大江戸捜査網
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番組の歴史
- 1970年
- 10月3日 - 「時代劇版のアルカポネのアンタッチャブル」のコンセプトで、杉良太郎(十文字小弥太/相模無宿の珊次郎)、瑳川哲朗(井坂十蔵)、中村竹弥(内藤勘解由)、梶芽衣子(小波)、岡田可愛(山猫お七)の主要キャスティングと、悠木千帆(樹木希林)(おとら)、野呂圭介(音吉)※第18話迄→交代、三ツ木清隆(仙吉)※第11話より、白木マリ(おかん)、深江章喜(島田又五郎)※第17話迄のセミレギュラーの出演で『大江戸捜査網アンタッチャブル』[33] としてスタート。1970年当時は日活の所属であった杉良太郎が、他社が製作をしていたテレビ時代劇[34] で、時代劇俳優として頭角を著して来た為、自社で育てると云う意味で、日活初のテレビ時代劇として製作が開始された。しかし、日活はノウハウを持っていなかった為、当時の東京12チャンネルと組む事にしたと云う。
- 1971年
- 7月3日 - 第2シリーズでの変更でも良いと念われるが、第1シリーズ全52話中の、既に40話迄進む処で「アンタッチャブル」のサブタイトルを第39話迄で終了とし、第40話依り『大江戸捜査網』のみとなり、全52話中の残りが僅か13話分だけであったのであるが、オープニングのナレーションも変更され、新たに録音をした。
- 1971年
- 1972年
- 3月25日 - 『大江戸捜査網第2シリーズ』開始。主要配役は「第1シリーズ」と同じで、杉良太郎(十文字小弥太/相模無宿の珊次郎)、瑳川哲朗(井坂十蔵)、中村竹弥(内藤勘解由)、梶芽衣子(小波)、岡田可愛(山猫お七)※通算78話,第2シリーズ26話迄.周囲のセミレギュラーの配役、白木マリ(おかん)、太田とも子(おせん)※通算79話,第2シリーズ27話から.他の人物は多少入れ替え。悠希千穂(樹木希林)(おとら)→古今亭志ん駒(早耳の金太)、三ツ木清隆(仙吉,※エンディングの最後は通算78話迄出ているが後には別人役でのゲスト出演になる。)は通算第54話第2シリーズ第2話迄で降板となった等である。但し、他にも日活のポルノ以外の作品の時代劇等の制作を撤退する事が決まった為に、日活の所属であった岡田可愛[35] は移籍の為に第2シリーズの中盤の通算78話迄で降板し、梶芽衣子は日活所属であった[注釈 5] 為に、第2シリーズの最終回の第104話で、一休みに出掛ける小弥太(珊次郎)と十蔵へ勘解由が「必要が生じたら、小波に呼びに行かせる」と台詞があったが、梶芽衣子は本作品「大江戸捜査網」は『第2シリーズ』をもって降板した。
- 1973年
- 3月17日 - 『大江戸捜査網第2シリーズ』(日活製作版)終了。後番組は杉良太郎[36]主演の『旅人異三郎』(制作は東京12チャンネル,三船プロダクション)。
- 9月22日 - 『大江戸捜査網第3シリーズ』開始。此の当時に当番組のスポンサーであった日産自動車から『大江戸捜査網』の番組を継続を望む意向が出されたのを受け、日活プロデューサーで、当番組の企画者の元村武が日活から三船プロダクションに移籍。当時東京で時代劇が撮影可能な設備を誇っていた三船プロダクションに制作会社を変更し、続編の製作を開始した。配役は、男性メンバーは杉良太郎(相模無宿の珊次郎/十文字小弥太)、瑳川哲朗(井坂十蔵)、中村竹弥(旗本寄合席 内藤勘解由)で代わらず、女性メンバーを江崎英子(不知火のお吉)、古城都(夕霧)に変更の上、セミレギュラーが古今亭志ん駒(早耳金太)、白木万理(おかん)、花ノ本以知子(おあき)を配し第3シリーズがスタート。
