丘を一周した後、川辺で少し馬を休めて涼み、私たちはたわいもない会話を交わしながら、のんびりと宮殿へと戻った。
「でも、いいわねー行幸って」
空の青のまぶしさに眼を細め、仰ぎ見ながら呟いた私に、馬を並べるトマスが目で問いかけた。
「外に出ると、たくさんのことに気付けるし、民の声も直接聞ける」
分かっていたことだけど、やはり、実際に体験してみると実感が伴う。
「大事にしなきゃね」
「……はい」
そう同意したトマスが、満足そうに微笑んだ。
宮殿まで戻ると、トマスが先に馬を降り、すぐに白馬の傍に寄った。
私を降ろそうと腕を伸ばしてきたのを、手で制して断る。
人がいないところでまで、こまめにエスコートしてもらわなくて大丈夫だ。
「大丈夫。ひとりで降りれる……うう!?」
「陛下!」
体重を移動した時に、ずるっとスカートが滑り、高い馬上から落ちそうになった私を、真下にいたトマスが抱き留めてくれた。
かっこつけて失敗したよ! 恥ずかしい子だよコレ!
あまりのかっこ悪さに固まっていた私は、トマスの腕に収まったまま、辛うじて口を開いた。
「ゴメン……トマス、ありがとう」
「いえ……」
そのまま離してもらえるかと思ったら、そのまま、ぎゅっと抱きしめられてしまった。
…………
「ええと、離してもらっていいかしら?」
「……離さない」
こら待て。
思わぬところで反旗を翻された。
「トマス!?」
「……今日の貴女は、ずっと抱きしめていたくなるような可憐な魅力がある」
それは、多分間違いなくドレスの効果だから!
今日、全然可憐なことしてないよね!?
言葉通り、抱きしめる以上のことをしてくる気はないようで、ぎゅーっと相手の胸板に押しつけられながら、どうしたもんかと思案する。
トマスは、そういう可憐な感じの子が好きなのか?
まぁ、大抵の男はそういう、可憐でか弱くて守りたくなるような可愛い女の子が好きだろうけど……
だとしたら、大分、私は好みからかけ離れることになる。衣装などに騙されてはいけない。
「き、今日はたまたま。格好だけよ。中身は全然可憐じゃないから、期待すると損するわよ」
トマスも、私の外見詐欺にはひっかかりたくあるまい。別に、詐欺っているつもりはないのだけど。
何とか腕から逃れて背を向けると、今度は左腕を掴まれた。
「またセシルのもとに逃げますか?」
「セシル……?」
昨夜のダンスの時のことを言ってるのか?
掴んだ腕を放さないまま、苛立ったようにトマスが言い募る。
「貴女はまるで気まぐれな猫のようだ。近づいてきたと思えば、触れる前にすり抜けていく」
そんなこと言われても……
責めるような口ぶりで言われて、私は困った。
どうやったってつきまとう結婚問題については、のらりくらりとしていくしかないのが現状だ。
トマスが好意を持ってくれているのは分かるが、捕まるわけにはいかない。
トマスは大事な臣下で、枢密院委員で、イングランドを代表する大貴族だ。
そういう意味でも、信頼関係を築いていきたい相手だったし、何よりトマスとはいい友達でいたいので、あまり困らせないで欲しいのだが。
だが、どうにもこの状況は、昨夜のダンスの時を思い出させてしまったらしく、トマスは急に不機嫌になった。
「ロバート卿なら、まだ惹かれた理由も分かりますが、セシルなどと俺を天秤にかけないで下さい」
など、だとぉ?
