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第3章 婚約者選定編
第31話 ギャップ萌え?


「キャット・アシュリーを呼び戻しましょう」


 数日後、そう提案したセシルに、私は首をかしげた。


「キャット・アシュリー?」

「今回の件で、やはり、陛下には女性の友人が必要だと痛感しました。陛下が心身のお悩みを相談できるような、信頼できる女官をお傍に置いていただいた方がよいかと」


 セシルは今回、ロバートの内情を知っていながら黙認して、傷を広げたことを後悔したらしい。

 彼らの口からは言いにくいことを言ったり、逆に私が男の人に言えない相談を出来る仲介役が必要だと判断したのだろう。


「それは、私もずっとそうしたいとは思っているけど……そのキャット・アシュリーってどんな人なの?」


 セシルが名指しで推薦するくらいだから、信頼のおける人物なのだろうとは思うが……


「キャット・アシュリーは忠義の女性です。エリザベス様がご幼少の頃からお傍に仕え続け、教養もあり気遣いもあります。生前のエリザベス様とは深い絆で結ばれていましたので、陛下が記憶喪失であられると言うことを秘密裏に伝えても、決して口外することはないかと」

「なるほど……古い知り合いだと、そこは伝えておかないと、ごまかしようはないもんね」


 エリザベスの中身が21世紀の天童恵梨である云々は、この際伏せておいても構わないだろう。信じてもらうのはなかなか難しそうだ。


「今最低限必要なのは、エリザベスが25歳以前の記憶を持たないということを受け入れた上で、それを口外せず、身の回りの世話をしてくれる女性、ってことよね」

「はい」


 セシルが頷く。いつもの秘密枢密院会議……なのだが、あれ以来、ロバートは姿を見せていない。


「その条件を満たしてるとセシルが見立てるなら、そのキャット・アシュリーって人を呼んで」

「陛下ご自身の現在の人格については、どのように説明されるおつもりで?」


 ウォルシンガムが聞いてくる。実際、そこがとてつもなく難しいのだが……


 そのキャット・アシュリーが忠義を尽くしたエリザベスが死んだことや、入れ替わりに21世紀の人間の魂が入っているなんてことを、知ったところで受け入れられるかどうかは疑問だ。


「相手を見て考えるわ。実はエリザベスが死んで、21世紀の人間の人格が入ってる……なんてところまでは、隠さなきゃいけないようなら隠し通すし、話せる人間であれば、私の判断で話します」


 私もセシルの話だけでは、キャット・アシュリーがどんな人物かは分からない。それに、1つ気になることがあった。


「でも、そんな女性なら、どうしてエリザベスは侍女に取り立てなかったの?」


 今、私の周りに仕える女官や侍女は十人余りだが、いずれも、エリザベスの後援者の子女とか、ゆかりのある女性ばかりだ。


「それは……過去に少し、不祥事を起こしまして、エリザベス様の元から引き離されていたのです」

「不祥事?」

「それは、エドワード6世時代の話ですので、エリザベス様は即位後すぐに召し上げようとしたのですが、本人が周囲の目を気にして辞退したのです」

「そうなの。どういう不祥事?」


 問うと、セシルは少し困ったように笑った。


「陛下は、トマス・シーモアという男をご存知ですか?」

「全然知らない」


 有名な人なのだろうか。人の名前とか年号を覚えるのは得意ではないのだ。


「詳細を話すと長くなるので割愛しますが、トマス・シーモアはエドワード6世時代の海軍卿で、当時、まだ幼いエドワード6世の摂政として権勢をふるったサマセット公爵エドワード・シーモアの弟でした」


 エドワードにエドワード。同じような名前が多くてややこしい。だから覚えられないというのだ。


「彼は兄の権力を妬み、反乱を企てた。そして、己の権勢を高めるため、エリザベス様との結婚を画策した――キャット・アシュリーは、その片棒を担いだ罪でロンドン塔に連行されました。そして、それにより、エリザベス様自身にも、反乱の企てに関わった嫌疑がかけられたのです」


 なんとまあ、見事なとばっちりである。


「結果的にエリザベス様が有罪となるような証拠は何も出ませんでしたが、そのことでエリザベス様の名誉が酷く傷つけられたことは確かです。反乱計画の首謀者であったトマス・シーモアは処刑され、キャット・アシュリーはエリザベス様の教育係を罷免されました」

「キャット・アシュリーは、どうしてそんな男の片棒を担いじゃったの?」

「それは……本人に聞いて頂いたほうがよろしいかと」


 セシルは、そう言うに留めた。


 そして、キャット・アシュリーと彼女の夫を宮廷に登用する段取りをつけ、その日の会議は終わった。







 私とロバートが喧嘩した1件は、宮廷内に瞬く間に広がった。


 私の耳にも入るほどに、様々な憶測が飛び交ったが、ロバートに嫉妬する廷臣達の「ロバート卿はもう終わり」「女王の寵を失った」という忍び笑いを裏切り、私が特にロバートに処罰を下すことはなかった。


