1月14日快晴。日が頂点に昇った時刻に祝砲が轟き、パレードが始まった。
うぉぉ……とうとう始まっちまったよー。
朝から侍女4人がかりに何時間もかけて着飾られた私は、紫のビロードのドレスを纏い、毛皮のガウンを羽織った、いつもに増して重たい衣装で、人形よろしく天蓋つきの輿に乗せられて出発した。
ロンドン市内を練り歩く予定の長い行列には、女王を護衛する騎士の他に、枢密院のメンバーや庶民院議員、何とか組合の幹部達まで顔を揃え、皆豪華な儀式服に身を固めていた。
長身で、しなやかな長い手足、均整の取れた肉体は、馬に乗ると更に映えた。こういった華やかな役回りが、実にお似合いな人材だ。
女王を身辺を守る騎士が、こういう見栄えのする人間だと、女王自身にも箔がつくという意味では、紛糾したというロバート人事も、イメージ戦略としては適当な登用であったのかもしれない。
高い位置から見下ろす路傍には人が溢れ、皆、熱狂的な歓声を上げながらこちらを振り仰いでいる。
……なんか、オリンピックメダル選手の凱旋パレードとか、そういうのを思い出す。
彼らに愛想良く手を振っていた私は、ふと、視界に白いものを捉え、輿から身を乗り出して手を伸ばした。
「雪……?」
粉雪が舞い出していた。
振り仰いだ空は青く澄んでおり、どこから舞い落ちてきているのかは分からないが、確かに野外は、真冬の寒さで冷え込んでいた。
私は毛皮を着て、屋根のある輿に乗っているから、そこまで寒くはないが、街路に立ち並ぶ人たちはそうもいかないだろう。
見下ろせる市民たちの中には、明らかにこの時期の服装としてはおぼつかないような薄着の、貧しげな身なりの者も混じっている。
だがそんな彼らすら、寒さを吹き飛ばすような熱狂で、新女王を歓迎していた。
なんか、嬉しいような、申し訳ないような、重圧のような……
この支持の高さは、前任のメアリー1世の失政の反動が大きいのだろうが、これだけの人々にかけられる期待と激励に、私は初めて、『女王』という立場の意味を実感した。
「私の国民……」
彼らの上に立つということは、彼らを守るということだ。
出来るか? 私に――
会社を継ぐかどうか悩んだ時も、一番私を迷わせたのは、社員の人生を背負うという重荷だった。
彼らと、彼らの家族が生活していけるだけの地盤を守らねばならないというプレッシャー。
今は、それとは比較にならないほどの責任がのしかかっている。
無意識に視線を落とした私の視界に、沿道に詰めかけた大人たちの足の間から、小さな子供がまろび出てくるのが映った。
危ない!
「輿を止めて!」
私の命令に、届いた範囲の行列がピタリと停止した。
子供は、熱狂した大人たちに弾き出されるようにして、沿道に転がった。輿の四方を固める騎士の馬の、すぐ足下だ。行列を止めていなければ、踏まれるところだった。
「陛下? どうされましたか」
「ロバート、降りるわね」
後ろから聞いてきたロバートの返事を待たず、私は輿を飛び降り、子供の傍に駆け寄った。
「大丈夫? 怪我はない?」
抱き起した子供は、5、6歳程だろうか。明らかに貧しい身なりをした少年だった。
粉雪がちらつくこの季節に、つぎはぎだらけの薄着で、足は裸足だ。
泥だらけの頬をこすってやると、少年は大きな目を一度も私から外さずに、両手を突き出してきた。
「花……?」
一輪の白い花だった。長い間手に握られ、人ごみの中をもみくちゃにされたためか、大分くったりしている。
3枚の白い花びらに囲まれた可愛らしい純白の花は、スノードロップ――雪解けを告げるという冬の花だ。この時期に咲いているのは、少し早いかもしれない。
「白いユリはへいかの花だと、せんせいが教えてくれたので」
百合じゃない。百合じゃないよ。
おそらくは『純潔』――未婚の女王を讃える意味でそう言ったのだと思うが、この子は白くてラッパ型のこの素朴な花を、百合と勘違いしたらしい。
だが、緊張して強張った口で、たどたどしく伝えてくる言葉は、とても一所懸命だ。
「あたらしい女王へいかがそくいされたので、この国はかみさまに愛される平和な国になると、せんせいがおっしゃってました」