「それは、庶民だからって言いたいわけ?」
「他に何があるのです。あのような人に知られたくないような身分から出た人間が、どうして俺の後に陛下と踊る資格があると?」
仮にも貴族のロバートはライバルとして認めるけど、庶民出のセシルとは比べられるのも許せないと。
別に比べるつもりなんてこれっぽっちもないけど、セシルを血統で見下し、出自を軽蔑した物言いに、私はカチンときて手を振り解いた。
ロバートを語った時とは一変した態度に、彼の階級意識の強さと、その身に染み込んだ血統主義を見せつけられる。
だが、嫌悪に顔を歪めて見せるトマスに、悪びれる様子は全くない。
それが彼にとっての常識であり、宮廷にはびこる差別意識の総意なのだ。
あれだけ女王と国家に貢献しても、そんな目で見られるのかと思うと、自分のことのように悔しくなって、私はトマスを睨みつけた。
「よく分かりました。お望み通り、セシルのところに逃げます!」
啖呵を切って踵を返し、私はドレスの裾を翻して宮殿へと駆け戻った。
私の見えないところで、セシルが何を言われて、どう思ってるのか。
考えるだけで辛くなって、私はいてもたってもいられず、スカートの裾を掴んで、嵐のように廊下を走った。
周りがどう言おうとも、私だけはセシルの味方だから!
「セシル遊ぼー!」
「陛下!?」
セシルの客室に突撃した私は、八つ当たり気味に叫んで部屋に飛び込んだ。
客室に設えられた立派な机に向かって、何か書き物をしていたセシルが、驚いて振り返る。
私は、目についたソファに飛び込んでクッションを抱えた。
「しばらくここにいる!」
ドレスがぐちゃぐちゃになるのも構わずソファに転がる。
セシルの傍にいてあげたい。
トマスの発言に触発されて、燃え上がった正義感と使命感で飛んできたが、そんなやりとりがなされているとは露ほども知らない本人は、突然の私の訪問に目を丸くした。
「誰も一緒にはいないのですか?」
「さっきまでトマスと一緒だったけど……」
逃げてきた、とは言いにくかったので、濁して誤魔化したけど、きっとセシルにはお見通しだろう。
こちらに向き直ったセシルは小さく溜息をつき、眼鏡のブリッジを押し上げた。
「いけません、陛下。すぐにお戻り下さい」
「…………」
素っ気ない対応に、私はクッションを抱いたまま、むっつりと黙り込んで貝になった。
「そのようなことをすれば、誤解を生みます。私自身の個人的な感情は別として、私は立場上、陛下の名誉が傷つくような行為はお控え頂くよう進言しなければなりません」
セシルの正論は分かるが、へそを曲げていた私は素直に聞くことが出来なかった。
ロバートは蟄居させる羽目になったし、トマスはあんなことを言い出しているし、セシルは庶民だから仲良くしちゃダメとか……
女王は、気安い友人を作ることも許されないのか。
「……私だって友達欲しいもん」
急激に身に染みた孤独感に、泣きべそをかきそうになって、クッションで顔を隠してごまかす。
子どもか私は。
口に出した本音が妙に幼く聞こえて、気恥ずかしくなる。
そうか。ドレスのせいだな。こんな10代が着そうなぴらぴらでふわふわのドレスなんか着てるから、中身も退行してるんだ。
そう全部衣装のせいにして、言い逃れる。トマスが変だったのも、きっとこれのせい。
ソファで丸まってしまった私に、セシルが深々と溜息をつくのが聞こえた。
「……私も甘いですね」
独り言のような呟きに顔を上げると、セシルが眼鏡を取って微笑んだ。
「少しだけですよ」
「精霊さーん!」
大好きだー!
口には出さずに叫ぶ。
私はソファから身を起こし、ウキウキしながらセシルに話しかけた。
「何して遊ぶ? そういえば、カードとか、チェスとか、セシルとやったことないわよね」
「それはやめておきましょう」
「何で? 苦手とは思えないけど」
「少しだけ、と言ったでしょう」
首をかしげる私に、セシルは澄ました顔で言った。
「陛下は手を抜かれるのも負けるのもお嫌いです。その上、一度ムキになったら引かないので、勝つまで続けると言いかねない」
よくご存じで。
「駆け引きが物を言うカードゲームやボードゲームで、陛下が私に勝てるとお思いですか?」
「う……思わない……デス。」
ええ、それはもう、これっぽっちも。
にっこり微笑んで言われた台詞は、どんな脅し文句よりも挑発よりも、私を黙らせるには効果覿面だった。
そうだった……この人、優しいだけの人じゃなかった……
今更気付いて、わがままを押し通したことにビビった私だった。
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