながらでも前向きに生きていけばいいのはないか、と思います。
再婚ですね。もし、別の人と再婚していたら、こんな苦しい事態にならなくて済んだんじゃないかと思っています。
ただ、仕事は今、ちょうど新たな出発の準備段階の時で、今、イベント期間中で無料奉仕で頑張っていて
自分にも、まだこんな与力が残っていたんだと驚いてます。幸い、担当してくださってる方が良い人で
捨てる神あれば、拾う神もある。つくづく、そのように感じています。
再婚の方は、もう離婚も視野に入れて心の整理をしているとこです。
まぁー、もう結婚は懲りましたね、さすがに。
たぶん、私自身、男性を見る目がありません。今回も、モラルハラスメントの旦那さん、前夫はギャンブル依存症。
もう、結婚は懲りました。
しっかり、私自身の人生と向き合いながら、人生を歩みたいと思います。
進学です。
看護短大に進学し看護師になりました。
向いてない職業は伸びないです。
高校卒業で就職したほうがよかったです。
大学卒業しても希望の職業に就けるかは確率少ないです。
一度しかない貴重な時間は無駄にしたくなかったです。
そこから人生が狂いました。
そんときはやべー病むけど、時間経って思い出してみたら「なんでこんなことで悩んでるんだろー」って!笑い話になってるもんさ!
って、ちゃらんぽらんに生きています笑笑
当時は、間違えたかも……
と思うことも多々あったように
思いますが、気づいたときは既に遅し!
もう仕方ない……
もうやるっきゃない……
として
あきらめ受入れて
自分の都合のいい解釈や
都合のいい妄想癖で乗り越えた気がします。
お恥ずかしい………
いま、振り返ってみたら、
間違えたお陰で……
間違えたからこそ……
と、人生の糧になっていますょ。
若い頃に選択したことで、二度ほどあります。それに気が付いたのは、最初は40代の半ばで、二度目は60代の半ば過ぎ、いずれもやり直しのきかない時になってました。「人生の選択肢」というものは、自分で決めた責任があります。自分で責任をとるしか無いことが諦めとなって、どうしようもありませんでした。今ではそれが人生というものじゃないかと、「自分の運命だったなぁ」と思っています。しかし、今更ながら、家族以外の経験者で信頼できる人の意見は、相当重要な意味を持つことは、間違いのないことだと断言できます。
大学進学の時です。
自分は英語が得意だし好きだったのに、建築系の学科に入りました。
正直興味がない事も多く、楽しいとは思えませんでした。
でも、その選択を正解にしようと思ったのと、お給料が良いという理由で建築系の企業に入りました。(現在1年目です。)
とりあえず一級建築士を取るまで、建築をやろうと思います。
一級建築士を取ったら、一級建築士の講師になるもよし、結婚して英会話教室をひらくもよし(給料は下がりますが)、一級建築士として稼いで投資して早期退職するもよし、と思ってます。
はじめは人生の選択を間違えたと思っていましたが、今考えると得意な事を増やせたり、世界が広がったりするので、良かったかなと思います。
人生の選択肢を間違えたのは高校進学です。
父親は市外の県立K工業高校、母親は市内県立T高校、中学のクラス担任はT高校、野球部の監督で数学の教師はK工業高校を勧めていました。
最終的にK市内の知人宅に住民票を移し、K工業高校を受験して合格。
推薦入学した野球部の同級生2名と一緒に春の練習に参加、初めて硬球に触れました。
そこで監督から「君たちは勉強しなくてよい、野球だけ頑張りなさい」と説明を受け、自分は間違ったところに来たと思いました。
この時友人はニコッとしたそうです。
彼は市内の大手化学会社に入社して40年勤めて定年退職。
私は直ぐに野球部を辞め、通信添削O社に入会するなどして一人で受験活動に開始。高校3年間及び浪人2年以上手探りの大学受験勉強を過ごしました。
この間、高校1年生の時、英語の小冊子ベニスの商人の添削指導して頂いたS先生や3年生時古文の個人指導を受けたK先生には大変お世話になりました。
努力の結果、なんとか満足できる大学に入学、大学卒業時24歳でしたので年齢制限内で大手会社に就職出来ました。
若気の至りという反省もあり、その後の人生において新たな挑戦をすることに慎重になりました。
どちらが良いか判断つきかねますが、転職や離婚をせずに我慢を続けることになったのです。
新卒入社の会社は環境悪化により57.5歳で会社都合により退職しましたが、再就職支援会社のお陰で再就職出来ました。
人生の選択は間違えましたが、自分を助けてくれた人のお陰で75歳の今元気に過ごしています。
ありますね
自分がこうだと思い込んでいたけど違かったという事は人間誰でも日常的にあるとは思いますが、それを人生が変わるような大きなところでやってしまいました。。。
質問主さんも注意して下さいね笑
妻選びを間違えました。色々あって7年前に離婚届を突きつけました。
今では、気持ち晴れ晴れとスッキリとした人生を送っています。
そんな女が産んだ子供3人は父思いの優しい子達です。^_^
確かに生まれる家によって、経済状況も違う。
頭の良さも違う。
学歴も違う。
学歴高い人達は高い人達同士でくっ付きたがる。
頭の良い親なら考えている事もそうでない親とは大違い。
子は影響を受ける。
そうでない親の元生まれた子はやはり負の影響を受ける。
親を間違えたなと。
20歳の時に300万貸しましたが、10年経っても帰ってこず、さらに50万請求されたので拒否をしたら幼稚園の入園費から月謝、制服代に始まりかかった費用を全て請求されました。
家賃だって真面目に20万毎月払ってきたのに何だよ!
