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第4章 夏の行幸編
第50話 誰のものにもならない


「陛下……」


 不安定な舟の上でホールドされたまま、強引に横抱きにされ、トマスに顔を覗き込まれた。


「俺と結婚して下さい」


 これは脅迫だろう!


「……っこんな状態で卑怯よ! 離しなさい!」

「何が卑怯なものか。こちらの想いを、言を弄してかわそうとする貴女の方が、よほど卑怯でしょう」

「……っ」


 のらりくらりとかわそうとしていた自覚はあるだけに言葉を飲むが、反論の代わりに、私はトマスを睨みつけた。


「怒るわよ」

「怒るだけですか? 貴女は、その気になれば、俺の首を落とすこともできる」

「……そんなこと、するわけないでしょ……!?」


 有り得ないことを言われ、目を見開いて否定すると、トマスがフッと笑った。

 その誇らしげな笑みの理由が分からなかったが、彼は、切ない眼差しで私を見つめた。


「……愛しています。陛下……貴女を、エリザベスと呼びたい」


 囁いた顔が近づき、唇に触れようとするのを顔を背けて拒むと、そのまま頬にキスされた。


「離して……トマス。絶対いや」

「なぜ?」

「なぜって……」


 拒絶される理由がまるで分からないとでも言うような返しに、逆に言葉に詰まる。

 なぜこの男は、求婚した上で普通に襲ってくるのだ!?


「なぜです? 貴女も俺のことを好きだと言ってくれたでしょう」

「あれは、そういう意味じゃなくて、友達としての好きというか人としての好きというか!」

「十分です」


 十分じゃない!


「強引すぎるわよトマス!」

「貴女は強情すぎます、陛下」


 平然と言い返されてしまう。


「女性は、もっと素直な方が幸せになれる」


 囁き、額にキスしてきたトマスに、舟床に押し倒される。


「ちょっとトマス……!?」

「心配なんですよ。貴女は、早く俺のものにしないと、妙な男に奪われかねない」


 妙な男とはセシルのことかっ?!


「こんな不安な気持ちのまま、長く宮廷を離れなければいけないなど考えられない……俺は今夜、貴女を手に入れたい」

「どんな理屈よ、それは……!?」


 押し返そうとする私に、トマスが当たり前のように答えた。


「どうせ結婚するなら、先に既成事実を作ってしまった方が安心できる」


 抱けば所有権を主張できるとでも言いたげな台詞に、目眩がした。

 なに、その男本位の思想はこの時代の常識ですか……!?


 覆い被さってきたトマスの唇が鎖骨に触れる。同時に、スカートを掻き上げるように太ももを這った手に、ついに私はキレた。


「このっ……」


 ふざっけんな!


「……っ!?」


 右膝を立てて脇腹を蹴り、相手がひるんだ隙に身体の下から抜け出した私は、フルートの箱を身体の前に抱えて船尾に逃げ込んだ。


 先ほどの攻防から不安定だった船体が派手に揺れ、嫌な音を立てて軋むが、私は構わずに舟縁に身を乗り出した。


「陛下!」

「近づかないで!」


 ピシャリと言い切った私に、トマスが動きを止める。


「これ以上何かしたら、泳いででも逃げます」


 私の本気の拒絶は、彼にとっては衝撃でしかなかったようだ。

 目を見開き、トマスは苦痛を訴えるように顔を歪めた。


「陛下、なぜそれほど俺を拒絶するのですか。俺以上に、貴女にふさわしい男などいないはずだ!」

「来ないで!」


 近づこうとした相手を牽制するつもりで、一方の舟縁に体重をかけた。


 偏った重心に船体が傾き、トマスが慌ててバランスを取るように身を引いた。


 彼が、私が逃げられないように使った手を、今度は私が使った。


「やはり、貴女はロバート卿を……」


 悔しそうに呟いた言葉は、やはり見当違いなものだった。


「勘違いしないで。私は誰のものにもなりません」


 セシルでもロバートでもいいが、誰か意中の男がいるから自分が受け入れられないのだと、そういう思考から抜け出せない限りは、永遠に、この人は私を理解出来ない。


「私と良き友人でいたいなら、適切な距離を保つことを心がけるように。これはあなたの大嫌いなロバート卿にもよく言ってあります」


 強い口調で命じた私に、トマスはようやく、自分の求婚が本気で断られたことを理解したらしく、肩を落として、もと座っていた場所に戻った。


 両手で顔を覆い、俯いた男の姿には哀愁があったが、私は警戒心を解かずに、フルートを抱いたまま舟縁に手をかけていた。


 どれくらい、そうしていただろう。

 明るい星空の下、湖面にたゆたう小舟の上で動かない男女を、満月が冷ややかに照らし続けた。


 トマスが動くまで、動くつもりのなかった私に、ようやく顔を上げた彼が、オールに手をかけて静かに訴えた。


「……分かりました。どうか陛下、舟の内側にお戻り下さい。そこは危険です」

「…………」


 警戒したまま少しずつ移動し、出来るだけ離れた位置に座り込む。

 トマスは何も言わずに、小舟を湖の船着き場へと寄せてくれた。


 私はその間、一言も発さずに、湖岸に辿り着いた途端、逃げるように寝室に駆け戻った。





 翌朝、日が昇る前から、行幸の行列は出発の準備を始めていた。


 私の場合は、準備の出来た馬に乗るだけなので、そんなに早起きはしなくて済んだのだが……


 それでも、正直、昨夜のことがあって全然眠れなかったので、ひどく睡眠不足だ。


 ちょっときつく言い過ぎたかな……


 あんまり女をバカにした物言いだったから、ついカチンと来てしまった。膝を入れたことは正当防衛だと思っているから反省はしてないが、今になって、もっとうまい断り方はなかっただろうかと模索してしまう。


