ちゃん文化

見ていると、日本の人は「敬意を保って批判する」のが苦手なのだな、と、よく思う。 相手の意見が自分と異なる、いや、それは違う、と感じると、軽蔑の感情や憎しみの感情を、なんとか相手に伝えようとして、職場や家庭、学校、匿名掲示板のコミュニティでシェアされている相手を傷つけるために念入りに工夫された定型表現を、ぶつける。 最近、朝日新聞はオカネを払って講読している。 けちんぼジェイムズとしては、驚くべきことで、感心してしまうが、 もともとは岡田玄というスペイン語に巧みな記者が書く記事の人間味に惹かれたからです。 異動で日本に戻ってしまったのか、素晴らしかった特派員記事を見かけなくなってしまったが、このブログと付き合いが長い人は、みな知っているように、日本のマスメディアの酷さを何年にもわたって批判してきた目から見て、この人はジャーナリスト魂を持っていて、そうか、日本の社会でもマスメディアが機能しはじめたんだな、と思わせるところがあった。 署名記事が増えて、手元には各社の新聞記者の名前と、良かった記事、ダメだった記事のリストがあります。 Appleから「ジャズ」を買って「Excel」に仕立て直したマイクロソフトの人も、よもや、新聞記者のリストに使われるなんて、お釈迦様でも気がつくめえ、予想外で、岡田玄記者と、なんど目撃しても素敵な名前の國枝すみれ記者を足して平均値をだしたりする用途に使う人間がいるなどとは予想しなかったに違いない。 藤原学思記者という人が、「Qを追う」という連載から始まって、2ちゃんねる、4ちゃんねる、「ちゃん文化」と呼ぶのを知らなかったが、西村博之という人が始めた2ちゃんねるを源流とする匿名掲示板が、もたらしてきた弊害が、いまや、英語に伝染して、キャピトルヒルを襲撃する事件を引き起こすまでになっていることを追究している。 日本語人物像の、良い悪いには、あんまり興味がないが、この西村博之という人は、このブログの用語でいう「ゲーマー族」で、世界をゲームと看做して、「勝てばいいのさ」で徹底している人です。 日本の歴史でいえば、日本を、その考えの薄っぺらなケーハクさで戦争に引っ張っていった陸軍省や海軍省の若手課長級に、発言も考え方もそっくりで、このタイプの人は日本では支配的なちからになりやすい。 匿名掲示板文化なんかが、ちからを持つことがあるの? という気がするが、観察していると、どうやら、面白い原因で、 日本社会は世界のIT化に飛び乗り損ねて、こけてしまったので、 まだ20世紀末のころから、社会を現実に動かしている「ネットが判らない」おっちゃんたちがインターネットに対して、おおきなコンプレックスを持っていた。 わかりやすくいうと「ネットを勉強してます」と述べるタイプの人たちですね。 「社会に乗り遅れてないことを見せる」ことが大事だと考えるタイプのひとたちにとっては「ちゃん文化」の隠語「キボンヌ」「通報しますた」 「www」を共有することが嬉しくて仕方がなかったのでしょう。 居心地もいいし、個々の人間の疎外が、極端に進んだ日本社会にあっては、 人間のぬくもりの暖をとる場所が「ちゃん文化」の炬燵だけだった、という人もいるはずです。 試しに藤原学思記者のツイートをひとつ取りだしてみると、このたったひとつのツイートへのリプライにさえ「ちゃん文化」を支えてきたロジックや修辞、日本語のusageまでが総攬されて、面白いが、うんぬん、デンデンしても仕方がなさそうなので、ここでは意見は述べる気がしない。 https://twitter.com/fujiwara_g1/status/1527879642090196998 ひとつ、これはたいへん面白いと考えたのは 「敬意をもって褒める人」と 「敵意をもって相手よりも高所に立って、見下した態度や軽蔑をもって否定する人」 がいるだけで、議論というものに意味があるものならば、中心的存在であるべき「敬意を保って相手を批判する人」が、殆どいないことです。 相手に敬意をもたないので、怒りも見られない。憎悪があるだけです。 あんまり仔細に見ていないので、「殆どいない」と書いたが、一見は、ゼロ、 皆無であるようにおもわれる。 歴史から学ぶ社会は歴史を繰り返さないが、戦後日本社会は、残念なことに歴史を検討するタイミングが、ちょっと遅かった。 外国語人たちで最近の日本を見ている人は「ああ、あのコースを進み始めたな」と思って見ているでしょう。 日本が破滅的な対米戦争に向かって歩いていくことになったのは、社会自体が「誰もおもっていることを言えない」状況を自分たちの手でつくってしまったからでした。 「そんなことを言ったって、アメリカと開戦したら勝てるわけがないじゃないですか」というひと言が、誰にも、どうしても、言えなかった。 めんどくさいので、いつも日本の「赤勝て白勝て」の癖、と投げやりな表現をしているが、陸軍と海軍で「赤勝て白勝て」フェーズに入ってしまって、 ほんとうのことを、そのままポンと言おうものなら、怒号が飛び、冷笑が満ちて、一瞬で言葉によって処刑される。 陸軍は海軍が「勝てません」と言うのを待って、「海軍がそんなにだらしがなくては、陸軍としても対米戦争に踏み切れない」と述べる機会を待ちかねていて、海軍は陸軍が「自信がない」というのを切望して、結局、誰もが最も望まない対米開戦へ押し流されてゆく。 将軍や提督たちの、このだらしなさが、どこから来たかというと、意志決定上の下剋上が風潮になっていた陸軍省海軍省の課長級がとりまとめた「軍の意志」で、意志とは呼んでいるものの、つまりは感情です。 ここで、たいへんにたいへんに興味深いのは、「ちゃん文化」は、非軍人を「地方人」と呼んだ旧日本帝国軍隊内文化に、そっくりであることです。 どこからどこまでも似ていて、古参兵によるいじめや、コミュニティ内だけで使われる隠語と符丁、集団の最大公約数である意見から外れたことを言うと、袋だたきにされるところ、ウソが公然と通用する風土まで、そっくりそのまま、気味が悪いほど似ている。 旧軍でも、例えばアメリカ軍に較べて、最も異なっていたのは、… Read More ›

