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第5章 スコットランド出兵編
第51話 守られる義務


 ノーフォーク州を出発してから3週間後の、9月1日。

 私たちは、予定通り最初の行幸を終え、ロンドンへと戻った。


 帰還の行列はロンドン市民の歓呼に迎えられ、涼しくなった首都が活気に沸いた。


 1ヶ月半も離れていたので、なんだか懐かしい気分になる。


 私は、途中でセシルと一緒に、のんびりと進む行幸の列を抜け、馬でセント・ジェイムズ宮殿へと戻った。

 門前には、すでに留守を任されていた召使いや廷臣達が出迎えている。

 馬を下り、馬番に預けた私は、出迎えに応えつつ、キョロキョロとある顔を探した。


 いた!


 なぜか出迎えの集団から離れたところで、影のような黒衣の男が佇んでいる。

 私は、いそいそとそちらに駆け寄った。


「ただいまー!」


 ウォルシンガムの顔を見るのも久々だ。


「楽しかったわよー。クマさんも来れたら良かったのに」

「陛下……」


 完全に家族旅行のノリで帰ってきた私に、出迎えたウォルシンガムが呆れ果てた溜息をつく。


「ご健勝のようでなによりです」

「大げさなのよクマさんは。みんないい人だったわよ? っていうかあなたの方こそ大丈夫なの。また無理して働いてたりしないでしょうね」

「…………」


 働きやがったな!


 分かりやすく黙秘権を行使するウォルシンガム。私の隣で、セシルが肩を震わした。


「? どうしたの精霊さん」

「いえ……クマさん……フフッ」


 笑いをこらえるセシルに、私は笑顔でウォルシンガムを指差した。指された当人は、やはり仏頂面だ。


「ピッタリでしょ?」

「ええ、とてもいい愛称だと思います……」

「…………」


 無言のまま、眉間に皺を寄せるウォルシンガムに、私は心配になって様子を窺った。


「ダメ……?」

「いえ、いかようにもお呼び下さい。陛下のお気に召すままに」


 素っ気なく言って、胸に手を当て一礼をして去っていく。


 なんか反応悪い……


 セシルは喜んでくれたのに。 


 冴えない気持ちで後姿を見送ると、セシルが笑ってフォローした。


「喜んでますよ」

「本当……?」


 ウォルシンガムが何を考えているかは、本当によく分からない。

 時々セシルの通訳が必要だ。


「そうそうセシル、ロバートの件だけど、もう呼び戻してもいいわよね?」


 ロンドンに戻ったら、真っ先にやろうと思っていたことを口にする。

 エイミー・ダドリーの死から、そろそろ3カ月が経とうとしている。喪明けには十分だろう。


 ロバートもいつまでも蟄居させてたら、本気で腐ってしまいそうだ。

 ……しばらく見ない間に、すごく太ってたりしたら笑うけど。


「ええ、そうですね。ただ……すぐに以前のように傍に置くのはやめた方がいいかもしれません」

「やっぱり?」

「宮廷内の空気を見て、ということにはなるでしょうが……」


 ロバートが帰ってきた後の宮廷の雰囲気というのが、いまいち予想のつかなかった私はピンとこなかったのだが、それはすぐに思い知らされることになった。



 翌日9月2日。ロバートが2カ月半ぶりに宮廷に姿を見せた。


 安心というか残念というかなんというか、相変わらず完璧なスタイルのイケメンだ。


「おかえりなさい、ロバート」


 私室に挨拶に来たロバートと顔を合わせると、久しぶりに見た整った顔がぱっと輝く。


 おっと?


 また抱きつかれるかと思って反射的に身構えるが、そうは来ず、彼は私の足元に大人しく跪いた。


「お久しぶりです、陛下。この度は宮廷への出仕をお許し頂き、誠にありがとうございます」


 あれ? 普通……


 どんな大仰な再会の言葉が待ち受けているのかと、色々予想していたのだが、普通すぎて拍子抜けする。


 彼なりに反省し、自制するようになったのだろうか……と思ったが、理由はすぐに分かった。


 久しぶりなので少し話をしようと、ロバートを散歩に誘ったのだが、2人で一緒に私室を出て、並んで廊下を歩く間にも、いくつもの疑わしげな視線を向けられた。


 通りすがりに私に挨拶をする人間が、ロバートにはぎこちなかったり、軽蔑するような眼差しを向けたり、露骨に無視した態度を取るのだ。


 なんか、超感じ悪いんですけどっ?


 中には明らかに、帰ってきたロバートを見物に来たような足取りの者もいて、あちらこちらでひそひそと囁き合う気配を感じ取る。


「……妻殺しが……」

「……女王陛下は、またあの罪人を寵愛するおつもりなのか……」


 誰だ今、ぼそっとそんなこと言いやがった奴は!?


