体育祭

そう言えば、今日みたいな日って、体育祭やったりするのか。

窓を開けると、近くの中学校から、何かをしていて誰かを応援する歓声が私の家まで聞こえて、たった1人、何もしてないわたしも、その歓声に参加しているような気持ちになる。

あのころは、誰かが1位になったか、ビリになったかで、誰かが泣いたり、笑ったりしていた。

いまは、全速でたくさんの人のに囲まれて、円を走るなんて、無いな。

線路の音とまざって、遠くの方で雷と、鉄砲の音が聞こえる、誰かが走り出したり、綱を引っ張ったりするんだろう。

へやで、授業を受けながら、心は完全に知らない中学の体育祭になっている。

あの頃も、私はアパートから覗く体育祭と同じ立ち位置で、楽しんでいたように思う。

 

小さな雨が、目に見えて、秒速で大きくなっていき、雷がゆっくりと近ずいて来ている。

雲が大きく膨らんだり離れたり、その隙間から見える光に、季節を感じて、すこし、嬉しくなる。

 

 

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  • 小島

    本当に言葉を大切にしている人なんだということが分かる
    読み終わった後もずっと余韻が残っている(翻って表現力ゼロの感想)

  • green90488580

    ひよさんの文体、コトバ、感性、素敵です🌱いつかあなたのエッセイや物語を読んでみたいなぁ🌱

  • ypix

    なんて素敵な感性なんだろう。

    Twitterで知りました。
    幸せを心より祈り、応援します。
    もう育児マンガは読みません。

おねしょ

実家にいる時、つまり18歳の時まで、頻繁におねしょをしていて。

いま、色々調べたり、本を読んだり、病院に言って、先生に聞いたりしたら、些細なストレスで寝てる時の神経が起きてしまって、人は、おねしょしてしまうらしい。

根本的なストレス治療を子供の時からして、また、恥ずかしいと思ってしまうその行為に親身に立ち会うことで幼少期に治すことが1番で、

思い返せば、小学1年生くらい時まで、おねしょが治らない私に、親はこまって、ただ、布団を濡らさない、ということを1番に、私に紙おむつを履かせた。

私は子どもながらにすごく屈辱敵で、未だに上手く言えない悲しさを覚えている。

家に来ていた家政婦さんや、親戚、知り合いにそれを知られることを恥じて、隠すことに精一杯だった。

今、21歳になって、自分にもし子どもがいて、おねしょが治らなかったら、きっと、小児科に相談するし、自分なりにその出来事と、その子との向き合い方を大切に考えるだろうと思った。

猫も同じだ、猫も、ストレスを感じたり、飼い主に伝えたいことがある時、トイレとは違う場所で排泄する、私は常にトイレの掃除をしながら健康状態をチェックしていた、もし誰かがお腹を下していたりしたら、どんなに会話したくなくても、恐怖の相手でもその事は、命に関わることだから、共有していた。

わたしは、もし、子どもがいたら、という話をしたけども、その、子ども、というのは、過去の私である、過去の私が何度おねしょをしたって、小児科に連れて行ったり、精神科に連れて行ったり、対話をしてくれる人はいなかった。

わたしは、21歳の私は、子どもの私と向き合う。とはいえ、18歳までおねしょをしていたわたしだから、18歳なんてたった4年前だ。

一人暮らしになって、1度もおねしょをしていない。マットレスがめちゃくちゃ綺麗だ。

生理がいつ来るかもだいたい分かって、布団を汚す、掃除する、ということが無くなった。

引っ越したてのころは、おねしょしたらどうしようという、不安が沢山あったが、そんなことを考えることはなくなった。

この4年でやっと、人間らしく、自分の生理現象について分かってきた。

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  • 倉元

    読んでいて反省をしています。今は30歳を過ぎる息子は中学3年までおねしょをしていました。小学校の時には気にしていなかったのですが、中学校に上がると同時に小児科に診断を受けに行きました。