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  • 日本語の美しさについて 1

    振り返って、結局やらないで終わってしまったもののうち、最も成りたかったものは能楽師であることは、前にも書いた。 身の丈が2mを越える乙女では、能の神様も、ぶっくらこいてしまうが、 このあいだ、サムライドラマを見ながらリファレンスにネットで調べていたら、お市の方と並んで、戦国時代の超絶美人の代表、美濃の深芳野は身長が188cmあったそうなので、20cmくらいなら、能楽の神様にもおまけしてもらえるのではなかろうか。 舞台で最後に観たシテは、名人の呼び名が高い人だったが、でっぷりと太って、まさか現実にはそんなことはないが、面とおなじくらいはみだしてんじゃないの?と、言いたくなるくらい、あごの肉がぶよぶよとはみ出していて、それに較べればマシであるような気がしなくもない。 能の尋常でない幽玄美は、世阿弥が「風姿花伝」を書いた15世紀の、ごく初期から完成されていて、しかも、これは偏見だと言われそうだが、観客ひとりであることを理想としていて、もしかしたら、能を極めれば、演者は、神仏だけを観客として舞いたいと願うものなのかもしれない。 能が永遠に朽ちていかなさそうな美を保っていて、歌舞伎とおおきく異なるのは歌舞伎が「生」に依拠しているのに、能は「死」によって支えられているものだからだろう。 生は移ろって、変わってゆくが、死は、変わりはしない。 死に強く強く引き付けられる日本の人の国民性と相俟って、日本に文明というほどのものが残っている限りは、能もまた、舞われていくのではなかろうか、と思わせます。 美は、倫理によって牽制されない。 それどころか、時によって、そんなに少なくはない頻度で、反倫理的なもので、古代ギリシャの昔から、目に一丁字もないような観客でさえ、母子相姦の悲劇や父親殺し、容赦のない裏切りの殺人に、身を慄かせながら、その反倫理の美しさに、魂を奪われていった。 なんども述べたように、日本人は、幕末にオランダ語を翻訳する必要から、「引力」「重力」「真空」「遠心力」と次次に思考を組み立てる必要に駆られて「新しい日本語」を生みだしていく。 近代化をめざして、強い軍事力をつくることによって世界の仲間入りをすると決めた明治時代になると、ほとんど量産と言いたくなるくらいの勢いで、 つぎつぎに日本語を生産し始める。 権利、社会、常識、恐慌、絶対、理性、義務、個人、自由 切りがないほどです。 ここで注意しなければならないのは、当時は、ごくごく一部の海外生活経験のある日本の人以外は、こういう「近代日本語語彙」は、ラベルだけが貼ってあるカラッポの缶詰のような言葉であったことで、翻訳された文章の文脈から 「こういう機能がある単語なんだな」と勘がいい人が理解できただけで、 現実には、文字通り「空をつかむような」話で、いわば言葉の歴史性が判らないので、血肉とはなりえなかった。 西洋には「自由」というものがあるそうだ。 西洋には「個人」というものがあるそうだ。 西洋には「権利」というものがあるそうだ。 で、観念的に印象していただけです。 Integrityという判りやすい一例を挙げたら、なんだか全部integrityが代表してしまって、ちょっと戸惑うが、倫理に至っては、意図的に、日本語の体系から外してしまった。 政府の意図は、簡単で、富国強兵というものの、中身を検討すると、富国は強兵のために限定されていて、国家予算の半分を軍隊につぎこむありさまで、つまりは強大な軍隊をつくることが近代日本という国家の全身全霊を挙げた目標だったので、 立て杭にしばりつけられた台湾の蕃人や朝鮮半島の市民を、命令一下、引き鉄をひいて、ためらいなく撃ちころせる国民でなければ困るからです。 倫理などもたれてしまって、ナチの親衛隊SSではよくあったことだが、 「わたしには、人間として、命令を実行出来ません」とでも言われた日には、日本は弱国のまま終わってしまう。 倫理などは国家の成長にとっては邪魔なだけで、ついでに言えば、人間性なんてもたれてしまっては、いまの白痴的なネット語をわざと使えば「お花畑」の空疎な実質をもたない言葉でいてもらわなければ、国が軍事費の元を取るために他国へ侵略していけるほど強くならない。 人間性がある社会なんて、軟弱なものをつくってしまえば、日本は亡びるだけだ、というオサムライが作った国らしい、強い思いがあったようです。 慌てて付け足しておくと、軍事で世界に伸してゆこうと考える限り、この国家デザインには現実性があって、戦場の兵士は、実はあんまり真剣に相手を殺そうとしないものなのが、よく知られている。 いまでも「良い戦争」とアメリカ人が呼ぶ、対日戦の太平洋戦争でも、10人のうち真剣に日本兵を狙って射撃する兵卒は、4人もいればいいほうだった、という。 これが、なにしろ最高指揮官の姓がドイツ語名前だった欧州戦線では、2,3人に減る。 興味深いのはアフリカ戦線でのイタリア兵で、自分たちの生命が脅かされる局面になってさえ、人を殺すのが嫌さに、わざとやや上方に向かって射撃する兵隊がほとんどだった、という証言もあるくらいで、人殺しをするくらいだったら逃げる、という気分にあふれた軍隊で、旧式兵器と並んで、これがイタリア軍の弱さの原因だったように見えます。 そこにいくと明治政府以来の薫育が奏功して、敵兵だろうが敵性市民だろうが、命令通りマジメに殺すので、帝国陸軍の兵は、オンボロ兵器が多かった割に、無茶苦茶なくらい強かった。 すでに兵器の用法というシステムの部分で、ロンメルが書いた「歩兵の突撃」、例えばspandau、MG-42は小区域の制圧を目的としているが、日本軍は機関銃による「狙撃」で有名で、恐れられた。 アメリカ軍兵士たちに心から尊敬され、愛された報道写真家アーニー·パイルも、この、軽機関銃による狙撃で日本兵に殺されます。 長々と戦争の話題に触れたのは、そもそも近代日本語の究極の目的が「強い軍隊をつくって戦争に勝つこと」だったからです。 いまから振り返ると、日本の人自身が呆れ返ってしまいそうだが、 日本の国家としての経済構想は、「オカネは全部軍隊にいれあげて、国の富や国民の幸福は他国を侵略して冨を奪ってくればよい」に尽きていた。 むかしは征台の役と呼んで、ちゃんと戦争として扱っていた宮古島島民殺害を口実にした台湾占領に乗り出すのは1871年という早さでした。… Read More ›

  • 太陽の下で

    世界は、どんどん、良くなっている。 えええ? なに言ってるんですか。 プーチンがウクライナに攻め込んでるんですよ。 ハッカーが新疆の警察サーバーから入手したウイグル人強制収容所の酷い現実を読まなかったの? うん。 そうなんだけどね。 強権国家という20世紀の亡霊が世界を歩き回っているのは事実だが、21世紀も着実に芽生えていると思うんです。 COVIDがパンデミックになる直前、ニュージーランドは労働日の週4日制を導入しようとしていた。 もともとは、すんごいビンボ国だったのが、賃金があがって、豊かになったので、もうこのくらいでいいんじゃないか、ということになっていた。 あとは、もっと時間をつくって、みんなで遊ぼう。 日本の人に判りやすくいうと、日本の人の半分もなかった収入が、主にITによって起きた情報革命の恩恵で、日本と同じくらいになった。 今年は、政府人のお話では、日本よりも個人の収入は多くなっているようです。 パンデミックでダメになっちゃって、おまけに貰ってる側から「払いすぎじゃないのか?」と言われるほど休業補償をばら撒いたりしたので、 借金も増えて、経済が不調になったので、元の黙阿弥で、 週5日制にもどっちゃいましたけどね。 ところが、ところーが。 パンデミックで、自宅で働く人が増えたので、会社で働く人たちと経営陣が額を集めて相談して、自宅でもオフィスでも、好きなほうが働けるように、システムを考案して、洗練させていった。 例えば4月28日のAirbnbの広報を眺めていたら、 You can work from home or the office You can move anywhere in the country you work in and your compensation… Read More ›

