その日から、ロバートの貢物攻勢は度合いを増した。
寝室にいきなり押しかけてくるのは止めろときつく言ったので、そういうことはなくなったが、代わりに、ことあるごとに何かお祝いや口実を作り、謁見の間や私室で、人目も憚らず贈り物をしてくるようになった。
寝室に、侍女を介して届くこともあり、先日などは、いきなりドレスが贈られてきたりした。
そして、目立つロバートがそういうことをすると、周囲も触発されるらしく、女王の覚えを良くしようと、宮廷内で、何かにつけて私に贈り物をするというのが流行り出した。
……どんな流行りだよ。
まあ、止める理由もないので、もらえるものはもらうことにしたのだが、この流行は、意外なところまで波及した。
「エリザベス女王は贈り物をされるのがお好きらしい」という噂が国外にも出回り、求婚者たちから大量の貢物が運ばれてくるようになったのだ。
スペインのフィリペ2世からも、黄金の杯やら宝石をちりばめたドレスやらが、続々と海を渡って贈られてくるようになった。
……これについて、「もっと貢がせてスペインの国庫を空っぽにしてやりましょう」と笑顔で言い放ったセシルには、間違いなく悪魔の尻尾が生えていた。
実は、意外とドレスとかはもらえると重宝するんだよな。
貧乏女王なので、衣装にあまりお金をかけたくないのだが、絶対君主ともなればそうはいかない。
よれよれの靴やカバンで外回りをしてる営業マンが、鈍臭く見えるのと一緒だ。
女王は、いつだって主役として舞台に立つ女優のようなものなのだ。
……舞台裏はお見せできないので、女王がもらい物のドレスをあてにしてコツコツ節約してる、というのはもちろん内緒の話である。
「あーっ、つっかれたー!」
重たいドレスも苦しいコルセットも外し、髪止めも宝石も全部はずして、薄手の寝間着1枚で私はベッドにダイブした。
お気に入りの大きな枕をひっつかみ、縦に抱え込んでゴロゴロする。
丁度ゴロゴロで回転してる最中に、ベッド脇に立ってじっと見下ろしてくるウォルシンガムと目が合った。
「何?」
「いえ……いつもながら、その変わり身の見事さに感心していました」
呆れられた!
「いーでしょ別に。外ではちゃんとしてるんだから」
「大変結構です」
おお?
また嫌味の1つでも言われるかと思ったが、ウォルシンガムの評価は意外なものだった。
「最初の頃は、この女性は一体いくつの仮面を持っているのかとおののきましたが、どうも貴女はそこまで器用なタイプでもないようだ」
どういうつもりで言っているのか知らないが、確かに、私が使い分けているのはオンとオフくらいだ。
小器用にプライベートでも、いくつも顔を使い分けられる女性はすごいと思うが、そんなの面倒くさくてやってられない。
……まあ、だから距離が近くなった男ほど、私の女子力のなさに呆れて、恋愛対象から外してくるんだろう……と近年は自覚している。
実際、気の合う男友達からは「女だってことを忘れる」「男らしくて付き合いやすい」と完全に異性として見られていない残念な高評価を頂くことが多い。
私としてもその方が、気兼ねなく遊べていいっちゃいいんだが、こういうことをやってるから彼氏いない歴=年齢継続中なんですね、はい分かります。
「悪いわねー。残念な女で」
同じギャップでも、一見男っぽくて気の強そうな子が、実は女子力高くて優しいとかなら、萌えポイントも高いだろうが、真逆は男から見たら残念以外なにものでもないだろう。
ことに私は、見た目は常々『お嬢様』と言われてしまう。
今までお嬢様っぽく生きてきたことはないつもりだが、どうも外見とプロフィールでそういうレッテルを貼られやすいらしい。
その中身が可愛げのないオッサンだなんて、私が男でもがっかりする。
きっと生まれてくる時点で、神様がパッケージと中身を入れ間違えたのだろう。
フンだ、いいもーん。これが私なんだから!
