翌日、朝起きた私の顔を見て、キャット・アシュリーが眉をひそめた。
「陛下、顔色が悪いですわ」
「大丈夫、眠れなかっただけ」
心配するキャットの言葉を否定し、私は連日の枢密院会議に挑んだ。
結局、昨日紛糾したスコットランドの反乱軍への援助に関しては、私は、わずかばかりの軍資金を送ることで妥協した。
これについては他国に知られないように、極秘の内に遂行されることで決定した。
スコットランドとフランスの顔色を伺ったその決定に、枢密院は決して満足はしていないようだったが、ともあれ私が一応の決断を下したことで、一旦、この出兵の話はうやむやになったのだが……
10月に入り、事態は悪化の一途を辿った。
「フランスが、さらにスコットランドへ援軍を送ったとの報せが入っています! 17隻からなるフランス艦隊と兵士、援助物資です!」
枢密院会議に飛び込んだその報告に、委員全員が表情を歪め、何人かは祈るように手を組み合わせた。何人かは頭を抱え、何人かが訴えかけるように私を見た。
「……戦況はどうなってるの」
それらの視線を受け流し、私は、会議室に飛び込んできた伝令を見据えた。
伝令は、スコットランドとの国境地帯に駐屯している外交官からの報告書を携えていた。
「蜂起した反乱軍は、一時は首都エディンバラを占拠する勢いでしたが、フランス軍の猛攻を受け、エディンバラ近郊の港町リースへと後退するに至りました。我が国の軍事的援助がなければ、スコットランドの反乱貴族達はすぐにでも制圧されるだろう――と」
「――陛下、ご決断を!」
その報告を聞き終えた瞬間、強い口調で迫ったのは、クリントン海軍司令官だ。
それを皮切りに、委員達が口々に出兵の決断を迫ってくる。
今、ここで戦争に反対しているのは、私だけだ。
その勢いと、エリザベス1世がスコットランド出兵を決行したという歴史的事実が、私を迷わせた。
苦し紛れに、反論の糸口を見つける。
「誰が……誰が軍を率いるのですか。どこに、相応しい人間がいると?」
ヘンリー8世以降のイングランドの戦争実績は惨憺たるもので、優秀な人材というものに枯渇している。
こんな、敗戦のリスクが高い出兵に、名乗り出る者がいるとも思えなかった。
「ノーフォーク公がよろしいのでは?」
ノーサンプトン侯爵が、現在、ノーフォーク州に留まっているトマスの名を挙げた。
それは、仮にスコットランドに出兵するならば――と、私も考えていた人事案だった。
カトリック色が強く、また封建領主達の権力が根強いイングランド北部は、女王ですら御しがたい。
彼らに強い影響力を持つノーフォーク公を司令官に、というのは無難な登用のように思えた。とはいえ、若い彼自身、戦争経験があるわけではない。
彼を無難な人材として名を挙げなければいけない辺りに、イングランドの辛い人材難が透けて見える。
「陛下、その件ですが――」
その男――ロバートが口を開くのは、ここしばらくでは珍しかった。
おもむろに口出しした男に、全委員の注目が集まる。
「俺に行かせてください」
「ロバート!?」
「ほう?」
思わぬ立候補に、私は声を上げたが、クリントン海軍司令官は興味を惹かれたように眉を上げた。
「守馬頭殿自らがご出陣をされると」
その台詞は、揶揄するようにも、驚きを隠すようにも聞こえた。
だが、海軍司令官には取り合わず、席を立ったロバートは、議長席に座る私の傍らにまで来て、膝をついた。
「陛下の御為にこの身を投げ出すことこそ本望。是非、この苦境に、陛下の剣となる栄誉をお与え下さい」
「ロバートを……戦場に……?」
ロバートが比較的軍人肌であるのは確かだが、守馬頭は女王の身辺警護が主たる任務だ。
考えてもいなかった人選に、実感が湧かないまま呟くと、静かな声が追い打ちをかけた。
「陛下、私もロバート卿を推薦したいと思います」
「セシル……」
セシルはあらかじめその意思を聞いていたのか、ロバートの申し出に驚いた様子もなく、眼鏡の奥の冷静な目で私を見据え、理由を述べた。
「ロバート卿には、父の謀反の煽りでロンドン塔に投獄された折、スペイン王の助力で釈放された恩から、対フランス戦争にスペイン軍として身を投じた経歴がある。戦争経験者という意味では、ノーフォーク公よりも適任かと」
女王の信任も厚い宰相が太鼓判を押したことで、枢密院の中での空気が、驚きから賛成の方向へと流れ込む。
「ふむ……」
「……なるほど」
「本人の強い希望もあることだし……」
「いいんじゃないか」
アイコンタクトを交わす男たちが、皆分かったような顔で頷き合う。その表情には含みがあり、なにやら共通の思惑を乗せているようだったが、私には分からなかった。
セシルを見ると、後で説明するとでも言いたげな目で頷かれ、委員達の方へ視線を逸らされてしまう。
「よろしいのでは?」
「まだ、出兵を許したわけではありません!」
ほとんど決定事項のように言ってくる委員に、私は噛みついた。
だが、この期に及んで反対をする私に、クリントン海軍司令官が苛立ったように一喝した。
「王が戦の号令をかけなければ、誰が民を護るのですか! あなたの甘さは、国家を転覆させます!」
「……っ」
その言葉には信念がこもっており、一瞬気圧された私は息を飲んだ。
気付かれないよう、膝の上で扇子を強く握りしめる。
決心がつかない。
だが、エリザベス時代、スコットランド出兵は確かに『あった』のだ。
