私はお勉強とルーチンワークの傍ら、セシルは本来の仕事と国璽尚書の仕事と私のフォローという激務の傍ら、互いの知恵を出し合い、問題になりそうな部分を修正しながら、法案の完成を目指した。
セシルとひそかに法案の作成を進める以外の部分で、最初に私が独断で着手したのは、『風呂作り』だった。
聞くところによると、この時代の貴族は、毎日、桶に入れた水を浸した布で身体を拭くことで済ませ、風呂に入るのは1ヶ月に1度くらいなのだという。
絶対に! 耐えられないんですけど!!
お風呂大好きな日本人としては、せめて毎日シャワーは浴びたいし、3日に1度は湯船につかれなきゃヤダヤダヤダ!
というわけで、私がまずやったことは女王権限で湯船を新調して、好きな時に湯を沸かして入れるようにするということだった。
後ついでに、私の身近な臣下にも、最低3日に1度は風呂に入れ、じゃないと謁見禁止。という厳命を出しておいた。
『美男美女しか雇うな』という命令が通るのだから、これも通って然るべきだろう。
贅沢? んなこたーない。そこを絞る前に、この宮廷には、山ほど節約できるムダがある。
というか、ムダ。ほとんど全部無駄。
そらね、王侯には王侯の品格というものがあって、儀式やら格式やら何やらも、なくてはいけないことは分かりますよ。
大勢が羨望するブランドを作り上げるには、イメージ戦略というのは大事なんです。
だが、金が流れる組織が腐敗するのは、時代も場所も問わず当たり前のことで、王侯の格式以前の問題で、非合理で怠惰な運営が多すぎる!
個人的なこだわりで風呂の贅沢をすることに決めた私は、その穴埋めとして、まず宮廷内の無駄な出費を抑えることにした。
何でかっていうと、その要望を出した時に、ウォルシンガムがすごいしかめっ面で、嫌味をいっぱい言ってくれたから。
カッチーン。
会社でも覚えがあるこのムカつき。
営業の交通費とか、必要経費の出費にぐちぐちと文句垂れる経理部長を思い出す。
あんたらね、頑張ってる営業部の経費に文句垂れるより、もっと先に言うべき遊んでる部署があるでしょうがね!? という叫びを何度飲み込んだことか。
抑えるところ抑える、使うべきとこ使う、これ経営の基本。
そういうわけで私は、ウォルシンガムに目にものを見せるために、宮廷内の無駄を嗅ぎ回って、厨房や厩舎を歩き回ったのだ。もちろん下女下男にはビックリされた。
だがまあ、現実の現場は、あまりの効率の悪さに、開いた口がふさがらないレベルだった。
お役所仕事どころではない。
宮廷内にたくさん厨房があるはずなのに、出てきた料理がやたらと冷めていたことが気になって、早速料理が晩餐に上がるまでの過程を遡ったところ、なんと、宮廷内に出るはずのパンが、城から15分はかかる、街の一般食堂のかまどで焼かれていたのだ。
まさにどうしてこうなった、である。
どんだけ下請けに出してんだおまえら! パンくらい自分らで焼け!
パンを焼かせるまでに、幾人もの人が間に入っているのだ。この全員が、結局「パンを焼く」という仕事に従事したことになる。この人件費、無駄という以外に何と言おう。
というわけで、この証拠を手にウォルシンガムを詰めた。上司の逆詰めは私の得意分野だ。ウォルシンガムは臣下だが、イメージ的には、色々融通の利かない上司である。
……とまあ、官職にないウォルシンガムを詰めたのはついでなんだけど、私は財務大臣にこの件を報告して、大人しく風呂作りを認めさせたのである。
※
そんなこんなで戴冠式から1週間が過ぎた1月の下旬。
ルーチンワークに関しては大分慣れ出した私の前に、長らく宮廷から離れていた国璽尚書のニコラス・ベーコンが現れた。
帰国の報告の席では、女王の戴冠式に参加できなかったことを大いに悔やんでいたが、ちょうど王の代理で外国に飛んでいたのだから仕方がない。
ベーコンは、呆気にとられるほどの巨漢だった。一応、議員で弁護士と言う立場であるらしいが、どちらかというと軍人と言われた方がしっくりくるほどの、厳ついマッチョメンである。
ウィリアム・セシルとは法律上の親戚にあたり、彼の死別した妻の妹の旦那であるらしい。
セシルの亡き妻は、賢婦人として評判高い才女であったらしいというのも、ベーコンの長話から入手した情報だ。
言ってみれば、彼もセシルと同様、爵位を持たない出身階級であり、女王のご意見番として傍に置く主席と次席の人材を、身分にこだわらず配したエリザベス1世は、やはり合理的な実力主義者だ。
ベーコンとの会話は、旧知のセシルから教えられた彼の情報をもとに、無難に対応することが出来た。
……だが、こっから本番!