  • 成田空港

    九十九里浜が見えてくるときと、富士山が見えているときがあって、風向きや離着陸の都合があるのでしょう、時によって異なる角度から、ゆっくり旋回しながら高度を下げてゆくと色の深い、暗い緑が見えてきて、 おー、日本に来た、とおもう。 利権がらみで強行して、地元の農家のひとびとが学生たちの支援を得て激しく反対した空港建設の経緯もあるのに違いない、日本の人には初めから評判が悪かった「遠すぎる」空港も、日本では報じられなくても、案外、初訪日の外国人には好評で、Nexに乗ると、ディズニーランドが左に見えてくるあたりまでは、 美しい田園風景が続いて、日本への第一印象を良くしている。 もっともシャトルバスに乗ると、特に成田空港へ入るときには、英語メディアは「成田要塞」と呼んで茶化すのが好きなくらいで、ものものしくて、ちょっと昔の、短機関銃を肩から吊した国軍兵がおおぜい空港内を歩いていたバンコクのドンムアン空港みたいで、その上、なにしろシートが窮屈で、少し背が高いと、もう最前列か最後尾しか物理的に座れなかったりして、 たいていは、Nexで往復することになっていた。 空港は、特に初めて訪問する人間にとっては、その国のおおきな印象になるので、子供のころは、オークランド空港に近付くと、延々と続く農場が見えてきて、馬の群が駆け回っていて、クライストチャーチ空港ならば果樹園に包まれた空港で、それがニュージーランドの印象になっていたし、クライストチャーチ空港などは、暗黙の、お国柄の象徴で、空港のすぐそばに、プラモデル並に、スタンドで飛行姿勢を取っているスピットファイアの実機が野外に展示されていて、なんといえばいいのか、有無を言わせないところがあります。 初めて日本に来たときは、シャトルバスで、夜で、真っ暗な田園を長いあいだ走って、薄暗い、冷たい感じがする街灯の町に入って、いま考えれば箱崎ターミナルの手前くらいから、光の洪水が見えることになる。 その、眩しい、社会の繁栄を、そのまま象徴しているような、色とりどりの、膨大な光の広がりが、まっすぐ日本のイメージになって、いまに続いている。 一方では、冒頭で述べたようにJRの車窓から眺めた田園の印象もあって、 いま書いていて初めて気が付いたが、どうやら頭のなかでは、ふたつの別の国のように印象されているようです。 そのあとの記憶は曖昧で、麹町に行ったのか、それとも鎌倉に行ったのか、確かめて見る気もしないが、鎌倉に向かったとすれば大船までNexで行ったはずで、麹町ならば迎えの人が来ていたはずだが、もうなにもおぼえていなくて、ときどき考えて、ギョッとすることがあるが、光の洪水は二度目の訪日の記憶で、もしかしたら初めは、そもそも空港まで、迎えの人が来ていたのかも知れない。 何れにしても、30年近くも昔のことで、ぼんやりと曖昧だが、おかしなことだけは、おぼえていて、空港で、JALの役員だかなんだかの人が殿様のような、としか言いようがない趣で大股で歩いてきて、もうあと何年かすると、わし記憶のなかでは裃を着ていたことになりそうな、家来然とした社員たちが頭を低くして、お伴つかまつっていて、異様だったことは、はっきりと憶えている。 離日のほうは、いつも明るい記憶で、いくら日本が楽しくても、英語世界に帰るのは、どんなときでも、ほっとすることだった。 遠泳のあとで、陸にあがる心持ちというか、ジタバタしたあとで、やっと自分が何をやっているか判る世界に戻った安心感があります。 おとなになってからは、日本を発つ日は習慣のようになっていて、儀式化していて、前日に定宿のヒルトンにチェックインする。 どうしてヒルトンになったのかは、おぼえていないが、いちどJALホテルに泊まったら、あまりに杓子定規で、共同運行便であるのに「お客様はAirNZの航空券をお持ちなので、JALのサービスは受けられません」と荷物の運搬まで断られて、とーちゃんとかーちゃんが顔には出さないものの、呆れ返っていたことがあるので、折角日本にいるのだから、日本のホテルを使いましょう、と述べていたのが、そのときからJALはすべて忌避するようなったことがあったから、そういう理由だったのかも知れません。 ヒルトンは、アメリカ資本なのに、なぜか朝ご飯が「日本の人が考えたウエスタンブレックファースト」で、おいしくなくて、閉口したが、それ以外は快適で、馴れてしまえば、いまはどうだか判らないが、その頃はユナイテッド航空クルーの定宿になっていて、気安い、気持のいい人びとで、すぐに仲良くなって、打ち解けて、なかには顔をみおぼえて、また会ったね、と友だちのような気持になる人もいた。 無料循環バスで成田のモールに行けるのを教わったのも、ユナイテッドの人達からだった。 ゲウチャイという名前のタイ料理屋があって、出発前の夕食は、そこで摂るのが慣わしになっていた。 いま思い出しても、おいしくて、また食べたくなるクン·オプ·ウンセンという豚の脂をベースにした鍋料理があって、終わりのほうになると、これを食べると、明日から英語世界に戻れるぜ、と自動的に考えるようになっていた。 ただの空港なのに、成田のことになると、次から次へと思い出が出てくるのが不思議な気がする。 ひとつにはチャンギなどは、変化拡大が激しいことと、効率的で、第一、流れ作業でオーチャードロード周辺のホテルへ移動できるので、空港近くに泊まる必要も感じないので、固定した思い出が出来にくい、ということもあるでしょう。 あんなに何度も訪問した空港なのに、はっきり憶えているのはちょうど1月1日に、シンガポールにしては、30℃を下回って、確かにやや気温が低めの涼しい日ではあったけれども、バスの座席にダウンコートを着て、背中を丸めて、ガタガタ震えていて、本人には気の毒でも、おもしろかったことくらいで、印象がない。 でっかいバスターミナルみたいで、いまどきの世の中では珍しいことにファーストクラスとビジネスクラスのラウンジが厳格に区別されていて、これも、いま書いていて思いだしたが、いちどチェックインの前に大停電が起きて、空港が大混乱に陥って、暢気なので、「映画みたい」と考えて、右往左往するひとびとを眺めていたことくらいが、やっと記憶に残っているだけです。 AirNZも羽田に飛ぶようになって、日本の低下を続ける国力から考えて、どうかすると成田空港は閉港になるかもしれない、とおもう。 日本滞在の最後の最後に、シンガポールとの往復に使ったことがあって、その前に、子供のころ日本から台湾に行くときに使ったときに較べて、雲泥の差で、ほんの地方空港然としていたのが、近代化されて、品川からすぐで便利で、 案の定、航空会社は成田をやめて羽田に殺到していると報道されていました。 宿も、高輪プリンスの旧館は、シャワーが胸までしかなくて、ヘンテコリンだが、庭園も、ロビーもゆったりしていて、旅行の前後に泊まるのは適していて、言うことがないといえば言うことがない。 ゲウチャイにあたるレストランも、Devi Cornerというご贔屓だったインド料理屋があって、不自由しなかった。 それでも成田に日本の思い出がいっぱい詰まっていて。羽田などは、成田に較べて、botと人間くらいも印象が異なります。 過去からやってきたような「過激派」のクルマが空港に突入して、閉じ込められて出られなくなった夜や、パスポートを忘れたり、時間を間違えたりして搭乗できなかった日のことや、720だったか、搭乗便のナンバーを搭乗時刻と勘違いして、たしか「グルメサンドイッチ」でのんびりサンドイッチを食べていて気が付いて全力疾走でウイングからウイングへ駈けていったり、 あとで思い出して、不気味に思い出し笑いをする「事件」がたくさんあった。 なんだか、付き合わせてしまって悪いけど、まったく忘れてしまって、記憶がノッペラボーになる前に、書きとめておこうと考えました。

