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第4章 夏の行幸編
第45話 セシルのわがまま


 儀式ばった晩餐会が終了すると、次はいよいよ酒宴だ。


 野外での宴は、広大な庭園の湖の畔で催された。

 なかなか日の沈まない夏の夜に、貴族や高級官僚とその夫人達、高位聖職者を始めとする数百人が憩い、仮面劇や水上ページェントを楽しんだ。


 ようやく暗くなり始めた頃から、庭中に無数のランプが灯され、生演奏と花火が宴に華を添える。


 私は湖畔の一番眺めの良い場所に設えられた壇上から、花火と藍色の空、煌めく湖を酒のつまみに、のんびりと夏の夜を楽しんでいた。


 いやー、こんな気持ちいい夏の夜に、花火見ながら酒飲めるとか最高だわー。


 完全にオッサンのような感想を抱きつつ、ほどよくお酒も回ってきた私は上機嫌だった。


 そんな私の隣には、今日は常にトマスがいる。


 そろそろ身体を動かしたいなー、などと思い出した頃、イタリア人の曲芸師たちが出てきて、見事な踊りを披露してくれた。

 転がったり跳ねたり宙返りしたり、一体どんな体幹と身体のバネをしているのかと問いたいほどに、前後左右、上下斜めと自由自在だ。


「凄い凄い! あの3回クルクル回るやつやってみたいかも」

「出来ますか? 陛下」

「やりたいけど無理! あ、ロバートなら出来るかも」

「……ああ、あの男ならやりかねません。陛下のご命令とあれば」 


 そう言って、意地悪く笑うトマスの横顔は楽しそうで、いつもと全然違って見える。

 この男も、私と同じで、普段は公爵の仮面をかぶっているのかもしれない。


「ね、トマス。踊ろ!」


 曲芸師の小踊りが終わったところで、曲調が変わり、ダンスタイムに入った。


 先に立ち上がって誘うと、トマスは私を見上げながら謙遜した。


「実は、あまりダンスは得意ではないのですが」

「そうなの? 踊らない?」

「いえ、お相手させて下さい」


 既に差し出していた私の手を取り、立ち上がったトマスが苦笑した。


「ちゃんとエスコートは俺にさせてください、陛下」

「あ、ごめん。先走った」


 女性の方から誘ってしまった。しかも、こっちが主賓で相手はホストなのに。

 でもお酒も飲んだし、そんな細かいことに気を遣うのは楽しくないので、私は舌を出して適当に謝った。


 酒の席、酒の席!


 そういや、この世界には無礼講ってないんだろうか?

 営業時代は男社会だったので、羽目を外す同僚に交じって大騒ぎするのは、なかなか楽しかった。

 さすがにもう、ここでは、そういうことは出来ないだろうが。


 トマスに手を取られて壇上から降り、スペースの広い場所まで出て、2人で踊り始めるが――


 得意じゃないとかいいつつ、普通に上手い。


「上手いじゃない」

「そうですか?」


 お世辞ではなく褒めてみたのだが、トマスは納得していない顔だ。

 謙遜している割にはプライドの塊である。


 あれか、完璧じゃないと上手いと言いたくないタイプか!


 腰を抱かれ、向かい合ってステップを踏む間にも、注がれる視線に顔を上げると、トマスが微笑んだ。


「どうしたの?」


 見るなとは言わないが、あまりじっと見られると穴があきそうだ。ウォルシンガムじゃあるまいし。


 だが、歩く監視カメラは絶対言わなさそうな答えが返ってきた。


「いえ……今宵はいつも以上に艶めいて見えるので、目が離せませんでした」

「艶……?」


 どっちかっつーと、酔っぱらいモードに入りつつあるが。


「……離したくなくなりますね」


 腰を抱く手に力がこもり、引き寄せられる。


 うわっ……


 耳元で囁かれた声に、思わず身をすくめた。


 トマスのくせに口説いてくるかっ!