と思いましたね。
周りは実家に入れる家賃なんて数万でさっさと家出ていくけどこれじゃ出ていきたくても出ていけない。
勢いで結婚しちゃった事ですね!笑
1年で離婚しちゃいましたけど・・・(^_^;)
その時は、それで正解と思って生きていました!半年位で「あ、何か違う」と思い、離婚に向けて進みはじめました。まぁ、私は自己中でしたね(^_^;)
でも、自分の人生なので!たまには周りに多少の迷惑はかけても大丈夫かな・・・なんて思いますが、甘いですかね。
人生の選択肢、考えた事は有りませんでした。自分は生い立ちの背景に関係あると思いますので、思慮深く歩んで来ませんでした。自分に与えられた人生を我慢して、今を前向きに検討して生きています。悲哀と、感謝の気持ちを持ちながら。
過去に同じような質問を回答したので、同じ様な回答をします。
私も人生の岐路で選択を誤った事が、2,3度有ります。
あなたが1本道を歩いていたら、道は左右に分かれていました。
ここで迷います、行った先で運命は大きく違ってきます。
行かなかった方の道が、パラレルワールド「現実世界と並行に存在
する別世界」です。この様な質問をして来るからには、
あなたも選択を誤ったかも知れませんね。でもそれいいのです。
それが人生です。この道を通らなければ交通事故は起こさなかった
のに、別の娘と結婚していればもっと幸せになれたのに。
私が66年間生きてきて得た教訓は、人生失敗があるのは
当たり前だ何も気にする事は無いという事です。
過ぎ去った過去の苦い経験に拘泥して心を痛めるのは愚の骨頂です。
あなたがもし選択肢を間違える事があれば、人生 ONE WAY
後戻りはできません。何も気にせず前だけ向いて歩きましょう。
、。
「過ちを改めざる、是を過ちと言う」論語
人間は神さまではないのですから、間違うのは自然な事です。恥ずかしがる事ではありません。
しかし、間違っていると気づいて、間違いを正さないのは間違いです。道を間違えたと気づいたのなら、直ちに、間違った分かれ道まで引き返すべきです。
自分の間違いを認めるのは勇気の要る事です。しかし間違った道を進み続けるのは愚かな事です。そんな事をしても間違いが正しく成るわけが有りません。進めば進むほど、間違いが大きく成るだけです。
例えば真珠湾を攻撃して、アメリカと戦争を始めたのは間違いでした。日本がその間違いを改めるには天皇陛下の御聖断が必要でした。
あります。一番は工学部に行ったことです。3Kの職場で危険、汚い、きついです。化学の研究所で働いて体を壊しました。陰湿な上司で殺されかけました。自殺した人も何人かいました。大学は法学部に行くべきでした。文系の同期はどんどん出世していきました。自分だけが遅れて惨めでした。本当に。
説明は省略しますが運命、天命、宿命に大いに左右されます。
自分の気のゆるみや物事への認識の甘さや努力と才能にも左右されますが、身の丈に合った活力で乗り越えられます。自分以外の環境で噂や冗談のつもりで他人が言った事も嘘から出た誠になってしまい大きく影響されることもありますので他人に誤解を与えてしまうようなことはなるべくは慎んだ方がいいでしょう。思うにそのようなことが重なって身に降りかかってきますので普段の努力を怠らないことです。三大選択肢の転記は職業の選択、就職、結婚ですね。何かにつまずくことはしょっちゅうです、その都度に臨機横柄な舵を切って対処すべきです。難しいことですが大事なことは手を付けた物事は最後までやり遂げて完結し、次の動作に遺恨を引きずらないことです。
その遺恨については人生の選択肢となりますが大きすぎますので省略します。
間違えたかな?って思う事は多々あります。
でもその最終結果は死ぬ時に分かるのでは?と思ってます。
生きていれば、いくらでもやり直しができるし、あの時の選択が間違いじゃなかったと将来思える自分になっていたいと思います。
間違いや失敗があるからこそ、その経験を活かして
成長出来ることもあると思います。
その経験を活かすか、活かさないは、
各々です。
自分が失敗し傷ついたから、他人の痛みが分かるという事もありますよね。
1度も選択を間違わない人の方が少ないのではないでしょうか??