  • よしなしごと

    十何年か前には、夜更けの材木座の砂浜に腰掛けて、フラスコのウイスキーを飲みながら、夜光虫で青く光る波を見ていたのが、なんだか前世の記憶であるような気がする。 日本は、日本語と日本語が生みだした情緒が張りめぐらされた稠密な空間だが、かえってそのせいで、文字通り「埒外」の外国人は、おもいきり自由で、なんの制約もなくて、めんどくさければ日本語が判らないふりをすれば、簡単に情緒の外に、ほっておいてもらえた。 子供のときの「日本」は、要するに東京と鎌倉と葉山で、日本の記憶といっても、たったそれだけなので、誇張みたいなものだが、それにしても、楽しい記憶ばかりで、いまだに日本語で、役にたたない日本語の代表のようなことを述べているのは、つまり、子供のときも、おとなになってから再訪したときも、毎日、楽しくて楽しくて、たまらなかったからでしょう。 良い滞在者ではなくて、普段、付き合うのは外国人ばかりで、寄ると触ると、日本の社会の厄介な点やおかしな点ばかり愚痴を述べあっていて、でかける先も外国人特派員協会のバーや、こっちはあんまり名前を言わないほうが良さそうなクラブで、考えて見ると、少しも日本人社会に溶け込む努力をしないダメガイジンで、長期観光客に終始していた。 どこにいても、日比谷のゴジラ像の脇に立っていても、銀座の三越のデパ地下で店員さんたちと、おいしいですね、これ、と「試食品」でやりとりをしていても、「そこにいない人」で、向こうから見たこちらも、こちらから見た向こうも、風景のようなもので、どうしても中に入れてもらえないことを怒っている外国人は、いくらでもいたが、ぼく自身は、案外、社会の外にいて暮らしていることを、楽しんでいたような気がします。 小さなことが、たくさんあって、ケンタッキーフライドチキンやピザがあまりに高いので、ぶっくらこいてしまったり、いまはもうないのかもしれないが同じKFCに焼きおにぎりがあって、それまではショートライスのお米は敬遠していたのに、あまりにおいしいので中毒したり、こっちは何度も書いたが何度書いても書き足りないのでもういちど書くと、葉山や江ノ島の、スエヒロしゃぶしゃぶ/すき焼き食べ放題で、二枚目の皿からは、ぐっと品質が落ちる牛肉をたくさん食べて、ほんとに気持がいいくらいたくさん食べるのね、遠慮しないで、もっとどんどん食べてくださいね、と店の女のひとたちに笑われたりしていた。 このごろになって、やっと気が付くのは、トンブリッジウエルにいたかも知れない一日を、葉山の海岸で過ごすのは、やはり一生がいちどしかない人間にとっては、おおきなことなのだとおもう。 若いときや子供のときには、よく考えて見ると、ヘンテコリンな生活をしていても、なんともおもわず、馴れてしまうもので、このあいだ古いパスポートを見ていたら、20回を越えて飛行機に乗った年もあって、なんだか気が遠くなってしまったが、例えばクライストチャーチに滞在しているあいだは、 コンピュータを買いに、週末の買い物をする気安さでシンガポールに出かけていたりしていたが、ずっとあとになって、日本への中間点のように意識されていたシンガポールは、実は日本よりも遠いところにあって、なんだそれなら秋葉原にコンピュータを買いに行ったほうがよかったのではないか、と、自分の迂闊さに感心してしまった。 シンガポールは、当時はシングリッシュと呼んで、判りにくい、とこぼす人もいたが、英語が普通に通じて、交通標識や道路のシステムも、イギリスやニュージーランドと同じなので、なんとなく気安かったのだとおもいます。 逆からいえば、なぜ、あれほど日本が楽しかったか、理由も判って、 「なにもかも異なる」からだったでしょう。 もうほんとうに、一から十まで、なにからなにまで、推して開くドアは引いて開けて、リアカーもなぜか人が先に出て引いていて、タクシーに至っては、初めてならば、ぎゃあと言いたくなる自動ドアで、思い出していても、あの社会で、楽しくないわけはない。 大好きだったが、好きになると、どういえばいいのだろう、違和感がだんだん気持のなかで育ってくる。 感情も言葉も噛みあわなくて、いや、そうじゃないんだけど、どうして、そうおもうんですか?ということが多くなって、これは自分がいられるところではないな、と考えるようになってゆく。 くたびれてしまうので、気分が悪いほうへ傾くと、この社会は、なにもかも上辺だけで贋物の社会なのではないかと思い詰めることになる。 日本に最後に滞在した年は、日本語ネットで、日本語社会の最悪の部分である集団と出くわして標的にされたこともあって、あんまり詳しいことを言う気にもなれないが、日本が嫌いになっていた。 あとで考えると、なんのことはないホームシックで、ホームシックなのだから、さっさと帰ればよかっただけだが、なんだか意地になっていて、予定した離日のときまで居続けると決め込んでいた。 あんまり記事には書かないが、実際には、たいへんな数の人が後見人のように、日本にいるあいだじゅう面倒を見てくれていて、日本の社会では地位もあるひとたちだったが、浮かない顔をしていたりするからでしょう、家に招いてくれたり、困っていることはないか、不自由はないか、と年中様子を見にきてくれてもいて、ずいぶん恵まれた滞日だったのに、それでも最後は「ここは自分がいるべきところではない」という気持がぬぐえなくなっていた。 いまの頭の中にある日本は、だから、だいぶ美化された日本であることを判っています。 簡単なことをいえば、記憶のなかでは、御成通に立ってみあげる空には、あの綾取りのように張りめぐらされた電線はないし、写真でみると、狭小で、びっくりするほど狭い由比ヶ浜の海岸は、幅が三倍はあって、広々としている。 周りを歩いている人間からして、記憶のなかでは、現実よりも5センチほども背が高くなっていて、なにもかも、自分の都合にあわせて、形が変わっている。 でも、それでもいいのではないか、と最近はおもっています。 外苑や白金の医科研通りを歩くと、銀杏の葉が、ざあああと音を立てて、黄金の滝のように落ちてくる。 鎌倉の鎧武者がぬっと顔をだしそうな砦跡がある朝比奈の切り通しを歩いていると、関東大震災で動いて突き出したのだという巨石の向こうは、中世であるような気がして、自分は物理的に移動しているのではなくて、時間を遡行しているのではないかと考え出す。 断片をつなぎあわせて、深夜の六本木で「ここには神がいない」と真顔で述べた見知らぬアフリカ人や、わたし、ホステスなんだけど、日本人の男は案外やさしいわよ、と少女のような笑顔で述べた、箱根で出会ったロシア人の女の人を唐突におもいだす。 日本とは、いったいなんだったのだろう、と、よく考えます。 自分にとって、ということだが、自分にとって以外には人間には世界の認識のしようがない。 日本の人の奇妙な点のひとつは、自分たちが、どれほど美しい国土に生まれ合わせたか知らなくて、まるで美しい顔にカミソリを立てて傷をつける女の人のように、国土を壊して、醜くすることに情熱を感じている。 それでもクルマに乗って、軽井沢を出て、富山や新潟、足を伸ばして福島や岩手に行くと、日本の人が切り刻んで、破壊していないところは、途方もない美しさで、だんだんコツが判ると、要するに「名前が付いていない」ところに行けばいいのだと判ってくる。 東尋坊などは反面教師の代表で、とにかくオカネを払わなければ意地でも美しい景色は見せないという固い決意で、モニさんとふたりで福井のプライベート露天風呂に入りにいった帰りに寄ってみたら、嵐のなかで、強風に吹き倒されそうになりながら、こっちこっちと、誰もいない有料の区画に誘導しようとしている人がいて、人が悪いことだが、ふたりで、そのさもしさが可笑しくて吹き出してしまった。 名前が付いているところはダメで、美ヶ原でも、美ヶ原ではない隣の高原のほうが、遙かに美しくて、放ってある自然が贅沢そのもので、なんどもピクニックに行ったものだった。 やっと漕ぎ着けたというか、ああ、日本はよかったなあ、とこの頃は思う。 考えてみれば日本語が判らないほうが、いまの気持にたどりつくのは簡単だったはずで、なんだかバカみたいだが、始めてしまったものは仕方がない、では酷いが、このまま日本語も行けるところまでは行って、 あなたの書くものの熱烈なファンです、とわざわざ述べに来てくれた西郷輝彦さんという日本の俳優の人と、すっかりウマがあって、では現実に会って署名をした本をお届けします、といったんはまた日本に行くことを決めたが、COVIDでのびのびになっているうちに、悔しいことに、亡くなってしまって、一色登希彦さんという、自分では兄のような気がする人に会いに行くのでなければ、どうせ、現実を見るのが怖くて日本には出かけはしないが、記憶のなかの日本は、「ここではないどこか」が具現した輝かしい土地として存在していて、きっと日本語が自分から剥落してしまわない限りは、書きとめて、とどめておこうとするでしょう。 もう、知らないふりをしているわけにはいかないのだから。