- 12月29日 - 「通算第119話」・『第3シリーズ「第15話」』の「大江戸残酷秘話」を、杉良太郎が脚本を担当して執筆をした。
- 1974年
- 2月 - 3月 - 番組スタート時からの出演メンバーの1人だった杉良太郎が「通算130話」・『第3シリーズ「第26話」』をもって十文字小弥太(相模無宿の珊次郎)の与力昇進という形で、そして出演回数が4回のみだったレギュラー・古城都(夕霧)が降板[37]。杉良太郎(相模無宿の珊次郎/十文字小弥太)の最終出演回で、新メンバーくれないお蝶(芸者胡蝶)として安田道代を迎え、翌回新出演者里見浩太朗を新筆頭同心伝法寺隼人(新内流しの音次郎)として迎えた。音次郎と共に新隠密同心として入った,山口太兵衛(演;左右田一平)は、初日で殉職となり、物語り上隠密同心で初の殉職者(※斬罪された赤間伝七郎(演;小林勝彦)は除き。)となった。赤間伝七郎は隠密廻り同心の、無い物として消すため、山口太兵衛は、一緒に加入した音次郎達が隠密であるので、一般的には土葬が中心であったが、無とする為に火葬を行い完全な灰にし「生きて来ても、無とされるんだなぁ、隠密とは。虚しいものだなぁ.」と音次郎の台詞がある事で、弔いの火葬では無い事が判る。
- 11月23日 - 山口いづみ(いさりびお紺)が新メンバーに加わり6人になったが、一堂に会する回がないまま、翌1975年3月に安田道代(くれないお蝶/胡蝶)が、殉職という形で降板となった。以後レギュラーにおける隠密同心の殉職者は出ず。役が芸者でダブる安田道代、山口いづみの2人の共演は1回だけで有った。
- 1976年
- 1977年
- 1978年
- 1979年
- 1980年
- 1981年
- 5月 - 6月 - 第1シリーズから数えて、通算500話記念シリーズ。中島ゆたか(矢車お菊。芸者菊弥として)が土田早苗の疾病休演代理メンバーとして短期出演。
- 5月16日 - 第1シリーズの開始から通算第493話。第3シリーズ第389話で、通算放送回数500回記念新潟県佐渡地方ロケーション敢行。この時期「心得の状」の口上が立ち回りチャンバラのシーンに流れるなど若干の作風の変化が起こり始める。通算第498話(第3シリーズ第394話)で、早耳の金太と絶妙なコンビネーションを誇った小者千代松親分(山田隆夫)は降板となる。
- 9月26日 -千代松親分山田隆夫に続いて 土田早苗(稲妻のお竜/玉竜)と、番組スタート時からの隠密支配であった旗本寄合席内藤勘解由役だった中村竹弥、第1シリーズの悠希千穂(樹木希林)(おとら)からお笑い要素を入れて,第2シリーズで交代して来た、古今亭志ん駒(瓦版売りの早耳の金太)が降板。
- 10月3日 - 新隠密支配大番頭[38]藤堂対馬役に大山勝巳を迎え、新メンバーに岡江久美子(吹雪)、南条弘二(九條新太郎)が加入。
- また、同時期に制作局である東京12チャンネルがテレビ東京へ改称。これ以降サスペンスドラマ色が強まる。
- 1982年
- 1983年
- 1984年
- 1990年
- 1991年
- -『あばれ八州御用旅(第2シリーズ)』終了後に「第2シリーズ」が再開。前シリーズから橋爪淳(天龍寺隼人)、京本政樹(秋草新十郎)、中村あずさ(流星お蝶)、和崎俊哉(旗本寄合席小笠原甚内)、若林豪(松平定信)、荒井乃梨子(矢車お仙)(※京本政樹の役名は前シリーズと同一だが、町奉行所同心を解雇と云う事になっている。橋爪淳、中村あずさの役名は変更された。松平定信を演じているのは、前シリーズの田村高廣から若林豪へ交代し、隠密支配に和崎俊哉が旗本寄合席小笠原甚内として配役。当初3名であった隠密同心役に、当シリーズの第1話より出演の荒井乃梨子を、隠密同心の矢車お仙として、途中から加入された。オープニングの画像は撮影されなかった為、ゲストと共にエンディングでのクレジットとなった)が加入。
