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第3章 婚約者選定編
第22話 心の中はいつでもお見せできます


 その日の夕方、早速、私はスペイン大使を謁見の間に呼んだ。


 結婚を検討する風を見せかけて、フェリペ2世の情報を聞き込むことにしたのだが……

 これには、思わぬ発見があった。


 スペイン駐英大使フェリア伯爵の話を聞くと、どうやら私は思い違いをしていた部分があったらしい。


 メアリー女王の夫フィリペ2世は、カトリックの国の王だし、メアリーと一緒にエリザベスをいじめる側に回っていたのだろうと思っていたのだが、どうも聞いていると、メアリーの横暴からエリザベスを庇う立場に立つことが多かったらしい。


 メアリー女王は、エリザベスの母アン・ブーリンを憎むあまり、姉の反感を買わぬよう大人しく田舎で隠居していたエリザベスを度々攻撃し、王位継承権を剥奪したり、国外に追放したりしようとした。


 そんなメアリーを説得し、エリザベスが王位継承権を保持したまま国内に留まれるように計らったのは、他ならぬフェリペ2世なのだそうだ。


 そう考えると、フェリペ2世はエリザベスの恩人なのだが、自国の王を結婚相手に推薦する大使の言葉が、どこまで信用できるかは分からない。

 だが、メアリー女王の治世でスペイン嫌いが悪化した国内では、あまり聞けない意見は貴重だった。


 情報は色んな角度から得なければ、実像は掴めない。


 このことから分かるのは――フィリペ2世は理性的で現実主義、そして策謀家だ。


 エリザベスを保護したのは、何も不運な妻の妹に同情したというだけではないはずだ。


 フィリペとメアリーは年の差結婚だった。フィリペは年よりも老けて見えるメアリーに魅力を感じず、完全に政略結婚だったと言われている。


 若いフィリペ2世と結婚した時、メアリーはすでに四十手前。高齢出産は現代でもリスクが高いのに、16世紀の母子の致死率など言わずもなが。


 メアリーが子を産めず、またメアリー自身が死亡してしまった場合、次期王位継承者はエリザベスだが、これを排すると、途端に躍り出てくるのがスコットランド女王メアリー・スチュアートだ。


 幼くして隣国スコットランドの女王に即位したメアリー・スチュアートは、5歳の時からフランス宮廷に預けられ、フランスの次期国王であるフランソワ王子の婚約者として育てられた。


 つまり、エリザベスの王位継承権が失われ、メアリー・スチュアートがイングランド女王も兼ねることになれば、いずれ、フランス、スコットランド、イングランドを合わせた大連合国が出現する。


 現在進行形で天敵フランスと、イタリアを巡って戦争を続けているスペインにとっては、それは恐れるべき事態だろう。


 フィリペ2世にとって、エリザベスは、スペインにとって最悪の事態を防ぐための大事な駒だった。

 そして今もまた、フランスとスコットランドに対抗するために、スペインとイングランドを、再び婚姻で結びつけようとしている。


 あくまで政略的な利を優先する男――ならば少し、こちらから仕掛けてみても大丈夫か。

 理性のある相手との駆け引きなら、破談させるにしても穏便な方法で済ますことが出来る。


「肖像画を?」


 雑談交じりの和やかな会話が進み、終わりを見せかけたところで、スペイン大使は、私の肖像画を所望してきた。


「機会があれば、是非とも帰国の際に持ち返るよう、我が君が希望されていたのです」


 大使とその付き人たちは恭しく膝をつき、低姿勢でこちらに希望を述べた。


「このような機会に恵まれ、僭越ながらお伺いを立てた次第にございます。この朗報をすぐにでも我が君にお伝えしたいところですが、もし肖像画を頂けるようであれば、完成の間まではこちらに留まりたく……」

「構いません。私の方ばかり、陛下の凛々しいお姿を拝見するのも不公平というものでしょう。殿方にこそ選ぶ権利はありますから」


 おだてと謙遜を二重で駆使してみると、和やかな笑いが起こった。


 私もこういう立ち回りが大分上手くなったものである。


 相手の反応や空気を見て言い回しを使い分けられるようになったのは、法人相手の営業経験の賜物だろうが、つくづくここに来てから、「営業やってて良かった」と思うことが多くなった。