 いや、でも、襲われそうになったんだから、ここは断固とした態度で挑んで良かったはず。


 前に、ウォルシンガムに「深入りするな」と言われたことを思い出す。ここで変に情けをかけたら、また誤解を生むかもしれない。


 そんな葛藤をぐるぐる繰り返しているうちに、出発の時刻が来た。

 帰路は、往路とは別の道を通り、宿泊する街々で歓迎を受けながらロンドンに戻るが、目玉になるイベントは一通り終わったため、行きほど大仰な行程にはならない。


 最後の見送りに、屋敷の主が姿を見せることはなかった。


 私もどんな顔で会えばいいのか分からなかったので、正直助かったのだが、こんな気まずい空気のまま、顔を合わせずに別れるのは気がかりだった。


 でも、無理に会いに行ったところで、かける言葉がないしなぁ……


 私は、トマスの想いを受け入れられない。

 その状態で何を言おうとも、相手を傷つけるだけだろう。


「ノリッジの使者から、昨日のデモ隊の取り調べ結果が届きました。やはり、反国教会のカトリック教徒集団が絡んでいたようです」

「そう……」

「陛下……」


 馬車に揺られながらのセシルの報告にも、上の空で相槌を打つ。


 本当は今日も馬に乗るつもりだったのだが、気力が湧かなくて馬車に変更した。


 向かいの席にはセシルとキャットが座っているが、2人とも気まずそうに、ぼんやりと窓の外を眺める私を伺っていた。


 昨夜のプロポーズの件は初めから、ノーフォーク公の周囲で仕組まれていたことだった。

 それこそ、行幸先の最終目的地がノリッジに決まった頃から、彼の支持者の間で結婚熱が一気に燃え上がり、この機に決めろという声が、トマスを強烈に後押ししたようだった。


 寝室付き女官であるキャットたちにすら、最後の夜、求婚成立後にトマスを寝室に入れる話を通していたというのだから、用意周到というかなんというか。



 初めからそういう下心満載か! ちくしょうめ!



 はめられた感満点なのだが、キャットですら、そのことになんの悪気も感じていなかった。


 誰もが、私がトマスの求婚を受け入れると思い込んでいたのだ。


 そこまで思わせぶりな態度をとった覚えはないのだが、友情、恋愛、結婚までの過程が色々すっ飛ばしてる気がするのは、時代柄なのか立場柄なのか。

 21世紀の干物なので、そんな急速に階段駆け上がられてもついていけない。


 ……まぁ、じっくり来られたところで、結婚できないのは一緒なんだけど。


 多分に願望込みで周りが先走ってしまった感じがプンプンするこの1件は、私とトマスの間に気まずい空気を残して終わった。


 宮廷に戻ったら戻ったで、トマスが駄目だったら次は……と新しい候補者擁立に、さっそく廷臣らが裏で工作を始めるのかと思うとうんざりする。


 彼らにとっては、自分に都合のいい人間を女王の夫にあてがいたい、というのが本心だろうが、当事者にしてみれば、私もトマスも傷ついたのだ。


 こんなことなら、ロバートと恋人同士だと思われて、周囲が足踏みしていた時の方がよほどマシだった。


 大丈夫かなぁ、トマス。

 思いつめるタイプっぽいから、なんか心配……


 しばらくは地元に留まると言っていたので、フォローする機会もないのだが、舟の上で打ちひしがれた昨夜の姿を思い返すと、プライドの高い彼のメンタルが心配になる。振られたことなさそうだしな……


 ……って、なんで私、襲ってきた男のことをこんなに心配してんだ。


 別にトマスが嫌いだったわけじゃない。いい友達になれると思った。


 もし、『処女王(ヴァージン・クイーン)』という縛りがなかったら、私は、トマスの申し込みを受け入れていただろうか?


 ふと、そんなことを考える。


 仮定するのは難しかったが……それでも、彼との間にあった価値観の違いは、友人や臣下としては許容できても、夫婦としては難しいものだったのではないか、と思う。


 はたして、私が夫婦として価値観を共有できるような男が、この時代にいるかどうかは謎だが。

 ……21世紀でも、なかなか見つけられなかったんだけど。



 結婚ってむずかしー……



 馬車に揺られながら頬杖をつき、ぼんやりと思う。



 そうして、私の最初の夏の行幸が終わった。






第4章 完

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