 それに最近は、慣れない環境でイケメンに迫られて浮かれていた自分を内省する方向に気持ちが収まっていて、ロバートに対する怒りはあまり感じなくなっている。


 だが、ロバートの方が自重しているのか、合わす顔がないのかへこたれているのか、ここ数日はあまり顔を合わせることがなかった。

 たまに顔を見たとしても、悄然とした様子で向こうが目を逸らす。やっぱりへこんでいるのだろう。


 ふと、移動中に、目立つ背の高い後ろ姿がフラフラと歩いているのを目撃した。


 あー……あの背中さびしそー……


「陛下」


 つい、ふらっと声をかけそうになった左腕を掴まれた私は、いつもながら影のように控えるウォルシンガムを振り仰いだ。


「何よ」

「いけません」

「だから何が」

「あのような仕打ちを受けておきながら、あの男に対して、まだ甘い顔をするおつもりですか」


 いつもながら、こいつの人間観察力はたいしたもんである。


「甘い顔って……だって、あんまりにもしょんぼりしてるから、なんか可哀想になっちゃって。冷静になってみれば、別に私の恋人だったわけでもないし、奥さんがいたからって怒る筋合いは――」

「陛下に既婚者であることを黙って、たぶらかそうとしたのは事実です」

「でも既婚者だってコト、2人も教えてくれなかったじゃない」

「…………」


 やはりソコを突かれると痛いらしく、ウォルシンガムは押し黙った。

 そして、大仰に溜息をつかれる。


「……前回の水夫の1件もそうですが、貴女は、どうやら弱っている男を放っておけない性質をお持ちのようだ」

「そ、そんなこと……」


 そんなことを指摘されたのは初めてだが、思い当たる節はあった。


 でも、それは女の子の友達でも、後輩でも、それこそ先輩や上司でも、へこんでたら元気づけてあげたいし、何かあったら助けてあげたいって思ってしまうのは、ごく自然なことで!


「忠告しておきます。男は優しい女性に弱い。特に貴女のような強く気高い女性に優しくされれば、男は自分だけが特別なのだと勘違いします」


 反論する前に、糞真面目な顔で忠告される。


「これは、貴女の言う『萌え』というやつかもしれませんが」


 は? 


 と、一瞬、その顔にそぐわぬ単語に気が抜ける。


 ……ああ! そういえば以前『萌え』の意味を説明するとき、ギャップ萌えを例に出したことがあるような。



 それはギャップ萌えなのか……?



 おおいに首を捻るが、言われてみれば、確かに過去にもそんなことはあった。

 飲み会で酔っ払ってべろんべろんになってしまった、全く恋愛対象でもない男の子を介抱したら、その時惚れられてしまったらしく、その後特攻された。

 あの時の相手も、似たような理屈を言っていた気がする。


 あれもかなり振り払うのに苦労したのだが、相談した女友達には「バカね-。そんな親切、気のある男だけにしときなさいよ」と大人な忠告を頂いた。


 動けない相手に対し、気がある、気がないで対応を変えるのはいかがなものかと思うのだが、世間一般ではそういうものらしい。

 残念ながら、この癖は直らない。


「目下の者に平等に愛を注ぐという、陛下の信条は美徳ではありますが、男は嫉妬深く貪欲な生き物です。あまり深入りなさらぬように」

「わ、分かった……わよ……」


 口ではそう言ってみるが、いざその時になったら我慢できる気がしない。


「……じゃあ、あなたが病気になっても、看病しに行ってあげないから」

「それで結構です。陛下が看病など……想像するだけでぞっとする」


 ぞっとするだとぉ!?


「あのね、失礼すぎるでしょそれ! 別に、変な薬調合したり骨折ったり、マズイもの喰わせたりしないわよ! ……多分」


 最後の一つは、保証しかねるが。


「勘違いさせられるこっちの身にもなれということです」

「は……っ?」


 さらっと一言付け足し、ウォルシンガムは軽く一礼をすると、さっさと先に行ってしまう。


「何、今のどーゆー意味っ?」


 追いかけるのも癪なので、声だけを投げかけるが、黒い背中は振り返らなかった。


 言い逃げかコラ!


 むくれながら相手を見送った後、私は、彼が曲がったのとは逆の角の柱に人影を見つけ、そちらを注視した。


「……?」


 だが、一瞬柱の裏から覗いた頭はすぐに隠れ、そのまま逃げるように壁の向こうに消えてしまう。


 なんだろ?


 不思議に思いつつも、それ以上深く考えることはなく、私はグレート・レディーズを連れて謁見の間へと向かった。





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