- 1992年
- 3月 - 『平成第2シリーズ』として知られる連続ドラマシリーズが終了となった。
- 2015年
- 1月 - テレビ東京開局50周年企画YAMADA 新春ワイド時代劇として、高橋克典主演で『『大江戸捜査網2015!隠密同心、悪を斬る!』を放送。前作から23年ぶり。元村武は監修として参加。番組制作はユニオン映画と東映太秦映像。『大江戸捜査網』は、日活と東京12チャンネルが作製を始めた『大江戸捜査網アンタッチャブル』第1シリーズから、東京都近辺で、撮影作製されて来ていた。始めて京都所在の撮影所三船プロダクション撮影所も東京都内であったので、京都撮影所を本格的に利用しての始めての撮影となった作品である。平成第2シリーズ迄の撮影は、それぞれ、東京都世田谷区、狛江市、調布市、稲城市付近の日活撮影所、三船プロダクション世田谷調布撮影所、火災の撮影や、農村部や山中の撮影には、東京都西多摩郡奥多摩町、五日市町、檜原村、八王子市、町田市等の山間部で、実際に町家や武家屋敷、城の一部を建設しての撮影を行っていたと云う。大川(隅田川)の浅草の河岸と言って撮影された映像は、調布市、世田谷区付近で多摩川を撮影している為に、画面上右側から左側へ、水が流れているが、浅草で'隅田川を見れば、左側から右側へ流下して行く筈で、たまに満ち潮で、逆流があったとしても、常に同じ様に流れているのはおかしい。之で此の位置での撮影が判明する。
注釈
- ^ 番組販売による遅れネットで放送した社では、日産自動車と競合する自動車メーカー(トヨタ自動車系の地元ディーラー・マツダ、三菱自動車工業など)がスポンサーだった例もある。
- ^ 当初サブタイトルを、ふりがなと間違えて理解している者も多くおり、出演していた杉良太郎自身も、朝日新聞出版が発売した「『大江戸捜査網=第3シリーズ』のDVDブック」の「第2巻付録のTV-Tokyo Medianetと組んでで作成された,DVDの『特典映像のインタビュー』」中に於いて、テレビ東京の女性アナウンサー;以下,A「大江戸捜査網は、杉さん御自身の中でも特別な作品でいらっしゃいましたか?」、杉良太郎;以下,S「そうですねぇ,大江戸・・・・~最初は,『大江戸アンタッチャブル』って云ってましたんでね,」、A「『大江戸アンタッチャブル』?」、S「ええ,『大江戸アンタッチャブル』で,あの,世間からは『時代劇に相応しく無い名前だ!』みたいな事でね,『アンタッチャブルとはなんだ?』みたいなね,」、A「はい。」、S「そう云う事をよく聞きました。その後改めてまして,『大江戸捜査網』に変わったんですね.」,A「あ,存知上げませんでした。『大江戸アンタッチャブル』,そうだったんですね。」、S「はい。その時に決心したのは,・・・・・・人にやって戴くのでは無く,全編スタントマンを使わないでやろうと決心したんですね。その点は良かったと思いますね。」と、女性アナウンサーのインタビューで述べており、局アナの女性アナウンサーは、特に杉の時代の「大江戸捜査網『アンタッチャブル』の“第1シリーズ”(2020年に発売した“第1シリーズ”の全話(※画像の激しい傷みで、再放送では欠番とされ、先に発売したDVDBOXでも欠番の侭であった“第1シリーズ”の“11話”も、画像の傷みを断りの上、入れられた。正に初の全話の発売である。)と、第2シリーズの全話を発売したDVDでは,第1シリーズの発売タイトルは『大江戸捜査網アンタッチャブル』とされている。)」には、「大江戸捜査網『アンタッチャブル』」と云うサブタイトルが付けられていた事を、自社の番組であったにも関わらず、知らない侭の状態でインタビューをしている。