『営業はビジネスの基本』という、一代で会社を築いた父の言葉は嘘ではなかったらしい。


「何を仰います。女王陛下の御姿を拝見して、選ばない男などこの世にはおりません」


 ひざまづいた姿勢のまま、顔を上げた大使がニヤリと笑った。更に、続ける。


「――ですが、どのような名画家であっても、陛下のお美しさを実物通りに再現することは難しいかと」


 おー、言う言う。


「ならば、そのように大使の口からお伝えして下さい」


 おだてに愛想のよい笑顔で答えた後、私は扇子で口元以外を隠して微笑んだ。


「――お顔をお見せするのは恥ずかしいのですが、心の方はいつでもお見せできる、とも」





「随分きわどい言葉を投げられましたね」


 スペインの使節団を退席させた後、隣に控えていたセシルが、扉前の従者たちには届かない声で言った。


「私は何も後ろ暗いことのない、清廉潔白な身なので、いつ心の中をお見せしても恥ずかしくありません、っていう意味だけど?」


 顔はともかく、性格はいいつもりです、という自己PRだ。

 何もたいしたことは言っていない。


「心得ております。ですが、スペイン大使がどう受け取るかは――」

「それは、向こうの方の勝手ね」

「はい」


 セシルがにこやかに頷く。

 どうやら、今の問答は彼にもお気に召したらしい。


「……前から思っていたけど、あのスペイン大使、なかなかの曲者ね」

「ええ、フェリア伯爵は実に立ち回りの上手い方です。フェリペ2世からも、今回の結婚交渉のまとめ役を一任されている」

「なら、意気揚々と報告を持ち帰れるわけだわ」

「今日にでも早速、手紙を書いているでしょう」


 化かし合いの結果は、後日に持ち越しだが、あの時のスペイン大使の表情を見る限り、なかなか面白い報告をしてくれそうだ。


 さっそく、私はセシルに言って画家を手配させ、フィリペ2世に肖像画を贈ることにした。


 綺麗に描いてね!


 ……とはいえ、絵のモデルなど、動けないし暇だし飽きるし、もう2度とやりたくない苦行だった。


 完成したものを見てみたが……


 ……私こんな顔してたっけ?


 あんまり似ていないような気もするが、まあ写真じゃなくて絵だしな。


 自分がモデルの絵を人に送ると言うのもなんとなく妙な気分だが、言ってみればお見合い写真代わりだ。


 曲者スペイン大使さんは、でっかい肖像画を担いで意気揚々と帰って行った。







 情勢は風雲急を告げた。


 私がフィリペ2世に肖像画を贈った約半月後の、4月3日。


 フランスとスペインの間で、カトー・カンブレジ条約が締結された。

 ここでフランスはいくつかの領土を譲受する代わりに、イタリアへの権利を放棄し、事実上、イタリア戦争が終結する。


 そしてこの調停を機に、以前から婚約関係にあったスペイン国王フィリペ2世の1人息子ドン・カルロスと、フランス王アンリ2世の娘エリザベート・ド・ヴァロワの結婚が実現した。


 フィリペ2世には、メアリー女王と結婚する前に死別した最初の妻との間に、息子が1人いる。この息子とフランス王の娘が結婚したのは、和平の証だ。


 同時に、この条約はフィリペ王にそそのかされてメアリー女王が始めたイングランドの対フランス戦争も終結させるもので、私も条約に調印した。


 メアリー女王が失ってくれたカレーは、正直、血の涙がにじむほど惜しいのだが、今のボロボロの軍備と財政状況では、取り返すのは難しい。


 こうなれば涙を飲んで実利を取り、カレーを期限付きでフランスに領有させる代わりに、期限を越えて領有する場合はイングランドに対価を払わねばならない、という条件で手打ちにした。


 一応、フランスにイングランドがカレーを貸し与えるという形で体裁を保ち、多額の現金も手に入る。

 これ以上、戦争を続けて戦費を費やさなくてもよくなったし、財政上はプラスになったと言っていいだろう。


「にしても、思ったよりも早かったわね……」


 私は、宮殿の玉座に背を沈ませて、深く息を吐いた。条約の調印には、代理で国璽尚書とフランス大使を向かわせている。 


 正直、フェリペ2世との婚約話も、もう少し引き延ばさねばならないかと思っていた。


 両国の関係が落ち着くのを見て、少しずつ振る準備を始めていくか……


 いささか拍子抜けした気分でそんなことを考えていると、セシルが報告を続けた。


「実は、条約の調印にあたって、エリザベート・ド・ヴァロワとフィリペ2世の結婚の話もあったようです」

「エリザベート・ド・ヴァロワは、もともとドン・カルロスの婚約者でしょう?」


 我が子の妻となる予定の女性との結婚話が持ち上がるというのも、いまいち理解出来ない感覚だ。


「それでも、かなり現実的な線まで進んでいたようですが――」


 驚く私に、セシルが苦笑混じりに続けた。  


「フェリペ2世が我らの女王陛下の肖像画に大層魅了され、また、スペイン大使からの報告で受け取った陛下のお言葉に大変感銘を受けたようで、引き続きイングランドとの結婚交渉を進めることを決意されたようです」

「おやまぁ……」


 それはちょっと、可哀想なことをしたかもしれない。


 さてどう振ろう、などと考え始めていた矢先の報告に、若干罪悪感を感じる。


「決して同情で、フィリペ王との結婚をお考えになどならないでくださいね」

「さすがにならないわよ、そこまでは。ちょっと償いはしてあげたい気もするけど」


 私の内心を見透かしたのか、セシルが釘を刺してくる。


「必要ありません。スペインは、現在は友好関係を築いていますが、潜在敵国であることに変わりはありません。あの狡猾な大国相手に、下手な情けをかければ足下をすくわれる。外交とはそういうものです」


