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第4章 夏の行幸編
第39話 守られる怖さ


 早速、大方の予想通り、大国フランスの政局は混乱を極めた。


 少年王フランソワ2世の摂政ギーズ公爵は、カトリック貴族の中心人物で、彼が権勢をふるうことに危機感を強めたプロテスタント派貴族が、フランソワ2世をギーズ公から引き離そうと、誘拐を画策したのだ。


 この『アンボワーズの陰謀』は実行する前に露見し、実行犯を含め1200人のプロテスタントが捕まり、残酷に処刑された。


 これにより、国内の宗教対立が深まることは確実だった。


 同じ頃、イングランドに直接関わる事件が起こる。


 即位したフランソワ2世が、自らがフランス・スコットランド・イングランド・アイルランドの君主であると堂々と名乗りを上げたのだ。


 エリザベスを王位簒奪者とし、メアリー・スチュアートこそイングランド王位の正当な継承者であると主張したこの宣言により、フランス・イングランド両国の緊張感は、今までにないレベルに達した。


 フランスとの全面対決も近いという噂が国中に流れ、「フランスはすでにスコットランドに対して、イングランドを侵攻するよう扇動している」「イングランドは先手を打つつもりで戦争準備を始めている」などという憶測が飛び交った。


 この危機を前に、またも女王の結婚問題が白熱した。



 何でも女王が結婚したら解決すると思うな!



 と言いたいところだが、要はフランス・スコットランドとの対立が深まったことで、結婚を伴う同盟で外国の後ろ盾を得る必要があると主張する声が大きくなり、それに対抗する形で、国際結婚に反対する派閥が、早くノーフォーク公爵と結婚しろとせっついてくるようになったのだ。


 どうやら、今の彼らの一押しはノーフォーク公であるらしい。


 ちなみに、国際結婚派の推しメンはオーストリアのカール大公である。


 オーストリアのハプスブルク家といえば、神聖ローマ帝国の帝位を独占する欧州随一の名門だ。

 現在の神聖ローマ帝国皇帝フェルディナント1世は、スペイン国王フィリペの叔父でもある。


 フィリペ王の結婚交渉が遅々として進まないことに業を煮やし、皇帝は皇帝で、ならばうちの息子はどうかと特使を派遣してきたのだ。


 以前から皇帝の次男か三男を婚約者に、という話自体はあったのだが、最近、なんと次男の方が商人の娘と身分違いの秘密結婚をしていたことが判明し、国内では大騒ぎになりつつ、必然的に私の婚約者候補は三男に絞られた。


 そのオーストリア大公カールは、現在19歳。無論カトリックではあるが、穏やかな信仰の持ち主で、人格も優れていると評判だ。

 三男なので、英国に婿入りしても長期滞在できる身であり、女王の婚約者候補としては、外国の国主であるフィリペよりも適していた。


 なにより、私とカール大公が結婚すれば、イングランドは、オーストリアのハプスブルク家とスペインという2つの強力な後ろ盾が出来る。


 国内ならばノーフォーク公。

 国外ならばカール大公。


 ほとんどそんな二者択一を迫られつつ、私は日々、「今はまだ誰とも結婚する気になれない」「実際に会ってみないと結婚なんて考えられない」などと言って婚約を渋り続けた。


 これ、結構しんどい。


 だが、今ここで明確にカール大公との縁談を断ってしまうと、この結婚交渉の行く末をじっと見守っているスコットランドとフランスを安心させてしまうので、特使を引き止めて交渉の引き延ばしを図るのは、結構重要だった。


