1月23日。記念すべきエリザベス女王戴冠後、最初の議会が開かれる予定だったのだが……
私は風邪を引いた。
どうやら、知恵熱じゃなくてマジ熱だったらしい。
「うー……」
熱でぼんやりする頭で、私は呻いた。
最悪だ、やっちまった。こんな大事な時に体調を崩すなんて、社会人としても舞台人としても失格である。
床に伏す私の枕元には、セシルが心配そうな顔で座っていた。
「申し訳ありません、陛下。おそばにいた私が一番に、陛下にご無理をさせていることに気付くべきでした」
「いいのよ、気にしないで。体調管理が出来ていなかった私が悪いんだから」
幸い、喉にくる風邪ではなかったようで、声を出すのはつらくなかった。
声は大事な商売道具だ。ビジネスの場でも、相手に好印象を残すには、見た目以上に効果を発揮することがある。
喉はいったん壊すと長いので、人前に出る時にはなんとしても万全の状態を保ちたかった。
だが実際、セシルの言うように、無理をしてしまったのだろう。
慣れない環境で気を張りすぎて、自分の体調の変化に気付けなかった。
「ここ数日はひどく冷え込んでおりましたから、それも影響しているのでしょう。議会の開催は、25日に延期となりました。吹雪もひどく遠方の議員には移動が酷な天候ではありましたので、延期は妥当な処置かと」
セシルの後ろに立つウォルシンガムが、事務的な口調で説明してくる。
外に出ていないので天気は分からないが、相当な悪天候だったらしい。まぁ、それならいいか……と少し気が楽になる。
「陛下……おかわいそうに。貴女の苦しみを俺にも分け与えて下さるよう、神に祈るばかりです」
対照的に、ベッドの反対側には、手を握ったまま祈り続けているロバートがいた。
うん……心配してくれてるのは分かるんだけど、なんていうか、大げさすぎて反応に困る。
「ゴメンね、セシル。気合い入れてたのに、ケチついちゃって」
出来れば完璧にこなしたかったのに、思わぬところでつまづいて、私はちょっと凹んでいた。
体調が崩れると、精神的にも後ろ向きになる。
謝りながら、自分の方がきてしまって、熱のせいもあって目が潤んだのを、私は瞼を閉じてごまかした。頬や唇がいつもより熱を持っているのが、自分でも分かる。
こんなの、ベン○ブロックがあれば一発なのに……!
女王が体調不良で議会を2日も延期したことに、予定を狂わされた議員達がどんな愚痴を飛ばしているかと憶測すると、やっぱり体調を崩したことが悔やまれる。
こういうのは、最初が大事なのにっ!
「『やっぱり女の王は弱い』とか言われなきゃいいけど……いや、言われるか」
「貴女のその細いお身体が、男よりも弱いのは誰の目にも明らかです。そのようなことで対抗心を燃やすよりも、その身に宿る王の資質にて勝負された方がよろしいでしょう。女が男を従属させることは、容易ではありません」
私の弱気な愚痴に、ガツンとカチンとくる返答を寄越したのは、勿論ウォルシンガムだ。
私は熱で潤んだ目で、上の方にある髭面を睨みつけて反論した。
「分かってるわよ、そんなこと。王の資質はどうか知らないけど、私は私のやり方で勝負する。相手が上から来ようが下から来ようが、男だろうが女だろうが、真摯に向き合えば届くんだから」
交渉事には、直球も変化球もあるが、結局根底に必要なのは『真摯な姿勢』だと私は思っている。
少なくとも、私はそうやってここまで結果を出してきた。
その場では上手くいかないことや、挫折することがあっても、真摯な姿勢を貫きさえすれば、それは誰かが必ず見ているし、結局回り回って、結果や評価となって返ってくるのだ。
私は今までもそうやって、周囲と信頼関係を築いてきた自信がある。
反対に、サボったり怠けたりした分は、きっちり周回遅れで返ってくるというのも経験している。
普段、この持論は人には言わないようにしているのだが、風邪で弱っているのもあって、つい口が滑った。
「……実に興味深いご意見です。当日は、聖職者を中心とした貴族院の猛反発が予想されます。貴女の『やり方』でどこまでこの苦境を巻き返せるか、楽しみにしています」
こいつ……!
