ウォルシンガムの負傷を受けて、私は夏の行幸の日程を大幅に遅らせた。
彼の容態が安定するのを見届けるまでは、ロンドンを離れる気はなかった。
7月に半ばに入り、暑さも厳しくなり出した頃、私はセント・ジェイムズ宮殿を出て、ロンドン市内のある屋敷に向かった。
セシルの右腕として働くウォルシンガムは、宮廷内に部屋を与えられているが、市内にも住居を構えている。
王室付きの侍医達の治療で一命を取り留めたウォルシンガムは、現在自宅療養中だった。
順調に快復しているとの報告は受けていたが、自分の目で確かめないことには気が収まらない。
一応、セシルには許可を取ってきたが、騒ぎになっても嫌なので、出来るだけ地味に、お忍びでの訪問だ。
それでも、あんな事件の後なので、護衛の数だけでも結構なものだった。
訪れた屋敷の主には、なぜか渋面で迎えられた。
「陛下……」
「ダメ、動かないで。女王命令」
「…………」
ものすごいしかめっ面で、寝台から身を起こそうとする怪我人を、強制的に押しとどめる。
「……何の連絡もなかったので、驚きました」
「だって連絡したら来なくていいって言われたんだもん」
私が反論すると、ウォルシンガムはベッドに身を横たえたまま、恨みがましい目で見上げてきた。
「以前、私が床に伏せっても、見舞いには行ってやらないとおっしゃっていたように思いますが」
「覚えてないわね」
「…………」
しらっと答え、私は護衛を部屋の外に下がらせると、手近な椅子を勝手に枕元に運んで勝手に座った。
改めて、久しぶりにウォルシンガムの顔を近くで見て、目を瞬く。
なんか、人相が変わっている。
……いや、単純に、いつも綺麗に整えられている髭が伸び放題になってしまって、余計に年齢不詳になってるだけなんだけど。
「クマみたい……」
思わず呟いてしまって、聞こえたウォルシンガムが隠すように口元を手で覆って、顔を背けた。
「お見苦しい顔をお見せして申し訳ありません。陛下は見舞いには来られないと伺っていたものですから」
「誰もダメなんて言ってないじゃない。男前は得ね。髭伸びてもワイルドに見えるんだから」
卑屈な態度で顔を隠す手を取って、こちらを向かす。
うん、顔色は悪くない。
屋敷の召使いの話では、怪我の経過は良好らしい。
「あなた、きっと髭剃ったらものすごい美形ね。でもいいわ、そのままで。似合ってるし。それに、間違って惚れちゃったら困るもの」
「……ならば、剃りましょうか」
「…………」
返事に困って見下ろすと、ウォルシンガムが真顔で付け足した。
「冗談です」
冗談ならもっと冗談らしく言ってほしいものだ。
「……あなたでもそういう冗談言うのね」
一瞬ドキッとしてしまったではないか。
いかんいかん。こんな奴に惚れたら大変なことになる。
気を取り直して軽く頬をはたき、思考を切り替える。
「……良かったわね傷、出血の割に浅くて……でも、どうなるかと思った。あれで動こうとするなんて尋常じゃないわ」
「やるべきことがある以上、動けるうちは動きます」
16世紀にも過労死とかあるんだろうか。
ふとそんな疑問が過ぎった。
「勘弁してよ……動けなくなられたら困るじゃない。もっと自分の身体を大事になさい。これ、女王命令だから」
「御意。陛下の生命と国家の安全の次の次の次くらいには慎重に扱いましょう」
「……3番目と4番目は何なのよ」
「お答えできません」
秘密主義め!
だが、その会話が日常を思い出させて、ようやく肩の力が抜けた。
両手を伸ばし、ウォルシンガムの頬に触れてみる。
温かい。
その温もりに、確かな生命力を感じて安堵する。
血の気の引いた顔を見た時は、そのまま冷たくなっていってしまうんじゃないかと思って怖かった。
「良かった……生きてて」
「この程度では死にません」
「分かんないわよ。私だっていきなり死んだんだから」
「…………」
おっと。さらっと言ってしまったが、今のはブラックだったか?