長々コメントしてしまいましたが、
要は、間違えた時に、どうその問題に立ち向かえるか、また、その立ち向かおうとする姿勢が大事という事です。
質問の答えになってなくて、すみません。
職業です。認識が甘かったです。若いうちは方向転換も可能でしたが、この年になると惨めな状態です。いい年して夢見てました。大学に入り直したとき、情報を集めて精査してしっかりと現実をみきわめるべきでした。人生前半は収入が少なくてもまだまだこれからだ!!と、希望をもってワクワク仕事していましたが、人生の峠を越えると、寂寥感に襲われるようになってきました。「好き」なだけでは客観的に仕事として時代の急激な変化とともに成り立たなくなる職種も多くなりましたね。そしてついにコロナ禍でとどめを刺された感じです…。
後悔先に立たず。その時(今?)どうしたか?まあ、生きているし、貯金も少しはある。一度しかない人生。せっかくですからいろいろと挑戦を楽しむつもりです。つい、もとの同僚とこの20年でついた収入の格差を見比べてしまうと切なくなりますが…。いつ理不尽に終わるかもしれない儚い人間の命。もったいないので間違えつつも間違えを楽しむつもりで生きていこうと思いました。
数えきれないほどあります。逃げます。最初は初就職でした。入社と同時に、今日辞めろ、と言わんばかりの扱いで、退職するまで続きました。5年間耐え抜き、大きく見返すような成績をいくつも上げましたが、成績は全部消去される始末でした。在籍時は気づかなかったのですが、退職した翌日に発病しました。精神性の病です。入社2年くらいには発病していたのだと推測します。未だに薬は手放せません。病気のせいで仕事が続かず、食費に苦労する人生でした。入社したことを悔やんでも悔やみきれません。以後は何があっても逃げます。三十六計逃げるに如かず。
人生70年以上が過ぎ、振り返る事も多く「あの時ああすれば違ったかも」と思う事は多々あります。でもそこに立ち返った時違う選択が出来たかというとその自信はありません。そして「今の自分で良かったのでは」と感じています。但し若い時の大きな選択の場面には最良なアドバイスをしてくれる人がいると違って来ると思います。
離婚をしてはやり子供に迷惑を結果かけることになった事です。
人生の選択間違いだらけです間違の中から正解が生まれると思うのですが自分はそう思い今でも日々毎日を過ごしてます。
後は結婚をするはずの女性と結婚をしなかった事です結果別の女性と結婚ご離婚して今でも子供の養育費を毎月振り込み自分で選んだ選択です此の事に関しては後悔はしてませんが。
六十五年も生きてるのでそりゃあもう……(^◇^;)
数えきれぬほど。
でも、そんなことが多ければ多いほど、軌道修正しながらたくさんのことが学べ、経験値も上がり、奥深くて魅力的で賢い人間が形成されていくものだとおもいますよ。(^^)v
選択肢の間違いなんて何足らず❣️
それよりも大切なのは、心を腐らせ切らないことだと。
選ばなかった選択の方は忘れることです。選んだ方にエネルギーを集中させることです。人生忘れたらいけないこと、忘れてもいいことがあります。
忘れなければいけないこともあります。選ばなかった方の選択肢は、忘れなければいけません。
この選択肢を間違えたという明確なものはありません。
ですが、妹を救うことができませんでした。
妹は40代後半で自死しました。
20代からずっと引き篭もり状態でした。
原因は本人ではありません、父です。
父の精神年齢が中2のままなのです。
父は自分は正しい、自分は悪くないと責任回避で妹を非難し続けていました。
妹が病院に通っていましたが、病院に通うべきは父でした。
死んで苦しみから解放されたので、20年も苦しみ続けていて、これ以上苦しむよりはよかったのかもしれません。
妹には「お前は何も悪くない」とは言いましたが、失われてしまった20年は戻っては来ません。
その歳になって、そこから前向きに生き直すのは簡単ではありません。
親の虐待ですが、成人に関しては児童相談所も対応はしてくれず、支援してくれる公的機関もありません。
いろいろなことを試みましたが、何もできませんでした。
何をすることが正解だったかは今も答えがありません。
ただ、これでよかったとは、どうしても思えません。
今の同居者と結婚した事かも?