言葉通り、興味深そうな顔で私を覗き込んだウォルシンガムは、慇懃に一礼をすると踵を返して行ってしまった。
「何なんだあの男は!」
ウォルシンガムの挑発に、私より先にロバートが反応した。ウォルシンガムが退室した扉に向かって文句をつける。
「……陛下、あまり真に受けて熱を上げられないように」
「……ハイ」
セシルの静かな声と、冷たい手が額に落ちてくる。内心かっかしてたことを見透かされ、私は大人しく頷いた。
「セシル、でも頑張るから。ちゃんと見ててよね」
「はい、分かっています」
汗で額に張り付いた髪をそっと払い、セシルが優しく微笑んでくれる。
セシルが私以上に頑張ってくれてるから、ちゃんと期待に応えたい。
ウォルシンガムも、見てろよー!
当日は練りに練ってベストの状態で挑んでやる!
俄然モチベーションを上げながらも、私は睡魔に負けて眠りに落ちた。
※※※
2日後、風邪もすっかり治り、私はセシルと練りに練った法案を持って、最初の議会に挑んだ。
議会は、ウェストミンスター宮殿にて行われた。
国璽詔書のニコラス・ベーコンが開会を宣言し、審議事項を発表する。
新国王体制で臨む最初の議会で審議する内容は、大きく分けて3つ。
1つ目は、メアリー女王時代に制定された『異端取締法』を含む数々の法令の妥当性の審議。
2つ目は、対フランス戦争によって失った戦費の補填のための課税政策の審議だ。
だが予定通り、この2項目に関しては、難なく議会を通過した。
残るは、最後の1つ。最も波乱が予想される審議――『国王至上法』と『礼拝統一法』の制定。
これに関しては想像通り――というか、想像を超える紛糾っぷりを見せた。
たまに日本の議会でも乱闘とかあるけど、あの比じゃない迫力。
暴力沙汰までは起きなかったけど、さすがに信仰に関わる問題になると、みんなかけるエネルギーが違う。
まずは、メアリー1世時代に、イングランド国教を強引にカトリックに回帰したのを、再び英国国教会に戻すという大仕事――『国王至上法』の復活。
市民の代表からなる庶民院は、プロテスタントが多く、また現状の打開を求める姿勢が強いため、この改革を支持した。
が、予想通り保守派である貴族院、とりわけカトリックの主教たちからは、強烈な反発を食らった。
主教たちの頑なな主張に、庶民院からヤジが飛ぶ。それに対し貴族院側から罵声が飛び、しまいには玉座を挟んで子供の喧嘩のような言い合いが始まった。
うるさいわ!!