見据えるべきは、明日。
彼が持ち帰った外国情報も踏まえての、第1回招集議会である。
今回、セシルと知恵を絞って固めている法案の目的は大きく2つ。
国教の統一と、カトリック・プロテスタント両派の中庸である。
はっきり言って私は、宗教なんてどうでもいいし、人の内面の信仰に手を出すことほど無意味で危険なことはないと思っている。
だが、この時代――あるいは、現代でもなお宗教戦争は世界各地で起こっているが――信仰は市民の生活の大部分を担っていたものだし、国家は信仰を人心の統一に利用していたのは確かだ。
郷に入れば郷に従え。
政治の安定のために国教会の統一を図り、王を頂点とした統制型の組織を作る。
これは色ボケ親父……もとい、父王ヘンリー8世が制定し、メアリー1世時代に一度破棄された国王至上法を復活させるものだ。
イングランド王国は、超法規的存在であるローマ教皇からも干渉されない、宗教的に独立した国家であるという明確な意思表示。
当然、ローマ教皇に面と向かって喧嘩を売るのだから、プロテスタント寄りにはなるのだが、かといって国内のカトリック教徒に対して、ブラッディ・メアリーのような宗教的弾圧は行わない。
本音を言えば、彼らが心の中で何を信仰していようが構わないのだ。ただ、組織として統一するべきルールやしきたりがあるならば、それに従ってもらう必要がある、というだけの話だ。
寛容と共存。
この国の平和を維持するには、それしかない、というのが私とセシルの共通認識だ。
……宗教的対立でヨーロッパ大陸が荒れに荒れることになる16世紀で、このイングランド王国だけは守って見せる。
だって、私の国だから!
……きゃー言っちゃった恥ずかしい!
ま、まぁ、元々、いずれ組織を動かす立場にはなるつもりだったし……
目指せカリスマ女社長! が目指せカリスマ女王! になちゃっただけ……って「だけ」かぁぁっ!?
だが、やらなきゃいけないことは、ちゃんとやり抜く。
責任感の強さには自信がある。
背負うべきものの大きさに怖くなる時もあるけど、仲間もいるし……何より、チート女王エリザベス1世という、明確な目標と見本がある。
……なんかカンニングみたいだけど、それは新米女王に対する神様的な何かから与えられたハンデだと思えばよろしい。
「んー……やっぱりこの『最高首長』の部分は変えた方がいいんじゃないかしら」
その日は、夜遅くまでセシルと顔を付き合わせ、法案の最終調整を行っていた。
「かるーく枢密院会議で反応見た時も、カトリック派委員の拒否反応すごかったし」
王の下で、政府として国家の統治に携わる枢密院委員は、現在19名。
この人事は、エリザベスが即位の際に行ったのだが、彼女は強硬な人員の刷新という手段はとらず、メアリー女王時代の過激なカトリック教徒を一部外しただけで、半分以上はメアリー時代の人員を残している。
この辺の人事にも、彼女のあまり波風を立てたくないという慎重な姿勢が現れている。
ちなみにこの19名の中には、セシルとロバートは入っているが、ウォルシンガムは入っていない。
彼は秘密枢密院の一員だが、肩書きは庶民院の議員だ。
「そこは、やはり陛下が女性でいらっしゃるということが関わっているのでしょう。女性は司祭にもなれませんから」
セシルは曇り顔だ。
女が国王、というのも大概抵抗があるが、教皇の至上権を廃し、女を国教会の最高首長とする、というのは、特にカトリック側からすると相当に受け入れがたいものらしい。
「何か、他にいい言い方ないかしら。もう少し、受け入れやすいような」
「ですが、陛下はよろしいのですか?」
「私は構わないわよ、それで後々問題が出ないなら」
呼び名一つ変えるだけで、通らないものが通るなら結構なことだ。
どうせ実質的な権限が変わらないのなら、建前よりも利を取る。
「何がいい? 私は、この辺の語感のニュアンスがよく分からないから、セシルに考えてもらいたいんだけど」
「では、最高統治者……というのはどうでしょう。首長よりは、教会の長として万能性が和らぐかと」
「そうね……そういう方がいいわね。あくまで規律を守らせるための、行政的な部分での神の代理人みたいな感じで」
「ならばこれでいきましょうか」
そう言って、達筆な字で書き換えたセシルが、小さく息をついた。ちょっとお疲れに見える。
「我々としては大きな譲歩ですが、果たしてこれで納得するかどうか……」
「納得してもらうほかないわね……」
私もつられて溜息をついた。頬杖をついて目をつぶる。私もお疲れだ。
新法案の中で、カトリック・プロテスタント両派から突っ込みを受けそうなところを精査し、潰していく。
今詰めているのは国王至上法だが、並行して進めている礼拝統一法――礼拝の儀式形式の確定は、私にとって更に難問だった。
カトリックとプロテスタントの細かい儀式の違いなど、そもそも知らなかったし、勉強すればするほど疲れてくるのだ。
勿論、それぞれの主義主張には、様々な解釈や伝統が基にあって、互いに譲れない部分であるのは分かるのだが……
聖職者が礼服を着ようが着まいが、好きにしろ、マジで。
と言いたくなるところをぐっとこらえ、問題になりそうな部分を話し合っていく。
考え過ぎて頭が焼けそうだ。
「お疲れですね」
「知恵熱かも……」
セシルに指摘され、私は額を押さえて大きくため息をついた。
当日には、カトリックの主教たちを中心に、激しい反対が予想される。
「こんだけ考えに考えて出したやつが、否決されたら泣けるわ……」
心折れずにもう1回練り直せるだろうか。
歴史通りにいけば、国王至上法と礼拝統一法は可決されるはずだが、なんせ私が作ってるのだから、心配で心配で心配で胃が焼けそうだ。
くぅっ……何この、自信のないプレゼンを直前にした時に似た、胃のキリキリ感……!
お腹を押さえ、突っ伏した私にセシルが心配そうな顔を見せる。
「陛下、お身体の調子が?」
「大丈夫大丈夫。ちょっと緊張してるだけ」
顔を上げて笑顔で答え、私は机に向かって前のめりになったまま、指を組み合わせてお祈りした。
「明日、法案可決されますよーに……」
こういう時だけ、神頼みしたくなるのが、ご都合主義現代日本人である。
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