 私の甘さを、彼は冷静に否定した。

 基本的に、私には優しい顔しか見せないが、ウィリアム・セシルが優しく穏やかなだけの男ではないことには、何となく気付いている。


 そしてそういう人間が、私の側には必要なのだと言うことも。


「どうしたらいいと思う?」

「激しく燃え上がる炎に水をかければ、余計に燃え広がる恐れもあります。ここは時間をかけて、徐々に鎮火されるのが良いかと」


 セシルの大人な意見に納得する。


 本気で燃え上がられて、飛び火してはたまらない。


 いずれは全面対決をしなければならない国だ。だが、時間は稼がなければならない。


 スペイン国王の好意が私に向いている間に、優秀な臣下たちに上手く立ち回ってもらうのがよろしいだろう。


 ……などと、その時の私たちは、スペイン王との婚約話については幾分楽観視していたのだが、思わぬ形で、これが急に現実味を増すことになった。


「メアリー・スチュアートが、英国紋章を無断で使用している?」


 カトー・カンブリジ条約が締結された直後、パリ駐在大使スロックモートンから入った報告は、穏やかならぬものだった。


「はい。平和条約の締結を祝して開かれた祝宴の席で、銀の皿にイングランド王室の紋章が刻まれていたと――」


 それは定例の秘密枢密院会議での一幕だが、淡々と報告するウォルシンガムの斜向かいで、セシルがみるみる顔色を変えた。

 白い顔が余計に青ざめているが……多分、これは怒っている。


「ごめん、ちょっとその辺の感覚がよく分からないんだけど。スコットランド女王で、次期フランス国王の妻であるメアリー・スチュアートが、イングランド王室の紋章を使うのは、不当なものよね?」

「勿論です。かの女性の立場を考えれば、あまりにも不遜に過ぎる」


 失礼なことをされている、というのは分かるのだが、それがどういう意味を持つのか分からなくて訊ねた私に、セシルは押さえ切れない憤りを滲ませて答えた。


 ウォルシンガムが頷き、報告を続けた。


「ええ。当然、サー・ニコラス・スロックモートンも驚いて強く抗議をしたそうですが、メアリー・スチュアート側からは、エリザベス女王を敬愛する証であるという、納得しがたい回答が返ってきたそうです」

「敬愛の証? とんでもない。それは野心の印だ」


 口を挟んだのはロバートだ。彼もまた、端正な顔を不満そうに歪めている。


「ウォルシンガム、この報告について、何か追加の情報は掴んでいますか?」

「はい。今し方、別口の報せが届きました。どうやら、フランス王アンリ2世がメアリー・スチュアートをそそのかしたようです。エリザベス女王の母アン・ブーリンとヘンリー8世の結婚は、ローマ教皇から正しく認められていない故、エリザベス女王の身分は非摘出子であり、王位継承権は不当なものである。正統な王位継承者はスコットランド女王メアリー・スチュアートであるため、イングランドの紋章は彼女が使うべきだ――と」

「やはり……」


 顎に手を触れ、セシルが唇を引き結んだ。


「これではっきりしました。やはりメアリー・スチュアートには、イングランド王位への野心がある。ウォルシンガム、引き続きフランス及びスコットランド王室の周辺を探るように」

「心得ております」


 不穏な会話が交わされる。


 スコットランド女王メアリー・スチュアート。

 彼女の血統には一点の曇りもなく、チューダー朝が断絶すれば、イングランド王室の後継者として最も有力なのは彼女だ。


 つまりは、スペイン王フィリペも恐れていたように、フランス国王はスコットランド、イングランド、アイルランドをメアリー・スチュアートのものにして、己の息子フランソワを、4つの国の王にしようとしている。


「カトー・カンブリジ条約の締結で、スペインとフランスの関係が深まっています。今ここでスペインの不興を買うのは危険です。我々は孤立してしまう」


 そう言って、セシルは静かな目で私を見据えた。


「陛下、フィリペ王との婚約の話も、火遊びでは済まなくなってくるかもしれません。これ以上、スコットランドとの対立が深まるようであれば、我が国にも強力な後ろ盾がいる。すぐに枢密院で話し合い、いくつかの候補を立てますので、今度こそ真剣にご検討を」


 う……マジか。


 フランスという強力な後ろ盾があるスコットランドが、イングランドに面と向かって喧嘩を売ってくるというなら、こちらも何かしら後ろ盾を持って迎え撃たなければいけない。その理屈は分かる。


 メアリー1世時代は、フィリペ王との結婚で、国内は荒れに荒れたが、国際的にはスペインと神聖ローマ帝国という強力な後ろ盾があり、安泰だった。

 今のイングランドは、あまりにも頼りない。


 状況を考えると、エリザベスはどっかの大国と結婚するしかないような気がするのだが、一体あのチート女王はどうやってこの窮地を切り抜けたのだろう。


 その日から、私はまた、いや増す枢密院の結婚しろ攻勢と戦わなければならなくなった。





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