自重して、話題を変える代わりに、伸びた髭を引っ張ってみると、ウォルシンガムが眉根を寄せた。
「痛いです陛下、何をなさるんですか」
「いや、いつも上の方にある顔が、こんな手頃な位置にあるもんだから物珍しくって」
「人の顔で遊ばないでください」
あまり男の人の髭に触る機会もないので、私は好奇心を優先してウォルシンガムの訴えを無視した。
そうやって相手が私だろうが関係なく、仏頂面で文句を言ってくるこの男が、いつも通りで安心する。
後の取り調べで、ジョン・ポウリーの犯行動機と背後関係が分かった。
ジョン・ポウリー自身は、本人の言葉通り、私への恋情が歪んでああいう形で発露してしまったらしい。
だが、彼がそうなるように仕向けた人間が、背後にはいた。
ウォルシンガムが以前指摘していたように、ジョン・ポウリーの恋文は、本人が書いたものではなかった。
彼の教養では、女王に宛てるに相応しい文が出せないため、知人のつてで知り合った知識人に代筆を頼んだのだ。
だが、その恋文の代筆を頼んだ相手が悪かった。
相手は、カトリック布教の為にスパイとしてロンドンに入り込んでいた、イエズス会士だったのだ。
女王と個人的な繋がりのある城の衛兵と知り合ったイエズス会士は、ジョン・ポウリーとの親交を深め、彼を洗脳して、狂気に近い恋心へと導いていった。
そして、そのイエズス会士は、ダドリー夫人が死んだことで、女王はロバート卿ともうすぐ結婚するだろうという噂話を利用して、ジョン・ポウリーを煽り、今回の凶行に及ばせたのだ。
ジョン・ポウリーは、頻繁に仕事の持ち場を離れ、宮廷内を徘徊して私につきまとっていた。
その度に、私に親しくするロバートを目撃し、嫉妬心と危機感を募らせていたため、その話をすっかり信じ込んでしまい、タガが外れたらしい。
件のイエズス会士は、ジョン・ポウリーに無理心中をそそのかした証拠を押さえられ、彼と共謀していたスパイ一味もろとも摘発された。
彼らは、ジョン・ポウリーから宮廷の情報を引き出し、母国の組織へと流していた。
「……あなたの忠告、当たっちゃったわね。ごめんなさい」
あまり深入りするな、勘違いさせるな、と言われた行動が、こんな形で返ってきた。
反省して謝ると、ウォルシンガムが首を振った。
「……いえ、防ぎ切れなかったのは私の落ち度です。あの男が、船上の1件以来、陛下に異常に入れ込んでいるという話は耳にしていました。陛下の姿を一目見ようと、不必要に宮廷を出入りしていることも」
いつも思うが、彼の情報収集能力は、ただの議員のそれではないような気がする。
そしてまた、セシルも彼のその能力に全幅の信頼を置いているように見えた。
「ですが、あの男は決して宮廷の出入りを禁じられている人間ではありません。ことを起こさない限り、捕らえることは出来ない。ああいう輩は徐々にエスカレートするものなので、泳がして何かしら軽度の問題を起こした時に取り押さえようと思っていたのですが……まさか、いきなりこんな暴挙に出るとは」
ウォルシンガムが、悔やむように顔を顰めた。
「御身を危険に晒してしまいました。申し訳ありません」
「バカ、謝らないでよ」
私の代わりに大怪我まで負われた上に謝られて、私は怒った。
「普段散々私に失礼な口聞いても謝らないくせに、こんなことで謝らないで」
泣きそうになったのを怒りの表情でごまかして睨みつけると、黒い双眸が私を見返したが、すぐに逸らされた。
「ロバート卿ならば、もっと颯爽と貴女を助けられたのでしょうが……」
「誰もド文系人間に、カッコイイ立ち回りなんて期待してないわよ……」
謹慎中の守馬頭を引き合いに出して、自虐してみせる男に呆れてしまう。
「もういい。この件で謝るの禁止。これ、女王命令だから」
今日は女王命令頻発だ。
公務を抜け出してきたので、あまり長居もしていられないのだが、私は最後にもう1度、ウォルシンガムの髭面を撫でた。実にクマさんだ。
「もじゃもじゃ……」
思わず笑いが零れた私を見て、ウォルシンガムが呆れたような息をついて微笑んだ。
あまり見ることのない、優しい顔だった。
「……ね、クマさん。早く元気になってね。その怖い顔見せてちょうだい」
それから、私は親愛を込めて、彼を『My Bear』――「私のクマさん」と呼ぶことにした。
H25.7.21活動報告に、【おまけ小話】クマさんの頭の中をお見せします。を掲載しました。
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