- ^ 朝日新聞社がビデオ製作会社と組んで発売された大江戸捜査網第3シリーズでの特典映像で、珊次郎/十文字小弥太を演じた、杉良太郎へのインタビューを、テレビ東京のアナウンサーが行う時に示していた写真の説明文に振られていた放送回数が〈第105話,第106話,第107話,第108話〉とされていたのが写り込んでいた。放送開始から300回,500回等の記念特別ゲスト、地方ロケーション収録等は、第1シリーズの第1話から、数えられての回数である。
- ^ 正式な十手を授かっている御用聞き。御用聞き(目明かし、岡っ引き)、下っ引きは同心私的の手先。
- ^ 但し、日活ロマンポルノ開始迄に契約を打ち切り東映に移籍する。
- ^ 3日間の沖縄ロケが行われた。ロケ地は那覇市内の名所、玉城村の玉泉洞、奥武島など。沖縄本土復帰に合わせる予定が出演者のスケジュールが合わなかったという。(瑳川は第2シリーズ放送当時、『ウルトラマンA』で竜隊長役でレギュラー出演していて本作と掛け持ちで収録をしていた)前年12月までは第1シリーズが沖縄テレビで放送されていた事もあり、見物にファンが押し寄せた。ロケを伝える新聞記事では「美しき哉、琉球」というタイトルだった[44]。
- ^ 表記は異なる可能性がある。
- ^ 隠密同心になった第20話以降もオープニングクレジットには登場しない。
- ^ この改編によって、これまで金曜19:00で放送されていた『日米対抗ローラーゲーム』は、土曜17:00に移り、同時間でそれまで放送されていた日本テレビ系列の『金曜10時!うわさのチャンネル!!』は『ウィークエンダー』が放送されていた土曜23:45に移動した。
- ^ 『金曜スペシャル』は成人向けの内容が多く、昼間の放送に適さないためと考えられる。1982年4月以降は金曜深夜に移動
- ^ なお昭和編終了後のTXN日産枠番組『テレビあっとランダム』も、遅れネットで放送された福岡放送(FBS)で、日産がメインスポンサーとなっていた。
- ^ なお、『そこが知りたい』が同枠に移動してからの放送枠の扱いについては不明
- ^ 2時間スペシャル版が3話存在し、それぞれ1時間枠で分割放映しているため、全体の話数713話より多くなる
- ^ 作中では短筒(たんづつ)、連発銃と呼ばれる。
- ^ 第3シリーズ第1話では隠密同心心得の条のシーンで使用。
出典
- ^ 『大江戸捜査網第3シリーズDVDマガジン』「③,⑦特典映像の、『里見浩太朗特別インタビュー』で「此の作品は,僕が一人の単独の主役では無くて、全員が主役ですから、全員が同じ時分に揃う様に,次の人の演じている処へ繋ぎ易い様に,キャメラワークを考えて鋏を入れ易い様に演じなければ成らないんですよ。次の人の映像に移る時に編集で皆が同じ時間分に収まる様に・・・・・・・。」と言っている。」
- ^ 此の作品の…第1シリーズ終盤からのオープニングナレーション{※及び、第2シリーズと第3シリーズでのオープニングナレーション}で云われる『…人生の裏道を歩かねばならぬ宿命を、自らに求めた者達である。…』{※第1シリーズと、第2シリーズは、第3シリーズでの決定されたナレーションとは、異なる部分が存在している。}と云う様な、此の作品の様に、隠密支配(※=則ち本来は町奉行)に願い出を行ったり、又は、隠密支配=町奉行にスカウトをされ、隠密廻り同心の修業(※本来の隠密廻り同心の修業は、定町廻り、臨時廻り同心の職である)を1年位行った後に、正式に任官される様な若い(元服が数え年の15歳=満年齢寄りも2歳位年下.