六大学中退という事ですが、女帝のごとく自分の気に入らない事には、切れやすい、頭脳の良さは理解しています。
何かの時に、伝家の宝刀を出せば余計にそれが効果があるのに。。。
如何しましょう???
大和なでしこは、絶滅したのでしょうか?
OL時代にゴルフを始めた事です。
15年間ゴルフにハマりすぎて、仕事は休みがちで出世できず、結婚も興味なく良い見合いの話も断り、貯金も出来ないままで、ついに会社をクビに…
資金が尽きて仕方なく見合い結婚するも、旦那が超マザコンである事が判明。
晩婚の為、定年を迎える頃に大学受験をする子どもが登校拒否〜高校自主退学!!
引きこもりの子どもの将来が不安でならない。
ゴルフをしなかったら、普通に恋愛結婚して、若い時に子育てを済ませて、有意義な毎日を迎えられただろうに…
人生やり直しがきかない事に気づくのが遅すぎた!!
ドラえもんに頼んでタイムマシンで過去に戻りたい!!
本当に好きな人が親とお金の問題を解決せずプロポーズされて結婚を断ってしまった事。
別の方と結婚はしました、大事にしてもらってますがなんか違うんです。
出来る事なら親を選び直したい
そこから、選択が間違ってた。
衣食住しっかりあって、望まれて産まれ高校まで親自身が出してくれる親がよかったです。
生きている以上、毎日常に選択を迫られるので一つ一つ正解か間違いかを気にしながら過ごすの疲れちゃいませんかね?何をもって正解とするか間違いとするか、人によって基準もバラバラですので。
【違う選択をしていれば、もっと良い結果だったかも】と思う方が多いのかも知れませんが、予期せぬ最悪な結果になる可能性もあった訳で、それを考えれば今の結果も悪くないか、と考えるようにしてます。
結婚が遅かったことですね。
旦那さんの両親からの反対で結婚が遅れたんですが、なかなか子供が授からず悩んでいます。
でも、この先できたとしてもできなかったとしても旦那さんとこれからも幸せを築き上げていく事に変わりはありません。
全ては必然と受け入れて、幸せが続くように今できる事にベストを尽くします。
人生って、大小の違いはありますが、選択の連続だと思います。
間違いの無い人はいないと思う。重要なのは、リカバリーの仕方だけだと思う。
大切なのは、本人が納得できたかだと思います。
自分の人生、誰にどう思われても自分が納得できたら、それで良い。
そんな事をは沢山あります。
私は明日で定年を迎えます。
一番大きかったのは50になった頃、「サラリーマンには向いていなかった」と思ったことです。
若い頃、自分自身が山の物とも海の物ともつかない頃に、何にでもなれる気はしていたし、石の上にも三年と言われ、努力で何とかなると思っていました。
勿論性格的な事もあるとは思いますが、一番違っていたのは、環境の変化です。
そこまでは計算できなかった。
つまり、気が付いた時点で方向転換しても、昔とは世の中が変わってしまったので、ついていけたか解りません。
天性の能力を発揮している人もいるかもしれませんが、方向転換ができないなら、発想の転換をして自分ができる事の中で、仕事を楽しくしようとした事ですね。
駄目だと思って、ただ我慢をしていても、ストレスがたまるだけで、 何も良い事はないです。
ですから、一番大事なのは、自分ができる範疇の中でも、少しでも楽しく感じられるように転換していけるように持っていく事が大切なんだと思います。
人生の選択を間違えたかどうかなんて人生の最終盤にならなければわかりません。
私は高卒で進学も就職もせずニートでした。その時で考えると間違えた選択でしょう。そのまま流されて生きてきましたが、今では安定した職と収入を得て家庭も持ち、十分な生活が送れています。
なので高卒での選択は間違いではなかったのでしょう。
人生何が起きるかわかりません。これから先もわかりません。
ありますよ!
学生時代に1年留年してでも、海外留学か海外のインターンに行って違う世界に触れておくべきだったなと、就職してから後悔しました!
でも、そういう後悔があったから、英語を本気で勉強し直そうと思いましたし、海外の会社に転職できたと思ってます!
