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第3章 婚約者選定編
第24話 最後の君主


 無事城に戻ると、極度の緊張状態から解き放たれたためか、私は気を失うように寝室で眠りについた。


 側近たちは、その後の処理に走り回っていたようだが、悪いが全く何も手伝えずに朝を迎えてしまった。


「陛下の勇気は疑うべくもありませんが、あの状況で表に飛び出すなど、不用心に過ぎます」


 私が目覚めたことを聞き、最初に見舞いに来たのはウォルシンガムだった。

 主馬頭と宰相は、昨夜から寝る間も惜しみ大わらわなのだ。


 開口一番説教をされ、私は分が悪く、弱気に反論した。


「犯人が捕まったって聞いたから、もう大丈夫だと思ったのよ……」

「第2、第3の刺客がいたらどうする気です」

「う……」


 実は、あの時点では、そこまではまったく頭が回っていなかった。

 平和ボケ日本人に、そんな危機回避能力はない。


 しゅんとする私に、ウォルシンガムは大きく溜息をつき、攻め手を緩めた。


「……まぁ、ロバート卿が傍にいたのは幸いでしたが」

「うん、ロバートはよくやってくれたわよね」


 ロバートがいなければ、もっと私はパニックになって危険な行動を取っていたかもしれない。身を挺して守ってくれた臣下に感謝しなければ――


 うん……?


 今、何かが引っかかったような……


「あああっ!?」

「どうかされましたか、陛下」

「何でもない!」


 後ろを向き、私は自分の顔に触れた。指先で唇に触れ、昨夜のことを思い出す。


 そういえば私、どさくさにまぎれてキスされた!?


 状況を思い出そうとするが、頭の中が真っ白で、ほとんど覚えていない。けど、なんかそんなことされてた気がする! 


 あの状況でキス1つに動揺してる余裕なんてなかった。本当にどさくさもいいところだ。


 あいつめ……! 


 今になって、してやられた感が噴出する。


 ……けど、今更蒸し返すのもなぁ……


 その場で不問にしといて後から怒るのか、とか、それよりも矢から身を守ってくれた感謝の方がはるかに大きいだろう、とか、冷静な思考が一緒に回り出す。


 …………


 うん、なかったことにしよう。なかったことに。


 散々悩んだ結果、結局、この件は不問にすることにした。



 なかったことに。



 ――そして、恋愛不器用な私は、こういう場合、たいがい誤った選択をしてしまうのだ。







 その日の枢密院会議は、いつもに増して物々しい雰囲気が漂っていた。


「犯人は、ボウ・レーンにある仕立屋でした。その店を出入りする常連2名との犯行です。祭りの夜に紛れて舟を浮かせ、陛下の命を狙った模様です」


 守馬頭のロバートが席を立って報告する。その横顔は真剣で、ちゃんと仕事をしている男の顔だ。

 ……いや、いつも仕事をしてないと思ってるわけじゃないけど。


「動機については取り調べを続けていますが、今のところ犯人らは落ち着いており、ローマ教皇に反旗を翻す大罪人エリザベスに天罰を下したのだ――と供述しています」

「またカトリック教徒の陰謀だ! 教皇の威を借りた極悪人共め!」


 熱狂的なプロテスタントで、メアリー時代に1度は爵位までも剥奪された男、ノーサンプトン侯爵ウィリアム・パーが議卓を叩く。


「静かに、ノーサンプトン侯爵。まだ断定されたわけではありません」


 ノーサンプトン侯爵の決めつけに、メアリー時代からの留任組である枢密院委員が顔色を変えた。不穏な空気が流れる前に、セシルが静かに場を取り持つ。


「ロバート卿、引き続き背後の関係を探るように。彼らを煽り、計画の実行に協力した人間が必ずいます。たぐり寄せた網がどこに辿り着くかが重要です」


 引き寄せた網の先は、国内か、国外か……


 イングランド女王の周辺は、敵で溢れている。


 セシルの指示に頷き、ロバートが女王の最終判断を仰ぐように私を見た。


 そういう陰謀や策略という話は、平和ボケ日本人としては、聞いてもさっぱり分からない。


 張り切って逐一報告を聞いても混乱するだけなので、ここはセシルにまとめて伝えてもらった方が効率がいいだろう。どうせ、この件に関して、私が何か役に立てることがあるとは思えない。