「静かに」
ダン! と足を踏み鳴らした私に、驚いたように喧騒が止んだ。
両派の注目が玉座に集まったことを確認してから、私はにこやかな笑顔で、彼らを諭した。
「私はなにも女の身で、こちらに揃う優秀な殿方たちに命令をしようなどとは思っておりません。今日は、女の私などより、よほど理性的で明晰な殿方たちに、この国の未来をお考えいただき、判断を仰ぎたいのです」
この時代、当然女性の参政権は認められておらず、この場にいるのは私を除き、全員男だ。
へりくだった女王の物言いに、殺伐としていた場内に、少しだけ微笑ましいような笑いが生まれた。何人かが、したり顔で隣人とアイコンタクトを取るのが、玉座の上から見える。
おーおー、分かりやすいこと。
所詮は女、と彼らが内心思っていることは間違いない。
だが、男尊女卑が常識の時代に、真っ向からそれを否定していては、大勢の支持は得られない。ならば、あえてその肥大した自尊心をくすぐってやった方が、物事はスムーズに運ぶというものだ。
だがこれは、決議への布石――投票権を持つ彼らに対するプレッシャーでもある。
「聡明な男性の皆様がたはもうお分かりでしょうが……今、我が国は未曽有の試練に立たされています。我が小さな島国を取り囲む外国の情勢、逼迫した財政状況、愛する国民の困窮……この状況下で、国が2つに割れて争えば、どうなるか」
プレッシャーをかけた上で、相手に、こちらの都合のいいイメージを想像させ、選択肢を狭めていく。
「今こそ国家として、国民が団結し、諸外国の脅威から、この王国を守らねばいけません。この試練に立ち向かい、乗り越えるための礎に、私はなりたいのです。そのためには、この弱い女の身が砕けることも厭いません」
おお……と、庶民院の方から、小さな歓声が沸く。
反対に、貴族院の主教たちは難しい顔をしている。だが、その飛びぬけて平均年齢が高い一団に、何人か知った顔がないことに気がついた。
高齢ゆえの体調不良での欠席か、はたまた、このような議論自体が無意味だというボイコットか。
いずれにせよ、これは私にとっては有利だ。
そのことに勇気づけられ、私は声高に言葉を続けた。
「今、この国の病を治療する為に必要な薬は、寛容です。許し、隣人を愛することです。同じ神を愛し、同じ隣人を愛し、同じ国を愛する――私は、親愛なる皆さんの良心を信じています」
『真摯である』ということがどういうことか、この時代の彼らに通じる言葉を考え抜いた結果、それは『愛』だという結論に辿り着いた。
国民を愛する、臣下を愛する、国を愛する――それは、同じ言葉でも、恋愛の愛とは大きく意味が違う。
見返りを求めない信念。互いが互いの健やかさを願うもの。気遣い。情。
言葉にするのはむずかしいが、それは目に見えないけれど確かに存在するエネルギーのようなもので、それを伝えるために、人は言葉を使う。
言葉にエネルギーを乗せて、相手に届ける。
舞台でいう「台詞に感情を乗せる」とは、つまりはそういうことだ。
魂のない台詞は、観客には届かない。
そうして、まず国王至上法案の投票がなされたが、保守派の聖職者たちの激しい反発が予想された『首長』の呼称を『最高統治者』に変更したのが功を奏し、こちらは問題なく可決された。
より波紋を呼んだのは、『礼拝統一法』の方だ。
内容的にはカトリックとプロテスタントの折衷案であったため、両派ともに議論が巻き起こったが、特に貴族院、とりわけ聖職者議員は頑なだった。
だが、この法案が可決され、国教会の中道方針が確定しない限り、メアリー1世が制定し、プロテスタントを異端審問にかけまくった『異端取締法』を廃止して、新たなルール作りをしていくのが困難になる。
私は投票の結果を、祈る気持ちで待った。
結果は……
可決。
なんと3票差!
良かったぁぁぁぁ!
神様ありがとぉぉぉぉ!
「セシル、どこ行ったんだろ……」
議会の解散後、一緒に頑張ってくれたセシルと喜びを分かち合おうと思って殿内を探し回ったのだが、見つからなかった。諦めて戻ることにする。
まぁ宗教解決と言っても、本当に完全に解決したわけでは全くないのだが、ともあれこれで、国教確定がなされ、英国国教会を支柱とした組織体制を固めていけるようになったのは確かだ。
ふぅっ、大仕事だった!
いやー、ほんと、可決して良かった! これで否決とかなったらどうしようかと……恐ろしく僅差だったけど、ラッキー!
これでエリザベス女王見習い天童恵梨、第一ミッション『宗教解決』クリアです!
天童恵梨はレベルが上がった!