であるから、13歳で就職と成るので、1年の隠密廻り同心の修業を経て、満年齢14歳での隠密廻り同心の職務は、勤め上げられる筈は無い)人材が、又、同じく修業を積んだ女性(数え年の15歳=満年齢13歳での隠密廻り同心の職務が、少女に勤める事は無理である)が、隠密廻り同心の職に就職を、着任が出来る筈は無い。先ず見習い同心となり、定町廻り同心を勤めて、臨時廻り同心を勤め上げて、解任された後で、其の職務の成績が優秀で在り、身体的にも丈夫で健康的な人材が、改めて上司から隠密廻り同心の職にスカウトをされる。であるので、若者(※此の頃珊次郎/十文字小弥太;杉良太郎=26歳,井坂十蔵;瑳川哲朗=33歳,芸者小波;梶芽衣子=23歳,山猫お七;岡田可愛=22歳,内藤勘解由;中村竹弥=52歳)が自らに求めて願い出て、隠密廻り同心へ任官される事が出来る様な、其の就職口は町奉行所から外になる、公の巷の部外者には、例え優れた人材で有ろう共、其のロは無い。彼等が実際に、俳優としてでは無く、江戸時代の住民であった場合に、あれだけ実際に合気道の段の位を所持されている。武道を熟しては居るが、此の年齢での隠密廻り同心の、職務に着ける事は無理である。1人中村竹弥だけは相応しい年齢ではある。
- ^ ※第1シリーズ第27話
- ^ 与力、定町廻り同心や臨時廻り同心、正式に奉行所から十手を貸与されている小者迄が、十手を外見から見える様な所持方法を取るものが居ないのと同じで、隠密廻り同心も、十手が見える様に所持する者は居ない。定町廻り同心が、個人的に雇う御用聞き等の私製の十手も、捕物で武器に使う等の他に、所持が判る様な所持方法をするものも、原則的に皆無であった。
- ^ 此の物語での支配は旗本寄合席、大番頭、御側御用衆であるが、本来の隠密廻り同心の支配は町奉行である
- ^ 第3シリーズ 第62話〈通算第166話〉他
- ^ 『ペリー荻野が出会った時代劇の100人』「#12.降りる切っ掛けを失って演じ続けた『大江戸捜査網の井坂十蔵』で,井坂十蔵を演じ続けた瑳川哲朗は,初期の頃にはもう一つの『苦労』が有った.日活製作の第1,第2シリーズでの設定での『隠密同心の打ち合わせが湯屋でやることになっていて,女湯もある.あの頃にはテレビには裸も出て来ましたから.(裸の女優さんが通るので)目のやり場に困りましたよ.』と言い笑う。」
- ^ 第1シリーズの第27話
- ^ 第1シリーズ第44話「狂った狼の群れ」下手人に狙われている行列に着いていた十蔵は、「隠密同心井坂十蔵」と名乗った。等
- ^ 第1シリーズ第2話「裏街道に命を賭けて」等
- ^ ※役向き 身分の、“隠密同心”とは言わない時と、「如何にも、内藤勘解由配下、隠密同心 十文字小弥太」等の様に、身分を言う時とがあった
- ^ 第1シリーズの様な忍装服や、探索時の継ぎ接ぎの、野良着等での立ち回りチャンバラでは無くなった事で、此の結果リアリティーは減った。
- ^ オープニングやエンディングでの時には、主演俳優の演じる筆頭同心が中心の事が多い。しかし、話の最中である被疑者の下へ出向く時には、上司に当たる支配が中心でないと、話がおかしくなる為、支配を演じる俳優が中心に立つ
- ^ (※女性隠密同心の場合もあり)
- ^ 「“週間新潮”ペリー荻野が出会った時代劇の100人#12,降りる切っ掛けを失って演じ続けた『大江戸捜査網』の井坂十蔵」
- ^ 中村竹弥の後期には「そして、隠密支配 内藤勘解由だ」
- ^ 「隠密支配、藤堂対馬」と名乗る事もあり。