……だからこの開き直りが悪いのだと自覚してはいるのだが以下略。
ゴロン、と転がって背中を見せると、ぽそりとウォルシンガムの呟きが聞こえた。
「……今はその落差も、それなりに好ましく思っていますが」
「…………」
ゴロン、と逆回りに回転してウォルシンガムを視界に入れ、私は聞いてみた。
「ウォルシンガムってギャップ萌え?」
「また、萌えですか」
嫌そうな顔で見返されるが、さらにゴロン、と再び背を向けて、わざとらしく声に出す。
「ウォルシンガムはギャップ萌えのツンデレ萌えっと……メモメモ」
「つんでれとは何の話ですか」
「こっちの話ー」
「…………」
適当に答えてゴロゴロを再開する。
まあ、嫌われていないならいっか。
これだけ本性曝け出して、嫌われてないならありがたい。
特にウォルシンガムには、間の悪い所ばかり見られているのだ。もう思い出したくもない。むしろヤツの脳の記憶を消し去ってやりたい。
その時、扉をノックする音が聞こえた。
慌てて身を起こし、枕を元の位置に戻す。
「陛下、よろしいでしょうか」
「何?」
ぐしゃぐしゃになった髪を撫でつけながら答えると、侍女が1人入ってきた。
「先ほど、ジョン・ボウリーと名乗る男から陛下に贈り物が――」
「ジョン・ボウリー?」
聞き慣れない名前だ。枢密院委員でも、宮廷貴族でもない。
でも、どっかで聞いたことが……
「どんな男だ?」
「城の衛兵の1人です。侍女の1人が声をかけられ、恩があるので陛下に直接渡して欲しいと、しつこく頼み込まれたようで」
ウォルシンガムが問うと、侍女はやや困惑顔で答えた。
「どう扱うべきか悩んだのですが、ご報告だけはしておこうかと」
思い出した!
「水上パーティで、私をかばって矢を受けた人ね!」
手を打った私に、ウォルシンガムが眉を跳ね上げた。
「陛下、下々の者からの貢ぎ物などを、簡単に受け取ってはいけません。何かの罠かもしれない」
「でも、ジョン・ポウリーなら知ってる人よ。お礼っていうなら受け取らないのも悪いし、中身だけ確認させてもらえないかしら? ウォルシンガムも一緒に。それならいいでしょう?」
そう言ってウォルシンガムに渋々認めさせると、私は侍女にプレゼントを持ってくるように伝えた。
運ばれてきたのは簡素な装飾を施された木箱で、中には横笛の形をした小さなブローチと、女王エリザベスを女神のごとく讃える内容が延々と連なった手紙が入っていた。
フルートの形をしたブローチは可愛いけど、長文の手紙は目が滑るー。8割修飾語だし。
立ったまま手紙を開いて目を通していると、肩口からにゅっとウォルシンガムが顔を出した。
「これは恋文です」
「あっ、こら。勝手に人の手紙読むんじゃない……って、恋文? なの、これ?」
「陛下の目は節穴ですか。これが恋文以外にどう読めるのです」
「いや、この時代の絶対君主に宛てる手紙だから、これくらいのもんなのかなぁ、とか」
逆に現代日本でこれがラブレターなら、詩集を自費出版した方がいい。多分受ける。
っていうか陛下とか呼びつつ節穴呼ばわりかっ。どんどん容赦なくなってくなこいつ!
「一介の水夫がここまで書けるとは思えませんので、恐らく人に頼んで、内容を伝えて代筆させたのでしょう」
「ふーん……きっと、私がプレゼントされるのが好き、っていう噂を聞いて頑張ったんじゃないかしら。妹さんの面倒も見なきゃいけないのに、かなり奮発したわよね」
すっかり目が覚めてしまったのでソファの方に座り直し、プレゼントを眇め見る。小さなブローチは、金銭的な価値でいえば宮廷貴族達の贈り物には到底及ばないが、思いがこもっている。
「そういえば、今日もフィリペ2世から大量の贈品が運び込まれていましたね」
向かいに座るウォルシンガムが、呆れたように言ってソファに背をもたせかけた。
「贈り物などで、貴女の心が動くとも思いませんが」
「うーん……そう言われれば……」
物をもらうと、そりゃ嬉しいし好意は持つが、それで必ずしも恋愛対象として見るかというと……
……あんまり見たことないかも。
