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第2章 国教確定編
第16話 暗殺にご用心


 そうして、最初の難関だった第1回招集議会が終わり、私は再び、日常の公務に戻った。


「……ああああ! 耐えられん! 散歩!」


 ガタッ! と椅子を蹴立てて立ち上がった私に、待機していた侍従がビクリと背筋を伸ばす。

 ……寝かけてたな、こいつ。


 まあいいけど。


 それより、朝から晩まで座りっぱなしの仕事に、元来内勤気質ではない私は限界が来ていた。


 外の空気が吸いたい!


「陛下、まだご報告が……」

「報告なら歩きながら聞きます」


 終わりの見えない財務大臣の宝物殿保管品目録の報告に、私は一言そう答え、大臣の横を通り過ぎて部屋を出た。 


 今にも床に引きずりそうな裾の長いドレスだと歩きにくいことこの上ないが、スカートを持ち上げ、早歩きで廊下を進む。

 毎日重い鞄を背負って、パンプスで人ごみをすり抜けていた時代が懐かしい。


 財務大臣が慌てて追いすがってくる。今日はいないセシルの代わりに、私の補佐に回っていたウォルシンガムもピッタリとついてきた。


「陛下、この突然の奇行の意図されるところは」


 奇行言うな!


 いちいち物言いが失礼な男である。ある意味ブレないウォルシンガムに、私は言い返した。 


「こんなにずっと椅子に座ってたら根が生えちゃうわ。ウォーキングは現代でも健康法の一つなのよ」


 こんなんじゃ絶対にスタイルも崩れるし、それは私的には許されないことだ。


 公務を覚えるようになってからずっと、執務以外の時間もお勉強の虫だった。

 そろそろスケジュールを調整して、机仕事の合間に運動できるようにするか。


 歩きながら、そんなことを考える。


 私は背筋を伸ばし、営業用の大股で早足な歩き方で、宮廷の廊下を渡った。

 長年の営業生活で、こうして歩くと仕事モードに入った気になり、頭が冴えるのだ。


 慌ててついてきた女官たちが、どんどん引き離されていく。


 普段は王侯らしいゆっくりとした歩き方、というのを意識しているのだが、今はその反動でかなり競歩になっていた。

 だがさすがにコンパスが違う男性たちが後れを取ることはなく、隣にぴったりと張り付いて続きを報告して来る。


「陛下、どちらに行かれますか」

「庭!」


 合間にウォルシンガムに聞かれて答えると、彼はすぐに近くにいる近衛兵に指示を出した。


「女王陛下がお庭に出られる。至急、近衛隊は警備を増員するように伝えろ」


 あああうっとおしい!


 仕方がないとはいえ、私が歩くたびに大移動だ。


 今回は女官たちが振り切られているため、男の臣下が数名張り付いているだけなのでまだマシか。


 よし、今度からこの手を使おう。


 などと内心、付き人を振り切る作戦を立てながら、庭先を早足で歩き回っていると、急にウォルシンガムが私の前に出て、腕を伸ばした。


「――陛下、お下がり下さい」

「何よ、急に……」


 だが、ウォルシンガムは答えず、私を守るように前に立った彼の鋭い眼差しは、進行方向にあった繁みに固定されていた。


 ガサガサッ


 その時、彼の視線の先の繁みが不自然に揺れ、辺りに緊張感が走る。


 すぐに近くにいた近衛兵が2名、両脇から繁みに近づく。すると、


「うわああああっ!」


 兵隊が近づいた瞬間、叫びながら繁みから飛び出してきた男が、抱えていた猟銃の銃口を私に向けてきた!


