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第1章 女王戴冠編
第5話 Shall We Dance?


「つっかれたぁー!」


 うにゃー、と我ながらおかしな悲鳴を上げながら、私はベッドに倒れ込んだ。


 もう死ぬ。マジで死ぬ。コルセットきっついし、ドレスおっもいし、ウォルシンガム怖いし!



 1月11日。マナー講座2日目終了。



 といっても、昨夜はすでに夜遅かったので、必要最低限のことを教わっただけで、本格的な詰め込みは本日からだ。


 気品あるレディ・エリザベスが、今更侍女にマナーの教えを請うわけにはいかないので、秘密を知っている3人の男達に交代制で色々叩き込まれた。


 今、女王は休養ということで、私は公務には出ないでいいようになっている。

 必要な仕事は、全てセシルが一手に引き受けてくれているらしい。出てもヘマするだけだから仕方がないのだが、大変申し訳ない。


 ちなみに、レディ・エリベスは、2歳の頃からテーブルマナーを家庭教師に厳しくしつけられていたらしい。この時代の英才教育ってすごい。


「そのように脚を出された状態を男の前に晒すのははしたないと、昼間も申し上げたはずですが?」


 スカートの裾がめくれ上がった状態で寝台に転がる私に、もう慣れてきた厳格な声が飛んだ。


 それは、現代でも普通にはしたないのだが、ここは私の部屋だ。

 外に出ている間はきっちりする分、部屋でどれだけだらけようと許されるべきで、ここに誰か気を遣わなければいけない相手がいることの方が、間違っている! と21世紀干物女子代表として私は主張する。


 本当は、ジャージ姿でちょんまげ作って、椅子の上で胡坐をかきながらパソコンの前でニヤニヤしていたいのだ。

 私のあの平穏で満ち足りたプライベートタイムを返してほしい。


「いいでしょ別に。1日頑張って疲れたんだから、今くらい許してよー。どうせあなたしかいないんだから。今くつろがなきゃどこでもくつろげないし」

「…………」


 枕を抱え込んで、無駄に広い寝台の上をゴロゴロしながら言い返すと、呆れたような沈黙が返ってきた。


 女王業のつらいところは、どこにいても人の目があるということだ。寝室には常に数人の侍女が待機しているし、夜もそのうちの1人が日替わりで同じ部屋に寝泊まりしている。

 だが、今は世話係の侍女も煩わしいため、全員退室させ、代わりにウォルシンガムを引き入れている。

 本当は1人になりたかったのだが、今の私の立場上、誰かそばについていないと駄目ならしい。


「だいたい、なぜ私が……」

「だって、ロバートは何されるか分かったもんじゃないし、セシルは仕事が忙しそうだし……」

「夜に人払いをして男を引き入れているなど知れれば、どんな噂が立てられるか分かったものじゃない。何のための部屋付きの侍女だと思っているのですか」

「それはそうかもしれないけど……今はエリザベスが記憶喪失だって知れたらマズイんでしょ? そんなの、侍女に知れたら一発で翌日には宮廷中に広まってるわよ。女の口ほど塞ぐのが難しいものはないんだから」

「そういう貴女も女性でしょう」

「だから言ってんのよ」


 部屋付きの侍女は4人。昨日の夜は、病み上がりで体調が悪いと言うことでなんとか誤魔化したが……

 みんな可愛くて若くて、いかにも良家の子女、っという雰囲気で、是非ともお友達になりたい感じなのだが、秘密を打ち明けられるタイプかというと……うーん。


 全員、よくいる「噂好きな若い娘」という感じがするのは否めない。


 一番生活の身近な場所にいる女性たちがこれでは先が思いやられるので、誰か、信用できる人間を雇い入れたいところだが、それはもう少し、この生活に慣れてからだろう。今の時点では、何のつてもない。


「とにかく、私が寝るまでで良いから! 見張りのつもりでそこにいてよ。これ女王命令だから!」

「…………」


 ウォルシンガムが渋面のまま、黙ってソファに腰掛けた。


 2日目にして私が学んだのは「女王命令」の一言でこのウォルシンガムを黙らせられるということだ。


 多分、それを言われる度に、あの気難しいひげ面の下に色んなものを飲み込んでるんだろうけど、そんなの知ったことではない。


 こっちだって常に監視下というストレスフルな状態に置かれているのだから、少しでも快適な生活をするために、使えるものは使ってやる。

 私の中では、このズケズケと物を言う髭面の臣下は、すでに『好感度を上げようと気を遣う必要のない相手その1』に認定されている。その2、その3はまだ決まってない。


 好かれている自信があるというわけではなく、別に嫌われても構わない、と腹をくくった上で、便利に使ってやろうという魂胆だ。

 どうせ、この男は私を裏切れないのだ。


 今までは家に帰れば、どんなにわがままを言っても、だらけていても、絶対に嫌われる心配のない母や家族が傍にいたが、これからはそうもいかない。

 代わりになる相手を1人くらいは作っておかないことには、この先身が持たない。


「…………」


 布団ゴロゴロを止めると、急に部屋が静まった。チラ見すると、ウォルシンガムはソファに腰掛けたまま、黙って宙を睨んでいる。おー、怒ってる怒ってる。


「ねぇ、ウォルシンガム」

「……なんですか、陛下」


 声をかけると、嫌そうな低音が返ってきた。そんな露骨に不機嫌ぶらなくても。


「エリザベス女王ってどんな人だったの?」


 彼が度々引き合いに出す、本来のこの身体の持ち主のことを問う。


 ヴァージン・クイーン、良き女王エリザベス。


 彼女の輝かしい功績は21世紀の世界にも伝えられているが、その姿はもはや神聖化され過ぎていて、実際どんな人物だったかを知ることは出来ない。


「エリザベス様は眉目麗しく機知に富み、品格とカリスマ性を持つ才媛であらせられました。14歳にしてラテン語、ギリシャ語、フランス語、イタリア語、スペイン語を自在にお話になり、数学、地理、歴史、裁縫、ダンス、行儀作法、乗馬……何をとっても水準を遙かに超えた結果をお出しになる才能は、ケンブリッジ当代最高峰の特別研究員であった家庭教師アスカムが『最高の秀才』と讃えるほどのもので、あの方の母であるアン・ブーリンを処刑した後もなお、偉大なる父上ヘンリー8世の寵も篤く……」


 神聖化じゃなくガチで神聖だったのかぁぁぁぁっ!


