無事戴冠式を終え、翌日から本格的に公務につくことになった私は、ふとあることに気付いた。
それは、一部の貴族高官などを除き、宮廷で働く人間が皆、揃いも揃って美男美女ばかりであるということだ。
そのことをセシルに尋ねると、意外な回答が返ってきた。
「エリザベス様のご意向です。宮廷の勤務には見栄えの良くない者は雇わないよう、出来るだけ若く美しい者を優先して雇うようにお達しが出ています」
エリザベス、面食い確定。
……王様ってすげー、そういうこともやっちゃうんだー。
現代なら差別だの何だのと大問題になりかねない命令を、堂々と言い放っちゃうあたりは、さすが絶対君主である。
なんたって、階級制という最強の差別で成り立っている社会である。
けれど、かのエリザベスが、ただ個人的な好みだけで(好みは大いにあると思うが)そういった人事をしていたとは思わない。
「イメージ戦略か……」
「勿論、それもあります」
セシルがにこやかに肯定する。
執務室で、私は休んでいた間に溜まりまくった書類に目を通しながら、隣で一つ一つ丁寧に、意味が分からないところを教えてくれる家庭教師……もとい極めて優秀な宰相ウィリアム・セシルと一緒にいた。
別に二人きりというわけではなく、部屋の隅には侍従が座って控えているし、扉の前には近衛兵隊も立っている。みな、人形のように動かない。
こういう仕事って、暇だろうなぁ……私には耐えられない。
何も出来ずにじっとしている仕事というのが一番苦手な私には、例え残業続きでも、仕事がテトリスのピースのように消化していく先から溜まっていく激務であろうとも、営業職で動き回っている方が遙かに向いていたのだ。
「エリザベス様は、私のような低い身分の人間を側近に取り立てる懐の深さもお持ちでしたが、同時に、王室、貴族、そして臣民という区別をはっきりとさせ、貴族の権威、ひいては王室の地位を維持することにも、非常に重きを置くお考えの方でした」
「なるほど……」
階級制度と王侯の権威の確立は、この時代の君主制を維持するにあたって、無視できない重要な課題であったはずだ。
貴族や王侯の権威が失墜することで、市民が台頭し王政が転覆する18世紀以降の歴史が、それを如実に物語っている。
セシルの説明に、私は羽ペンの先で唇をくすぐりながら――これ、ウォルシンガムに見られたら怒られるんだけど――視線を遠くに投げたまま頷いた。
要するに、差別化、ブランド化のためのイメージ作りだ。
このイメージ作りというのは、説得力を持たせるという点で、大きな役割を果たす。
世界的高級ブランドの店舗の従業員が、皆美形で立ち振る舞いが洗練されていたり、健康食品の営業マンが太っててはいけないのと同じ。
イングランド国王の住まう宮廷に足を踏み入れられるのは、選ばれた者のみというイメージ作り。
……まあ、そうは言いつつ、ただの好みが大半かな。うん。
と、考え直し、私は執務に戻った。
しかしまぁ、女王としての振る舞いを覚えてきたところで、それで終わりではない。
私の中途半端な世界史の知識とは別に、16世紀現在の情勢、イングランド国内の問題、周辺国との関係、財政状況、軍備など、把握しなければいけないことは山ほどある。
日常のルーチンワークが終わったところで遊ぶ暇はなく、後はひたすらお勉強タイムだ。無論、家庭教師は秘密枢密院のメンバーである。
幸い、そういう話は好きな方なので、覚えるのは苦ではないが、知れば知るほど、今のイングランド国が抱えている問題の深刻さに頭を抱えたくなる。
財政は大赤字、地続きの隣国スコットランドとの根深い対立、大陸の強国スペイン、フランスの干渉、軍の弱体……そして何より、エリザベスの父王ヘンリー8世が断行した国教会の独立によって分裂した、国内の宗教問題!
これが一番頭が痛い!
