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第5章 スコットランド出兵編
第53話 フランス軍上陸


 9月の半ば、恐れていた事態が、ついに起こった。


「大変です! ついに、フランス軍がスコットランドに上陸したとの報せが!」


 その報は、すぐに宮廷中に広まり、私は緊急枢密院会議を開いた。


「摂政マリー・ド・ギースが国内のプロテスタント派貴族の反乱に対して、フランスに援軍を要請したようです」


 会議室で顔を突き合わせた面々は、私を含め全員が厳しい表情をしていた。


 マリー・ド・ギースは、スコットランド女王メアリー・スチュアートの母だ。

 フランス皇太子妃としてフランスで育てられたメアリーに代わり、スコットランドで摂政として手腕を振るう女傑である。


 彼女自身もまた、フランスの名門ギース家の出で、フランス色の強い政治を推し進めており、スコットランドではプロテスタント派の貴族達の激しい反感を買っていた。


 特に、カトー・カンブレジ条約から1ヶ月ほど経った頃から、スコットランドのプロテスタント派は勢いを増し、フランス支配の排除とカトリック勢力の打倒を掲げ、積極的に行動を起こし始めた。


 これには、大陸から帰国したジョン・ノックスという熱狂的な清教徒(ピューリタン)の指導者が宗教改革の旗頭に立ち、プロテスタント貴族をまとめ上げたことが大きい。


 当然、これらの勢力は王政府――マリー・ド・ギースの弾圧を受け、今、スコットランド国内は内乱状態に陥っていた。


「フランス軍は首都エディンバラに駐屯し、反乱貴族に圧力をかけています。開戦は時間の問題かと。すぐにスコットランドに援軍を送らなければ」


 ノーサンプトン侯爵が会議テーブルに拳を乗せ、強い口調で言い切る。


「今、スコットランドの議会は、売国奴マリー・ド・ギースの摂政権の停止を議決し、完全にあの女と袂を分かちました。彼らは、我らの同胞です」


 プロテスタントに強い共感を持つノーサンプトン侯爵は、宗教的同胞意識からの派兵を要請した。


「フランス軍が彼らを制圧すれば、スコットランドは事実上フランスのものとなり、奴らはメアリー・スチュアートのイングランド王位継承を主張して、我が国に攻め込んでくるでしょう」


 対して、カトリック教徒だが開戦派のクリントン海軍司令官は、フランス軍の侵略を前提として、先手を打つための派兵を主張した。


 強い信仰心と宗教の違いから、よくよく対立する2人が、今回ばかりは同じ意見を口にしている。


 そこに、セシルが新たな情報を提供してきた。


「ウォルシンガムからの情報では、フランス側は、今回の軍の上陸と同時に、イングランド国内のローマ・カトリック派を蜂起させる予定だったようです。が、現在、女王陛下とカール大公との婚約交渉が進行中であることと、フィリペ2世がエリザベス女王を支持していることが抑止力となり、この計画は失敗に終わっています。とはいえ、本格的にフランス軍がイングランド領内に雪崩れ込めば、北部のカトリック教徒の合流は免れないかと……」