 全く英国紳士というやつは、堅物そうに見えても油断ならない。


 油断してたので内心ドキドキしながら、出来るだけ澄ました顔を作って睨み上げる。


「……ダンス中に口説くってどうなの?」


 この宴の主役なだけに、周囲の目は完全にこちらに集まっている。


「ロバート卿は口説かなかったとでも?」


 ロバートを引き合いに出して反撃してくるが、あいつの場合、口説くのが通常運転だったので何とも言えない。


「そういうこと言うヤツは踊ってやんない」


 何となく妙な雰囲気になりそうな気がしたので、私は1曲終わったインターバルでするっと腕を逃れて、トマスから離れた。


 私がフリーになると、足を進める先で他の貴族たちが次々と手を差し伸べてきたが、それらを全て適当にかわして、私は隅の方のテーブルでニコラス・ベーコンとお酒を飲んでいるセシルの前に立った。


「精霊さん! 踊ろ!」

「わ、私ですかっ?」


 完全に座って傍観していたセシルを立たせ、両手を取る。


「1回セシルと踊ってみたかったよねー」

「私はっこういうのは……っお恥ずかしいほど苦手で……っ」


 眼鏡の奥の大きな目を丸くし、珍しいくらいあわあわしているセシルを、私は問答無用で踊れそうな場所に連れ出した。


「とても陛下の隣に並び立てるような装いでもありまえせんし……っ」


 セシルも一応、宴に合わせた服装はしているが、いつも地味目だ。稼ぎはいいはずなのだが、あまり興味がないのだろう。


 予想外の抵抗にあい、酒の勢いでかねてからの願望を果たそうとしていた私の意気は少し萎んだ。


 セシルがどーっしても恥ずかしくて嫌だって言うんなら、無理に踊らせるのもかわいそうだけど……


「ダメ……?」


 上目遣いに見上げると、セシルはほとほと困ったような顔で眉を下げた。この困った顔が、私は結構好きだったりする。なんか可愛い。


「……お手柔らかにお願いします」


 萌えぇっ


 密かにキャラ萌えしている中身オッサンはドレスの下に隠しつつ、私が澄ました顔でセシルと向かい合うと、相手の方はものすごーく遠慮がちに腰に手を回してきた。


 あ、大丈夫大丈夫。


 確かに得意ではないのは分かるが、ちゃんと踊れている。


 ものすごーく緊張してこちらに合わせているのが見て取れて、いつもの完璧宰相とは違う一面が見れて新鮮だ。


 かわいー。


「陛下……あの……」


 私が内心ニヤニヤして萌えていると、セシルが遠慮がちに声をかけてきた。


「大変に楽しまれているところ申し訳ないのですが」


 ニヤニヤが顔に出ていたか!?


 バレバレ過ぎて焦る。


「酒宴の席とはいえ、私のような身分の人間が、陛下のダンスのお相手を務めるのは、喜ばない人間もいるかと……」

「でも、セシルは国務大臣でしょう?」


 宮廷第1位の重職だ。


 貴族じゃないから、という理由で軽んじられるべき立場ではないし、何より、彼の宮廷での存在感と貢献度は、十分周囲を納得させられるだけのものだと私は思っている。


「それはそうですが……気にする者は気にするのです」

「そう? じゃあ精霊さんをそんなことでいじめるヤツがいたら、私に言って。ぶっ飛ばしてあげるから」

「ははは……」


 酒の勢いも手伝っての私の発言に、セシルが返答に困ったように笑った。


 なんかセシル、元気ない……?


 気になったが、聞いてもごまかされそうだったので、私はセシルの希望通り、1曲で解放してあげた。





 夜更け過ぎまで続いた宴も和やかに終わり、寝室に戻った私は、眠れないまま広いベッドをゆっくりとゴロゴロした。


 旅疲れしてるはずなんだけど……中途半端にお酒飲んで目が覚めちゃったか?