……で、ピロリロリーン♪ って、本当にレベルが上がってくれたらいいのになぁ。
~その頃、秘密枢密院は……
法案の可決を見届けたセシルは1人、ウェストミンスター宮殿内を足早に歩いていた。
「ウォルシンガム」
1人、影のように向かいを歩いてきた黒衣の男に近寄り、声をかける。
「首尾は?」
「問題ありません」
国務大臣を見下ろすウォルシンガムは冷静そのもので、セシルは安堵して微笑んだ。
「よくやってくれました……こんなことは、貴方にしか頼めませんから」
「心得ております」
ねぎらいの言葉に、ウォルシンガムが静かに頭を下げる。
眼鏡の奥のセシルの目が、いつになく冷やかに細められた。
「くれぐれもこのことは、女王陛下には悟られぬように」
「分かっております」
そう答え、ウォルシンガムが目的の場所に歩き出す。セシルは彼の行先を知っていた。
「あの方が歩むのは、光り輝く栄光の道――私は影です」
振り返ることなくそう言ったウォルシンガムの声を、セシルもまた背中で聞いていた。
「同じ道を共に歩み続けるが、決して交わることはない」
その言葉を背に受け、セシルは静かに微笑んだ。
※
「我々をこのような場所に閉じ込めるとは……」
「一体誰の指示だ!?」
ウェストミンスター宮殿の客間の一室。槍を持った近衛兵が2名直立するその扉の内側では、3人の老人が憤懣やるかたない思いを吐き出していた。
彼らは、この大事な新女王第1回招集議会の日に、それぞれに何者かの甘言に惑わされ、この部屋に集まり、閉じ込められたのだ。
「よもや、女王陛下が……」
「滅多なことを言うな。まさか、女王陛下がこのような不当な真似をするわけがあるまい」
「ならば、プロテスタント一派の誰かか……!?」
1人は青ざめ、1人は赤くなり、1人は怒りに顔を白くして胸を押さえ、虚しい時間を過ごしていると、唐突に扉が開いた。
姿を現した人物に、その場にいる全員の視線が集中する。
男の顔を見て、老父の1人が目を瞠った。
「貴様……ウォルシンガム……!」
顔を上げ、怨嗟に呻いた老人たちが、次々と立ち上がり男を睨みつける。
全身を黒く覆ったその男は、慇懃に頭を下げた。
「お疲れ様でした、主教殿」
「メアリー時代亡命者が……!」
主教のうち誰かが、唾棄するように呻いた。
メアリー女王のプロテスタント弾圧の時代に、国を逃れ大陸の庇護を受けていた熱心なプロテスタント派の知識人を、メアリー時代亡命者と呼ぶ。
その多くは、エリザベス女王の即位と同時に祖国に戻り、各分野において熱心な活動を続けていた。
「可決されました。僅差で」
短い言葉で議会の終了と結果を教えられ、主教たちがざわめいた。
1人が、縋るように、責めるように問い質す。
「何票だ? 何票差だった……!?」
「……3票です」
全員が絶句した。
ウォルシンガムが、ゆっくりと――それは分かり切ったことをあえて知らしめるような、主教たちにはこの上なく不快な仕草だったが――その部屋に閉じ込められていた面々を見回した。
議会を欠席した、法案反対派の主教の人数は、3人。
「どうぞ。もう、出ていただいて結構です」
その身分や年齢に似合わぬ威厳を身につけた男は、ふてぶてしいまでの淡白さでそう告げ、踵を返した。
憤怒に顔をどす黒くした老いたカトリック主教たちは、その黒い背中を見送り、誰一人すぐには動こうとしなかった。
だが巧みにこの場所へ集められた彼ら自身、それぞれ人に言えぬ理由で誘い込まれただけに、この男の悪行を公に暴露することは出来なかった。
また、例えそうしたとしても、議決の結果が変わるわけではなかった。
「このプロテスタントの悪魔が……地獄へ落ちるがいい!」
捨て台詞のように吐き出された主教の呪いの言葉は、確かにウォルシンガムに届いたはずだが、彼が振り返ることはなかった。
それがこの後の――英国陰謀史に名を刻む、彼の業績を予見しての言葉であれば、確かにウォルシンガムは『悪魔』だった。
だが、ただ一つ、この主教の予言には、明確な誤りがある。
彼は『プロテスタントの悪魔』ではなく、『女王の悪魔』だった。
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