8月に入り、私たちは予定通りノーフォーク州入りを果たした。
しばらくはノーフォーク公の屋敷に滞在して歓待を受け、最終日には州都ノリッジを訪問する予定だ。
ノーフォーク公爵は、イングランド随一の大貴族だ。ノーフォーク州を中心に、
そして、これは最近知ったことなのだが、トマスはあの若さで既に2度の結婚歴があり、どちらも妻に先立たれているらしい。現在は、正真正銘独身だ。前例があるので、あえて正真正銘と言っておく。
彼の妻は2人とも、北部の富裕な貴族の女子相続人だった。政略結婚だったのかどうかまでは知らないが、これらの婚姻による相続もあり、今やノーフォーク公爵トマス・ハワードは、イングランドで並ぶ者のいない素封家になっていた。
ちなみに、最初の結婚は16歳の時らしい。さすがに、王族に連なる男子は結婚が早い。トマスは血統でいえば、エリザベスの又従兄弟に当たる。
彼の屋敷であるケニング・ホール宮は、噂には聞いていたが、王侯もかくやという、すさまじく豪奢な宮殿だった。
「すごーい……」
一般人丸出しの感想を呟きながら、馬上から宮殿を見上げていた私が到着すると、馬鹿でかい両開きの門扉が重々しく開いた。
ずらりと並んだ、儀式用の揃いの隊服に身を包んだ兵隊達が作る、圧巻の花道。
その中央に、両脇に侍従を控えさせたノーフォーク公が跪き、出迎えていた。
「お待ちしておりました。女王陛下」
うわー、王子様だー。
今日のトマスは一味違う。
ロンドンの宮廷にいる時もお洒落さんではあったものの、割とこざっぱりまとめていたトマスだが、今日はいかにも城の主という感じで、煌びやかな衣装を身に纏っている。
わー似合う似合うー。と思わず見物人感覚で手を叩いてしまいそうになる。
私も大概だが、こういう時、王侯貴族はほとんど舞台役者だ。
そつのない動きでマントを翻し、馬上の私を抱き下ろす仕草も様になっており、なるほど、会議室でのお堅いイメージが強いが、このあたりのエスコートはさすがに手慣れたもんである。まぁ、2回も結婚してるしな。
私なんて1回もしてないのに。
…………。
以上自虐終了。
「長旅でお疲れになったでしょう。日暮れには、歓迎の宴を用意しております。それまでは、ごゆっくりおくつろぎ下さい」
最高級ホテルばりのエスコートで、私のために用意された部屋へと案内される。
広すぎる宮殿を並んで歩いている間も、柱廊から見える敷地はどこに果てがあるのか分からないほどで、テニスコートもあれば噴水もあり、迷路庭園もあれば湖もある。
うん。ほとんど王の城と変わりない。
ここにまるまる宮廷を移してきても、普通にずっと使えそうだ。
「夜はダンス、劇、音楽、花火、アクロバットの演技や水上ページェントも予定しています。必ずや陛下にもご満足いただけるかと」
「そう、楽しみにしてる」
さすがイングランドの筆頭貴族である。これまでとはレベルの違う歓迎ぶりにびっくりしてしまうが、トマスは自信満々だった。
彼に連れられて通された客室は、何だったらセント・ジェイムズ宮殿の寝室よりも豪華だった。
「わー。すごいすごい!」
まずベッドがとてつもなく広かったので、私は喜んだ。
ゴロゴロがっ。ゴロゴロがいつもの倍以上できる!
天蓋付きのベッドは横も縦も大きすぎて、軽くこの中で1人暮らし出来そうだ。
ここに1人で寝るのか? すごいな……
ベッドに乗っかってふかふかの感触を確かめていると、じっとこちらをトマスが見つめてくるのに気付いた。見返すと、慌てて目を逸らされる。
「しばらくおくつろぎになられますか? また、宴の準備が整い次第、迎えに上がります」
「うん、そうするわ。ありがとうトマス」
トマスの目がなくなった途端、ゴロゴロする気満点だった私は、ウキウキと彼を見送った。
※
「キャット! 見てみてー」
「陛下、はしゃぎすぎです」
人の家のベッドで全力でゴロゴロする私に、キャットが呆れ果てた。
どうせお色直しをするので、暑いし動きにくいドレスは脱いで、アンダードレス1枚という、とても人には見せられない格好だ。
……そういえば、ロバートには見せざるを得ない状況に陥ったことがあったよーな記憶が蘇るが、速攻で抹消する。
「それにしても、トマスすごいわねー。あっちにもこっちにもこんな屋敷持ってるなんて。あいつ王様になる必要なんかないんじゃない」
ロンドンの屋敷も、遠目に見たことがあるだけだが、べらぼうにデカかった。
ヤツの年収はスコットランドの王室歳入にも匹敵する、という噂は本当だろうか。
こんな相手と結婚話が持ち上がっているなんていうと、つい玉の輿のような気がしてしまうが、相手が女王だとトマスの方が逆玉になってしまうという不思議。
……なんか、改めてえらいところに転生してしまったなと実感する。
いい加減慣れてはきたのだが、たまにふと21世紀の価値観に戻ると、気が遠くなる。
うん、切り替えよう。
「どうしたの? キャット」
先程からしげしげと私を見つめているキャットに問いかけると、彼女は上品に口元に手を当てて答えた。
「いえ、陛下から結婚を意識するような発言を聞いたのは初めてだったものですから」
「えっ、別にそんなつもりないけど? 単に、周りがトマスと結婚しろってうるさいから……」
別に意識しているわけじゃなく、ちょっと引き合いに出してみただけだ。
みんな言葉尻を捉えては、なにかと煽ってくるので困ったものだ。
そんなに結婚させたいかっ!?