 普段の宴では、酔っ払って粗相をしないように、飲むにしても自制しているのだが、今日は楽しすぎたので、つい杯を重ねてしまった。


 この時代では、食事の時はビールやエールを飲むのが一般的なのだが、私は普段からミネラルウォーターを飲むようにしている。

 ワインは、儀式的な晩餐や宴の席でしか飲まない。


 お酒は好きなのだが、飲むと酔って頭の働きが鈍くなるので、仕事の効率が悪くなるのが嫌なのだ。あと、飲むと気が大きくなるので、地を出さない自信がない。


 基本、仕事中に酒は飲まない、という日本人サラリーマン的な道徳概念が、私の中には徹底的に染みこんでいた。


 こういった嗜好は、同じ理由でセシルも大いに共感してくれているのだが、いかんせんミネラルウォーターは原水地からの配達コストが高く、手に入りにくい。


 だいたい、ビールが一般的な飲み物になっている理由は、都市圏の水事情の悪さにあり、衛生状態の悪いテムズ川の水が飲み水に適さないからである。


 上水道自体は、ローマ人という偉大な人達がイングランドにも遺していったのだが、彼らが去った後は、英国人は昔の方法に戻り、わき水、河、井戸から水を汲むようになったようだ。


 上下水道の整備は、街の衛生状態の改善や市民の健康維持のためには絶対に必要なものなので、私はこれに関しては戴冠直後から、第一の公共事業として、まずはロンドン市内の環境改善を目標に、事業を推し進めている。


 私自身が技術者達と話し合い、現場をチェックしに行くほどの力の入れようである。


 ……こういうことにお金をかけたいので、戦争はしたくないというのが本音なんだよなぁ。


 などと、つれづれと仕事のことを考えていると、余計に頭が冴えて眠れなくなってきた。 


 寝れないまま寝る努力をするのに飽きてきて、私は腹筋で上体を起こし、同じ部屋のソファで眠るキャットを伺った。


 今日は、キャットも宴に参加してて、旦那さんと楽しそうに踊っていた。

 年上の旦那さんは、彼女が好きだったというトマス・シーモアとは正反対の、際立った華やかさはないが、誠実そうな男の人だ。


 大事にしてくれてるみたいだし、幸せそうでいいよなぁ、と思う。


 彼女もやっぱり長旅で疲れていたらしく、今はぐっすり眠っていた。


 しめしめ……


 これは大チャンスである。

 夜風に当たりたくて、私は足音を忍ばせ、こっそりと部屋を出た。


 寝間着代わりのナイトドレスの上に、一応薄手のショールをひっかけ、室内履きをはいて出る。長い廊下を息をひそめながら歩き、階段を下りて、私は中庭の方に向かった。


 列柱廊に囲まれた庭園に一歩出ると、夏のぬるい夜風が頬を撫でた。


 素肌を滑るその風が心地よく、私はぼんやりと足の向くままに庭園の小路を進んでいたのだが、その先に、意外な人物の後ろ姿を見つけた。


「……精霊さん?」

「陛下……!?」


 声をかけると、両手を胸の前で組み合わせていたセシルが、驚いて振り返る。


「おひとりですか? なぜこんなところに……」

「お酒入っちゃったから、変に目が冴えて眠れなくて。こっそり抜けてきちゃった」


 近づきながら答え、セシルの手を見る。


「お祈りしてたの?」

「いえ……少し考え事を」

「考え事?」


 目の前まで来て見上げると、セシルが目を逸らした。


「んー?」


 眼鏡を取り上げて、下から相手を覗き込むと、分かりやすく眉が下がる。


 無言の圧力に観念したように、セシルが口を開いた。


「結婚を……ええ、結婚を、お考え頂きたいと思っていたのですが」

「が?」


 この件で、セシルから逆接が出るとは珍しい。


 だが、そこまで言って口に手を当て、迷うように目が泳いだ。


 心なしか、白い顔がほんのりと赤い。

 彼も酒宴の席で飲んでいたようだから、まだ酔いが覚めていないのかもしれない。


「……自分でもよく分からないのです」


 目を伏せてそう言った彼の声は、言葉の通り定まっていなかった。


「私は生涯陛下にお仕えするつもりですが、仮に……仮に陛下がどなたか高貴な男性と結婚されて、その方が王となった場合……私は、どちらにお仕えすることになるのでしょうか」

「え……?」


 質問の意図を図りかね、聞き返すと、セシルは慌てて取り繕った。


「いえ、陛下にお仕えすることは間違いないのですが。もし、陛下が政界から身を引かれてしまった場合、私の能力を発揮できるのは政の世界でしかなく、すなわち、陛下が政権を委ねた夫君のために仕えることになるのかと思うと……」

「思うと?」

「……少し、違和感を覚えました」


 これは……!


