何とかお姫様だっこは阻止し、ロバートに送られて私室に戻った私に、今日は意外な訪問者があった。
「ノーフォーク公……」
円卓を囲んで女官達とボードゲームに興じていた私は、卓の前に跪く男の名を呼んだ。
私室は半オフィスのようなものなので、要職の人間を中心に、数十人に立ち入りを許している。勿論、枢密院委員は全員許可している。
だいたい皆、会議を通じて話したくない報告や、相談を私に持ちかけるのに利用するのだが、生真面目なノーフォーク公は、基本的に会議の場で意見を述べるようにしているらしく、私の私室にごまをすりに来ることは滅多にない。
「どうしたの。昼間の件なら、もう気にしなくていいわよ」
だから、テニスコートでの1件で、大真面目に重ねて謝罪に来たのかと思ったのだが……
「いえ……女王陛下にカードのお誘いを」
「カード?」
そう言ったノーフォーク公の手には、トランプがあった。
ロバートならともかく、この男がそんな誘いをかけてくるなど青天の霹靂だ。
目を丸くしていると、若きノーフォーク公は、鋭い眼差しに緊張感を漂わせて私を見返した。
まるでゲームに誘っているような顔に見えない。
「陛下に、友人の距離を取る努力を――と言われましたので」
「……なるほど」
そういえば、そんなことを言った気がする。
早速行動に移すあたりが生真面目というかなんというか……
ともあれ、彼の勇気あるお誘いを断る理由はない。
枢密院委員は、政府の中枢を担う。交流を深めることは大切だ。
私は女官達を脇に下がらせて、ノーフォーク公に向かいの席を勧めた。
グレート・レディーズと私室付きの侍女達は、壁際の椅子に腰をかけて、あまり縁のないイケメン大貴族を楽しそうに眺めている。
まぁ確かに、なかなかレア物の映像である。
「私とゲームをやる時のルールを教えておくわ」
トランプを繰るノーフォーク公に、私は事前に忠告をすることにした。
もっとも、それは私と勝負をするという人間には、全員に言っているのだが。
「本気を出しなさい。わざと負けたりしないように」
※
ゲーム開始から、3時間は経過しただろうか。
彼が訪問したのは夕方だったので、すでに日は落ちていた。
にしても……
コイツ……強い……!
見事に連戦連敗中な私は、手持ちのカードを広げたまま、顔を隠して上目遣いにノーフォーク公を睨みつけた。
すると、たまたまだろうが目が合ってしまい、ノーフォーク公の方が慌てて視線を逸らした。
「そろそろ負けてやるか、なんて思わないように」
私の指摘に、分かりやすく目が泳ぐ。
「今、この人は人の心を読めるのか、なんて思ったでしょう」
「……陛下は占星術師か何かですか」
苦い顔で白旗を揚げるノーフォーク公。
「分かりやすいのよ、あなた」
「分かりやすい? 俺が?」
心外という風に目を見開いて、聞き返したノーフォーク公は、気安い物言いになってしまったことを自重して口を押さえた。
「失礼」
「結構。あなたは私の友人なのでしょう、気安くいきましょう」
せっかくゲームで遊んでいるのに、いつまでも四角四面の会話しか出来ないのではつまらない。特に、ノーフォーク公は若いのだから、そんな社交辞令の応酬では退屈だろう。
この男は、おそらく、自分で思っているより相当分かりやすい。
容姿にも才能にも恵まれ、財力、家柄ともに申し分ないどころか、有り余る程に持ち合わせている彼は、要するに坊ちゃんなのだ。
私が通っていた大学は、財界に強い系列で、実業家の子息子女が多く通っていた。
こういった大学に、そういう親が我が子を入れたがるのは、利害関係のない学生という貴重な時代に、後々財界に身を投じた時に役立つコネクションを自然と作れるからだ。
そのことを実感として気付いたのは、私が社会人になってしばらくして、大学時代の友人がぞくぞく親の会社を継ぐ準備に入り出してからだ。
私もいずれ、と思っていただけに、心強い相談相手にもなるし、そのうち何か一緒にやろう、と互いに夢を膨らませることも出来た。
そんな環境では、2代目、3代目のぼんぼん達を山ほど見てきたが、共通して言えるのは、大抵が大事に育てられてきたため、人の悪意を知らず、根は素直だ。
勿論、人によっては不真面目だったり横柄だったりもするが、良くも悪くも人を信じやすく、屈折していない。
18歳で国内第一級の公爵の地位を継ぎ、23歳の若さで枢密院入りまでしている彼は、挫折を知らない。
――まあ、それを言ったら、私もたいした挫折もせずに27年間生きて来たのだが。
なので、おそらく似たもの同士なのだろう。彼の考えることは、何となく分かる。
「多分、私たち似たもの同士ね。いい友達になれそうだわ」
「……そうとは思いませんが」
「何、私とは友達になれないって?」
突っ込むと、慌てて否定した。
「いえ、そういう意味ではなく……陛下と私が似ているところなど」
「うーん、そうね……エリザベスとなら似ていないかも」
王の娘でありながら、挫折と苦渋を味わい続けたエリザベスなら、ノーフォーク公に共感する部分など何もなかったかもしれない。
「申し訳ありません。おっしゃっている意味がよく分かりませんが」
「あ、いいのよ。こっちの話。気にしないで。それより、もう1回!」
私がねだると、彼は呆れたように微笑んだ。お?