  • 生きる

    なにしろ、40分以上、なにかに集中する、ということが出来ない。 映画を見始めて一気に最後まで観る人は、えらいなあ、と考える。 映画館に行かないの?という人がいるかも知れないが、映画館でも、日本にはあるのかないのか判らないが、余計にオカネを払って、飲食ができるカウチに座ってみるので、こっそり真ん中は飛ばして、このピザはおいしくないね、とか、もうちょっといいワインおきなよ、とか映画館にとっては余計なお世話なことばかり考えている。 なんでもすぐ飽きるたちなので、日本語などは、続いていて、驚異的です。 仕事をするのは嫌いなので仕事はしないし、眠ってばかりいるかとおもえば、朝まで起きていてPCゲームに打ち込んでいる。 なにもしていないときは、どうしているかというと、運動だけはやたらに好きなので、むかしはセントヘリオスからコマーシャルベイまで、12キロだったかな?の海辺の道を全力疾走したりしていた。 COVIDとe-scooterが邪魔っ気でうるさいので自宅のジムを拡張して、新しく買い換えたトレッドミルやなんかを運んで来た人たちが、 「ジムかとおもったら普通の家なんですね」と冗談を述べるくらい充実させて、最近は外にも出ないでドタドタと走りまわったり、ウインウインとペダルを漕いだりしてます。 人間は、いったい、なんのために生まれてくるのか。 自分は、いったい、なにがやりたいのか。 ドタドタとベルトの上で走りながら考える。 子供のときは、ものごとの才能には適正な年齢というものがある、という心理学の本を信じ込んで、じゃあ出だしは数学がいいな、それから世の中で色々な人にあったり、オカネを稼いじゃったりして、また学問をやりたければやればいいか、とおもって、自慢に聞こえると、みっともないから経過の詳細は省くが、子供のときに並べた順番で、人よりもだいぶん早く、ほぼ巧くやりおおせて、恋までして、いまの生活になっている。 遊んでばかりいて、折角ひとより先に進んでいるのだからと大学をおやすみにしてニューヨークにいてみたり、東京にいてみたり、 ニュージーランドの南島の、途方もない田舎で、地面から吹き付ける冷たい雨のなかを歩き回ったり、メキシコの田舎の、バスも一日に一回しか来ない灼熱の道で、ぶっ倒れて死にかけたこともあった。 だんだん判ってきたのは、人間は肉体で世界に直に触れて、感覚して、 おいしいものを食べてうっとりしたり、ワインを飲んで良い気持ちになったり、ドタドタ走る筋肉の躍動を感じたり、舷側から飛び込んだ海の、冷たい、リフレッシングな感覚を楽しんだり、要するに魂が単独ではできないことを経験しに生まれてくるので、本を読んで、だんだんに言語に習熟してくれば、どこかの言葉で本を書いて、 夜更け、森の小径を散歩していて、ふと、神様が立っていたような気がして、コルクの木立の闇を見つめたり、いつまで経っても結論が出ない、答えの無いもの思いにふけったりするのは、きっと魂が肉体なしでいたときのことを思い出しているので、また肉体が亡びて我に返るときのために準備をしているのでしょう。 人間は、いったい、なんのために死んでいくのか。 自分は、いったい、なにをやりたくないのか。 人間の言葉の特徴は、誰にも確実にやってくる死であるのに、死の訪問を想定していないことで、いわば死は将来の盲点のなかに収まっている。 自分の死のイメージは常に漠然としていて、いったい、あたりまえのことだが死の、そのまた先があるのかどうかも判然としない。 つらいから、もう死にたい、と考えても、 そんなバカなと笑い出すひとのほうが多いに決まっているが、死んだあとのほうが、さびしくて、つらくないと、どうして判るのか。 普通に考えれば、死後は感覚がないのだから、眼も見えず、言葉も発せられず、ただなにもない暗闇のなかで、永遠の孤独に閉じ込められて、長い時間を過ごさなければならなくなる。 40分たって、死んでいるのは飽きましたから、また生き返ります、というわけにはいかない。 死んでしまえば、ひとりで、例えば悪人ならば、自分が肉体とともにあった日々に行った愚かなことや、悪意の行動を、繰り返しおもいだして自分を苛むことになる。 それが信じられなくとも、死ぬ瞬間は永遠ほども長くて、よく言う「走馬灯のように自分の一生をおもいだす」というのは単純に科学的に真実である、という新しい論文が去年は話題になっていた。 愛する人にも、もう会えなくなって、ただ閉ざされて、音もない、光もない中有を、はっきりしない意識で、ぼんやりと漂っている。 死後は、きれいさっぱり無で、意識もなにもなくて、消滅するだけならラッキーだが、人間という存在は、そんなに幸運に恵まれていたことがあるだろうか? ほんとうは、案に相違して、霊的存在なのではないか。 心臓の病気で倒れた人が、夜、眠るときに、明日の朝、生きて起きられるかどうか判らないのは嫌なものだ、と述べていたが、 誰にでもいつかは、ベッドから起きだしてこない、その日が来るのは、その現実のありようの冷酷さにおいて、いっそ非現実的な感じがする。 癌で余命が判る死は、ある意味では幸福な死で、自分がいつ死ぬか前もって判ることは生きているあいだの日々の意味を変えるだろう。 愛するひとびとに別れを告げ、この世界に別れを告げて、生きているあいだに出来ることを計画して、いわば死ぬ準備をする期間がある。 それでも、ついに余命がつきて死ぬときには、中断で、突然の死であると意識されるのかもしれないが。 よく死ぬために生きるのだという人もいるが、哲学に縁のない人間は、そんなことのために生きているわけではない。 死ぬために生きるくらいだったら、不死を信じて裏切られるまで、死などないかのようにふるまって生きるほうが、滑稽でも、やはり人間としては切実である気がする。 死は、、人生のあらゆる段階で、疑問を投げ込んでも、答えてくれずに、すっぽり暗黒に呑み込んでしまう虚無で、そのかわり、疑問を投げ込めば投げ込むほど、生を照らし出して、価値を判らせてはくれる。 一日にやれることは限られていて、優先順位をつけて、頭から数えて、まあ、今日は、このくらいやれればいいか、と考える。 それと、まったくおなじことで、終わりまでできなくてもいいから、大切なことの順番をつけて、せめても、余計なことはやらなくてすむようにする。… Read More ›