「その辺りのことは任せます。新たな情報が入り次第、サー・ウィリアム・セシルに報告するように。セシルは、状況がまとまり次第私に伝えて」

「御意」


 専門外のことは、人に任せることも大切だ。事件の調査担当を決め、指揮系統を確認してから、私は気になっていたことを聞いた。


「それから、矢を受けた水夫2名は無事なの?」


 この件についてはロバートは管轄外らしく、別の委員が答えた。


「2人とも、一命を取り留めました。最初に矢に射られ、河に落ちた方は重症でしたが、もう1人は腕と腹に傷を負ったものの、応急処置も早かったため大事には至らなかったようです」

「そう、良かった。重症の1名には、見舞金を与えて下さい。それから、じきに私が直接見舞うようにすると約束して下さい。もう1人は、快復すれば元の職にはつけるのよね?」


 そこまで聞かれると思わなかったのか、委員は後ろに控えていた秘書に、私の質問をそのまま問いかけた。


「その水夫――ジョン・ボウリーは左腕に矢を負った際に、神経に傷を負っています。命に別状はありませんが、完治しても元の仕事に従事するのは難しいかもしれません」


 直接秘書が答え、私は目を閉じて頷いた。


「そう……彼には申し訳ないことをしました。ジョン・ボウリーには、快復次第、王城の衛兵という新しい仕事を斡旋することにしましょう。取り急ぎは、女王を守った栄誉で報奨を与えます」


 怪我が癒えるまでの間の、妹の薬代にくらいはなるだろう。


 私としては、彼らの献身と、犠牲に報いるのは当然と思っての発言だったが、枢密院の面々が意外な反応を見せた。


 隣近所で目を見合わせたり、なにやらヒソヒソと話をしたりするオッサンどもに、イラッとくる。


 言いたいことがあるならはっきり言えい!


「いけませんか? ダービィ伯爵」


 メアリー女王時代からの生き残り枢密院委員で、宗教改革に対して反抗的な姿勢を見せ続けている人物を、あえて名指ししてやる。


 ダービィ伯爵は慌てて取り繕うように発言した。


「とんでもございません。我らが女王の慈悲深い采配に感動していたまでです」

「そうですか。なら良いのですが」


 どこまでが本音かはさっぱり分からないが、あえて無難に聞き流す。


 結局、本日予定していた議題は次回に持ち越すことになった。私は私室での休養を勧められたが、そこまでひ弱ではないので、午後の執務は通常通り行う旨を伝える。


 そうして、その日の午前の会議が終わり、私は昼食をとるために私室へと戻った。





~その頃、秘密枢密院は……



 会議が終了し、女王が退室した後を追うようにロバートが席を立つのを、セシルは冷めた目で見送った。


 扉が閉まった途端、委員たちが堰を切ったように口々に囁きだす。その多くが、感銘や驚嘆をあらわにしたものだった。


「我らが女王は、実に情深く慈愛に満ちた心を持っておられる」

「まさしくアストライアー……正義の女神……」


 それらの声を背中で聞きながら、セシルも書類をまとめて、早足に会議室を出た。


 目的の場所へ向かう廊下を歩きながら、ひとり、静かに呟く。


「アストライアー、正義の女神――貞淑なる処女王――」


 その美貌と若さ、悲運から奇跡的に王位についた経歴、そして独身の処女という価値を効果的に使えば、市民に女王の神性を信じさせ、陶酔させることは、そう難しいことではない。