正しいと思っていた選択が その後間違いだったと思う事もあれば
間違いと思っていた選択が実は正しいかった という事もあります
人生において無駄な事はないと私は思っております 間違いと思った選択も その後の何らかの教訓になるはずです
人生は後戻りできないから 素晴らしいのです
前を見て進みましょう
間違えたときは、これじゃだめだったんだと気づけたということなので、別の方法を試します。それもだめだったらまた別の方法を。
それだけですね。
常に前向きに捉えてます。
波乱万丈なこの世に生まれたこと
今では世間様から見れば中級レベルの生活ですが
若い時には、借金まみれ、日銭欲しさで粗大ごみも集めました
町内会、親戚から見下げられて、冠婚葬祭では席が無かったことも
50代には仕事のトラブルで全国ニュースになり信用・お金を失う
その時、損保会社の代理弁護士から保険金詐欺とまで非難され、
保険が下りない、ありえない体験! 社員が自殺未遂まで
正直に生きていても災いが降り注ぎ、自分以外にも影響する、
無慈悲な行いを見て、我が身の無力さを感じ、
それでも なぜ生きるべきなのか?と苦悩する
人生の選択肢を間違えたな、と思った時、その思いに気付くまでに長い年月がかかりました。
その時は、気付いてよかったと思いました。
もし気付かなかったら、人生、一生棒に振るところでした。
今ではギリギリセーフだったと思ってます。
現在のM子さまの状況とまさに似ています。
M子さまにも、少しでも早く気付いてほしいと願っております。
結婚です。私の若い頃、同姓は双方の親兄弟も許してくれない時代でした。で、結婚後 相手が➡午後にならないと起きてこない=仕事をしない 必然的に私が仕事を掛け持ちする、頼んだことはしてくれない、こっちが高熱で横になってても台所通り過ぎて私に「お茶入れて」と言い、具合が悪くても「飯!」、ご飯のおかずは昼食から7品ないと機嫌が悪い、私の開腹手術後の経過が悪く 大雪でバスもタクシーも通らないので お医者へ自家用車で送ってくださいと土下座して頼んでもヌクヌク布団の中から「嫌!」(私は免許なし) 、自分が勝手に貰ってきた犬が12年後 病気で もう死ぬって時に泊りがけの渓流釣りに出かけてホッタラカシ、私の母が脳出血で半身不随になった時「俺がいない時はええけど家にいるときは俺の目の前うろつかせるなよ!!」と切りがない。しかし舅姑が良すぎたのでお二人を見送って24年後に離婚しました。が、結局自分がアホなんで その後も何につけ何回も「しまった!(痛)」の後悔ばかりです(笑)
間違いだらけの人生を送っていますが、あの時道を修正できたのではないかと思う時もありました。タイミングを逃すとやはりダメ人間になってしまうのでは、と思って見ても、今の時点ではなるようにしかならいようです。
間違いだらけです。
でも乗ってしまった電車は発車してしまったので
飛び降りるわけにはいかなくて
行けるとこまで行ってしまいました。
今も 間違いだったかな?と思いつつ
成り行きに任せています。
何年も経ってから、「あの時の決断は間違ってたな」と思うことはありますね。
でも、違う決断をしていても、正解とは限らないですね。
今を生きるしかないのではないでしょうか?
結婚相手、ですかね。
だから離婚しました。
大切なのは、間違えたことに早く気づくこと。そして、正しい選択をすること。それに伴って失ったものを取り戻すために、次々と襲いかかる困難に負けず、選び直した道をひたすらに歩み続けて成長すること。
そしていつしか、ささやかでも幸せだと思える様になれたときこそ、間違えたことが、生きる力になった証拠。だから、間違えたことは、時と共に間違いではなかったことになるのです。
え?そう思わない人っているんですか?^_^:
間違いだらけです。
間違えたなと思ったら戻ればいいんです。
選択をし直せばいいのです、選択を間違えたと言う体験ができたわけですからそれをよしとするべきではないでしょうか?
人生は間違いだらけです。
どんな偉い人もどんな金持ちもどんな人間だって間違いを犯し選択を誤るのです。
問題はその後どうするべきか、それで人生が変わります。
なんて偉そうなことを言っていますが^_^:
いまだに間違いだらけで困っている人生です僕は。
早く気が付けば、やり直せます
走り出した車の乗っているように
途中で降りる勇気がない場合、地獄をみます
だから
境涯が高く、周りを広く見渡し、深く読み取り
冷静、沈着な思考力、判断力、展望力を身に着けるため
絶えず学び、教養を高る事が必要ですし
正確な情報、的確な処置、迅速にして敏速な行動ができるよう
知恵と勇気と行動力が必要ですね
、