「っかーっ! セシル萌え!」
その夜、オッサンのような声を上げ、ベッドの上で枕を殴る私――天童恵梨がいた。
「セシルに天童恵梨って呼ばれちゃったぁぁっ」
ついで枕を抱きしめてゴロゴロする。
この世界に来て、何が一番いいって、ベッドが広過ぎてゴロゴロし甲斐があるというところだ。
図られているのか天然なのか分からないけど、とりあえずめちゃくちゃ嬉しかったぞ!
昼間の興奮冷めやらぬ私を、珍獣でも見るような目で眺めていたウォルシンガムが聞いてきた。
「なんですか、『萌え』とは」
「エクセレント!(素晴らしい) って意味よ」
さほど考えもせずに適当に答える。
すると、ウォルシンガムは顎髭を撫で、ふむ、と納得したように頷いた。
「確かに、サー・ウィリアム・セシルはこれ以上なく素晴らしい方ですが」
若き宰相を尊敬するウォルシンガムが、満足そうな鼻息で言い切る。
その様子に、私の中の悪魔がうずいた。
……ムフッ。
ベッドから身を起こし、枕を膝に乗せた私は、カムカム、とソファに座っていたウォルシンガムを、手招きで呼びつける。
立ち上がり、近寄ってきたウォルシンガムと向かい合う形でベッドに正座した私は、彼を見上げて手を叩いた。
「じゃあ言ってみてよ、はい、リピートアフターミー、セシル萌え!」
私の期待に輝く瞳に見つめられ、嫌な予感を覚えたのか、ウォルシンガムはためらいがちに視線を逸らし、呟いた。
「……セシル萌え」
腹 筋 崩 壊 。
「この顔で……っ萌え……っ。この声で……っ」
ひーっ。笑い死ぬ……っ。
意外に、そのミスマッチっぷりが萌えかもしれない。
寝台の上で笑い転げていた私は、涙目になりながら、ウォルシンガムに人差し指を突き出した。
「もう1回……」
「絶対に嫌です」
案の定、拒否られた。
女王命令を振りかざしても良かったが、さすがにかわいそうなので止めた。
プライドが高そうなウォルシンガムには、意味が分からないまま物笑いにされてる状況はきついだろう。
「ゴメンゴメン……っでも嘘は教えてないから……! ただ、ちょっとニュアンスが……あははっ」
まだ笑いが収まらない私に、ウォルシンガムが真面目な顔で聞いてきた。
「スラングですか?」
「スラング……うん、そうかも。っていうか若者言葉?」
「……私も若いつもりですが」
知ってる。(元の)私よりも年下だし。
「いやまぁそうなんだけどね。萌えって言うのは……あー、どうしよう。伝えるの難しいこの感覚! こんなに素晴らしい言葉なのに!」
萌えほど、この腹の底から湧き上がる、えもいわれぬ情動を的確に表現した言葉もないだろう。
教えたい-! でも、どう表現すれば……?
「例えば……ちょっと恋に似てるかも……? んー、でもそうじゃない場合もあるし……子供の仕草を可愛いと思う感情に近い? それもなぁ……もうちょっと俗っぽいっていうか欲っぽいっていうか……」
一度その感情を体感してもらうのが早いのだが、この時代の男の人の萌えって何なんだろう? メイド……っていうか女中さんは普通にいるしな。
けも耳って理解されるんだろうか……? 魔女が忌避されてるくらいだからモンスター扱い?
「そうねぇ、身近なところで言えば……好きな女性の、意外な一面とかが見れて、それにすごく、ムラッと来るというかクラッとくるというか、グッとくるというか。その瞬間の衝動的な情欲? に近いかしら?」
「……貴女はセシル殿に欲情したんですか?」
不審な目で見られた! いや、不審であることには違いないけども!
「ちっがーうっ! またそれとは違うくて……そこまで直接的なものじゃなくて、もうちょっとほんわかしたもので……もっとこう、きゃー可愛い! っていうか、机バンバンしたくなるっていうか、枕ボスボスしたくなるっていうか。わっかんねーかなぁ。わっかんねぇよなぁ」
言ってるうちにこっちもよく分からなくなってきた。
言葉って難しい!
「んー、難しいなぁ。なんかないの? ウォルシンガム。例えば……身近な女の人とかで、普段ツンってしてる子が意外なところでデレてきたり、男勝りな子が実は乙女なところがあったりとか、そういうギャップを前にキュンと来ちゃう感じ……」
いかん、これだけじゃ、あまり恋と変わらない例えになってしまっている……!
えーっと、萌え、現代の代表的な萌え対象……この時代に二次元はなしだろうから……そうだ、アイドル!