「何……!?」


 正体不明の闖入者に銃口を向けられ、私は思わず、目の前にあったウォルシンガムの胸にしがみついた。


「陛下、落ち着いて下さい。既に取り押さえております」


 冷静な声に促され、小さく頷く。

 だが、銃というもの自体に免疫のない私は、そうとは分かっていても身体が震えるのを止められなかった。


 すると、そんな私を落ち着けるように、力強い腕が背に回される。


「……お守りします」


 そう囁いてきた声と腕がとてつもなく頼もしく感じ、私はもう一度頷き、わずかに緊張を解いた。


 叫びながら繁みからまろび出てきた男は、予想に反して、齢7、80歳を超えていそうなヨボヨボの老父だった。

 それが、鼻息も荒く、重たそうな猟銃を抱えて目を血走らせている。


「貴様、なんのつもりだ、女王陛下の御前であるぞ!」

「どこから侵入した!?」


 すぐに取り押さえられた男は、しかし私の顔を凝視したまま、微動だにせず、手にしていた銃を地面に落とした。


「ヘンリー王……」


 魅入られたかのように呟いたかと思うと、急に地に額を擦りつけんばかりにひれ伏し、両手を組んでわめき出した。


「お許し下さい! お許し下さい! 私は偉大なるヘンリー7世の卑しくも忠実なる僕。この国が神に過つピューリタンによって支配されるのが耐えられなかったのです! ああ、偉大なる我が王。あなた様が生きておられたら、このような悲劇を看過することなどなかったでしょう……!」


 ちょっとちょっと……何言ってんのこの人?!


 ひれ伏して号泣しながら、蕩々と語る老父に、私は先の恐怖心も忘れ、呆気に取られた。


 どうやら、私をヘンリー7世……エリザベスのおじいちゃんと勘違いしているらしい。……痴呆か?!


「まさにあなた様の生き写しであるエリザベス女王を手にかけようとした暴挙をどうかお許し下さい!」

「……女王陛下の暗殺を計画したということか。精神錯乱者の単独犯行の可能性が高いが、念のため引き立てて取り調べろ。裏に何者かが絡んでいるかもしれん」


 その老父の奇行を前にしても、ウォルシンガムは動揺も見せずに近衛兵に指示を出した。

 泣きながら両脇を抱えられ、引きずられていく老父が、ヘンリー7世の治世を讃え叫び続けるのを、私は唖然と見送った。


「なんなの……一体……」


 こういうイっちゃった感じの妄信的なノリには、現代日本人の天童恵梨、ついていけません。


 その老父の名は、ウィリアム・パリー。クイーンボロー地区選出の議員であるらしい。


 イングランドがローマ・カトリックから独立する前――ヘンリー7世時代の狂信的なカトリック信者が、国教会の現状を憂えて、エリザベス暗殺を企てたと言うことだろうか。


 それ自体は、これまでも散々ウォルシンガムらから耳にタコができるほど聞かされたリスクの一つだったが、あの暗殺者は、明らかに私の顔を見て戦意を失った。


 その理由を彼の言葉から推察すると……


「……私がヘンリー7世に似過ぎていたから……?」


 なんのこっちゃ、と思った私に、ウォルシンガムが解説してくれた。


「エリザベス様の母君アン・ブーリン妃は、不義の冤罪を着せられ処刑されました。エリザベス様の王位継承に反対する者の中には、陛下のチューダー朝の血統自体を疑問視する者もいるのです」

「……エリザベスがヘンリー8世の子じゃないってこと?」

「有り得ないことですが、そのように主張し、陛下の即位を不当なものとしようとする輩が存在し、そしてそれを信じ支持する者がいるのも確かです」


 なるほど……DNA検査とかがない時代では、そういう疑惑は起こりうるもので、また証明するのも難しい。

 結局、容姿が似ているとか、そういう判断しかないのだろう。


「ですが今回の件は、逆にエリザベス様の血筋の正当性を裏付けるものになりましょう。ヘンリー7世の若かりし頃を知る者など、もうほとんどいません。あの老人の証言は貴重だ」


 彼の腕に抱かれている状態では、その顔をうかがい知ることは出来なかったが、あの髭の下でニヤリと笑った、そんな気がした。


「……あのお爺さん、大丈夫よね? 処刑とか、拷問とか、されないわよね」

「尋問の必要はありますが、おそらく痴呆と判断されるでしょうし、裏に陰謀の影がなければ、おいおい解放されるでしょう」


 その言葉に、ほっと胸をなで下ろす。だが念のため、実害もなかったのだから、高齢者に手荒な真似はしないよう、近衛隊に指示を出してもらうことにする。


「ですが陛下、今回はこの程度の事件で済みましたが、これが本当にカトリックの過激派であったり、スペインやスコットランドの刺客であれば、取り返しのつかないことになっていた可能性があります。どうか、もう一度御身の置かれた状況を理解し、不用心な行動を慎むようにお考え下さい」