  • エイ、エイ、オー

    作りものだと重々承知はしているけれど、サムライドラマが、すっかり気に入ってしまった。 NHKの大河ドラマでいうと、古いほうは、ものものしく、益荒男ぶりが強調されていて、言葉を変えれば劇画調で、慟哭したり絶叫したりで、サムライドラマというよりは、なんだか日々辛い生活を送るサラリーマンの心象ドラマに見えてしまって、面白い面白くない以前に、見ていてくたびれるので、たいてい、50回のシリーズを、摘まみ食いして、5回くらいに縮めて観てしまうが、評判が悪かったらしい「平清盛」くらいからドラマの質が向上して、こっちは評判が悪いのかいいのか、さっぱり判らないが「麒麟がくる」「鎌倉殿の13人」は、 観ていても楽しくてたまらない。 史実と異なるとか、ネットを見ると、日本語ネット名物ニワカ博士たちが、 侃々諤々と議論しているが、こっちは、ひととおりの歴史事実くらいは知っているが、どうでもよくて、知らない人だったが坂東彌十郎の時政はイメージぴったりでいいなあ、とか、やっぱり佐藤B作は俳優として好きである、 佐藤浩市も大好き、とおもいながら、なんだかウキウキして観ている。 こういうことになると、普段は困り果てる、困惑する、としか言いようがない、日本語wikipediaも俄然便利で、トレッドミルで疾走しながら眼の前でおおみえを切っているドラマのなかの歴史上の人物をスマホでチェックして、ベルトを踏み外して、こけかけたりしてます。 なかでも気に入ったのは勝ち鬨の声で、 皆の者、勝ち鬨をあげようぞ、 えい、えい、おー を観ていると、ぐっとくる。 まともです。 他国の風習に目鯨を立てても仕方がないが、バンザイの習慣がどうしても好きになれない。 ずっとずっと昔、明解国語辞典と首っ引きでブログを書き始めたころ、バンザイは、好きになれない、大学合格発表のような、これから学問を始めようとするひとたちの場所で、胴上げをして、バンザイを唱えるのは蛮風なのではないか、と書いたら、えらい言われようで、ボロクソに罵られて、 受験の苦労がやっと報われた人間がささやかなお祝いをしているだけなのに、そんな難癖をつけるなんて許せない、という人がたくさん来て、ぶっくらこいたが、蛮風は蛮風で、あんな野蛮なものを弁護する人も野蛮人なのではないか、と、いまでも思っています 最近は、観ないので、もうやっていないのではないかとおもうが、不合格を知って、合格したひとびとが胴上げまでして勝ち誇る姿を見つめる高校生の気持を考えても、ああいうくだらない習慣がなくなったことには良いことしかない。 バンザイは、中国のワンソイ、韓国のマンセーから来たのだろうと察しはつくが、いったいいつ頃からエイエイオーに取って代わったのだろう、とおもって日本語ネットを見ると、1889年に青山練兵場で明治天皇に向かって初めの万歳三唱が行われたのだという。 近代の、現人神としての天皇崇拝と密接に結び付いた、なんちゃって伝統のひとつで、案外新しい軍国主義的習慣であるようです。 そーれでか!と、ポンッと膝を叩こうとして机の角っこに手をぶつけてしまうが、民主制選挙で当選した議員の選挙で万歳を唱えているのを観ると、 自動的に南京陥落でバンザイを唱える帝国陸軍兵士たちの写真と重なってしまうことには、あながち理由がないわけではないようです。 ときどき思うが、いくら日本の人が「我が国は民主主義の国で」と述べても、なああに言ってんだ、薄皮いちまい、ペロッと剥げば、あんたらいまでも戦争大好きの日本帝国臣民じゃん、と言われてしまうことには、折りに触れて報道される、日本語人が「バンザイ三唱」をする姿への嫌悪感が背景にはあるでしょう。 日本では、望ましい習慣であるらしいバンザイは、バンザイ突撃、バンザイアタック、狂人の群が発狂状態で、こちらに向かって大挙して 殺されに走ってくる、というイメージの言葉で、日本人の狂性を象徴する言葉であるせいもありそうです。 そこにいくと、「エイ、エイ、オー」には、日本の人の長い歴史が培った心情がこもっている、というのは考えすぎかもだけど、観ていて嫌な感じがしなくて、やった、ついに勝った、苦労したぜ、かーちゃん、まっすぐ家に帰るからね、という、中世のおっさんたちの声が聞こえてくるような気がする。 サムライドラマを見ていると、日本の来歴について、さまざまなことを考える。 「麒麟がくる」の主人公明智光秀は、周山城という、山並みに伏した蜘蛛のような、巨大な城塞をつくったひとだが、16世紀にはもう放棄されたらしい周山城は、ヘンテコリンな言い方だが、廃墟としては、そのまま残っていて、まだいいほうだが、ISISどころではない大規模な破壊を行った明治政府は、日本中の寺院や城をぶち壊してまわって、南方熊楠の懸命な抵抗運動にも関わらず、ほとんど日本の郷里の魂のありかだった鎮守の森さえ破壊しつくした。 いま振り返れば、薄っぺらとしかいいようがない「近代化」のためで、その暴力的な浅薄さのせいで、日本社会が失ったものは、おおきくて、そういう言い方をすれば、明治が伝統日本を断ち切って、標準語をつくって方言を嘲笑してまで、破壊し尽くして、いまに続く、日本の明治以降の国家的な情緒不安定は、どうやら、この建設を伴わなかった破壊にあるようです。 エイ、エイ、オーの鬨の声が、バンザイに変わって、日本は、歴史を持たない国になった。 西洋の絶対神の代わりに天皇を座らせて、国家成長のためにムダでしかないと判断した倫理を省いた、奇妙な形の「近代」国家として、城も鎮守も、そこに民族の文明が始まって以来住み付いていたはずの精霊も否定して、破壊して、自らの歴史を恥ずべきものとしてかなぐり捨ててしまった。 民族の品性というものは、要するに、その民族の歴史によって生まれるものなので、なんのことはない、日本の人は明治以来、品性をゴミ箱に突っ込んでしまったのだと思います。 その象徴が、他国人、特にアジアのひとたちにとっては、耳を塞ぎたくなる、戦争中の悪夢を呼び起こす「バンザイ」の蛮声で、 あの声が響き渡るかぎり、いくら民主的な平和国家のふりをしたって日本の本性が変わっていないことを私は忘れない、と述べた香港人ばーちゃんの言葉を思い出す。 わし部屋に立ち寄ったモニさんが、あきれてものも言えない、という顔で、 相変わらずサムライドラマをつけっぱなしにして、トレッドミルの上でナンバ歩きをしたりしている夫を見つめているが、おっとっとなオットー1世の夫は、こういうことばっかりやっていると、オットー2世が生じて、作男に格下げされちゃうかしら、と、やや恐れながら、 祝着、至極。重畳である。かたじけのうござる。 サムライ語が飛び交う日本語頭を起動して、バンザイからエイエイオーへ、 日本のもともとの素顔を見に行こうと考えてみるのでした。