 なるほど結婚交渉とは、外交の大きな武器になる。

 その間は、相手国もこちらの気を引こうとあらゆる譲歩をしてくるし、いつ同盟が組まれるかも分からないので、敵対国もおいそれと手が出せない。


 そうこう言っている間に本格的に夏に入り、宮廷では、女王の行幸の準備が急ピッチで進められていた。


 夏の行幸中は、宮廷の機能がまるまる移動することになる。

 そこに伴う人員や物品の量は尋常ではなく、移動は大名もかくやの大行列になる予定だ。


 この機会に、私は王室家政長官に人員の削減や無駄の廃止に努めるよう促し、宮廷のスリム化を図った。

 引っ越すと物が片付くというあれである。



「馬に乗っていかれるのですか?」


 そう聞いたウォルシンガムの顔は少し驚いていて、露骨に嫌そうだったが、いつものことなので私は気にせずに頷いた。


 秘密枢密院会議での、行幸中の移動手段の話である。


「うん。その方が、みんなの顔が見えるでしょう。馬車の中って暇なのよねー。かといって寝るわけにもいかないし」


 私は地下鉄の1駅間(約2分)を乗車している間にも、立ちながら寝れる特技の持ち主だ。営業中は、電車の移動時間は貴重な睡眠時間だったのだ。


 そのせいか、揺れる乗り物に乗ると速攻で寝てしまう癖がある。この睡魔を我慢するのは、かなりの苦痛だ。


 馬に乗るのは好きなので、お散歩気分でパカパカやりながら、沿道の市民と触れ合う方がきっと楽しいだろう、と思っての発案だった。


「人前に姿を見せるのは、それだけ御身が危険に晒されるリスクが高くなると言うことですが……」

「そんなこと言ってたら、ずっと引きこもっていなきゃいけないじゃない。びびって人前に姿を現さないような王様に、人民がついてくるの?」

「……おっしゃる通りです」


 彼の反応は予想していたので、胸を張って言い返すと、ここはウォルシンガムが折れた。


「大丈夫よ、優秀な臣下が守ってくれるから」


 プレッシャーをかけつつ、私はひそかにウォルシンガムに勝ったことに優越感を得ていた。


 そりゃ、私だってまったく怖くないわけではないが、命惜しさに部屋の隅で丸まって、やるべきこと、やれることをやらないのは自分に許さない。


 それに、どれだけ警戒したって、死ぬときは死ぬのだ。それこそ、事故や病気は避けられない。暗殺計画だって、外に出なければ全く安全、というわけでもない。


 軽く開き直らなければ、きっとこの立場は精神的に病んでしまうだろう。私はどんな心理テストをやっても、鬱病とは全く縁のない性格であるという診断が出ている。


 多分、病むくらいなら開き直るか、腹をくくるかを選んでしまうのだ。


 まあ、こんな王に仕える臣下は大変だろう、と思うが、どんな性格の王に仕えたってきっと大変なので、そこは許してほしい。


「ロバート卿がいない中では護衛に不安が残りますが、仕方がないですね。ウォルシンガム、くれぐれも陛下の周辺で不穏な動きがないか、網を張っていて下さい」

「勿論です」


 セシルの許可も出て、ひとまず私の要望が通る。


 そのまま、秘密枢密院で利用している小会議室を出て、私は2人を引き連れて謁見の間へと向かった。

 会議室の外で待機していたグレート・レディーズが、その後ろに付き従う。


 謁見の間には、普段、私たちは奥の扉から入る。ウォルシンガムが扉を開け、私が姿を見せると、すでに広間に集まっていた謁見希望者たちが、全員膝を折って礼をした。


 私が玉座に座ると、宰相のセシルがその傍らに立つ。秘書からリストを受け取ったセシルが、謁見希望者の名を順に読み上げるのも、いつものことだ。

 ウォルシンガムはというと、少し離れたところで、その様子をじっと見守っている。


 様々な陳情や申し入れ、プレゼントなどが女王の前に持ち出される光景は、もはや日常なのだが、その中にもやはり、そこはかとない緊張感が漂っている。

 外国大使たちは常に戦争の匂いを探して鼻をきかせているし、国民は心の奥底で疑いと不安を抱いている。


 そんな雑踏の中、薄い緊張の膜を破る声が響き渡った。


「大変です! 大変です!」


 この時間の謁見の間は大勢の人が出入りするため、正面の大扉は開け放されたままになっている。

 その両開きの扉口から、城の衛兵が飛び込んできた。


「何? 何があったの」


 ただ事ではないその剣幕に、私は玉座から腰を浮かした。

 先日の、フランス王の訃報を思い出す。


 今度は何だ?


 自然と人波が割れ、よろけるように息を切らせて駆け寄ってきた衛兵が跪いた。


「大変です!」

「落ち着いて話しなさい。何があったの?」

「じ、女王陛下の、御命が……ッ」


 私の指示に従い、顔を上げた男の報告が、途切れた。


「……?」


 奇妙な沈黙に、私は怪訝な顔を向けるが、若い衛兵は私を凝視したまま身じろぎもしなかった――いや、わずかに震えていた。


「うぅ……っ」


 かと思うと、急に胸を押さえ、身を折ってその場にうずくまる。


「どうしたのっ? 具合でも悪い……」

「陛下、いけません!!」


 驚いて手を伸ばし、相手に近寄ろうとした私に、ウォルシンガムが怒鳴った。

 迫力のある声に、思わず足を止めた私に、衛兵が叫ぶ。


「エリザベス!!」

「!?」


 今、私呼び捨てにされた……!?


 この国で、私を呼び捨てに出来る人間などいないはずだ。


 一体何事かと周囲がざわめいた時、衛兵は腰に履いた短剣を抜き、私に飛びかかってきた!