「う、うん……分かった……」


 珍しくウォルシンガムに嫌味なく諭され、私はまだ動揺から抜け出せないまま、素直に頷いた。




 そんな、いささか間抜けすぎる暗殺者の暗殺未遂事件があり、私は、それまでよりは危機感を持って行動するようになった。


 ……だが、この妙な暗殺未遂事件自体が、「のんき過ぎる陛下をちょっとビビらして、行動を改めさせよう」という、臣下たちが差し向けた茶番だったということが私に知らされるのは、もうしばらく経ってからのことだ。


 もちろん、こういうふてぇ計画は、ウォルシンガム発。


 ついでに、エリザベスの母アン・ブーリンの不義を疑い、エリザベスの血統に猜疑の目を向ける連中へのアピールも兼ねていたらしい。相変わらず抜け目のないことだ。


 ……じゃなくて!


 女王をたばかるたぁいい度胸だ!

 なにが「お守りします」だっ!


 後日、私の枕爆弾がウォルシンガムの顔面に投下されたのは言うまでもない。



 この時の私は、純粋に素直に(腹立たしいことに、ウォルシンガムに縋りついてしまった!)ビビっていたのだが、本当の事件はその後に起こった。


 暗殺未遂事件の処理でゴタついていた庭に、私を探していたらしいロバートが、血相を変えて飛び込んできたのだ。


 彼の姿を視界の端に捕らえたウォルシンガムがさりげなく身を離し、私は動揺を振り払い女王の顔を作る。


「陛下、今し方、急な訃報が……!」

「訃報?」


 眉を顰めた私に、ロバートは矢継ぎ早に報告した。


「ポルトガル王が亡くなられたとのこと!」

「エンリケ王が? 原因は?」

「それが、突然……心の臓の発作で……」


 心不全か。


 外国の王の訃報に対し、私はそこまで実感もなく悼んだのだが、ロバートは深刻な顔で自身の見解を述べた。


「エンリケ王は、聖職者であったため子をなすことを許されなかった……年齢的にも後継者の指名が急務の中、かなり苦しい立場に立たされ、心労が祟ったのかもしれませんが……結局、後継者を指名しないままの急死に、ポルトガルは継承戦争に突入する他ありません」

「……なんてことだ」


 隣から、独り言のような嘆きが聞こえ、私はウォルシンガムを見上げた。

 無言で説明を求めた私を見つめ返し、ウォルシンガムが答えてくれる。


「ポルトガルは、去年の暮れから、幼少の君主セバスティアン1世が天然痘で床に伏しており、今年の年始めに崩御しました。その後、彼の叔父で摂政であったエンリケ王が即位したのですが……こんなにも早く、時が来るとは」


 そこまで言って、ウォルシンガムは、一度、苦い顔で言葉を切った。


「後継者争いの二雄は、エンリケ王の縁戚だが庶子のアントニオと、スペイン国王のフィリペ2世になるでしょう」

「フィリペ2世?!」


 とんでもないところに出てきた名前に、私は思わず声を上げた。


「フィリペ2世の母后が、エンリケ王の実姉なのです」


 な、なるほど……この時代の貴族王侯間の婚姻は、こういう風に作用するのね……


 フィリペ2世が後継者争いに勝てば、ポルトガルはスペインのものになる。


 こういう例を見るにつけ、やはりエリザベス1世が結婚しなかったのは、賢い判断だったように思える。

 女の王の立場で、下手に外国の王侯を婿に取れば、イングランドはどこかの国の属国になる恐れすらあるのだ。


 祖国を守るために、祖国と結婚した女性――

 彼女の覚悟の重さを、改めて実感した気がした。


 1月31日、ポルトガル王エンリケ死去。

 そして、ポルトガルは継承戦争へと突入する。



 ――この時にはまだ、私は、歴史が大きく変わり出していることに、気付いていなかった。





第2章 完

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