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第1章 女王戴冠編
第8話 過去との決別


 1月13日。

 祝賀パレードを明日に控え、段取りやパレード中の振る舞いの注意点などを詰め込まれて、1日が終わった。


 この時代に来て、もう3日が経つ。


「はぁ…………」


 色々思うことがあり、私はベッドに腰掛けたまま、大きく溜息を吐いた。


「元気がないですね。緊張していますか?」


 今日の話し相手もセシルだ。

 私は曖昧に頷いた。


「うん……」


 緊張……しているのだろう、だがそれ以上に……


「……ゴメン、セシル。本当に、少しの間だけでいいの。独りにしてもらえないかしら」


 女王の私室には、常に部屋付きの侍女が控えているというのに、ワガママを言って秘密を知っているセシル達に代わりを頼んでいる状況だ。

 その上、出て行ってくれなんて頼むのも申し訳ない話ではあるのだが……


「ひとりで考えたいことがあって」

「……分かりました。外で控えていますので、何かあったら呼んで下さいね」


 私の心境を察したのか、セシルは特別何かを言うこともなく、静かに席を立った。


「ゴメン……」


 忙しい大臣を部屋に呼びつけた上に、追い出して待たせるなんて横暴もいいところだ。


 でも、もうそろそろ、いい加減、頭を整理しなければいけない時期だった。


「はぁ……」


 彼が扉を閉めたのを見届けて、私は仰向けにベッドに沈み込み、大きな枕を顔の上にかぶせた。

 肌触りの良い絹の生地に頬をつけながら、思う。


 今の自分の状況、立場――そして経緯。


 まずはここで自分が生きていく環境を作ることを最優先して、いろいろなことを考えるのを後回しにしていたのだが、3日も経って状況が変わらないところを見ると、いつまでもこれは夢だ、いつか覚めるはず、などと楽観視はしていられない。


