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第1章 女王戴冠編
第10話 ギャフンと言わせる


 私が秘密枢密院を引き連れて大広間に姿を現すと、周囲のざわめきが止んだ。


 ものすごい数の視線が集中し、私は無意識に背筋を伸ばした。


「……陛下」

「平気よ」


 心配性のウォルシンガムが囁きかけてくるのを、凛とした声で弾き返す。


 ここから、私はエリザベス女王だ。


 神以外何者にも屈しない高貴なる血統。

 祖国と結婚し、生涯独身を貫き通した、気高き処女王。


「…………」


 私の変化を察したのか、ウォルシンガムはそれ以上は何も言わず、私の隣を宰相と守馬頭に譲った。


 冷たい眼差しで周囲を一瞥すると、人波が避け、王の席への道が開ける。


 踏み出す私の前に、次々と人が跪き頭を垂れる。

 ゆっくりと秘密枢密院の面々が離れ、彼らも膝をつく花道の一部になった。


 そして私は、一段高い王の席の前で立ち止まり、後ろが長いドレスの裾が綺麗に広がるように、その場でゆっくりと、180度回転した。


 振り返った私を前に、全員が一斉に顔を伏せる。


「――皆さん、今日は素晴らしい日です。どうか顔を上げて下さい」


 演劇で鍛えた、広間の端まで通る声でそう合図を送ると、数百の視線が突き刺さった。


 その一人一人を見回すようにゆっくりと顔を巡らし、芝居がかった――それは実際に芝居だったが――王侯らしい泰然とした仕草で、右手を挙げる。


「今日この日を皆さんと共に、この場所で迎えられたことを、何よりも嬉しく思います。ロンドン塔から見上げる月と、この場所から見る月は全く違う。今、私が皆さんとこうやってお顔を合わせられる奇跡は、ひとえに皆さんの愛と、神への正しい心によって導かれたものだと確信しています。この幸運な女のために、どうぞお立ち上がり下さい」


 両手を広げて促すと、全員が静かに立った。


 その目は私から逸らされることはなく、その表情には、驚嘆と畏敬が刻まれている。


 スピーチをする時、私がいつも心がけているのは、『聞き手の耳を奪うこと』だ。

 それこそ、寝ている人間を起こすほどのインパクトを与えることが出来れば――その場の空気を支配できる。


 今、全員の『耳』を奪った。そう確信した。


「皆さんの神への愛で実現された、このわたくしの治世は、神に愛される輝かしい時代になるでしょう。その為に遣わされたわたくしは、皆さんの愛に報いるため、この女の身を砕き、イングランドのために全てを捧げると、ここに誓います」


 そうして再び、彼らの前に女性らしい動作で右手を広げ、とびきりの笑顔を見せつける。


「――さあ皆さん、来るべき栄光の日のために祈り、祝いましょう!」


 そして、祝宴が始まった。



※※※



「――随分、台本と違ったようですが」


 楽団の生演奏が始まり、自由に動き出した人々が、次々に私に挨拶にやってくる。

 それを全て笑顔で無難に対応する私に、斜め後ろに影のように控えた男――ウォルシンガムが囁きかけてきた。


 祝宴の開始を告げる、最初の挨拶。

 セシルが書いた原稿は立派なもので、要所は押さえていたが、いささか情緒に欠けた。


 例えば、ロンドン塔に幽閉された下りなどには一切触れず、弱味を隠し、人を鼓舞するような内容になっていた。

 カリスマ性のある男の君主ならば、これでもいいのだろう。


 だが女が社会で戦うなら、男と同じ感性ではいけない。

 女の感性と、男の思考。2つを使い分け、利用するセンスが必要だ。


 哀愁と愛嬌、艶と母性――女にしか出せない魅力もあれば、男にしか出せない力強さもある。

 力で押さえつけるのではなく、心に訴える君主でなければ、この時代の女性が人の上に立つのは難しいだろう。


 ともあれ、叩き台となる良質な台本をもらえたので、それを基本線に私なりの言葉で、彼らに訴えるべきことを推敲したのだ。


「何か問題があって?」


 遠目に目が合った人達に――誰か分からないけど――笑顔で手を振りながら、冷ややかな口調で彼の指摘を突き返すと、ウォルシンガムは首を横に振った。


「いえ、お見事でした」


 ……とりあえず、多少評価は上方修正か?