    尿のホルモンの検査などをしましたが、それは検査しているふりでs、本質は親からのプレッシャーが子供を追い詰めていることになっていました。

    治療は子供は抜きで母親と医師が話をすることを半年ぐらい続けて。結果おねしょは終わるようになりました。

    親は大人になった自分を基準に子供を見ます。これが大きな間違いだと思います。本当に子供には申し訳けないことをしたと思っています。

    ひよさんの優しさが周りの若者に伝わると思います。ありがとうがとうございました。正直な告白に。

  • zougameさん無責任だよ

    zougameさんのコメントを見て記載します。zougameさんのリンク先を見る必要はないし、もし見たとしても、ブログの内容は深く考える必要はないと思います。今は、ひよさんの体調が良くなってきた事が1番大事です!!^_^

    人それぞれ悩みも違うし、乗り越えかたや、解釈、乗り越えられるタイミングも違います。直接会ったことのない人の話なんて、誤解が生じてしまうから、あまり気にしすぎないでくださいね。

  • 本好き

    大嶋信頼さんの無意識系の本とトラウマ系の本、泉谷閑示さんの普通がいいという病、リベ大の本と山崎元さんの本、ラス・ハリスさんの本、内藤裕二さんの腸内細菌本、マインドフルネス本、全米トップ校が教える自己肯定感の育て方 オススメです、特に大嶋信頼さんの本は心が軽ーくなります。

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3月

気づいたら、もう3月になっていた

3月

私にとっての3月は、いつだって苦しい。

今この情勢をみて、お父さんはどこに行くんだろうと、毎日考える。

もう、15年経つ、

目を閉じれば目まぐるしいあの3月の日々が瞼に流れる。そうやっていつも新しい学年を迎えていた。

もう大人になったねと声をかけられるけれどあの時から私は1ミリも動けていない、もう15年もたったのよ早いわねと言われたって、私の中では時間は止まってて、あの時産まれたもう1人の私が15歳になっただけで、私は時間の流れも自分の体も何も、現実も、変わったことなんてひとつもない。

まだ、わたしは、動いていない、し、もう、動けなくなる、

動けないからだと、私をつれて、いつまでもこうして、あの場所に止まっていよう。

みんなが忘れて、過去の人にして、でも、私はそこにいる。

カーテンから光が差し込んでいた。

コンビニ

のアパートの近くには、中学と高校が2個あって、たまに吹奏楽部の音が聞こえる。

朝起きると、何かの準備運動の音も聞こえる。いちにいさん、と数えている。

朝と夕方には、パトロールの警察官がグルグルと近所を回っていて、たまに、夜道では危険だからイヤホン外してね、と、声をかけられる。

駅前のコンビニは朝と夜も学生たちでパンパンで、外で買い食いをして、ずっと何かを話している。

顔を覚えたりする訳では無いけれど、どの生徒も部活を頑張ってるみたいで、でっかいエナメルのバッグに手づくりのお守りを沢山つけている。

それを、交番の人は見守っている。

駅のホームに行くと、よく、何時間話し込んでいるんだろうという女子たちがいる、よく泣いたり、していて、外見や泣き方で、理由が何となくわかる。

わたしが学生のころ、友達の前で見せた涙は、沢山あったし、色んな涙を遠巻きにも、身近にもたくさん見た事を思いだす。

多感、思春期、なんて気持ちの悪い単語で表されるけれども、小さな社会の中でたくさんの涙を流す空感は異様で、恐ろしい。

最近になって、中高生の幼さに気付き、彼女彼らの一挙一動が目に入る。

単純に守ってあげたいし、辛い涙を流して欲しくない。

あきらかに試合に負けた女の子がホームで泣きながら、友だちに慰められている様子をみて、その姿には自分も寄り添うことが出来、とても安心した。

1号車の近くの柱によりかかり、電話をしながら下を向き泣いていた女の子は、1人で、もう、最終電車の時間だった。

わたしにできることは何も無いな、とかんじた。

あのころ、自分が何が苦しくて泣いているかも、何でつらいかも分からないままのことが沢山あった。だから、一人で泣いている子にどうしたの?と声をかけたって、その子もにもわからないだろう。