- ^ 夕霧は第1話にのみ参加。順序が十蔵,お吉,小弥太の場合もあり,他に出演者の人数によっては、2人で「天知る,地知る」(江崎)、「人ぞ知る」(杉)と言い分ける回も存在する
- ^ 第1シリーズ第4話「火を吐く幻の罠」等、第3シリーズ通算第107話「天狗の館が燃えた」、通算第108話「裁くのは俺だ!」、通算第113話「裏切り者の子守唄」、通算第121話「無礼討ち返上」等
- ^ ※芸名改称
- ^ 昔の、SPレコードの機械吹き込みと云われるアコースティック録音の時代では、弦楽器のピッツィカートの音が、録音出来ないので、代わりに太鼓を叩いた音に変更をして、機械式の吹き込みで、録音を行っていた
- ^ 『大江戸捜査網アンタッチャブル』「オリジナルサウンドトラック」CD解説書
- ^ 里見編ではドラムスが叩かれる旋律が、杉編の場合には、弦楽器のコントラバスのピッツィカートと、木琴の音色で聞こえるので、よく聴いて居れば、聞き分ける事が可能である。
- ^ 第3シリーズのDVDブックの里見浩太朗の話に拠ると、「番組を卒業しだ降板する時に、女性のメンバーが皆泣くんですよ。もう、ワンワンと、化粧が取れちまうってのに」の様に、女性俳優は、1~3年置きに交代があった。
- ^ レコードについては第3シリーズの主題歌の項目で詳細に解説している。
- ^ 出演俳優のオフィシャルサイトに依る。
- ^ 後の項目の第3シリーズの主題歌を参照の事。
- ^ 朝日新聞出版社
- ^ テレビの放送回数は、3箇月での13回分を、1クールとしていた。出演回数が極端に少なかった杉良太郎編は、編集で半端になる2話以外の24話分を全てが収録をしている。どうせなら最初の回に3人のインタビューが入れられ、里見浩太朗に代わった時の1枚目にも里見浩太朗のインタビューが再録されていたのであるから、3人の中で出演数が半分位であった杉編は、杉編の最後の2枚の収録を1話づつ増やす等で、全130話の収録をして欲しかった物である。
- ^ ※「映像が乱れている」との断り付き
- ^ 視聴者が期待している所謂、「水戸黄門の印籠」の「“隠密同心心得之条”が無くなった」事と、“被疑者の前で、「何物だ?名を名乗れ!」、「隠密同心、十文字小弥太」、「同じく、井坂十蔵」が無くなった事”で、『水戸黄門での「此の紋処が目に入らぬか!物共控えぃ!御老公の御前で在る!頭が高い!」此の時間にのみ、視聴率が極端に上がっていたと云う。』之と同じ事が『大江戸捜査網』でも起きていたのである。
- ^ トゥギャッター インヴィクタ序曲は @tamakihiroki 「大江戸捜査網のテーマ」のパクリか?玉木宏樹の2010年11月15日のツイート 2014年1月27日閲覧
- ^ 「注釈2」を参照の事。
- ^ 当作品の撮影年の、1970年10月迄には1966年燃えよ剣;沖田総司役(東京12チャンネル),1967年,文五捕物絵図;文五役(NHK総合),1969年,水戸黄門第1シリーズ;助さん(佐々木助三郎)役(TBS/C,A,L.),1970年,大岡越前;定町廻り同心中山新八郎役(TBS/C,A,L.),1970年,水戸黄門第2シリーズ;助さん(佐々木助三郎)役(TBS/C,A,L.※後の里見浩太朗と同じく、水戸黄門の助さんと大江戸捜査網の筆頭同心とを京都と東京の撮影所で、同時期で撮影が重なっていた。)等が「大江戸捜査網アンタッチャブル」以前でのレギュラーとして出演をしている。
- ^ 第3シリーズでゲストとして、第3シリーズ初期の杉編への出演があり、娘瓦版屋のお花であったが、珊次郎を「珊次郎兄貴」と呼んだり、髪形の髪結いの形等、之迄の山猫お七とほぼ同じ様な姿で金太との絡み方等で、山猫お七が復活した様な演じ形であった。