 現在のところはこのプロパガンダは功を奏し、一部の熱狂的なカトリック信徒や過激派のプロテスタント――清教徒(ピューリタン)を除けば、新女王の支持は高い。


 だが、ただ偶像を仰げばいい民とは違い、宮廷はもっとシビアに、女王の価値――仕えるに値する人物かどうか――あるいは利用する隙のある女かどうか――を見定めている。


 今の女王――エリザベス女王の亡き後を継いだ天童恵梨は、この時代の記憶を持たないという不利を跳ね返し、ここまで、廷臣たちに付け入る隙を与えてはいない。


 ……ひとつ、寵臣ロバートとの危うい恋愛関係という不安要素を除けば。


 今、宮廷は新しい王のもたらした新しい資質に、揺れ動いている。


 短い在位期間しか持たなかったエドワード6世とメアリー女王を除けば、彼らの以前の君主はヘンリー8世だ。


 横暴にて強権。カリスマ性と行動力を持ち合わせた暴君は、まさにこの時代の絶対君主像そのものと言っても良かった。

 彼に仕え続けた古い廷臣たちは、いまだ、女の王の新しい統治に対応しきれていない。


 ヘンリー8世は美貌の男だったが、好色家で、なにより女が王になることを最も恐れた。

 そして、何としてでも、後継ぎとなる男児を王妃に産ませるため、法も国教も捻じ曲げ、6度の結婚を繰り返したのだ。


 結局、王の希望だった唯一の王子エドワード6世は即位後間もなく早世し、後に残ったのは2人の女王候補だけだった。


 女の王を良しとしないのは、何もヘンリー8世だけではない。これまでイングランドが女王を戴いた例はなく、また大陸の例を見ても、女王の治世が安定したためしはなかった。


 女は愚かで、思慮が浅く、感情的に動く生き物で、理性による判断能力に欠ける。男が従わせ、補わなければ生きていけない不完全な存在であるというのが、世の常識だった。


 事実、1人目の女王メアリーはその通りの女だった。多くの罪なき血が流れ、国は混乱した。もう女の王はこりごりだと、誰もが思った。


 2人目の女王はどうだろう。

 まだ彼女の治世は始まったばかりだが、宗教の中庸政策、経済復興政策、そして臣民への開かれた姿勢は、今までのどの王にも――どの男の王にも、例を見ないものだ。


 政治は結果論である以上、現状で判断するのは早計だ。

 だが、セシルは35年間の人生で、このイングランドで4代にわたる絶対君主に目をかけられ仕えてきたが、彼が王に対して求める資質を満たしていたのは、最後の1人だけだった。


「主よ、私にあのような君主を与えて下さり、感謝致します」


 宮殿内の礼拝堂に足を踏み入れ、セシルは十字架の前で祈りを捧げた。感謝の祈りを。


「自制心、思慮深さ、明晰さ、柔軟さ、行動力、そして、自らの足りないものを補おうとする向上心――我が君は、王として不足な部分は何一つありません――ただ、女性であるという以外は」


 神の前で偽りは許されない。セシルは、正直な気持ちを告白した。


 王たるものが女性であるということは、明らかな弱みだ。

 この弱みは、彼女に、セシルに、このイングランドに、多くの試練を与えるだろう。


 そのことが、セシルには恐ろしい。

 女としての彼女が、王としての彼女の足をすくう日が、いつ来ないとも限らない。


 その恐怖に、日々苛まれ続けている。


 だが――過去に、真の意味で完璧な君主が、どれほどいただろう。


 不完全であるがゆえに、守り、支える意味があるのではないか……事実、彼女は己の弱さを知った上で、セシルを信頼し、頼ることを厭わない。

 それは、人を使役し、服従せしめることしか知らぬ父なる暴君には、持ち得なかった素養だ。


「主よ、彼女を私の最後の君主とします」


 心から仕えたいと願った君主の次に、一体誰に仕えられるだろう。


「どうか我が君に、栄光と平和をお与えくださいますよう」




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