 内心ニヤリとしつつ、顔には出さずにいると、急に右隣に現れた男に腰を抱かれた。


「ちょっと、ロバート……」

「陛下、やはり貴女は、記憶など失っていないのでは?」


 男の力で抱き寄せられ、抗議しようとした私の手を握り、ロバートはこっちが反らないと唇が当たってしまいそうな距離でそんなことを聞いてきた。

 イチャつかないと普通に会話も出来ないのか? こいつは。


「どうしてそう思うの?」

「貴女の言葉は、まるでエリザベス様そのものだった。あの方は、臣下と民に平等に愛情を抱き、己の身を救った神に感謝し、己を神の僕として、イングランドの礎になることを決意しておられた」


 エリザベスをよく知る男の言葉は、そのまま私の頭にメモされた。


「……国と結婚したエリザベス1世なら、きっとそう言うと思ったのよ」

「国と結婚した?」

「……何でもない。いい加減離して」


 しゃべる度に顔を近づけてくる相手の胸を押し返し、身体を引き離す。


 確かに私は、断片的なエリザベス1世の知識しかない。

 だが逆に言えば、私は彼らが知らない、これからのエリザベス1世――それも、450年先まで人の心に残る、彼女の魅力を知っている。


 私が演じるのは、そのエリザベス1世だ。


 ロバートの腕をすり抜けウォルシンガムの隣に移動すると、イギリスっぽくない一団が近づいてきた。


「スペインの使節団です――中央の一番前にいる帽子をかぶった男性が、スペイン大使です」


 ウォルシンガムが教えてくる。真ん中の男はひょろりとした長身で、くりんくりんの黒髪の上に帽子をかぶせていた。


 イギリス紳士とも微妙に違う、どこか気取った風な仕草で帽子を取ったスペイン大使の前に、私は右手を差し出した。

 恭しく膝を曲げ、その手に嵌めた指輪に口づけた男性と微笑みを交わす。


「今宵、この素晴らしい日に陛下にお目見え出来たことを、生涯の幸福と感じます」

「本当に、素晴らしいことです」


 鷹揚に頷く。スペイン大使は私の手を離し、歯を見せて気障に笑った。


「陛下は音楽をこよなく愛しておられるとお聞きしましたので、今宵は我が使節団の楽団も、陛下の輝かしい治世をお祝いさせていただく所存です」

「スペイン音楽は私も愛しています。楽しみにしていますね」


 スペイン発祥のフラメンコをたしなむ私にとっては、身近に感じる国だが、スペインはカトリックの国で、スペイン国王フィリペ2世は、前女王メアリーの夫だ。


 当然、メアリー1世時代は反エリザベスの立場にあったはずであり、それが今こうやって新権力者となったエリザベス1世におもねっているあたり、実に人間不信になれそうな環境である。


「今宵の演奏は、我が君フェリペ2世たってのご希望で、我が国の最高の演奏者を集めました。フェリペ2世は陛下のお美しさと聡明さを非常に好ましく思っており、是非とも、もう一度このイングランドの地を踏んで、陛下との再婚を考えたいと……」


 はぁっ?!


 しゃあしゃあと言ってのけた言葉に、一瞬顔が歪みそうになった。


 スペイン国王フィリペ2世が再婚希望……って、だから、その前の妻がメアリー1世なんでしょうが!

 カトリックの姉が死んだら次はプロテスタントの妹って……なんつー節操なしのふてぇ野郎だ。


「そうですか。姉の夫でいらっしゃった時はほとんどお会いする機会がなかったように思いますが……今宵の演奏会については、間違いなく素晴らしいものになるでしょう。是非とも、このエリザベスが大層楽しんでいたと、お礼の程をお伝え下さい」


 どうだ! ジャパニーズビジネスマンの必殺・角が立たないよう、うやむやのままに話を終わらせるの術!


 曖昧に言葉を濁して話題を巻き戻し、好感度ナンバーワンの営業スマイルで微笑むと、スペイン大使もつられて笑った。

 宴の場でこれ以上突っ込んだ話をするつもりもないのか、そのまま彼らは去っていった。


 女王のご機嫌取りと、結婚に対する反応を伺いに来たというところか。


 その後も、各国の大使が順に挨拶に来たのだが、どいつもこいつも持ってくるのは縁談の話ばっかりだ。


 神聖ローマ皇帝の息子の次男か三男どっちか、とか。

 スウェーデンの皇太子とか。


 名前や国名を出されても、ちっともピンともスンともこないんだけど……


 戴冠した途端に政略結婚のネゴシエートかぁ……うーん、さすが宮廷って感じ。


「この祝宴は、戴冠のお祝いじゃなくってお見合いパーティだったわけ?」


 ぼやくと、隣に控えていたセシルが苦笑いで答えた。


「ははは……ですが陛下、これは重要な問題です。どうか真剣にお考え下さい。貴女が誰を夫にするかで、全てが変わるのですから」

「そうね……」


 曖昧に頷きつつ、私は視線を床に落とした。


 残念ながら、その答は決まっている。


 だが現時点で口に出すことはない。結婚交渉自体が、エリザベス1世の外交手段の一つだったからだ。


 ようやく挨拶の波も去って、席に戻る途中、私はふと、あることを思いついた。


「…………」

「……どうしました?」


 斜め後ろをついて歩くウォルシンガムを振り返って見上げると、視線に気付いた男が聞いてきた。

 それには答えず、視線を逸らす。


 ……悪くないかも。


 この男をぎゃふんと言わせる名案に、私はニヤリと笑った。





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