……させたいんだろうなぁ。
「そういうことにしておきましょう」
ふくれて反論すると、笑って流された。
なんか、ちょっぴり悔しいんですけど……っ?
「陛下、ノーフォーク公爵がお迎えにいらっしゃいましたが……」
「えっ? もう? 早っ」
寝室の向こうの控室から侍女の声が届き、私は慌ててベッドから身を起こした。
「ゴメン、まだ無理っ。今から着替えるから、相当待たせるって言っといて!」
到底、人には会えない格好なので、思わず大声で言い返してしまったが、キャットが呆れたようにこめかみを押さえ、伝言のため席を立った。
ああ……ゴメンね、はしたなかったね。
多分トマスにも聞こえてしまっただろう。笑われてなければいいが。あ、笑われてたらまだいいのか。
フォローを入れに行ったキャットが寝室に戻ってきた時には、いつもの侍女達が4名、ぞろぞろと付き従って入ってきた。
これから急ピッチでお着替えである。
とはいえ、宴の席なのでそう適当にも出来ない。というか、トマスがあんな格好をしているので、こっちも気合いを入れなければ負けてしまう。
結局、衣装を頑張った結果、相手を思いっきり待たせてしまうという、よくある女子の失態をやってしまった。
おそるおそる扉を開けて控え室を覗き込むと、トマスが1人、足を組んでソファに座っていた。
戻ってくれててもよかったのに、ずっと待ってたんだ……!
「ゴメン、相当待たせた」
声をかけると、考え事をしていたらしいトマスが気付いて、さっと席を立った。
「いえ、晩餐まで時間は十分にあったのですが、気が急いて、つい早く来てしまいました。少し庭園を案内がてらに散歩でも、と思っていたものですから……」
用意していたと思われる、こちらに気を遣わせないフォローの後、見つめてきたトマスが黙ってしまったので、首をかしげた。
「…………」
「どうしたの?」
聞くと、トマスはわずかに眉を顰め、生真面目に答えた。
「……いえ、陛下のお美しさを讃えようにも、陳腐な言葉しか出てこず、口にするのを迷っていたところです」
「何、それ」
お世辞を雨あられと降らせる人は山ほどいるが、そんなことを言う人は初めてだ。
「俺はロバート卿のような詩人にはなれませんので、退屈させてしまうかもしれませんが……」
なんで、みんな意外とロバートにコンプレックスを持っているんだろう。
いない時の方が評価の高い守馬頭が面白く、つい笑ってしまいそうになるが、真面目な顔で言っているトマスを笑い飛ばすのは可哀想なので、必死に堪えた。
「退屈しないわよ。あなた面白いもの」
「俺が? まさか」
「そうそう、そういうところが」
笑って煙に巻くと、トマスは困惑顔だ。
「庭園に出るほど時間はありませんので、画廊をご案内します」
予定を変更したトマスにエスコートされ、画廊へと向かう。その後ろを、静々とグレート・レディーズたちが付き従った。
美術館のような画廊で、代々のノーフォーク公爵の肖像画を眺めながら自慢話……もとい紹介を聞きつつ、時間を潰してから、私はすっかり晩餐の準備の整った大広間へと通された。
すでに廷臣の全員が着席していたが、女王が入室した瞬間、一斉に席を立って膝を折る。
「ほぉ……」
並び歩き席へと向かう、着飾った女王と公爵に、どこからか溜息が漏れた。
「素晴らしい……」
「まるで2つの陽が輝いているようだ……」
小声で交わされる賞賛の声が耳に入る。
今更、私が彼らにどうこう言われることもないので、大方、感心されているのはトマスの方だろう。
確かに、今日のトマスは着飾っているのもあるが、堂々とした立ち振る舞いがいかにも男らしく、威厳に溢れていた。
トマスが張りきってホスト役を演じているので、私はあえて前には出ず、一歩引くつもりで女性らしく振る舞うことにした。こういうのはどちらも前に出ると見苦しくなるので、バランスが大切だ。
……ただし、元の性格とかけ離れた行動を取るのは、プライベートではあまり長くは保たないのだが。
昔、一度好きな人のために半年ほど女子らしさを私なりに努力してみたことがあるのだが、あれはきつかった。
しかも、努力が実らなかった後の反動がすごかったので、相対的に見ると努力の前後で余計に女子力が低下するという残念な結果に終わった。
合わないことはするものじゃない、と、つくづく思う。
だが、演技としてなら、スポットライトが当たっている間は、いくらでも女性らしくもおしとやかにも振る舞える自信がある。自分以外の人間を演じきってこそ役者というものだ。
最近は、なかなか女王役が板についてきたと、自分でも思う。
……ウォルシンガムから見れば、まだまだのようだが。
トマスの完璧なエスコートを受け、私が席に着くと、いよいよ晩餐が始まった。