 本当に私は、これからここで生きていかなければならないのか。エリザベス1世の代わりに。


 死んだ瞬間に別の時代に飛ばされてしまったのだから、死んだという自覚すら薄いのだが、残してきた家族を思うとずんと気持ちが沈む。


 親より先に死ぬなんて、最低の親不孝だ。会社を継ぐと決めた矢先のことだから、両親の失望も大きいだろう。


 5歳下の弟は、優等生だった私にコンプレックスを持っていて、未だにフラフラして職にも就いていない。継ぐのは、どうせ私だと決めてかかっていたのだ。


 あの子が、親の心の支えになってくれるだろうか。私がいなくなったことで、心を入れ替えて、ちゃんと社会人として、跡継ぎとして自立してくれるだろうか。


 働いていた会社の方は大丈夫だろうか。突然のことで、引き継ぎも何も出来ていない。

 任された新規プロジェクトは、まだ軌道に乗ったばかりだ。私にしか分からない案件もたくさんある。

 まぁ、どうせ会社という組織は、誰か抜けても別の誰かが補って回っていくものなのだが、迷惑をかけることには変わりない。


 上司や同僚も、ショックだろうな……


 仲が良かった面々の顔が浮かび、目の奥が熱くなった。


 帰れるものなら帰りたいが、来た方法が分からないのに、帰る方法など分かるわけがない。

 そもそも死んでしまったのなら……あれから、この時代と同じ時間が私の元いた時代にも流れているとしたら、とっくに葬式に出されて遺体は焼かれているだろう。


 想像するとえぐい。余計に気が重くなった。


 死んだらそれで終わり、というのが死というものじゃないのか。こんな風に、自分の死を実感しながら、別の生を生きるなんて酷だ。


「でも、もう1回チャンスを与えられたと思った方がいいのかしら……」


 無理矢理前向きなことを口にしてみる。


 やりたいことも、やり残したこともいっぱいあった。死んでも死にきれなかったのは確かだ。


 どうせ、やり直せるなら元の時代で……とも思ったが、想像すると余計に嫌だった。


 私が生きたかったのは、あの時代の、天童恵梨の人生だ。

 天童恵梨が死んだ後のあの世界で、別の誰かに成り代わって生きるなんて、絶対に嫌だ。


 それなら、元の人生と縁もゆかりもない16世紀のイングランドでの生活の方が、よほど色んな意味で諦めがつく。


 私自身は、人生をやり直したいなどと思ったこともない。常に自分で、自分の道を選んできたし、選んだ道を後悔したこともない。

 己は恵まれているし幸運だと、常に感謝しながら、たった1度しかない人生を目一杯生きてやろうと思っていた。


 だが、27歳で急に終わるなんて予定外だ。

 そういう不条理は、いつだって襲いかかってくるものだから、仕方がないといえばそれまでだが、自分の身に降りかかれば嘆きたいに決まっている。


「うー……」


 鬱々とした気分で呻く。顔にかぶせた枕に涙が染みこんだ。


 お母さんにもお父さんにも、ついでに弟にも会いたい。上司にも同僚にも友達にも会いたい。


 どうしようもない。仕方がない。終わってしまったこと。

 そう告げてくる理性に感情が反論する。


 そんなこと分かってるけど、少しくらい泣かせてくれ。明日になったら、ちゃんとするから。

 リセットして、今の自分を生きるように頑張るから。


「いけません、ウォルシンガム、まだ陛下が……」


 突然、寝室の扉が開き、セシルの声が飛び込んでくる。

 その声と誰かが入ってきた足音で、顔を上げなくても状況が分かった。


 私がセシルを部屋から追い出したことを知り、ウォルシンガムが乗り込んできたのだろう。


「……1人になりたいの」


 涙腺が落ち着く時間が欲しくて、枕に目を押しつけたまま、告げる。

 だが、そんな状態の私を見ても、ウォルシンガムの言葉は頑なだった。


「いけません。戴冠式が終わるまでは、陛下の地位は安泰ではない。この宮廷内にも、別の王位継承候補を担ごうとする派閥は存在するのです」


 ようやく私は枕から顔を外し、相手に反論した。


「私だって人間よ。常に誰かの監視下に置かれるなんて耐えられない」

「貴女は女王陛下です。ただの人でありません。貴女の言う前世が、仮に貧しい乳搾りの女だったとしても、今の貴女は、偉大なる父上ヘンリー8世の娘です。そのことを、常にお心にお留め下さい」


 貧しい乳搾りの女だとぅ……?


 その台詞に完全に頭に来て、私は起き上がり様、ウォルシンガムの顔に抱えていた枕を投げつけた。


「そんな貧しい乳搾りの女だったとしたら、死んで王の娘に生まれ変わったことを感謝しろとでも!? お世話様! こう見えて私は社長令嬢でこの通り美人だったし、仕事も出来て人間関係にも恵まれて、趣味も充実して、何一つ落ち度のない人生だったのよ! しかも、この時代に比べてずっと女が自立できて自由で、こんな衆人環視に晒されることもない最高の環境だったわ!」


 もちろん、嫌だなことだって落ち込むことだって、理不尽も差別も妬みも山ほどあった。

 それでも、この男に侮辱されるような人生は生きていなかったつもりだ。 


「私だって死にたくなんてなかったわよ! 向こうで目標だってあったし、家族だっていたし! でも、起こっちまったもんは仕方がないでしょ! それで、なんでかここで死んだエリザベスの身体に入ってて、女王にならなきゃいけないっていうなら、そうするしかないじゃない!」


 吹き出した感情のままに言葉を叩き付けた私は、肩で息をしながら、ベッドの上に膝をついてウォルシンガムと対峙した。


 こっちはこっちで、必死に気持ちを整理して、前向きに生きようとしているのだ。

 その大事な時間を土足で踏み荒らされて、私は今までにないほど激昂していた。


 こんな風に、感情的に人を怒鳴りつけたのはいつ以来だろう。家族以外では、思い出せない。


 いつの間にか、また泣いていたらしい。

 ずっと鼻をすすった音で気付いて、ウォルシンガムを睨みつけていた私は、慌てて乱暴に目を擦った。


「……ごめんなさい。あなたたちは私に親切だわ」


 彼らがいなければ、私はここでちゃんと女王として生きていけない。


 一息に怒りをぶちまけたら一気に頭が冷えて、私はすぐに謝った。

 でも、涙が止まらない。


 理性と感情はいつだって別物だ。理屈に合わなくたって泣きたくなることも、人を責めたくなることもある。

 ……大抵の場合、それらは無理矢理、理性に屈服させるのだが、今回ばかりは押さえが利かなかった。


 子供のようにしゃくりをあげる私のすすり泣きだけが響く沈黙の後、ウォルシンガムの後方で様子を見守っていたセシルが口を開いた。


「……ウォルシンガム、今のは貴方が悪い」

「……サー・ウィリアム・セシル」


 静かな――だが決然とした声で、ウォルシンガムの非を指摘する。


 一度、尊敬する宰相を振り返ったウォルシンガムは、すぐに私に向き直り、寝台の前まで歩み寄って跪いた。


「申し訳ございません、女王陛下。差し出がましいことを申し上げました。このウォルシンガム、いかような処分でも受ける覚悟です」


 そう言って、頭を垂れる。


 謝りながらも、一切弁解もなく、恩赦も求めてはこない。

 どうにでも扱え、という態度はいっそ潔かったが、私は自分の神経を逆撫でされたからって、人を罷免するような感性は持ち合わせていない。


 人材は無限じゃない。例え衝突をしても、お互い折り合いを付けながら、適切な距離を理解していくものだ。 


「――分かった。じゃあ、今夜の私のことは一切忘れて。二度と思い出さないで」


 最後にもう一度涙を拭い、私は睨みつけるようにしてウォルシンガムに命令した。ついでセシルに目をやると、彼も恭しく跪き頭を垂れる。


 もう泣かない。

 過去の私を嘆くのは、これで最後にすると心に決めた。





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