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第1章 女王戴冠編
第6話 誤解だってば!


 深夜まで続いたダンスレッスンの後、貪るように眠った私は、朝の目覚めの瞬間、深海の底から釣針で海面に引きずり出される海魚のような苦しみを味わった。


 私は朝に弱いのだ。


 ぬぉぉぉ……起きるつらい……ッ!


 私が床に就くと同時に、ウォルシンガムは退室し、入れ替わりに侍女が部屋に控えることになっている。

 その侍女に揺すり起こされた私は、そういえば朝から会議があることを思い出し、しぶしぶベッドから這い出た。


 そうして本日、1月12日。

 私は再びセシル、ウォルシンガム、ロバートと顔を突き合わせ議卓を囲んでいる。


 ……結局、2日経っても、朝起きて「実はこれ夢でした!」っていうパターンはなかったなぁ……


 そのことを残念に思いながらも、私も薄々、これは現実だと認め出していた。


 女王陛下の秘密を知る重要メンバーのことを、私たちは『秘密枢密院』と呼ぶことにした。

 本物の女王の諮問機関――枢密院のメンバーとは、私はまだほとんど顔を合わせていない。


 表向きには、女王陛下はすこぶる良好に回復されているが、大事をとって療養中。本人たっての希望で、面会は控えるということになっている。


 次席の国璽尚書ニコラス・ベーコンが現在宮廷を離れており、今は主席の国務大臣セシルが、女王との面会を求める枢密院をなだめすかせつつ、色々言い訳を考えてくれているところだ。


 まったくもってセシル様様である。


「確かに、ダンス経験はおありということで、覚えは早かったですね」


 寝不足でぼんやりする頭で席に着くと、傍らから囁くような声が落ちてくる。


「……どうも」


 せっかく褒めてもらっても、ローテンションな返事しか出来ない。身体がだるい。

 私の後ろを通り過ぎ、席についたウォルシンガムの厳格な顔はいつも通りで、彼はケロッとした様子で書類を回し、会議の進行役を務めた。


 当日の段取りやタイムスケジュールが分かりやすくまとめられた書類に目を通す。


 パレードは輿に乗っている時間がほとんどだし、戴冠式は儀式的なものだ。

 段取りと手順さえ、ちゃんと頭に入れれば、こなすことは難しいことではない。


 そのため、論点は、より自由度が増す戴冠式の後の祝宴の席で、私がどう行動するか、秘密枢密院はどうフォローするかという部分が中心となった。


 祝宴の前説、外国使節団との挨拶なども、私にとっては十分未体験ゾーンなのだが、やはりセシルが言及したのは、昨夜のウォルシンガムと同じ部分だった。


「ダンスの席では、ロバート卿を指名されるのがよろしいでしょう」


 穏やかな宰相のアドバイスに、私は視線を彼の向かいに座るロバートに移した。


「ロバート卿はダンスの名手です。陛下が多少不慣れでいらっしゃっても、十分にフォローは出来る。そしてロバート卿は、他の者が入る隙がないよう、陛下を独り占めするように」

「任せてくれ! まさに天より与えられし使命だ!」


 胸を張って答えるロバート。確かに得意分野だろう。


「でも、それっていいの? そんなえこ贔屓。他の人とも踊らなきゃいけないなんて決まりはないわけ?」


 その辺りのルールが全く分からない私は、見当違いかもしれない質問をしてみた。

 セシルの方はそれを笑うこともなく、頷いて答えてくれた。


「勿論、嫉妬する者もいるでしょうが……日ごろのエリザベス様のロバート寵愛は目に余るものがありましたので、誰もそれを不自然とは感じないでしょう」


 目に余るって……セシルも薄々歓迎してないんじゃん。まあでも、使えるものは使うっていう、そういう合理的なところ、嫌いじゃないです。


 ダンスの方は、ウォルシンガムにも太鼓判を押されたように、コツは掴んだ。だが見も知らぬ外国のお偉方や貴族のおじさんと踊るよりは、見知っているロバートと踊る方がよほど気は楽だ。セシルの提案に、私は頷いた。


 そこからは淡々と会議が流れ、司会進行を努めるウォルシンガムの抑揚のない低音が部屋に響く。


 やばい……なんか、すごく眠く……


 もはやウォルシンガムの声が心地よい子守唄にしか聞こえない。瞼が重力に抗いきれず、私はさりげなく顎を落として少しだけ目を閉じた。


 その瞬間、意識が飛んだらしい。


 カクン、と大きく舟を漕いだ私は、その衝撃に驚き、慌てて身を正した。

 様子を窺うと、やはり全員の目がこちらに集中している。


 ごごごごごめんなさい! すいません!