「ほら、ちょっと有名人とか、手の届かない身分の女性とかで美人で、憧れるような人の……んん? そういや、あのアイドルオタクって何に萌えてるんだろ??」
例に出しておいてなんだが、管轄外過ぎてちょっと分からない。
私は頭をひねって、当てずっぽうに言ってみた。
「こ、こすちゅーむ? あまり普段見れないような恰好とか? あ、あれだ! 一所懸命頑張って、けなげに泣いちゃうところか!」
総選挙的な。
「……なんとなく分かりました」
「マジで?! 今ので分かってくれた!?」
頷いたウォルシンガムに、達成感に浸る私。
私は今、『萌え』を中世ヨーロッパに伝搬した最初の伝道師になった!!
ガッツポーズを取っていた私は、ぶしつけな眼差しが降ってくることに気付いて顔を上げた。
「……!?」
ウォルシンガムに無表情でガン見されていた。
「何、何!?」
あのやたら眼力のある目で、穴が開くほど見られたものだから、私は驚いてのけぞった。
だが、私が引いた分、前に乗り出すようにして、ウォルシンガムがじっと見つめてくる。
何!? 怖いんですけど! なんか私、変なこと言った?!
…………あああっ! 思い返してみたら変なこと言ったかも!
「ちょっと、ちょっと待って。私は違うわよ、そういうんじゃないから……」
かなりいろいろ失言したような気がして、私は眼差しに気圧されながら、正座の体勢のままじりじりと後退した。
だが、枕を掴んだまま、ズボンではなく裾の長いサテンのスカートで、そんな行動をとったのがまずかったのだろう。自分で踏んづけてる部分に引っ張られ、引っかかってしまった。
「ぎゃっ?」
可愛くない悲鳴を上げて、勢い余って後ろに倒れこむ。
クッションの効き過ぎたベッドなので痛くはないが、その分身体が大きく跳ねた。
足を投げ出してしまい、スカートの裾がひらりとめくれる。
やっば! 下着見えた?!
あわてて上半身を起こし、手で押さえて前かがみになる。
ベッドの上で、なに一人でじたばたしてんだ私! 馬鹿か!?
自分に悪態をつく。
す、裾長いから大丈夫だと思うけど……見えてたらかなり恥ずかしいぞコラ。
正直合わす顔もなかったのだが、相手の反応が気になって、おそるおそる上目遣いで見上げると、やはり真正面のウォルシンガムと目が合った。
だから、なぜじっと見つめ続ける!?
勘弁してくれ、この羞恥プレイ。
私は耐えきれなくなって、真っ赤になった顔を、ポス、と抱えていた枕に埋めた。
「……も、寝るから、帰っていいわよ。おやすみなさい」
顔を俯けたまま、ひらひらと片手を振り、追い出そうと試みる。
「……陛下、少しこちらへ」
帰れ!!
なぜか居座り続けるウォルシンガムに、私は渋々顔を上げた。
「な、何よ……」
女王を呼びつけるたぁふてぇ野郎だ。
警戒しながら、膝で這ってじりじりと近づくと、頭に手を伸ばされた。
「御髪が乱れ過ぎて、乞食か老婆のようです。このまま侍女を入れれば、私が不誠実な行いをしたと疑われかねません」
こ、乞食か老婆って……!
例えるにも、もうちょっとマシなもんがあるだろーよ!?
胸中全力で突っ込みつつ、やたら意識して警戒した自分が恥ずかしく、私はおとなしく毛づくろいされていた。
「…………」
気まずい沈黙が流れる。
私は俯いたまま、早くこの状況から解放されることを願っていたのだが、なかなかウォルシンガムは離してくれなかった。
「ちょっと、ウォルシンガム……? もういいわよ、どうせ後は寝るだけだから……」
顔を上げると、予想よりはるかに近い場所に髭が見えた。
そして、彼は、おろした私の髪のひと房をすくい上げ――口づけていた。
唖然として視線を上げると、やはり強い力を放つ漆黒の双眸とかち合った。
「……っ」
言葉も出ないまま、思わずのけ反る。自然、彼の指から髪が滑り落ちた。
こ、この時代の髪に口づけるってどういう意味!?
げ、現代ではステディな関係でない限り、そうそうやらないと思うけど……!?
でも、手の甲や指にキスも日本じゃやらないし……
混乱していると、ウォルシンガムが何の動揺も見せない冷静な態度で身を引き、姿勢を改めた。そして、事務的な仕草で顔を伏せる。
あ、あれ……? もしかして髪にキスって普通なこと……?
「失礼しました」
「い、いや、別に……」
別にと言いつつ心臓がバクバク言ってるが、何とか体裁を保つ。……もう保つような体裁も残っていない気もするが。トホホ……
1人で暴れて全力で疲れ、私は大きくため息をついた。あー、顔が火照る。熱い。
もういい加減、そこで終わって欲しかったのだが、やはりウォルシンガムは追い打ちをかけてくれた。
糞真面目な顔で、ぼけたことを聞いてくる。
「……今のが『萌え』でしょうか?」
「それは……多分、ちがうと思う……」
だったら何なのだ、と言われたら、それはちょっと、よく分からないけど。
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