 もうちょっと人間らしい人物像を教えてもらえることを期待したのだが、立て板に水の如くウォルシンガムが語るエリザベス像は、予想を遙かに超えたチートだった。


 そんな才女に私が成り代われと……!?


 愕然としている私を横目で見て、ウォルシンガムはフォローにもならないフォローを入れた。


「……まあ、頭の中身までは他人の目には映りません。まずは目に映る行儀作法から水準を超えるよう努めていただきたく。ロンドンへの凱旋パレードでは、陛下は、それは見事な振る舞いで民衆を虜にしておられました」


 フォローの代わりに追い打ちをかけるのが貴様の芸風か!?


 がっくりきた私は、反論もせずに大きく溜息を吐いた。もう寝てしまおうか。


「ところで陛下、ダンスの経験はおありですか?」


 そう思った矢先、急にウォルシンガムにそんなことを聞かれた。

 これはいい質問だ。


 習い事に関しては、私は一通り経験していると言ってもいい。母がそういうのが好きで、幼い私にピアノ、習字、クラッシックバレエ、水泳、テニス……等々、思いつくものを片っ端から習わせたのだ。


 ただし、どうも人に強制されてなにかをすることが昔から嫌いだったらしく、何一つものになることはなかった。


 結局身についたのは、中学から自分の意志で始めたフルート、高校から習い出したフラメンコくらいだ。ピアノは、手慰み程度には弾ける。


「あるけど、それがどうかしたの?」


 フラメンコには、それなりに自信がある。劇団の余興で踊ることもあるし、たまにどこかの店やライブで踊らせてもらうこともある。


「戴冠式の後には、ウェストミンスター・ホールにて祝宴が執り行われます。夜には仮面劇や楽器演奏が催されますが、当然ダンスを踊られる機会もあるでしょう。エリザベス様は非常にダンスがお好きで、お上手でいらっしゃいましたので、参加されないとなれば、不審に思う者、まだ体調が悪いのではないかと心配する者が現れるでしょう」


 だが経験があるようであれば良かった、と言うウォルシンガムに、私はいやーな汗が出た。


「待って待って。一口にダンスって言ってもさ、色々あるじゃない」


 社交ダンスって、やったことないし。

 だいたい、ああいうのってアドリブだろ? 初見でそれってハードル高くない??


「教えてもらったら出来ると思うけど、いきなりやれって言われても困るわ」

「では、今お教えしますので一度で覚えて下さい」


 なんだとぅ?


 いつもに増して生意気な口にムカッと来たが、多分、先ほどの『女王命令』への仕返しだろう。


 覚えてやろーじゃねーの!


 内心息を巻くが、神妙な顔で寝台を降りる。

 ちなみに寝間着は、コルセットなどを外した、締め付けのない楽なサテンのナイトドレスだ。

 私の価値観からすれば、これでも十分お外に着ていけそうな代物に見える。


「――では陛下、お手を」


 ウォルシンガムの方も席を立ち、広い場所で私を待つ。

 絨毯敷きの床に跪き、右手を差し出して見上げてくる眼差しは鋭く、いかにも騎士(ナイト)という感じだ。


 見る分には、やっぱ悪くないよなーと改めて認識しつつ、相手の掌に指を添える。


 私の手を取り、立ち上がったウォルシンガムの逆の手が腰に回った。

 うおぅ、近っ。

 ちょっと油断してたので、いきなりの至近距離にびっくりした。


「陛下、私の動きに合わせて下さい」

「は、はい!」


 不覚にも声が上ずった。


 ちょっと待てぇぇ耳元でしゃべるなぁぁっ。


 心の準備が出来ていなかったせいで、軽くパニックになる。

 そして、いきなり相手の足を踏んづけた。


「陛下……」

「……ごめん」


 低い声と共に、疑いの眼差しが落ちてくる。

 う、嘘ついてないよ? ダンス経験はあるもん!


「ちょっと待って? 落ち着こう? うん落ち着こう」

「落ち着いてないのは陛下だけですが」


 うるさいなっ。


 とりあえず私はウォルシンガムから一端離れ、後ろを向いて深呼吸をした。

 こういう、男慣れしてないところを見られるのが、すごい悔しいんだっつうの。


 舞台だったらラブシーンだって演じられるのになぁ! 

 切り替えろ切り替えろ。私は女優、私は女優。


 頬を軽く叩き、自分に念じる。

 気合いを入れてから振り返ると、ウォルシンガムがなにやらもの言いたげな顔でこちらを見ていた。


「陛下……」

「な、なによ……」


 なんだその、珍獣でも見るような目は!

 分からないものの腰が引け、警戒する私にウォルシンガムは目を逸らした。


「……続けますか? それとも諦めますか?」


 うわぁぁぁ舐められてるぅぅぅぅ。


「続ける!」


 恥ずかしいやら悔しいやらで、私はムキになって即答した。




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