「……陛下」


 子守唄……もといウォルシンガムが議題を止め、眉間にしわを寄せた顔で睨んでくる。


「今は、陛下の御身をお守りする為の話し合いをしているのです。陛下ご自身が意識を高く持っていただかないことには、この人数で貴女を守り抜くことは難しくなる」


 正論で責められて俯く。……そりゃあ、彼らが大変なことだって分かってるさ。


「エリザベス様は非常に聡明で視野が広く、物事の大小の判断力に長けておられた。貴女の目と耳には、我々がなりましょう。ですが、頭は貴女なのです。特別な女性であられたエリザベス様ならともかく、中身がただの女である貴女に多くは望みませんが、せめて頭らしく、目を開けて座っておくことくらいはできませんか」


 うわっ。過去最大の嫌みを投げられた!


 別にがっつり居眠りしてたわけじゃないし、一瞬舟漕いでしまっただけだ。寝不足で疲れている時はそういうことくらいある。おかげさまで、今はすっかり目が覚めた。


 たった1回の失態で、ちくちくちくちくと……小姑かお前は!


 だいたいこれだって、深夜のダンスレッスンのしごきが相当利いているのだ。そりゃ、同じ条件下でしっかり働いているウォルシンガムは偉いと思うけど。


「……誰のせいだと思ってんの」


 聞かせるつもりのない小さな悪態は、しかし相手には聞こえてしまったらしい。

 表情を険しくし、立ち上がったウォルシンガムが隣のロバートを通り過ぎ、私の傍らに立つ。


「――お言葉ですが陛下」


 これは、超絶な嫌みが来る予感……!


「昨夜、私は何度も『もうよろしいでしょう』と申し上げたはずですが? それを『もう1回、もう1回』とねだったのは貴女の方でしょう」

「それは、アンタがいちいちいちいち『(前の)女王陛下は……』って煽ったからでしょー!?」


 そういうなぶり方か貴様ぁぁぁぁぁっ!


 このドS男が!!!

 寝不足で苛々していた上、予想外の方向から来た屈辱的な台詞に、私は椅子を立って言い返した。


 殴りたい! こいつ殴りたい!


 私は、この手の俗っぽいからかいを受けるのが一番嫌いなのだ。


 もしやこいつ……! それを見抜いて私に最大のダメージを与えたっ?


 憤懣やるかたない気持ちで全身がもやもやしたまま相手を睨みつけていると、ゴホン、と水を差すような咳ばらいが横から聞こえた。


「……お二人とも、そういった会話は、外では絶対にされませんように」


 振り返ると、セシルに困ったような顔で釘を刺され、ふと我に返る。


 はっ……そういえば私、今なんて言い返した!?


 見ると、ロバートは大口を開けて固まっている。イケメンが台無しだ。


「ちがっ! そーじゃなくて! ちょっとセシル! 誤解しないでよ、絶対違うから!」

「見損なったぞウォルシンガム! 貴殿のことは鼻持ちならないと思っていたが、清廉の士であることを疑ったことはなかったぞ! それを、陛下が記憶を失ったことをいいことに、俺への愛を裏切らせるとは……っ!」


 大慌てで否定する私を尻目に、ロバートが立ち上がってウォルシンガムに詰め寄る。


「昨日は夜通しダンスのレッスンを受けてただけだってば!」

「寝台で繰り広げられる淫らなダンスか!? ええっ、どうなんだウォルシンガム何とか言ってみろ!」

「だから、違うっつーの!」


 聞く耳持たないロバートに手刀で突っ込む。だが激昂しているロバートはそれすら気付かないようで、ウォルシンガムの胸に手袋を投げつけた。


「決闘だ! ウォルシンガム、手袋を取れ!」

「だからぁぁぁぁ! ウォルシンガム、アンタも黙ってないで何とか言ったらどうなの!? セシル、ロバートを止めてー!」


 それから、ロバートの誤解を解くのに30分以上かかった。





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