結果が分からないまま、ただ『あった』という事実だけで、出兵の号令をかけるのは心許なかったが、状況はほとんど戦争派に傾いていた。
「……分かりました。ロバート・ダドリーを北部長官に任命します。軍を整え、すぐにスコットランドに派兵を」
その日、私は枢密院に押し切られる形で、スコットランド出兵を承諾した。
※
具体的な出陣の計画が枢密院内で議論され、陸軍はロバートの指揮のもと国境地帯に4000の兵を配置することが決定し、海軍も戦闘準備の指示が出された。
今回の出兵計画の責任者――北部長官に任命されたロバートはすぐに準備をすると言って、会議終了後、足早に退室した。
会議室に残り、議長席で頭を抱えた私を、斜め前の席でセシルが静かに見守っている。
他の枢密院委員が全員退室したその部屋で、私は収まり切らないもやもやをセシルにぶつけた。
「どうしてロバートなのよ?!」
「ロバート卿自身が望んでいます」
「だから、なんで……こんな危険なこと……!」
「陛下、名誉を挽回するのに最も手っ取り早い手段は、戦争で功績を上げることです」
与えられた答えに、私は目を見開いてセシルを見た。
「そう……そういうこと……」
ようやく理解する。
苦境に立たされているロバートが汚名返上のために名乗りを上げたということは、男達にはすぐに分かったのだろう。
ここでロバートが功績を挙げれば、側近に戻す口実が出来るのは確かだ。
だが、どこからも反論がなくすんなりと進んだ人事に、普段の彼らのロバートに対する当たりの強さを思えば、負けた場合に責任をかぶせるのにちょうどいい人材だという思惑でもあるのではないかと、嫌な見方をしてしまう。
「でも、もし駄目だったら……」
「陛下、覚悟がなく戦場に出ようとする男はいません」
「そんなの……っ」
反論しようとして、自分が冷静なセシルに対して、感情で食ってかかろうとしていることに気付き、言葉を飲み込む。
代わりに、頭を冷やそうと、両手で顔を覆い深呼吸をした。
決まってしまったものは仕方がない。
決めたのは私だ。
その責任の重さと見えない結果に、鉛を呑み込んだように胸が沈んだ。
――その日は1日中、気分が優れず、私は公務を早めに切り上げ、寝室に引きこもった。
~その頃、秘密枢密院は……
「セシル」
「キャット」
今顔を合わせるべきではないと分かっていつつも、様子が気になり女王の寝室の近くをうろついていたセシルを、ちょうど部屋から出てきたキャット・アシュリーが見咎めた。
旧知の仲であるキャットは、セシルの行動の理由をすぐに察したのだろう。足早に近づいてくる。
「陛下のご様子はいかがですか?」
聞くと、キャットは困ったような表情で微笑み、お手上げというように両手を挙げた。
「荒れてるわ」
「はは……」
『塞ぎ込んでいる』でも『落ち込んでいる』でもなく『荒れている』という表現に、やや安心する。
荒れている彼女の姿に想像がつき、セシルは乾いた笑いを漏らすしかなかった。
「気持ちの整理がついていないようで、そういうご自身に苛立っているみたい」
そうなのだろう。多くの場合、彼女は他人よりも自分自身に完璧を求める。
生来の矜持の高さや責任感の強さがそうさせるのかもしれないが、彼女自身はそのことにあまり自覚がないらしい。気付いていないというよりは、それが当たり前だと思っている節がある。
弱さを認めない隙のなさは、王という孤独な立場には適しているのかもしれないが、彼女が1人のうら若い女性であることを思うと、一抹の寂しさを誘うのも確かだ。
「キャット。今回の件で、私は陛下の意にそぐわぬ発言をしてしまいました。きっと孤独を感じていらっしゃるでしょうから、貴女のほうでフォローして差し上げてください」
「ええ」
頷いた彼女は普段通りに見えたが、洞察力の優れたセシルは、彼女が含んだ戸惑いを見過ごさなかった。
「何か、気になることが?」
「その……陛下が随分と、お変わりになられていて……記憶を無くされると、お人柄まで変わるものなのかしら?」
周囲に視線を配り、声を落として聞いてくる。
「これまでの記憶や常識が失われれば、行動に変化が出てもおかしくないとは思いますよ」
大体何を指して「変わっている」と言っているのかは推測できたので、セシルは無難に返答した。
彼女に真実を告げるかどうかは、女王の判断に任せている。
ただ、フォローはしておかねばならない。
「ですが女王としての彼女は、なんら周囲に疑われることなく、求められる役を演じています。そこにかかる負担を、我々秘密を共有する者は少しでも軽くできるように……特にキャット・アシュリー、女性である貴女には、あの方の御心に安らぎを与えられるよう努めてもらえたら、と思っているのですよ」
「言われるまでもありませんわ」
今度頷いた彼女には、強い意志を感じさせた。
「例え記憶を失っても、あの方の聡明さと、前向きな懸命さは変わりません。この宮廷で、女が王として立つ重圧がどれほどのものか、想像も及びませんが、少しでもお力になりたいと、心から思える方です」
そう言って、こちらを見据えるキャットの眼差しは、鏡に映る己を見ているようで――
セシルは、己がこうもあの女の王に惹かれる理由を、わずかに理解した気がした。
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