  • ONKYO

    カイバー·パス·ロードは、オークランドでいちばん大きな繁華街、New Marketから西北に伸びて、評判のいいラーメン屋やイタリアレストランが並んでいるSymonds Stにぶつかって終わっている。 子供の頃、まだ、この世にこれほど酷い天気は無いと言いたくなる、イングランドの陰鬱な冬を逃れて南島のクライストチャーチにやってくるだけだったころも、オークランドには用事があったり様子が見たかったりで、やってきたが、カイバー·パス·ロードには赤いでっかい象さんが立っているタイレストランと大好きな電子部品屋があって、子供なりのオークランドの印象の中心になっていた。 ここにね。 ONKYOという会社があって、いまでもサインだけは残っているかもしれません。 おとなたちの話に耳を傾けていると、ONKYOは日本の文化性を伴う豊かさの象徴と受け止められていて、「トヨタやホンダだけの国じゃない」と述べていた農場主のおっちゃんの言葉を、いまでもおぼえている。 そのONKYOが破産手続きに入った、というニュースが出ていました https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220516/k10013628401000.html 驚きはしない。 ONKYOは、21世紀への変わり目だったか、ずいぶん昔にニュージーランドから撤退して、東京へ寄るたびに楽しみにしていて、行けば必ず訪問することにしていた有楽町ビックカメラのオーディオコーナーにもONKYOのラインアップは見る度に減っていた。 でも、到頭、という感慨があります。 日本の外に住む日本語の人が、みな気が付くことのひとつに、「日本メーカーの家電が店にない」ことがあるとおもう。 東芝も日立も、シャープもなくて、かろうじてパナソニックが生き残っている。 AV家電ではSONYが、いまでも目立った存在だけれども、あとはAudio Tecnicaのイアフォンやヘッドホンが、よく見ると、棚にかかっているくらいです。 いちど、冷蔵庫を買うときに、日本のメーカーは置いてないんだね、と何の気なしに訊いたことがある。 店員さんの反応は、ぶっくらこくような感情的なもので、ちょうどなにかタイミングだったのか、日本人は許せない、という調子だったので、 なにごとならむ、と聴いてみると、 「日本の製品は品質がいいので、他社の製品より価格が高くて当たり前なんです。置けば、眼が利くお客さんがいるから売れますよ」と日本の家電会社の人が述べたそうで、それにしても蔑むような口調が気になったので、 日本の人、態度悪かったの?と訊くと、傲慢で話にならない、という。 価格は同種の他社の二倍で、と言いかけてから、ニッと笑って、 品質はほんとはボロボロ、と教えてくれました。 店からみると、多分、価格が高すぎて仕入れようがない、ということだったようで、同じものをつくるのに、余計なコストが上積みされて、全体として競争力がない価格になる、という、最近の日本製品の、ほとんどあらゆるものと同じ傾向が気に入らない、というだけのようにも見えました。 なにも感情的になることはない。 それとも、よっぽど、その日本から市場調査に派遣されたとおぼしき社員の態度が尊大だったのか。 客からみると、コストよりも、最も気に入らないのはデザインの古さで、 製品思想も古いというか、わし家では必須ということになっている、 氷とフィルター付きの冷水が出る、ああいうのは、なんていうんだろう、 給水口?がドアについていなかったり、オンラインでサポートがソフトウエアを起動して冷蔵庫に自己診断させる機能が付いていないのでは、買い換えるだけの魅力がない。 そのときは、1ヶ月で壊れる、という大記録を達成することになるSAMSUNGの冷蔵庫を買って、帰ってきました。 海外から見た日本は、斜陽なんてものではなくて、あんまり日本になど普段は関心を持たない、ふつーの人にまで、どうしたらこんなに毎年毎年ダメになっていけるのか不思議だ、と言わせるくらいの凋落ぶりです。 家電でもクルマでも、日本に対するイメージは、共通していて、公約することが出来て、 「自己評価が理由もなく高いのに、現実に作るものの出来が悪い」 「口が達者なだけで、実際の仕事はマヌケなくらい酷い」 「これだけ落魄れても、日本人だけが優れているという思い込みを捨てない」 と並べていくと、だんだん、ひとつのイメージに集約されていって、人間性がよろしくないわしなどは、安倍晋三が個人として日本を象徴しているように思えて、ニヤニヤしてしまう。 能力がないのに、自分が優れているという前提を信じようとすれば、「アンダーコントロール」だと衒いもなくウソをつくしかないわけで、 日本語ツイッタでも、40代や50代の、いいとしこいた臆面もない嘘つきがゴロゴロしている。 あれで社会がうまくいけば、そっちのほうが不思議なので、本人は、下を向いて地道に良い仕事をしているひとたちは、… Read More ›

  • 人間と社会の意外な現実について

    事業報告書や賃貸料と修繕費や管理費のバランスの述べた表計算のシートを開くと、2022年、と書かれていて、 ひゃあ、もう、そんな年か、もうすぐ21世紀も四分の一ではないか、と考える。 十数年、冷菜凍死家から始まって、あんまりふざけて凍死家と呼ぶのも憚られるようになって、初めのころはバックグラウンドである数学を駆使したのが自慢で、ひとにこそ言わないものの、新しい世代の投資方法を編み出して上手く行ったと考えて、あの階級の人には珍しく富裕なかーちゃんととーちゃんたちよりも裕かになって、内心は鼻高々だったが、 振り返って考えて見ると、愚者の考え、休むに似たり、 ほんとうは英語世界を覆った不動産ブームに乗って、 住居賃貸から始まって、順序がたまたま合致して、どんどんオカネが降ってくるようになっただけのことで、なんのことはない、アホな成金おやじと変わらないんじゃない?と、この頃は思わなくもない。 もう少しおとなしい言い方をすれば、昔から、子供のときから、滅法、運が強くて、大ピンチに陥れば運が助けてくれた、と見栄を切りたいところだが、ほんとうに運がいいというのは、もっとずっと退屈なもので、 そもそもピンチが来ない。 臆病なのか、なんなのか、借金したことすらなくて、このあいだUKの投資家友達に酔っ払ってうっかり洩らしたら、吹き出されてしまって、 そのあとに、マジメな顔で「借金をしないことで、どのくらい逸失利益が出たか、判っているかい?」と言われた。 判っている。 判っているけれども、だから、本来オカネモウケは向いていない、と述べているではないか。 根がゲーマー族で、眼の前にゲームがあれば、無我夢中で参加して、 誰にも、思いも寄らなかった方法で勝ってしまう快感に取り憑かれて、 画面のクレジットの代わりに、ポートフォリオが膨らんでいったにしか過ぎない。 このブログなのかなんなのか、よく判らなくなっている一連の記事の始めは、主語は必ず「わっし」でした。 これだけは、日本語で書いてきてよかった、とおもうのは、日本語は高々日本語人が読むだけなので、英語人の日常の私にとっては、要するに誰も読めないのとおなじで、気楽に書いていて、おかげで、若い時の自分が、英語人格の面影が射している日本語で日常を述べていて、ノーテンキというか正露丸というか、 あれはもともと征露丸で、戦争にぶち負けたあとの1949年に、おっかないロシアの顔色をうかがった日本政府の、いつもの、有り難い余計なお世話の「ご指導」でロシアを征服した木クレオソート丸薬が、いつのまにか「正しいロシア」の薬に化けたのだそうだが、だいいちノーテンキと正露丸がどこに関連があるのか判らないが、ともかく、ちゃんと日本語のなかで生きていて、いまは閉鎖してしまったので他人は読めないが、自分では読めて、 元からプライベート扱いの記事を含めれば2000を数える記事のなかで、 日本語で考えて話す自分が生活している。 いろいろなことに手をだして、遊んでばかりいるうちに、38歳になって、 もうすぐ、 「時間です。お早くお願いします」 「荒地」のなかの、ドアを叩く売春宿のオカミの声では無いが欧州に帰るだろうが、 英語の生活とは関係がないはずの日本語わしも現実に引き摺られて、わっしはわしになり、ぼくと口走るようになって、もうすぐ「私」でもいいとおもっている。 「私」で文章を書くの、難しいけどね。 いっそ主語がない文章のほうが、ずっと楽です。 十年という単位の変化は、ものすごいもので、このブログを書き出したころのことをおもいだすと、まるで前世を思い出しているような気になる。 広尾山から青山の町並や、軽井沢と追分の森、鎌倉の切り通しの、両側から迫ってくる崖や、いまにも鎧甲冑に身を固めた武者がぬっと顔をだしそうな旧砦跡、油断していると、実際に、いまでも、ぬっと出てきて、腰を抜かしそうになるそうだが、どこにもそこにも幽霊が出る鎌倉の、浄明寺から切り通しを抜けて、大町を通って、材木座に出て、ジーンズの腰ポケットからフラスコを抜き出して、砂浜に腰をおろして夜光虫が縁取る青く光る波を見ていた。 ニューヨークの、昔はチェルシーマーケットの通りを隔て向こう側にあったご贔屓のカフェ「ヴァイニル」で、ゲイやドラグクイーンのウエイターと冗談を交わしながら、あれはゲイのひとびとは、どの通りなら安全で、リラックスして過ごせるか、ちゃんと知っているので、週末にでもなれば、ストレートのカップルよりもゲイが多くなる眼の前の道を、手をつないで楽しそうに散策しているカップルを眺めていた。 いま考えると、ウソのようだが、あのオレンジ色のコートを着た、抜けるように白い肌の、輝くばかりの金髪のチビちゃんが、なんだかぷんぷんして立っていたサンフランシスコのウエスティンのバーは、20年前のあのころはまだ、優美と洗練を人間の形にしたような女の人が待ち焦がれていた相手が、中年の女の人だと判ると、見るからに憎悪に満ちた眼が、花束を片手に抱き合うカップルを、ぐるりと囲んでいたものだった。 まして、町として住む人が真っ白だったころのロンドンは、観光客であってさえ、アジアの人が客として入ってくると、愛想良く、心地の良い声で応対して、でも子供の目でも見逃しようがないほど、鋭い嫌悪に満ちた眼で、ドアをでていく背中を見つめていたりしていた。 まだ「ぼくは、マレーシアでパイロットだったとき、日本軍の捕虜になったことがあるんだ。日本人だけは、口も利きたくない。絶対に許さない」と述べる、普段は温厚なじーちゃんたちが、そこにもここにも、たくさん生き延びていたころです。 そうやって30年前からの記憶をひっくり返して、とつおいつ、明滅する、おぼえていることを並べていると、世の中は、世界は、 たしかに良くなっていることに気が付いて驚く。 個人も社会も、30年もたてば、無論、まったく別物だが、 前に較べて、いまのほうが、遙かによくなっている別物で、 発見して、これはいったいどういうことだろう、と呆然としてしまう。 人間についての知識に照らせば、ほんとうは、有りえないのではないか。 人間も社会も、本質は20年や30年で変わるものではないのではないか。… Read More ›