どちらかというと、やたら物をくれる人は、「物を贈るのが好きな人」と理解していた。
今思えば、彼らにも恋愛対象として見て欲しかったという下心があったのだろうか。それは気の毒なことをした。
ただ物を贈られればその人のことを好きになる、とか、そういうものではない気がする。
もちろん、好意的な気持ちは伝わるし、人から何かをもらう、ということ自体は嬉しいのだが。
「でも、好きな人からもらったものは、すごく嬉しいかも……」
ふと、昔好きだった人から、煙草の空のケースをもらって、とても大事にしていた思い出が蘇った。
平ぺったい正方形の缶ケースで、デザインがクールでとても気に入っていた。かすかに香る葉っぱの香りが、その人の匂いと同じだった。
小物ケースにするね、なんて言いながら、結局何もいれずに大事に閉まっていたような。
思い出すと顔が緩んだ。
そんなこともあったなぁ……
あの時のような恋は、きっともう訪れないのだろう。
「…………」
「何?」
私が数少ない恋愛経験を思い返し、悦に浸っていると、正面からぶしつけな視線が注がれた。
ウォルシンガムが、ソファの肘掛けを利用して頬杖を突き、くつろぐような姿勢で私を観察していた。
公衆の面前では威厳ある態度を保ち、直立不動の姿勢で女王の傍らに佇むウォルシンガムだが、この寝室の中では、彼もそういう姿勢を見せる。
多分、私のだらけっぷりに感化されてきてるんじゃないかと思うが、良い傾向だ。
「いえ、陛下が1人で百面相をしていらっしゃるのが面白くて」
面白いと言っているわりには全くの無表情なのだが、私は慌てて顔を押さえた。
「ちょっと! あんまり見ないでよ! オフは表情筋が緩むんだから!」
「目の前に座っていて無茶をおっしゃる」
そりゃそうだ。
「ウォルシンガムってあんまり笑わないわよね」
「……あまり面白い人生を生きていないからかもしれません」
人の百面相をからかう鉄仮面に突っ込むと、そんな反応しにくい返答を寄越された。
「そういえば私、あんまりウォルシンガムのこと知らないかも」
「とりたてて話すこともない、つまらない人生です。ただ……」
「ただ?」
「今は、たった1つの目的の為に、その生を歩んできたような気がします」
そう言いながら、じっと見つめてくる視線が外されることはなく、瞳の強さにたじろぐ。
「たった1つの目的……?」
問い返すと、ウォルシンガムは初めて目を伏せ、私は金縛りにあったような状態から抜け出した。
「……いずれお話しする機会があれば、お伝えしましょう」
今はお話しする機会じゃないのか……?
それ以上、ウォルシンガムに口を割らせるのは難しそうで、結局そこから話が広がることはなく、私は大人しく床についた。
翌朝、私は日課の庭の散歩をしながら、隣に付き従うウォルシンガムに訊ねた。
「ねぇ、ジョン・ポウリーって城のどこに配属になってるのかしら」
「なぜそのようなことを知りたがるのです」
ウォルシンガムは不機嫌顔だ。
「決まってるでしょ、昨日のお礼を言おうと思って」
「恐ろしいことを言うのは止めて下さい。礼の礼返しなど、その男を破産させるおつもりですか」
「破産?」
「水夫上がりの一介の衛兵が、女王陛下にわざわざご足労頂き謝辞を述べられて、ただで受け取れるとお思いですか。己の身を削ってでもその光栄に報いようとするでしょう」
そんなに大層なことなのか。ウォルシンガムの脅しに、私は不安になって確認した。
「そ、そういうもん……?」
「はい。ですから止めて下さい」
「う……分かった」
本当だろうか。なんだかウォルシンガムの口車に乗せられている気がしないでもないが、真偽の程は分からない。
セシルあたりに確かめたいけど、きっとセシルはウォルシンガムに口裏合わせてくるだろうし、ロバートなんかに相談したら、逆にジョン・ポウリーの首を取りに行きそうだ。
実は、夜だったし切迫してたしで、ほとんど顔も覚えていないのだ。城の中で顔を合わせても、絶対に気付かない自信がある。
仕方がないか……
なんとなく心残りはあるのだが、結局私はお礼を言うことを諦めた。
「……?」
おや?