「そう……」
きっと、彼がいう先生は、プロテスタントの牧師なのだろう。
「女王へいか、ありがとうございます。ぼくたちの女王へいかに、かみさまのご加護がありますように」
祝辞で『おめでとう』ではなく『ありがとう』と言われるとは、ちょっと予想外だった。
「――ありがとう。あなたたちにも、神の御加護がありますように」
私のただでさえ弱い涙線が不意打ちで直撃を受け、目がうるんでしまったのを、少年を抱き寄せてごまかす。
スノードロップの花言葉は『希望』
そして、春の訪れを伝える花だ。
全然、間違ってない。
「裸足、寒いでしょう」
受け取った花を、アップにして宝石で飾った髪にさし、私は道端にかがみこんだまま、少年の足に触れた。
真っ黒に汚れて傷だらけだ。痛々しい。
私はその汚れを手で拭い、少し考えてから、自分がはいている靴下をあげることにした。暖をとる為に何重にもはかされていたものなので、少しくらいいいだろう。
「ごめんね、これしかあげられないけど」
本当はちゃんとした靴をはかせてやりたいが、私の靴は女物だし、儀式用の宝石がちりばめられた代物だ。こんなものをあげたところで、悪い大人に奪われておしまいだろう。
絹の靴下を二重にして小さな足にはかせてやり、私はドレスの目立たない部分の金ボタンを一つ取って、上にかぶせた方の靴下の中に、こっそり放り込んだ。
それから、何食わぬ顔で少年を抱き起し、自分も立ち上がる。
ボサボサの頭を撫で、自分の前に立たせて、両肩を抱く。
少年の後ろに立ったまま、私は同じ目線にある人垣に向けて声をかけた。
「みなさん、私は今、この少年から愛を受け取りました。そして今、みなさんからも多くの愛を受け取って、感動しています。今日、私は神の数奇なる導きの下、ここに立っています。私は、みなさんを守り、導くためにここに遣わされたのです。エリザベスは必ずや、神と、皆さまの愛にお応えできる王になるでしょう」
『女王エリザベス』としての言葉の中に『天童恵梨』の本音を混ぜる。
割れんばかりの歓声が応える中、私は少年の背を押して沿道へと歩み寄った。
「陛下!」
後ろから近づいてきたのは、ウォルシンガムだ。彼もまた議員としてこの行列に参加していたはずだが、庶民院議員の配置はもっと後ろだったはずだ。
「ウォルシンガム、持ち場を離れていいの?」
「主馬頭や国務大臣が動くよりはマシです。それよりも、早く輿にお戻りください」
「この少年の為に場所を開けて下さい。心やさしい皆さんに祝福を」
ウォルシンガムの言葉を聞き流し、私は少年を連れて路傍の人たちに近寄った。手を伸ばせば触れる距離だ。
押し寄せてきたら大惨事になりかねないところだが、私の言葉に、忠実な臣民たちはさっと場所を開けた。
空いたスペースに少年を送り込む。
こちらに向き直った少年は、やはり汚れのない目で私を見上げてきた。
「名前は?」
「ペス」
「そう、ペス。あなたに祝福を」
私は手袋を外して、近くにいたウォルシンガムに手渡した。
素手で少年の頬を撫でる。
「心やさしいみなさんにも、祝福を」
沿道で様子を見守っていた、行儀のいい市民たちにも同様に手を伸ばす。
歓声を上げ、彼らは口々に祈りの言葉を口にして私の手に触れてきた。
そのまま、沿道の流れに沿ってゆっくりと歩き出す。
その後を、ウォルシンガムが追いかけてきた。
「陛下、お戻りください。パレードが遅滞してしまいます」
「このまま歩くわ」
「何をおっしゃいます。ホワイトホール宮まで後どれだけあると思っているのですか」
「言っても数キロでしょう? 大丈夫大丈夫。歩くの慣れてるから」
営業の外回りを舐めてはいけない。工場と事務所が一体化したような客先なら、大抵辺鄙な場所にあるので、駅から小一時間歩くことだってざらだ。社用車もあるにはあったが、私は永遠のゴールド免許ペーパードライバーである。
「この方が市民の顔も見えるし、話せるしいいじゃない。徳は足で稼ぐもんなのよ。セシルに、このまま徒歩でホワイトホールまで行くって伝えといて」
常に現場を駆けまわり、人と顔を合わせて信頼関係を築いてきた身としては、輿の上から眺め下ろすだけで、人に認めてもらえるとは思わない。