「取り押さえろ!」

「女王を守れ!!」


 誰かが叫び、近くにいた数人が飛び出すが、間に合わない。


「エリザベスぅぅぅ! 俺と死んでくれぇぇぇ!!」


 はぁっ!?


 その絶叫の内容を理解する間もなく、短剣を突き出す男の姿が間近に迫る。



 やられる!



 そう思って目をつぶった時、乱暴に腕を引かれた。


 次の瞬間、強く押される衝撃と、例の男の絶叫と、男に対する何人もの人間の罵声が、間近で混ざり合う――その合間に、耳慣れた声が苦しげに呻いた。


「くっ……」

「……ウォルシンガム!?」


 すぐ近くで聞こえた呻き声に目を開けた私は、目の前で、彼が苦痛に顔を歪めるのを見た。


 私の腕を掴んだまま、ウォルシンガムの身体が崩れるのを慌てて支えようとするが、体格が違いすぎて叶わない。

 重みに引きずられるように座り込んだ私の周りでは、臣下達が騒然と駆け回っていた。


 私を庇ったウォルシンガムを刺した衛兵は、後ろから飛びかかった男によって押さえつけられながらも、尋常でない狂乱ぶりで短剣を振り回し続けた。

 協力して取り押さえようとした何人かが、手や腕を切られて悲鳴を上げる。


「結婚なんてするな!!!」


 ようやく凶器を奪い、数名が押し潰す形で犯人を床に押さえつけると、男はその体勢のまま声を絞り出した。


「貴女を愛しているんだぁぁぁぁ!」

「はぁ……!?」


 何言ってんのこいつ!


 16世紀のヤンデレ!?


 あまりのことに愕然とする私の腕を押し返し、ウォルシンガムが脇腹を押さえて立ち上がった。


「ジョン・ポウリー……愚かなことを……!」


 脂汗にまみれた顔色は悪く、それでも犯人を睨みつける眼差しには、威厳と迫力がある。


「その男の口に布を詰めろ。裏にそいつを扇動した人間がいる。口を割らせるまでは決して死なせるな」


 協力して取り押さえた男達に代わって、犯人を拘束した近衛兵に指示を出すウォルシンガムを、ジョン・ポウリーが憎しみに満ちた目で睨み上げる。


 ……って、ジョン・ポウリーって、あの、フルートのブローチをくれた人?!


 その事実にも驚いたが、ウォルシンガムが彼の犯行を予想していたような口ぶりにも驚いた。


「ウォルシンガム……! あんたには……あんたには分からない! この方のお傍にいられるお前には……! この苦しみも、引き裂かれるような胸の痛みも……!」


 最後まで身勝手な告白と、ウォルシンガムへの嫉妬を叫び散らした男の口を、兵隊が布を突っ込み容赦なく塞ぐ。


「……尋問には私も向かおう。この男の周辺の不審な動きについては、いくつか情報が入っている」


 ジョン・ポウリーの叫びを無視し、ウォルシンガムは1歩を踏み出した。

 ……が、2歩目を踏み出す前に、床に崩れた。


「ウォルシンガム……!?」


 その身体に縋り、私は慌てて彼が傷口を押さえていた左手を取り上げた。

 大きな手のひらが、赤い血でべっとりと汚れていた。


「ウォルシンガム! ウォルシンガム! しっかりして!」


 左手を床に寝かせ、刺されたと思しき場所を探る。濃い血臭が鼻を突き、私の手もすぐに血の色に染まった。


「…………っ」


 血の気が引き、へたりと床に腰をついた私に、セシルが駆け寄ってくる。


「陛下ご無事ですか!?」

「女王陛下、血が……!」


 同じく慌てて駆け寄ってきたニコラス・ベーコンが目を瞠る。


「……ウォルシンガムの血よ。私は無傷です」


 呆然と、私はベーコンの見当違いな心配を退けた。


 放心したのは一瞬で、私はすぐに身を乗り出し、ウォルシンガムの顔を覗き込んだ。

 苦悶に顔を歪め、意識を失った浅黒い肌に血の気はなく、黒衣で目立たないだけで、出血はかなりのものと思われた。


「ウォルシンガム……ッ」


 震える手で顔に触れ、名前を呼ぶが、歯の根が噛み合わない。呼びかけても返事がないことが、余計に恐ろしかった。


 身を挺して守られるって、こんなに怖いことなのか。


「陛下、ここは1度、お部屋にお戻りに……」

「いや! それより早く医者を呼んで! ウォルシンガムが……!」


 混乱する現場で、何人もの人間が私に避難するよう訴えたが、矢に射られた水夫の扱いを見ていた私は、侍医達が駆けつけるまで、頑としてウォルシンガムの傍を離れなかった。






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