無知の知、にも達していない感情と、数時間後にはまた同じ席に座って同じことを繰り返す時間。

たったそれだけの事の中に、自分が壊れそうなほどの隙間があるのを覚えている。

いなくならないで

最近目が覚めるとだいたい夜で、でも、昼に起きてる形跡もあって、その時の私は一体何をしているんだろ。

友達に、私はひよちゃんになにをしてあげられてるのかと、問われて、笑って誤魔化すことしかできなかった。

ただ、そのまま、存在して欲しい。成長して変化して健康に生きて一緒に笑っていたい、切に思った。

2021、友人が死んだように消えた事から失恋なんかよりも友人と深く繋がることがさらに怖くなった、いつかまた、友人が、私からみて、受け入れられない行動をとり、私から身を引かなればならない状況が出来てしまうのではないかと、

全てに思う。好きな芸能人、好きなキャラクター、一方的ではあるけれど、好きになればなるほど、いつか、を想像してしまう。

目が覚めると夜で、溜まった連絡を返して、お菓子を食べて、つぎのよていがあるまで、部屋の中何も無い時間を過ごす。

ニュースを見る、4年生は登校できないなろうとかんがえる。

夜中に目が覚めると、いつまでも、太陽は昇らず、いつまでも、1人ぼっちでこの部屋にいる気がする。孤独だ。前みたいに薬を用法守らず飲んだり、倒れるまで酒を飲んだり貧血で気絶もしない。

冷静に、少しずつ、治療を進めれば進めるほど、孤独と、過去との戦いになる。

自分との戦いだ。この孤独と、過去と、今このときを乗り越え続けたらいつか、彩度の高い世界が現れると信じてる。

ただ今は、苦しい、孤独が苦しい、みな、これを紛らわすために色々な事をするのだろう。

お父さんのことをもちろん思い出すし、何故、そこまで孤独にさせてしまったのだろうかと、悔やむ。その視点を誰も持たないまま世間は死を語っていった。一生わたしはそれを忘れない。

食事をしても、受け付けない、また、彼女のことを思いだす、実家に帰ったことも関係あるんだろうけど、嘔吐ばかりの日々だ。嘔吐に慣れた私は、居酒屋に立てこもる酔っぱらいが理解できない。

 


何かを、気持ちを、吐き出したい、それを私は嘔吐で代用している。

 


明日は、少しいえから出かけられるといいな。

2022/01/12、06:30、無理な気がしてきた。

国分寺のSeriaに行きたい。

忘れ去られて

中学から、高校にかけて、学内で性犯罪を繰り返してる男子がいた、親が金持の有名人でもみ消されて、それをみんな知っていて、でも、仲のいい人達は過去から未だに、楽しそうに遊んで、snsにあげる、わたしがせんさいすぎるから、いけないんだ、と言い聞かせながら。やり過ごす。

 


わたしは体育着を盗まれて、それを先生にバカにされたり、それを学校に隠蔽されたり、教師にクラスメイト伝いにLINEを教えられて連絡が来たり、そういったすべての性犯罪を、私は絶対に許さないし、許せないし、顔を見るだけでも苦しくなる。

 


そう言った過去に性犯罪を犯したひとと、共に過ごす、ということは、許容しているという認識でいいのだろうか。それとも、なんにも考えていないのだろうか。

目の前に性犯罪者がいる、ということに何も問題視せず、嫌悪感を抱く人が何人もいるのにsnsあげるということは、きっと、もう、わすれられた犯罪で、被害者に残った傷だけが疼くことなのだろう。