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第1章 女王戴冠編
第11話 オンとオフ


 ディナーが始まり、席に着いた招待客達と食事を取った後、女王の席の前で仮面劇が始まった。


 劇の間奏曲が流れ、歌手が歌い出すと、席を立って踊り出す者も出てくる。

 そのうち、広いホールのあちらこちらで男女のペアが踊り出し、場はどんどん華やかになっていった。


 私も、どこかで踊り出さなきゃいけないんだろうか……


 まだ仮面劇は続いている。そわそわし出した私に、セシルが耳打ちした。


「劇中は席をお立ちにならなくても大丈夫です。彼らのパフォーマンスに見入っている風を演じて下さい。劇が終わった頃合いで前に出て、ダンスを所望する男性の中からロバート卿をお選び下さい」

「了解」


 いいタイミングだ。まったく頼りになる参謀である。


 私は、仮面劇に大いに喜んだ振りをして、出来るだけ席に座る時間を粘った。

 そして、劇が終わり、本格的にダンスタイムに移ろうとした時、席を立ち、ステップも軽やかに広間の中央に躍り出る。


 さぁ、誰が相手をしてくれるのかしら? とばかりにフェイクで周囲を見回すと、わっとあちこちから紳士達が手を差し伸べてきた。


 嫌味にならないよう笑いながら、その手を取るふりをしたり背けたり、とお茶目な仕草を入れつつ、ロバートに近づく。


 ロバートの方はというと、むかつくほど様になった立ち姿で、自信満々で腕を差し出し、私を待っていた。


 微笑んでその腕を取ると、やっぱりか……というような雰囲気と共に、名乗り出ていた男達が引っ込んでいく。

 これ……ロバート妬まれるんだろうなぁ。


 だがこの男の場合、その妬みすら快感に感じていそうだ。実際、紳士達に睨まれるロバートは、いつもに増して生き生きしている。


 絶対君主制は、国王の寵がそのまま出世に繋がる世界だ。男社会で、その国王が女というのは、なかなかに複雑な人間関係を生み出しそうな気もする。


 うおー、気が重い……


 だがそうも言ってられない。エリザベス1世は、そこをくぐり抜けてきたのだ。


 何より、この男尊女卑の世界では、女の君主が舐められるのは自明の理なので、そこをどう攻略するか。

 女の強権型の君主は、ヒステリー扱いされて取り合ってもらえなさそうだ。それこそ、メアリー女王という典型的なヒステリー型の女君主での失敗も記憶に新しい。


 やはりここは穏健に、男のプライドを立てつつ、手綱を握っていくしかないのだろう。その為には、『女』を使うのは一つありだ。……あ、変な意味じゃなくてね。


 プライベートでは女を使うのが大の苦手だが、ビジネスであれば、私は女性ならではの営業術というのを研究し尽くしている。勿論、枕営業とかそういう意味ではない。


 そんなことを思いながら踊り始めると、すぐに自分の中の違和感に気付いた。

 ん? 何だ? なんだこれ。


 なんか、すごく踊りやすい……


 ロバートにリードされると、勝手に身体が動く。


「ホラ、やっぱり、忘れてなんかいない」


 私の腰を抱き、ロバートが歯を見せて笑いかけた。

 そう言われて、違和感の正体を悟る。


 そうか……これ、エリザベスの肉体だから、身体が覚えてるんだ……


 ロバートのリズム、ロバートの呼吸、ロバートの癖。


 セシルをして目に余ると言わせるほどに寵愛した男に触れて、身体が喜んでる。


 ……ということは、やはり、私がこの時代のイギリス英語やラテン語が話せるのは、エリザベスの脳が覚えているから?


 でも、私にはエリザベスの記憶はない。そちらの方は、魂が持って行ってしまったのだろうか。


 21世紀の世界では、記憶や感情は全て脳によって支配されているという考え方が強いけど、私はやっぱり、魂というのはあると思う。

 それが現世の業で天国に行くとか、地獄に行くとか、転生出来るとか出来ないとかっていう考え方は、よく分からないけど。 


 もし、魂と脳が協力して人間の内面を作っているのだとしたら、どこまでが脳の所轄で、どこからが魂の持ち物なんだろう。


 そう思い、私はふと不安になった。


 どこまでが私で、どこまでがエリザベスなんだろう……


「……俺と踊るのは退屈ですか? 陛下」

「へ?」


 身体が近づいた際、そう耳打ちしてきた相手に、私は間抜けな声で聞き返した。


「今、考え事をしていたでしょう。ウォルシンガムのことですか?」

「なんでそこで、ウォルシンガムが出てくるかな……」


 年甲斐もなく拗ねた様子を見せる男に呆れる。

 だが、ロバートは彫刻のように整った顔に憂いを乗せ、まるでダンスの仕草の一部のような自然さで、私の右腕にキスをした。


 そして、切なげな流し目で囁いてくる。


「……目覚めてからの貴女は、とても俺に冷たい」


 待てぇぇぇ! その顔と仕草はエロい!