「…………」


 次々と入ってくる意見と情報に、私は冷静に状況を見極めようと努めた。


「――かといって、今スコットランドに援軍を送れば、フランス軍と真正面から対立することになるでしょう?」


 スコットランド反乱軍の指導者ジョン・ノックスは、女性君主自体を否定する姿勢を見せており、決してイングランドの現体制に友好的なわけではない。


 今、彼の反乱に乗っかって、スコットランド情勢に巻き込まれれば、多大な戦費の消耗は免れない。


 勝ったところでイングランドに得るものがあるわけでもない。


 その上、負けるリスクは十分にあった。


「兵は出しません」


 断言する私に、何人かの委員が気色ばむ。枢密院委員達は、ほとんど全員が派兵支持だ。


「どこにそんなお金があるの。軍備だって、立て直しているところとはいえ、まだ十分ではないし、兵士は実戦経験に乏しくて、優れた司令官がいるわけでもないでしょう」


 実に情けない話だが、これだけは堂々と言い切れる。


 エリザベスが即位した時点で、イングランドの軍隊は、ほとんど消滅しかかっていたのだ。


 父のヘンリー8世は領土拡大に欲を出して国際紛争に足を突っ込み、先王のヘンリー7世が潤した国庫を空にした。

 弟のエドワードはスコットランドとの戦いに資金をつぎ込み、姉のメアリーはフランスに宣戦布告してカレーを失った。


 そのツケが、全部こちらに回ってきている状態だ。


「そんなに軍費と軍備に不安があるなら、それこそカール大公とご結婚なされたらどうです」

「今はその話をしているわけではありません」


 すかさずねじ込んでくる海軍司令官を牽制する。


「だが、決して無関係な話ではないでしょう」

「無関係です。議論の争点を逸らさないように」


 これには、すぐにセシルが軌道修正をした。


「では争点を戻しましょう。スコットランドのプロテスタント貴族への軍事的援助についてですが――私は、動くべきだと思います」

「セシル……」


 セシルが戦争に賛成するとは思わなかっただけに、衝撃だった。


 度重なる敗戦によって困窮した国を、さらに戦によって細らせろというのか。


 私が目で問うと、いつも優しい微笑みを絶やさない宰相が、会議室では怜悧な眼差しと、感情の見えない声で答えた。


「フランス軍の追撃の前には、反乱軍の勝ち目はほぼないと言っていい」

「それじゃあ、尚更派兵なんて……」

「我が国には、プロテスタントの擁護者という立場があります」


 セシルは、ノーサンプトン侯爵の意見を、もう1歩踏み込んだ形で口にした。


「地続きの国の同志の苦境を見捨てることは、道義に反します。ローマ・カトリックから敵対視をされている今、プロテスタント勢力の支持すら失うことは、我々の国の基盤を揺るがす事態になりかねない」


 目の前の信仰者達を見殺しにしては、大陸中のプロテスタントから失望を買う。

 ただ信仰心だけで兵を出すような真似はするつもりはなかったが、イングランドの孤立を深める事態は、確かに避けたかった。


「いずれにせよ、反乱軍の敗北を食い止められなければ、フランス軍は制圧したスコットランドを足がかりに、イングランドへと攻め込みます。先手を打つことが防衛に繋がることもあり得るのです」


 セシルの説得に、私は大きく揺らいだが、それでも負けるリスクの高さを思うと、簡単に頷くことはできなかった。


 結局、私はその場での決断を保留し、その日の会議を終了させた。


 その夕方、悩む私の前に、思わぬ客が訪れた。


 スコットランド出兵の可否について、枢密院会議で紛糾したことを耳にし、スペイン大使が反対しにきたのだ。


「この戦いに手を出せば、イングランドは敗北への道程を一直線に転がり落ちると、国外の誰もが予想しております。フィリペ王はスコットランドの内乱を静観しており、例えイングランドが苦境に立たされても、手を差し伸べることはないでしょう」


 例え友好国であっても、この件に関しては一切の支持をしない、という旨の釘を刺される。


 彼らは、ローマ・カトリックに対抗する反乱軍に、イングランドが援護をすることを望まない。

 それ故の意見ではあるが、国際的に見て、この隣国の国内紛争にイングランドが介入することが無謀であると見られているのは確かだ。


 こちらから手を出して負ければ、スコットランドとの泥沼の戦争が始まるのは避けられない。

 それも、孤立無援で、フランスという強力な後ろ盾を持つ国と戦わなければいけないのだ。


 けど、枢密院の面々の意見も無視はできない。


 イングランド北部の貴族達は、いまだ大部分がローマ・カトリックを信奉している上に、中央集権化が進んでいる南部に比べ、北部は未だ封建領主が絶大な権力を握っている。


 つまり、イングランド女王に対する忠誠心という面では、大いに不安が残る。


 もし、このままスコットランドがフランス軍によって制圧されれば、北部の貴族達が寝返り、ローマ・カトリックの旗を振って南部に攻め込んでこないとも限らない。


 やっぱり、玉砕覚悟で先手を打つしかないのか……!?


 寝室でベッドに転がり、私は枕を抱えたまま煩悶していた。


 つくづく、イギリス史をもっと勉強しておけば良かったと後悔する。

 世界史は好きなので、その時々で興味があった個所はピンポイントで詳しいのだが、さすがにそれ以外の部分は広く浅くしか知らない。


 フランス革命とか、ピョートル大帝とかなら割と詳しいんだけどなー……いや別に、恐怖政治が好きなわけじゃないんだけど。

 読み物として劇的なのは確かだが、あの時代の王室には絶対生まれ変わりたくない。


 そういや、シェイクスピアの『夏の夜の夢』を演じることになった時に、当時の時代背景もざらっと調べた気がするんだけど……


「スコットランド……スコットランド……」


 ……ん?


「あ!」


 思い出した!


 がばっと急に上体を起こした私に、邪魔にならないよう静かに刺繍をしていたキャットが、驚いて声をかけてきた。


「どうなさいました? 陛下」

「あ、ごめん。なんでもない!」


 今一瞬、頭の中で年表が閃いた。


 エリザベスの治世初期に、スコットランド出兵があったはずだ!


「エリザベスは、スコットランドに派兵したんだ……」


 その事実が、私を気持ちを大きく揺さぶる。


 あれ、でもあれ……どうなったんだ……?


 勝ったのか負けたのか。


 そもそも存在自体ほとんど忘れていたのだから、結果など覚えているはずもない。


 でも、そこが一番重要だから!!!


 負けると分かっている戦なら、自信を持ってやらないと言い張れる。


 うおおお思い出せ―! 私の脳みそ―!


 頭を抱えて悶える。そんな私の奇行を、キャット・アシュリーは目を丸くして眺めていた。





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