セシルにも『親しみやすい君主』を演じるようアドバイスされている。
私としては名案だと思ったのだが、ウォルシンガムは反対した。
「立場をお考えください。このような場に、陛下の御命を狙う不届きな輩が紛れ込んでいたらどうするのです」
それは確かに一理ある。
平和ボケ日本人的には、いまいち実感が湧かない部分だが、用心はしておかねばならないのだろう。
「じゃあ女王命令で、ロバートに近衛兵の配置を変更するように伝えて。ウォルシンガムも、私を傍で守ることを許します」
「…………」
女王から主馬頭への指示だ。一議員であるウォルシンガムが口を挟む余地はない。
黙り込み、反論の代わりにため息をついたウォルシンガムが踵を返し、ロバートのもとに向かうのを横目で確認し、私は笑顔で沿道から手を伸ばしてくる人々に応えた。
その後も続いたパレードの要所要所で、市民の出し物や子供たちのスピーチがあった。
それらのあらゆる催しが、新女王を祭り上げるもので、そこに絶対王政が臣民の人心を掌握するための、熱心なプロパガンダを感じ取る。
こうやって扇動し、王の神性を民に刻み込まないことには、この時代の国家体制は成り立たないのだ。
エリザベス1世は、国民の人気が高い国王だったという。
彼女は、国民の支持がどれだけ自身の統治に影響を与えるかをよく分かっていたのだ。
21世紀の民主主義国家では、政治家の人気取りなんて当たり前のものでしかないけど、この時代の絶対君主で、それだけ理性的に、国民の支持を得ようとした人間がどれだけいただろう。しかも、女性だ。
むしろ前女王メアリー1世のような、信心深く直情的で、視野の狭い女性の方が、一般的な時代だっただろうと思うのだが。
なんか、ちょっとびっくりするぐらい、現代的な女性よね……エリザベス1世って。
重たいドレスで、群衆の視線に気を使いながら歩き続けるのはなかなかの体力仕事で、さすがに疲れを感じ出した頃、私たちは、この日の目的地のホワイトホール宮殿まで辿り着いた。
その日はパレードで半日が終わってしまい、私は秘密枢密院メンバーと戴冠式の最終確認だけをして、明日に備えて眠りについた。
※
そして1月15日快晴。いよいよ戴冠式、本番。
再び、立ちながら眠ってしまうほどの長いお着替えを経て、私はウェストミンスター寺院へと赴いた。
21世紀においても、イギリス国王の戴冠式や、ロイヤルウエディングの舞台となるあの場所だ。
本日は、金糸の刺繍が凄過ぎて、ほとんど黄金色に見える白地のドレスだ。
その上に羽織る、王者の証である白貂の裏地を張られた儀式用のマントは、これでもかというほど裾が長かった。
その裳裾を2名の着飾った貴婦人に持ち運ばれながら、私は青いカーペットを踏んでウェストミンスター寺院に入った。
王冠をかぶるため、今は長い金髪を下ろしている。
寺院内は、パイプオルガンや聖歌隊の歌声が響く厳かな空間――と思いきや、それらを掻き消すような祝賀の笛と太鼓の音が鳴り響き、ちょっとビックリした。
何とか顔には出さず、その耳が痛くなる空間を静々と通り抜ける。これから聖油を受けるのだ。
両脇を埋め尽くす貴族高官、司祭達が、私が進むのに合わせて順番に跪いていくのを視界の端に捕らえながら、私はゆったりとした足取りで祭壇へと向かった。
主教の手で聖油を受け、玉座に座ると、2名の貴婦人が裳裾を綺麗に整えてくれた。
その後、儀式張った仕草で彼女たちが3度私に跪き、その場を離れる。
何もかもが厳かに、段取り通りに進められていく中、私はエリザベス女王になりきって、威厳ある態度で、じっと玉座に座った。
主教から一つずつ、宝剣と王笏、王杖を授けられる。
最後に、聖エドワードの王冠を受け取った主教が、高らかにそれを掲げ宣言した。
「今、ここにエリザベスを――イングランド女王およびアイルランド女王として戴冠せしむるものなり!」
そして、王冠を両手で私の頭に乗せ……
……重っ!?
予想以上の重量に、頭が下がりそうになるのを何とか堪える。
こんなんずっとかぶってたら背ぇ縮むんですけど!?