 不覚にも腰が砕けそうになった。こいつのセックスアピールは凶器だ。

 計算尽くでやってるのが分かるからムカつくが、抗えない魅力があるのも事実。


 うわぁぁぁん! もうイヤだコイツー!


 女優魂で意地でも顔には出さないが、内心ロバートと踊るのが耐えられなくなってきた頃、パンパン! と軽快に手を打ち鳴らし、1人の男が進み出てきた。スペイン大使だ。


「この素晴らしき日に感謝を! 世界で最も美しい君主エリザベス様に、親愛なるスペイン国王より祝いの調べをプレゼント致します!」


 歌い上げるような節で場を盛り上げ、絶妙のタイミングで、すでにスタンバイしていたスペイン使節楽団が、素晴らしい音楽を奏で出す。


 早い曲調の音楽に、盛り上がった広間で、先ほどより激しいダンスが始まった。


 やるなら、このタイミングか……


 一曲が終わったインターバルで、私はロバートから離れ、スペインの楽団に近づいた。

 それまでロバートにべったりだった女王が急に動き出したことで、周囲の注目が集まる。


「アンダルシアのヒターノの曲を演奏できる方はいるかしら?」


 そう問いかけると、数十名からなる楽団がざわめいた。

 演奏者達が、口々にスペイン語で隣近所のメンバーと話し出す。


 フラメンコの源流は、スペインの南部アンダルシア地方のヒターノ――ジプシーたちの民謡だ。

 この時代の彼らは、スペインに迫害される立場の民であったはずだ。


 公式の楽団で、どれだけその音楽性を理解している人間がいるかは不安だったが、数十人の内2、3名が手を挙げた。


 よし、十分。


 フラメンコは即興性の強い音楽だ。リズムさえ取れれば、後は私の舞台。好きに踊ってやる。


「パリージョを」


 手近にいた演奏者から、カスタネットを2つ奪う。


 さて、もはやこの時点で大広間の大部分の人間が、女王の行動に気付き、様子を伺い出していた。


 首を巡らすと、その中にはセシルも、ロバートも、そしてウォルシンガムもいる。


 ウォルシンガムと目が合ったところで、私は挑発的に微笑んでやった。


 見てろよウォルシンガム!


 タンタカタタンタン タンタカタタンタン


 主導権を握るように、パリージョで最初のリズムを取り、次に寄木細工の床を踏みならす。


 その音に、ホールが静まり返り、その場にいる全員の視線が集中した。


 おお、気持ちイイ!


 これよこれ。舞台に立ち、スポットライトを浴びる瞬間の、内側からわき出す高揚感。

 適度な緊張感と興奮。


 この癖になる心地良さだけは、経験した人間しか分からない。


 パリージョとサパテアードでリズムをとり続ける私に、さすがプロの演奏家達はすぐに対応した。

 徐々にリズムが早くなる――その頂点を極める絶妙なタイミングで、演奏が挿入される!