  • 東の空が白むとき

    明るさが見えてきた、とおもう。 最近、なまってきたので、自分の身体を再建しなければと考えて、早起きして、遠くまで見える海や、靄にかすむ島の姿で、水平線の向こうから太陽がのぼってくるのを眺めて、早起きもいいかも、と考えたが、ここでは、そうではなくて、日本の将来のことです。 冗談やめてください。 あんた、12年も前に、最後に日本を訪問して、曖昧な記憶で日本社会を考えるから、そうなるんですよ、どん底ですぜ、日本。 経済もダメ教育もダメ、文化も古くさいサブカルで、女びとの権利はボロクソで、政治は元からダメ、 夜の底がどんどん深くなって、夜明けは遠くなるばかり。 まことに、ごもっともございます。(一礼) でもね、ぼくにはぼくの言葉で、日本が、深い水の底を蹴って、水面に向かって浮かびだしていることが判るんです。 勝手にそう見えてしまっているのだ、ということは当然、ありうる。 日本が両腕にいっぱい抱えている問題のうち、最も根本的なものは、日本の人には、どうやた認めることがひどく難しいのであるらしい、 「英語が判らない」という問題でしょう。 日本語に訳して判ったって、どうしようもないのよ、とか、構文なんて口走る人は言語の習得ということを頭っから誤解しているんです、とか、そういうことは、もう三桁に達しそうな数の記事で述べてきたので、ここではもう省きます。 学校英語の成績がいいということは、そのまま、謬った言語習得の道の泥沼にはまって、胸まで沈み、肩が隠れ、あら、到頭、あのひと、左の手首が泥沼から出てるだけになってしまった、という状態の症状にしかすぎないのを認められない人は、よっぽど頭がどうかしているか、学校英語の習得にエネルギーと時間を使いすぎているので、そういう極東の最果て時代の、古色蒼然としてハマープロダクション映画のミイラのようにボロくなった言語習得は、ゴミ箱に捨てて、他の、もっとうまく行っている、フィリピンでもいいし、どこでもいいんだけども、教室の代わりに、主にインターネットのなかで学ぶ英語習得に変えていったほうが良さそうです。 だって、日本のやり方は、60年かかって、このやり方では絶対ダメだと、国民を挙げて証明してみせたのでしょう? 日本の人がいかに英語がダメかは、世界的な常識になっていて、日本式アクセントでない英語を、ふつうに話す人をみると、中国の人かな?と自動的に考える。 あるいは最近では、特に若い人であると、韓国の人かも知れないな、と、独りごちる。 日本の人であることが判明すると、げげげ、ああ、びっくりした、という反応です。 いちども日本の人と判明する英語話者と会ったことは、ないんだけどね。 多分、直截にはカタカナのせいで、日本の人は、20年くらい英語社会に住んでいても、一発で日本語人だと判る。 判って悪いか、と怒る人がいそうで、別に悪くは、もちろんないんだけど、 不思議ではある。 もっと猜疑を深めると、なんだか母語っぽく話してるけど、ほんとうは外国語として話しているのかな?とおもう。 せっかく英語に習熟したのに、内部に英語人格が形成されていないのは、もったいないというか、残念な気がする。 日本語自分を、たいしてそれと意識せずに客観視する、折角のチャンスを無駄にしてしまっているからです。 英語談義は、ひとまず、置いておく。 外国語習得の方法なんてのは、例えば英語習得法を英語人に訊くくらいムダなことはないので、だって、本人は、どうして自分が英語を話しているのか、まったく判っていなくて、初めから身についているのだから、訊かれたって、もっともらしいことを、どんなふうにいえばいいか、知っているだけです。 留学や文化が異なる国への移住とおなじことで、早い話が、 留学も移住もしたことがなくて、英語はもとから母語の、この記事を書いている人などは、ついに話の成り行き上、容赦ないセールスパーソンである村上憲郎に、憲郎さんが書いた英語速習法の本を買わされたことがある。 えええー。自分だってニュージーランドに移住してんじゃん、と言われたことがあるが、連合王国からニュージーランドへの移動は、どっちかというと、口にするとクリケットバットでしばかれる可能性があるが、思い切って述べると、タイムマシンで過去に行くようなものであって、特に、わしガキのころなどは、2万キロも移動するのに、物理的移動という実感はなかった。 ある朝、眼がさめてみたら、ばーちゃんの時代に来ていた、という実感です。 まあ、いいや。 現代日本というボートの根本的な欠点は船窓が全部閉じて、ブラインドがかかっていることで、隣はなにをする人ぞ、と考えても、深まる秋にくしゃみをするくらいしかやることがない。 知ってますか?松尾芭蕉 ゴツゴツした骨太の人で、 再現された声を聴くと、太く、深い、 ああ、そうだったのか、と合点がいってしまう声の人です。 孔子が2メートルになんなんとする巨人であることを知って、ぬ、ぬわるほど、と膝を打って痛かったりするのと同じで、歴史上の人物の肉体的な条件を知って、得心がいくことは意外に多くある。 最近、日本語はサムライドラマばかり見ていて、はてはサムライの歩き方が伝染したりしているのは前にも書いたが、ネットで登場人物について調べたり、再確認したりしながら観る癖がついていて、調べていると、なにしろ歴史上の人物といえど、人間なので、人間にはつきものの不思議に満ちていて、美濃の蝮、斎藤道三の側室の深芳野が当時、天下一と謳われる絶世の美女だったのは知っていたが、今度あらためて記事を読むと、身長が188cmあったと書いてあります。 188cm。 モニさんも180cmを越える背丈なので、珍しくもない、と思うかも知れないが、当時の日本のひとは男で160cmないのが当たり前だったはず、つまり、身長差を現代に翻訳すると2mちょっと背丈がある女の人だったわけで、そこに「天下一の美人」という評判を付け加えると、神々しいばかりの姿で、いわば女神に憧れるように権力者たちは引き付けられたのだと判る。… Read More ›