なかなかにレアものの笑顔だが、そうやって笑うと、見た目の印象も実年齢に近づく。
「俺が分かりやすいという割には、俺のカードの手は読めないようだ」
どうやら分かりやすいと言われたことを根に持っているらしい。その辺のプライドの高さが、実に分かりやすい。
「私も分かりやすいのよ。だからその点は同条件。後は運と技術。私トランプ運悪いのよ」
「手加減するなとおっしゃるからには、どれほどお強いのかと思いましたが」
「下手だからって、手加減で勝たされたら余計に悔しいでしょう。いつか実力で勝ちます」
言い切ると、ノーフォーク公が微笑して肩をすくめた。若者らしい、肩の力の抜けた仕草だ。
「陛下が実力で勝つまでお続けになるというなら、夜が明けてしまいます」
「言ったわね……絶対手ぇ抜くんじゃないわよ」
結局、私は疲れて降参するまで勝負を続けたが、1度も勝てなかった。
マジでつえー。
※
その日は負け疲れてさっさと寝てしまったのだが、翌日の夜、寝室で就寝前の読書をしていると、ウォルシンガムが訊ねてきた。
「昨夜は遅くまで、ノーフォーク公とカードゲームにうち興じていらっしゃったとか」
相変わらず耳の早いことだ。
「悪い?」
「いえ、ノーフォーク公でしたら結構です」
「ノーフォーク公だったら……?」
いぶかしげに聞き返すがウォルシンガムは答えず、警戒するように1度室内を見回した。
もちろん、私とウォルシンガムの他に、誰もいるはずはない。
「本日は忠告に参りました」
「忠告?」
「あまり軽々しい行為はお控えなって頂きたい」
厳格な声で告げられた『忠告』の意味が分からず、私は眉をひそめた。
一応、真面目な話なようなので、本を閉じて寝台に腰掛け、耳を傾ける。
「貴女はただの貴族の女ではありません。宮廷の貴婦人と同様、恋の火遊びに迂闊に参加されるようでは困ります」
「な、なんなのよ。いきなり……そんなこと言われなくても分かって……」
「人気のない通路のカーテンの裏で逢い引きなど、宮廷の火遊びの定番です」
「……っ!」
突っ込まれた心当たりに、思わず顔が赤くなる。
私を睨むウォルシンガムの表情が不機嫌なのはいつものことだが、今日はそれ以上に軽蔑されているような気がして、羞恥と悔しさを感じた私は反論した。というか逆ギレた。
「盗み聞き? 趣味悪っ!」
「私だけでなく、宮廷ではいつ誰が聞き耳を立てているやもしれません。くれぐれもご用心下さい」
どうやら謝る気も取り繕う気もないらしい。
ゆっくりとした足取りで、目の前に来たウォルシンガムは、膝もつかずに私を見下ろした。
君主は私の方なのに、抑えつけられるような圧迫感を感じ、私は負けん気を燃やして相手を睨みつけた。
「僭越ながら、今一度申し上げたいことがございます」
だがいつも彼は、うわべの対応だけは丁寧だ。
「ロバート卿に恋をしてはなりません」
「は……? 何それ、別にしてないし」
いきなり、そのしかめっ面で何を言い出すのかと思う。
「陛下が真実をご存じないまま、ロバート卿の甘言にお喜びになっているようでしたので」
「べ、別に喜んでなんか……!」
「もはや我慢がなりません」
「何よ、それ、何の嫉妬?」
腹立たしい言動が続くものだから、つい挑発するが、ウォルシンガムは乗らなかった。
「ロバート卿は既婚者です」
だが、次の台詞に、言葉を失ったのは私の方だった。
「……は?」