~その頃、秘密枢密院は……
女王の席の隣に座った公爵の挨拶の後、2人の主教によって食前の祈りが捧げられ、儀礼に則った晩餐が粛々と進行する。
その間、全ての参加者の注目は主役の2人に注がれており、その場の誰よりも華やかな男女が、和やかな微笑みを交わす度に、周囲の見えない思惑がさざめいた。
席次はホスト役のノーフォーク公爵が決めたもので、女王と公爵が座る首座の近くには、ノーフォーク公に親しい親類や支持者が集まっていた。
逆に、女王の宮廷で、彼女がホスト役であれば必ず首座に最も近い場所に座るウィリアム・セシルとニコラス・ベーコンは、彼らより下の席次に甘んじた。
セシルはその場所から、同席者たちの表情と人間関係、その裏の思惑とを、冷静に観察していた。
「いいじゃないか、実にお似合いだ。なあウィリアム」
「ええ、そうですね……」
生来大らかな気質のニコラス・ベーコンは、席次を下げられたことに対しておおっぴらに不満を表すこともなく、若い女王と公爵の仲睦まじい姿に目を細めた。
セシルは気のない相槌を打ちながら、これまでにない程の存在感を見せつける若き公爵を、注意深く眺めた。
女王と公爵が結婚すれば、それに伴う権力の移動が起こるのは必然だ。
血統主義である公爵とその周辺の人間によって、現在の女王による実務能力を重視した人材登用が退けられる可能性は、大いにある。
この晩餐の席の並びにも、その兆候を感じ取る鼻の利く廷臣はいるだろう。
すでに先の潮流を見越して、公爵側の貴族にすり寄る人間も増えていると聞く――これは、ウォルシンガムからの情報だが。
だが、宮廷とはそういうものだ。
王が変われば、権勢をふるう者も変わる。
芯を持たず、その時々の権力におもねった結果、時流の変転により失脚していく人間を、セシルは数多く見てきた。
実に4人の君主が入れ替わり、その度に信仰も権力構造もひっくり返った時代にあって、ウィリアム・セシルほど慎重に舵を取り、その能力によって時代の君主の寵を受けながら、自らが踏みしめる土台は踏み外さずに、宮廷の変転を乗り切った者はいない。
熱狂的なカトリック教徒で血統主義者であったメアリー女王にすら――セシルは信仰の違いを理由に重臣となることは拒否したが――彼女個人の臣下として寵を受け、誠意を持って仕えた。
君主が誰であれ、その身1つで宮廷を生き抜けることを、セシルは自らの経験から確信していた。
だが――
今、望んでいたはずの男の王の実現の可能性を前に、かつてないほどに心が曇るのは、何故だろう。
ノーフォーク公爵はカトリック的な心情を強く持っており、そのあたりの宗教的な齟齬が、いざ権力を握った後、どう出てくるかは未知数だ。
少なくとも、女王やセシルが目指す中庸政策と全く一致するとは考え難く、彼が政権を握るとなれば、何かしらの軌道修正や衝突が予想されるだろう。
……もっとも、そんなことを言い出したらきりがないのだが。
(そうじゃない)
セシルは、その正体の分からない感情に、もっともらしい理由をつけようとした己を否定した。
そうではない。そんなものではない。
この違和感は、もっと根本的な――
その時、首座から軽やかな笑いが弾け、セシルは視線を女王に向けた。
上品に口元を押さえ、しなやかに笑う彼女はいつも以上に艶があり、また、しとやかな女性美に溢れていた。
「やはりいい男の隣に座ると、女性は輝く」
「…………」
茶目っけを見せて囁くベーコンに、今度はセシルは答えなかった。
確かに、最高に着飾った若きノーフォーク公爵は、まるで王そのもののように映った。
2人の姿は皇帝と皇后のように輝いており、その場にいる誰もがうっとりと、彼らが夫婦となる未来に思いを馳せたが――セシルは1人、その光景に違和感を感じていた。
そう――やはり、違和感だ。
王の威厳と貫禄を見せるトマスの傍らに座り、微笑む女王は、まるで妖艶な妻のように映り、女性的な魅力に溢れてはいたが、はたして、本来の彼女の輝きはそういったものだったろうか。
夫婦とは共同体である以上、1つのバランスの上に成り立つ。
2つの太陽が同時に空に輝くことは出来ず、男が陽の王になるのならば、女は影の月にならなければならない。
いみじくも城主として振る舞うノーフォーク公の姿からは、この先彼らが夫婦となった時、彼自身が王として輝こうとするであろうことを、容易に想像させた。
それ自体は当たり前のことであり、セシルもまた夢想していた未来であったはずだが――
いざ目の前に突きつけられた現実に、この上ない違和感を覚える己の真意を、セシルは、珍しく測りかねていた。
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