おかげさまで、ローマ教皇にも睨まれてるし……
そもそもは、元々はカトリック教徒だったヘンリー8世が、最初の妃キャサリン妃と離婚して愛人アン・ブーリン(エリザベスの母ね)を妃にしたがった、というのが事の発端だ。
だが、当時キャサリン妃と縁戚にあった神聖ローマ皇帝が圧力をかけたため、ローマ教皇は、頑として離婚を認めてくれなかったのだ。
カトリック教徒である限り、ローマ教皇の許可なく離婚はできない。
そんなこんなで、ヘンリー8世が「じゃあ、ウチはプロテスタントになるんで、ローマ教皇の許可なくても離婚しちゃいますね!」とばかりに、力業で国ごとプロテスタントに変えちゃって、自分を国教会の首長にしてしまったのである。
その後もヘンリー8世は、自分が教会の最高権力者であることをいいことに、離婚と再婚を繰り返し、死ぬまでに6人の妻を持った。
まあ、そこだけ取れば、ただの色ボケした王様のワンマンなのだが、じゃあ単純に、イングランドがカトリックの国のままだったら良かったのかというと……
確かにヘンリー8世はプロテスタントを利用したかもしれないが、そもそもローマ教皇の力が大きくなりすぎたカトリックから、その権威を否定するプロテスタントが分離した歴史は、ある意味必然ともいえるもので、信仰に関しては、一概にどっちがいいなんてことが言えないのが現実だ。
……それに、カトリックのままだったら、プロテスタントのウォルシンガムは国に戻ってこれなかったわけだし。
だが、そんな国王の強引な宗旨替えの反動はすぐに来た。
引き金を引いたのは、最初の王妃キャサリンの娘、メアリー。
ヘンリー8世とエドワード6世の死後、女王メアリー1世となってイングランドを震撼させる彼女は、熱心なカトリック信者で、己と母を失墜させたプロテスタントに大いに恨みを持っていた。
メアリーは王位についた途端、強硬なカトリックへの回帰を画策し、あまつさえカトリックの大国スペインの国王フィリペ2世と結婚した。
彼女のプロテスタント弾圧はエスカレートし、結局、たった5年の在位で数百人の殉教者を出す恐怖政治となった。
これが、悪名高いブラッディ・メアリーである。
そんなメアリーの圧政が、彼女の死によって幕を閉じたのは、ほんの2か月前のこと。
まだ民衆の傷は癒えておらず、国内でも宮廷でも、プロテスタントとカトリックの角突き合いは激しさを増すばかりだ。
「もうみんなっ。同じ神様信じてるんだから仲良くしなさい! はいっ、ごめんなさいは? ……って言ってやりたいけど、そうもいかないっていうね」
半ば投げやりに、冗談めかして言った言葉に、セシルが意外な反応を示した。
「いえ、その通りだと思いますよ」
「え?」
思わずセシルの目を見る。
こんなセンシティブな内容で、単純な太鼓持ちの同意をするような彼ではないが、いささか信じられなかったのだ。
「セシルって、プロテスタントよね?」
「ええ。ですが、それは私個人の信仰です。国務大臣として国政に携わる身としては、信仰の対立によって人が血を流し、国家の安定が損なわれる自体は、大いに避けるべきだという考えに立っています」
「全く持って同意見だわ!」
ここに力強い味方がいたぁぁぁぁ!
思わずセシルの手を握り、目を輝かせる。
「私が主席国務大臣という立場に引き立てていただいた理由の一つに、宗教問題に関するエリザベス様との意見の一致というものがあります」
セシルは、本物のエリザベスのことをエリザベス様、私を陛下と呼ぶことで区別をつけていた。
そうか……なるほど。
エリザベス1世は、国内を二分するプロテスタントとカトリックの深刻な対立に、中道政策という道を取って国をまとめ上げた。
それを実行出来たのは、セシルという頼もしい同志がいたからだったのだ。
なにげに私は、エリザベス1世の一番すごいところは、無敵艦隊の撃破云々よりも、宗教問題に対して中庸という選択を取り、それを貫いたことだと思っている。
宗教で戦争が起こるような時代に、信仰を政治的に俯瞰した視点で見下ろせるその冷静な思考――それも、たった25歳の女性だ。
情報が溢れ、信仰の自由が定着した21世紀日本に生きていた私が、その結論を出すのとはわけが違う。
男でも、信仰に凝り固まって無謀な政策に出るような政治家が山ほどいただろうこの時代に、つくづく現代的な価値観を持った女性だなと感心したものだ。
「セシル、ニコラス・ベーコンが帰ってきたら、すぐに会議を開くのよね? その時までに、中庸政策のための法案をまとめましょう」
「ええ、もちろんそのつもりです。既に草案に取りかかっております」
さすがだわぁぁぁぁ。
これは後世の記憶に残る、エリザベス1世の最初の業績、宗教解決に繋がる『国王至上法』と『礼拝統一法』の可決に向けた一歩だ。
「でも、良かった」
ぽつりと呟いたセシルの意図を測りかね、私は彼の手を握ったまま目で問うた。
すると、セシルは少し言いにくそうにしながら答えた。
「このことを理解出来る女性が、エリザベス様以外にいるとは思えなかったので……実はとても不安だったんです」
疑った気まずさからか、少し顔を伏せたセシルが、上目遣いで見上げてきた。
「すみません。貴女を侮っていました、天童恵梨さん。貴女は、エリザベス女王を継ぐのに相応しい方だ」
そう言ってニコリと微笑んだ彼に初めて本名で呼ばれ――
萌えぇぇっ!
直撃を受けた私は執務机に突っ伏した。
眼鏡上目遣い万歳。
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