- ^ ポルノ製作に変わる日活から金剛プロダクションへ転属
- ^ 『デイリー新潮』《ペリー荻野が出会った時代劇の俳優100人》「#12,{瑳川哲朗}.降りる切っ掛けを失って,演じ続けた『大江戸捜査網』の井坂十蔵」(※井坂十蔵役の瑳川哲朗も,杉良太郎と一緒に降板を願い出たが,一度にそんなに降板されると,此の番組らしさが無くなるので,其れは認められない。と断られ,次の里見浩太朗が降板する事が決まった時にも(続け過ぎると、他の役が出来なくなると思って),一緒に降板する事を願い出たが,此の時も一度に降板されると,此の番組らしさが無くなると,断られた事で,逆に好きな役では有ったので,最後まで演じ切ろうと思った。と云う。)
- ^ おおばんがしらと読みおおばんとうとは読まないが、幕府での大番頭=おおばんとうとしての役回りである。
- ^ “燕岳”で,“つばくろ”と読む。
- ^ 姿は見せる事が在るが、顔は見せる事や、斬罪に立ち会う事も一切無かった。
- ^ 「ちょんまげ天国 in DEEP 大江戸サラウンド仕様」(2003年ソニーミュージック、MHCL-289)など
- ^ 探索等の為に刺青が邪魔に成る時には、他人に判らない様に、刺青が在る腕に化粧を施しており,見えない場合が在る。逆に在る方が探索の相手に都合が良い場合には、業と見える様な動きをしている。
- ^ 表向きには道楽で、御役御免と成った事に成ってはいるのだが、以前に勘定奉行に任命されたおりに、妻子皆殺しに遭ってから、全ての表向きの公儀の御役回りは、一切引き受ける事を辞している。第3シリーズでの音次郎達に、御役回りに着いてほしいと言われた時にも断っていた。其の理由は定信から音次郎達に伝えられた。
- ^ 読売新聞1972年6月18日朝刊21面『隠密同心、沖縄に参上 東京12「大江戸捜査網」ロケ 一行、暑さに悲鳴』
- ^ ただし「制作協力」として、三船プロダクションのクレジットは終盤近くまで続けられた。
- ^ 第1話では、筆頭老中松平越中守定信と表記。
- ^ a b c 再放送の際は、前後編に編集されたもので放送することがある。
- ^ 『朝日新聞 縮刷版』朝日新聞社、1981年1月3日付ラジオ・テレビ欄。
- ^ 出典:東奥日報1972年3月21日から4月10日のHBCテレビ欄から
- ^ 富山新聞 1974年9月1日付朝刊テレビ欄より
- ^ a b 北國新聞 1980年10月5日付朝刊テレビ欄より
- ^ 東映ビデオ発売のDVDSetには入れられている為、視聴は不可能では無い。
- ^ 「東京12チャンネルの挑戦」(金子明雄著、三一書房)p.140
- ^ 「東京12チャンネルの挑戦」p.139
- ^ 立命館大学ARCシナリオ検索システム 大江戸捜査網(アンタッチャブル) 初姿、花の喧嘩状(2015年2月11日閲覧)
- ^ 『大江戸捜査網 オリジナル・サウンド・トラック』(キングレコード)解説書
- ^ 「東京12チャンネルの挑戦」p.140-141
- ^ 読売新聞1970年9月10日朝刊23面『大江戸捜査網 東京12の型破り捕り物帳 アクションは現代風に』
- ^ カスタマーレビュー: 大江戸捜査網 オリジナル・サウンド・トラック/Amazon.co.jp 2014年1月23日閲覧
- ^ 大江戸捜査網 オリジナル・サウンド・トラック - Amazon.co.jp
- ^ 「東京12チャンネルの挑戦」p.141
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