 景気づけに深紅の裳裾を大きく翻し、ステップを踏み鳴らす。パリージョを叩く指先をしなやかに返し、身をしならせる。

 さすがに時代が違い過ぎて全然知らない曲だけど、フラメンコの源流だけあって根本的なリズムは似ている。


 フラメンコは、迫害の中で生き抜いたジプシーたちの、情熱と魂の叫びの表現。

 燃えるような生に対する執着と、悲哀の中の前向きさが、私は好きなのだ。


 最初のうちは、スカートをめくり上げて踊る場面でざわめきが起こることもあったが、やがて曲調に合わせ、手拍子が始まった。


 ソロライブ会場と化した大広間で、唐突に1人の男が進み出る。


 ロバートだ。


 文字通り絵になる立ち姿で腕を差し出す男は、今までにないほどの力強い眼差しでこちらを射貫いていた。

 野心的で情熱的な目は、こうして見ると確かに強烈な魅力がある。


 どこまでも舞台映えする男だ。


 私が曲に合わせステップを踏みながら近づくと、彼は一回転して一気に私との距離を詰めた。慣れた動作で腰に手を回してくる。

 唇が触れそうなほどの至近距離で見つめ合い、合図の代わりに微笑みを交わす。 


 だがそれは一瞬の演出で、2人の身体はすぐに離れた。ロバートは向かい合う形で、フラメンコの独特のステップを模倣し、私と対称の動きをしてくる。


 さすが、初見でもこれくらいのアドリブはお手の物か。


 センスの塊だ。舌を巻く私の前で、ロバートは良いタイミングで私から離れ、元の観客の立場に戻った。

 この辺りの仕草もスマートで、様になっている。


 そして曲調はクライマックスを迎え、より情熱的な動きで裳裾を翻し、最後の決めポーズを取った私に、大歓声が湧き起こった。




※※




「どうよ? なかなかのもんだったんじゃない?」


 私のゲリラライブで大いに盛り上がった祝宴が終わった時には、すでに、日が変わっていた。

 その後も続く余興を鑑賞し、全ての催しが終わった後、私は極度の疲労で気を失うように寝台に沈没した。


 どうやらそのまま、丸半日を眠っていたらしく、目が覚めると秘密枢密院の3名が部屋に駆け込んできた。

 大いに心配してくれていたようだが、ただの寝不足と疲労なので、寝まくったらすっかり元気になっていた。


 そしてその夜、寝過ぎて全く眠気が訪れない私は、話し相手のウォルシンガムに、ドヤ顔でフラメンコの感想を要求した。


 全く眠くないので、今は寝台にも入らず、ウォルシンガムの座るソファとはローテーブルを挟んで向かいのソファの上で、ナイトドレスのままあぐらを掻いている。


 期待に満ちた目で見つめる私と目が合ってしまったウォルシンガムは、口元に手を当てて視線を逸らした。


「……情熱的で、素晴らしいダンスではありましたが……いえ、なんでもありません」

「が、ってなによ、が、って。言いたいことがあるなら最後まで言いなさい。女王命令よ」


 女王命令を使われ、憮然とした面持ちで、ウォルシンガムは付け加えた。


「……あまり多くの男性を魅了するのは、いかがなものかと思います」


 なにそれ、発破かけたのアンタじゃん。それとも、16世紀の英国紳士には刺激が強すぎたということか? その辺のさじ加減は正直分からん!


 どうせ宮廷で、彼らの手綱を握っていかなければいけないのだから、好感度を上げておくにこしたことはない。

 ……自分の得意分野に持って行くために、少々強引な手段を使った感は否めないが。


「…………」


 自分で言っておきながら、急に渋面になった男が席を立った。


「ん? 何、どうした。帰るの? 私まだ眠くな……」

「陛下」


 引き止めるつもりで立ち上がった私の手を、急に取ったウォルシンガムに引き寄せられた。そして、腰に手を回して1回転される。

 辛うじてステップを合わせるが、最後によたつき倒れそうになったのをウォルシンガムの腕に支えられた。


「はっ? わっ、何!?」


 近いっつーの!


 全く心の準備が出来ていない状態だったので、私は半分パニックで目の前の髭もじゃの顎を押し返した。


「いきなり何すんの! アンタは!」


 肩で息をしながら叫んだ私に、ウォルシンガムは掴まれた髭を撫で、なにやら糞真面目な口調で弁解した。


「いえ、ロバート卿と踊られた時と、私とここで踊った時では、随分反応が違ったものですから」


 何の確認作業だよ。


 この人もちょっとボケてるよな……と思いつつ、私は答えた。


「だってアレは、オンの状態だし」

「オン?」

「ライトが当たって、踊っている間は演技の一部でしょう。そこで恥じらいや私情を挟んで十分なパフォーマンスが出来ないのは、演技者として失格よ」

「……なるほど」


 納得したらしいウォルシンガムが頷く。


「では今は、オフの状態と言うことですか」

「思いっきりね。これ以上なく。息抜きよ息抜き。だから、急に踊れって言われても切り替えられないって。私とちゃんと踊りたいなら、オンの時に誘ってちょーだい」


 ピシッと指を突きつけ、彼の前を通り過ぎて寝台の方に向かう。

 後ろから、独り言のような呟きが聞こえた。


「……オフの時の方が面白いですが」

「はっ? 今なんか言った?」

「いえ、何でも」


 ……なんか、たまにこいつからドSの影がチラチラ見えるんだが気のせいか?





第1章 完

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