「ロバート卿には妻がいます。子はおりませんが、妻エイミーをオクスフォードシャーの田舎に置いて、もう随分と長い間別々に暮らしています。エリザベス様は承知の上でロバート卿を寵愛しておられ、このことは宮廷では暗黙の了解となっています。ロバート卿は夫人を決して宮廷に近づけようとしないので、実際に知らぬ者も多いでしょうが」
淡々と告げられる情報が、頭の中で上滑りする。
「なにそれ……意味分かんない」
あれが既婚者の言動だと誰が思うだろう。
「……何で今まで黙ってたの?」
怒りだか、失望だか、屈辱だか、形容できない感情が渦巻いて出口を見いだせないまま、私は矛先をウォルシンガムに向けた。
例え宮廷中の人間が、暗黙の了解で黙っていたとしても、この男とセシルは、私が知らないことを知っていたはずだ。
「秘密枢密院としての信頼関係を重んじ、密告は適切ではないと判断しました」
この男の回答はどこまでも事務的で、模範的で、それが余計に私の神経を逆なでした。
「なにそれ、男の友情のつもり? 都合の悪いことを黙っておくことが? じゃあなんで今更、私にちくったりしたの? 黙って見といてあげたら、お友達は王様になったかもしれないわよ!」
これは八つ当たりだ。分かっているが言わずにはいられず、詰った私に、ウォルシンガムはぐっと息を飲み込み、低く、押し殺すような声で答えた。
「……これ以上、貴女の御心をあの男が弄ぶ様を、黙って見ていられなかっただけです」
「そんなの……信じない……」
信じるもんか。
ここまでロバートに愚弄されて、他の2人は分かっていて黙って見てて、そんな中でひとり、何も知らずに浮足立ったり振り回されたりしていた自分が馬鹿みたいだ。
なんだ、私は、ロバートが好きだったのか?
それとも、騙されたことが悔しいだけか?
苛立ちと共に込み上げた涙を、奥歯を噛み締めて耐える。ここで泣いてしまったら、まるで失恋してしまったみたいだ。
嫌な記憶が蘇り、私は自嘲を吐き捨てていた。
「……私ってほんと、男を見る目がないみたい……」
「…………」
「でも、そうね……別に恋人でもなんでもないし、ロバートが結婚してたからって、関係ないか」
友人なら、既婚者だろうが関係ない。そこで怒りを爆発させるのは、筋違いといえば筋違いだ。
「陛下」
俯いて内省を噛み締める私に、ウォルシンガムが膝をつき、率直に私を見上げた。
「恋をしてはなりません。恋は女を弱くする」
「ロバートに恋をするなって?」
はっ……と、我ながら嫌な笑いが漏れ、私は顔を上げた。
「なら、アンタに恋するのはいいわけ?」
「……そうですね」
そのやけくその挑発に対しても、ウォルシンガムは、相変わらず腹が立つほど落ち着いた声で答えた。
「そうなれば、私は貴女の想いを利用するでしょう」
「…………ッ」
男の人に平手打ちしたのは初めてだ。
私は、目で殺すつもりでウォルシンガムを睨みつけた。
「好きにならないわ。絶対に」
「……それで結構」
私の平手を受け入れた男は、激昂することも、立ち上がることもしなかった。
「行って」
私の短い指示に、ようやく立ち上がり、臣下の礼をして退室する。
入れ替わりに侍女が1人入ってきたが、私のピリピリした空気におののいたのか、息をひそめるようにして部屋の隅に移動する。
よく分かった。
女王になるとは、そういうことだ。
絶対的な権力を前に、誰もがそれを利用しようとする。そこで、誰かを純粋に想うことなど――想われることなど許されない。
王者の孤独。
それを受け入れるだけの強さが、女王には必要だ。
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