 躊躇いがちに答えた彼の言葉にピンと来て、私は逆に気分が高揚した。


「申し訳ありません。ただ個人的な感情で、つまらないことを申し上げました」


 目を伏せて謝るセシルは、自分の言葉を後悔したようだった。


 きっと彼は、誰の下でも、その君主のために全力で働けるのだろう。

 けれど、そのセシルをもってして、私の下で働きたいと言ってもらえたのは――


 めちゃめちゃ嬉しいぞ!


「セシル、心配しないで。私、結婚しないから!」

「陛下! 私は、そのようなことを望んでいるわけでは、決して……」


 力一杯言い切る私に、セシルが慌てる。


「私も、ずっとセシルの王様でいたいの」

「陛下……」

「私の大事な精霊を、なんで誰かにあげなきゃいけないの?」


 セシルが言葉に詰まる。


 立ち話も疲れてきたので、私はセシルの手を引いて、庭園の中央の噴水の縁に腰を下ろした。

 隣にセシルが腰を下ろすのを待って、私はぶらつかせた足の先を見ながら口を開いた。


「そうねぇ……結婚の条件に入れようかしら。結婚しても王様は私。夫に政治的な干渉は一切させませんって」

「それは……以前、メアリー女王がフィリペ王との婚約の際に似たような条件をつけましたが、あれはスペイン国王とイングランド女王の結婚という異例のものだったので、そのような条件を飲ませられただけで、普通は夫君の方を納得させがたいかと……」

「じゃあ、フィリペ王にしとく?」

「陛下!」


 セシルのまっとうな意見をからかうと、難しい顔をされた。

 まあ、それは冗談だが。


「セシルわがまま」

「……すみません」

「ふふっ」


 謝られて勝ち誇る。実はそのわがままが嬉しかったりするのだが、セシルは深く反省しているようだった。


「理に適わない、滑稽なことを言っている自覚はあります」

「ううん、嬉しいの。ちゃんとセシルが、私を王様として認めてくれてるんだって思って」


 セシルがただ常識や良識だけで判断するなら、結婚した後も女に政治に携わって欲しいなんて、ややこしいことは言わないはずだ。


「私やっぱり、結婚したくないなー」

「21世紀の歴史がそう示してるからですか?」

「ううん、そうじゃなくて……それもあるけど……」


 歴史に殉じるならば、結婚しちゃいけない、とは思うけれども、結婚したくない、と思うのは、また別の理由だ。


「ずっとセシル達と一緒に走っていたいから」

「…………」

「女って、結婚したらどこかでリタイアしないといけないじゃない? それこそ、王様と女王様が両方権力ふるうと、絶対に派閥が出来て、内部で衝突が起こるでしょう」

「仰る通りです」


 セシルが頷く。


 船頭多くして、船山に登るというやつだ。


「それを考えると、やっぱり女の方が身を引かなきゃいけないと思うんだけど……私も、個人的な感情で言わせてもらえば、結婚して、子供産んで、引退して、母親になるっていう未来が、どうもしっくり来ないのよねー」


 これは、働いていた時もそうだったんだけど。


 ずっと現役でいたい、というよりは、大人しく家庭に入る自分が想像出来ないのだ。


 意外に、実際やってみたら出来るものなのかもしれないが。


「まぁ、後継者残すのが女王の一番の仕事だって言われたら、それまでなんだけど」

「陛下……」


 先回りして結婚推進派が言いそうなことを呟くと、言葉を探しあぐねるような沈黙の後、セシルは小さく息をついた。


「どうか、今日の私の話は忘れて下さい……私は、陛下のためにも、国家のためにも、結婚をしていただくのは大切なことだと、今でも思っています。私自身のわずかな私情などは、取るに足りないものです。本来ならば、お話しするようなことですらなかったのですが、つい、口が滑りました」

「じゃあ、滑らせてくれてよかった。嬉しかったもの」


 笑顔で本音を言って、隣のセシルを覗き込むと、彼は優しげな眉を下げて、困ったように微笑んだ。







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