「どうしました、陛下」
急に立ち止まり、周囲を見回した私に、ウォルシンガムが声をかけてくる。
「んー……いや、なんか見られてる気がして」
「陛下が見られていないことなど、この宮廷ではほぼあり得ません」
いやまぁそうなんだけどさ。
「そうなんだけど……そうじゃなくて、ちょっと変わった視線? ……ま、いっか。よく分かんないし」
「…………」
見られるのはもう慣れているのだが、それとは違う異色の何かを感じたのだ。とはいえ、気がしただけなので、気のせいかもしれないが。
ウォルシンガムは1度周囲を見回してから、難しい顔で提案した。
「少し、陛下の身辺警護の人数を増やしましょう」
「えっ、いいわよ。やめてよ」
「念のためです」
墓穴を掘ってしまったぁぁっ。
この心配性男の前でそんなこと言うんじゃなかった。
と、激しく後悔したが後の祭りである。
~その頃、秘密枢密院は……
「雪解けの気配を感じないか!? セシル殿!」
「……もう5月ですが」
その5月すらそろそろ終わろうとしている。
朝っぱらから無駄にテンション高く声をかけてきた守馬頭に、国務大臣は嫌々ながらに突っ込んだ。
彼が機嫌の良い理由は、分かりすぎるほど分かっていた。
「そう! もう5月だ。雪の下から目覚めた花はつぼみを綻ばせ、今やかぐわしく咲き誇り、つつましく摘み取られる瞬間を待っている!」
戯曲調に右手を上げて天井を仰ぎながら、左腕で慣れ慣れしく肩を抱いてくる男からセシルは逃げようとしたが、なぜかロバートは離してくれなかった。
それどころか顎を持って振り向かせると、眼鏡を取り上げようとしてくる。
「やめてください、陛下に怒られる」
いつになく頑なな様子で、眼鏡を押さえて拒絶するセシルに、ロバートは片眉を上げ、ひょうきんに不機嫌な顔を作って見せた。
「君はハンサムで女王陛下のお気に入りだ。そのことは気に入らないが、確かに、非常に優秀な能吏だ」
「……どうも」
「俺と陛下が結婚した暁には、今以上に引き立てやるから安心しろ!」
「うわっ?!」
急に女のように抱き上げられ、1回転される。元来ダンスがあまり得意でないセシルは、着地でよろけた。
「……ロバート卿、貴方は自分の立場をお分かりですか」
ずれた眼鏡を押さえ、声を低くして咎めると、やはりロバートは上機嫌でセシルから離れた。
「分かっているさ」
芝居がかった仕草で振り返り、そこに女王がいるかのように恭しく礼をする。
「陛下に盲目な男。陛下の秘密を知る男。陛下の一番の寵臣――そして、陛下の唇に触れることを許された男だ!」
※
「あり得ません」
珍しく苛立った口調で言い切ったセシルは、彼にしてはやや乱暴に、執務机の上の書類に印章を押した。
「ロバート卿は貴族とはいえ、『反逆者の家系』といわれる家柄の出。その上、女王の愛人まがいの寵で成り上がっただけの男と噂され、廷臣からの評判もすこぶる悪い。彼が王になどなれば、宮廷が分裂する」
憤慨しながらも、同時進行で全く別件の書類に目を通していく姿には無駄がない。
穏やかな時ならば、手を止めてウォルシンガムの報告を聞くセシルだが、今は怒りを仕事へのエネルギーに転化しているようだった。
どうやら、ウォルシンガムが女王の散歩に付き合っている間に、国務大臣の方では守馬頭と接触があったらしい。
最近のロバート卿は有頂天を極め、廷臣たちの敵意の的になっていたが、ついにはこの穏やかな宰相の逆鱗にも触れてしまったようだ。
女王との結婚に欲目を見せる男に、彼が憤りを露わにするのも無理からぬことだった。
だが、ウォルシンガムの方は特別な感情は乗せずに、事実のみを伝える。
「最近のロバート卿の、陛下との親密さを見せつける態度には、様々な根も葉もない噂が飛び交っています。お耳を汚すことになるだけなので、あえて報告は致しませんが」
「だいたい想像はつきます」
ふぅ、と息をつき、一段落ついたのかセシルは机の上の書類を片付けた。
「宮廷での悪意ある噂は、いずれ市井にまで届くでしょう。このままでは、陛下の世評まで下げかねない。一刻も早く手を打たなくては」
独身の女王の、こういった風評被害を一掃する方法は、1つ。
「陛下には、相応しい夫を選んでいただきます」
「はて、我らが女王に相応しい相手とは――?」
含みを持ったウォルシンガムの疑問提示に、セシルが顔を上げた。
「国務大臣の眼鏡にかない、あの女王の複雑怪奇な心の迷路庭園を抜けられる男が存在するのなら、是非ともお目にかかりたいものです」
「では、逆に伺いましょう。ウォルシンガム、貴方なら誰を選ぶ?」
ウォルシンガムを見据える眼鏡の奥の眼差しは、物事を俯瞰し、裏と表を等価値で見定めることの出来る者の目だ。
それこそが、ウォルシンガムが彼を認める、最たる理由だった。
「スウェーデンのエリック皇太子? オーストリアのカール大公? スペインのフェリペ2世?」
「恐れながら、私が貴方の立場であれば、外国人の夫は選びません。奴らは、必ずこの孤立した島国に災厄をもたらす」
「ならば国内で?」
国際結婚は、政略結婚としての外交上のメリットが大きい。国内で婿選びとなれば、より繊細な選定が必要となる。
「
「……私も同感です」
しれっと答えたウォルシンガムに、セシルは苦笑して同意した。
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