 むかついて振り返るが、皆さっと目を背けて散ってしまう。


 くそぅ。


 私も小学生の頃、日本人ぽくない顔を理由にいじめられたことがあるから、こういう空気は大嫌いだ。


「陛下、せっかくお誘い頂いたのに申し訳ないのですが、やはりやめておきましょう。陪審の結果は出たが、まだ俺の疑いは晴れていないようだ」

「そうね……ごめんなさい、ロバート」


 理性的な声で辞退したロバートが、慇懃な態度で礼を取り去っていく。

 その後ろ姿を、やはりいくつもの好奇の視線が追いかけた。 


 やな感じだ。


 喪中という口実を作っての蟄居であったため、私としては、喪が明ければ蟄居を解くのは当然という思考だったのだが、戻ってきてもロバートは腫れもののような扱いで、噂が下火になることはなかった。


 無実の罪であるはずなのに、すでにロバートが不祥事を起こしたような空気が作り上げられており、この状況で私が無理に彼を傍に置けば、また贔屓していると非難されるのは明白だった。


 なので、私もロバートも空気を読んで親しく会話を交わすことはなかったし、彼を寝室に招くことも、秘密枢密院会議に呼ぶこともしなかった。


 ロバートとのコンタクトは、ウォルシンガムやセシルの方が取ってはいるはずだ。


 だが、内心私は不満たらたらだった。


 すでにロバートが宮廷に戻ってきて4日が経つが、いっこうに状況が改善する気配はない。


 なんなの、この学校のいじめみたいな空気!


「無実の人間をいつまでも蟄居処分にしてられるわけないでしょ? なんでそれが、私が贔屓してるから呼び戻したって話になるわけ!?」


 ぐしゃっと、いらない書類を握りつぶし、執務室の隅のゴミ箱目指して放り投げる。


 全然届かないで床に落ちた紙くずを、ウォルシンガムが拾い上げ、ゴミ箱に入れた。


 公務で机に向かっている私の補佐をしているのは、本日はクマさんである。精霊さんは忙しいらしい。


 私の八つ当たり気味の問いに、ウォルシンガムは事務的に答えた。


「彼らにとっては理屈よりも感情、感情よりも利得です。ロバート卿は彼らにとって感情的にも利得的にも排除したい存在であるという、ただそれだけのことです」


 子供か!


「……まあいいわ。いちいちそんな声に耳を貸していたら、ルールなんか崩壊して無茶苦茶になるもの」


 一応、空気は読むが、やつらの作り上げた都合のいい空気に流されるつもりはない。


「法に触れるようであれば裁きますし、そうでないならば裁きません」


 鼻息荒く言い切った私に、ウォルシンガムの目が鋭く光った。


「陛下、今の言葉、決してお忘れなきよう」

「え……わ、忘れないけど……?」


 なんか私、変なこと言った……?


 言質を取られたような鋭さに、ドギマギする。


 この男、たまに妙に迫力あるんだよな……


「ねぇ。クマさんは、私よりはロバートとコンタクト取ってるわよね?」

「比較的に、と言うならばそうですね」

「じゃあ、言っといてあげて欲しいんだけど。もし、ロバートが宮廷にいるのが辛いなら、ここを離れる許可をあげても……」

「陛下、誤解があるようなので申し上げますが、女性ならまだしも、どのような状況であれ、男が宮廷を去ることを望むことはあり得ません」


 私の同情案を、ウォルシンガムはピシャリとはねつけた。


「権力の中枢は全てこのロンドンにあります。宮廷を離れることは、自ら出世の道を断つことに等しい」


 なるほど……


「それと、例え優しさからの言葉であっても、貴女が男に逃げろと言ってはなりません。守るべき者に逃げろと諭されるのは、男の矜持を傷つけます。逃げるか逃げないかの判断をするのは男自身です。それは名誉を取るか命を取るかの究極の選択であり、女性が口出しをしていい問題ではない」


 この時代における名誉や矜持というものは、私が生きていた時代とは比べものにならないくらい重いらしい。

 それは、もう半年以上ここで暮らしている私にも分かる。


 そういえば……五月祭でロバートに守られた時に、そんなことを言ってしまったような気が……


『離して、ロバート。これじゃあなたが危ない』

『あまり愚かなことをおっしゃらないでください』


『貴女の盾になる権利が奪われるくらいなら、死んだ方がマシだ』


 ウォルシンガムの忠言にはものすごく心当たりがあり、今更ながらアレはやっちまったんだと気付く。


 でもなぁ……


「あれは図太い男です。ご心配なさらずとも、いかにして陛下の隣に返り咲くかばかりを考えております」


 男のウォルシンガムが言うのなら、そうなのだろう。

 それについては納得するが、守る守られるの説教の方には反論した。


「でも、守られて死なれた方の気持ちはどうなるの。辛いじゃない」


 私を守って死にかけた男に訴えたのは、もう出来れば、ああいうことはやってくれるなという意思表示だったのだが、見返すウォルシンガムの眼差しは揺らぎもせず、事務的な口調で返された。


「それを受け入れるのが、貴女の立場です」

「……女王の仕事ってこと?」

「そう受け取っていただいて良いかと」

「…………」


 この男は、仕事で命を投げ出せるのか。


 そして、こっちは守られるのが仕事なのだから、その痛みも飲み込めと。


 感情的には納得しがたかったが、言いたいことは分かる。

 私はエリザベス女王の替えだけど、普通は王に替えなんか利かない以上、命に替えても守るという選択肢があるのは、きっと当たり前のことなのだろう。


 この時代、命の価値は決して平等なんかじゃない。


「……でも、やっぱり死んでほしくない」


 理屈とは別の部分で呟いた私に、ウォルシンガムは答えなかった。





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