首が凝って仕方がないその重量級の王冠を、自分で位置を整えて安定させたところで、私はさりげなく姿勢を正して正面を向いた。
こうして私――天童恵梨ことエリザベス1世は、女王の王冠を戴いた。
最初の感想は、「王冠って重い……」だった。
※※
さすがにその王冠をずっとかぶっていろということはなく、その後軽い王冠につけかえられ、私は改めて新女王としてホールに集まる面々に紹介された。
高い位置にある玉座から一望できる寺院内は、もはや人で溢れ、開け放たれた扉の向こうまで黒山の人だかりが連なっている。
この日のために、国中の貴族が集まってきているというのだから、改めてこの日のおめでたさを実感する。
エリザベス……この日を迎えられなくて可哀想……
本来ここに座るべきだったのは、私ではなく、私よりもっと完璧にこの女王役を演じきれるであろう、本物のエリザベスだ。
そう思うと同情してしまうが、よく考えれば私も死んでいるので、本当は同情するのもおかしい話なのかもしれない。
私は、プロテスタントの彼女が信じたはずの天国に向かって誓った。
ちゃんとするから。
ちゃんと、エリザベス女王として、貴女の大切な国と民を護ります。
多分、そのために、私はここに呼ばれたんだから。
今はもう、そう思っている。エリザベスを死なせるわけにはいかなかったから、私が身替わりになった。
そんな力業を使ったのが、神様か時の管理者か何かは知らないが、そうでなければ、説明がつかないのだ。
寺院での戴冠の儀は、鐘は打ち鳴らされるわ、オルガンやトランペットは吹き鳴らされるわ、完全にお祭り騒ぎで、粛々とした厳かな戴冠式のイメージとはほど遠いものだったが、順調に進行し、エリザベス女王こと私は一度その場から下がった。
この後、ウェストミンスター=ホールで祝宴があるため、お色直しをするのだ。
これだけ豪勢なお祝いをやったら、もう結婚式なんてやらなくていい気になるな……
若干ぐったりしつつ、そんなことを思う。
元々結婚願望うっすいのが、余計に薄まってしまったわ。
「さ、て……」
侍女による着せ替えを受けながら、自分自身に活を入れ直す。
ここまでは、ウォルシンガム達に教え込まれた通りにやっていけば良かったが、ここからは私自身が海千山千、有象無象の貴族高官達と渡り合っていかなければならない。
私にとっては、初の社交界デビューだ。
しかも、10代の少女が胸を高鳴らせながら、周りの温かい目に迎えられてデビューするわけではない。
25歳の王の娘、才媛と名高い現女王になり替って参加するのだ!
うっひょー。緊張するー!
だが、身分の高い人たちとの挨拶の仕方、女王らしい振る舞いや言動というものは、秘密枢密院メンバーから徹底的に教えてもらった。
それは私にとっては、台本を渡されて演技指導を受けるようなものだ。
そして上がる舞台は、各国の親善大使、国内の王侯貴族が集まる16世紀英国宮廷の祝宴!
燃・え・て・き・た・ぜぇ~! 私の女優魂がメラメラと!!
などと、内心意図的に自分を鼓舞しまくり、私はこの日のために気合いを入れて選んだ深紅のドレスに身を包んだ。
戦闘
いい感じに気持ちが乗ってきて、シャドウピッチングでも始めようかという頃合いで、秘密枢密院メンバーが私を迎えに来た。
「さすが、そのお姿もよくお似合いです。陛下」
最初に入ってきたセシルが、如才なく新しいドレスを褒めてくれる。その後ろからついてきたロバートが、セシルを追い抜いて駆け寄ってきた。
「これは……! 素晴らしく情熱的だな! 貴女に焦がれる恋心で、この身が焼けてしまいそうだ!」
闘牛よろしく突っ込んできた男をサッと避ける。
ひらり、とドレスの裾を翻し振り返ると、最後にウォルシンガムが入ってきたが、私のこの姿を見ても何も言わなかった。
お世辞もなしかいっ!
「前日にお話ししたことをよく思い出して、失敗のないよう、無茶はされませんように」
どころか、開口一番こっちの戦意に水を差すヒゲシンガム。
「祝宴の席であっても、陛下は常に人に見られております。お席についている時間が長くはなりますが、決してお部屋や会議室でのようなだらけた態度は取られないように」
いくらなんでも分かってるって、そんなことは!
これ完全に馬鹿にされてるよね? 舐められてるよね?
一応、戴冠式までは問題なくこなしたつもりだけど、これくらいじゃこいつの評価は変わらないということか。
プライドがピシピシ刺激されるのを、自己のこれまでの態度を省みてなだめる。
この男は、私のぐだぐだなオフ姿を散々見せつけられてるのだ。それは確かに、気の毒な話である。
よし、同情できたぞ。謙虚にいこう謙虚に。これからこれから。
ウォルシンガム……目にもの見せてくれるわ!(謙虚……?)
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