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第1章 女王戴冠編
第3話 「信じる」「信じられない」「様子を見る」


「つまり、私はエリザベス女王ってこと?」

「その通りです」


 先ほどから散々言われている事実を再確認すると、セシルが穏やかに肯定した。


 イングランド女王エリザベス1世。

 16世紀のイギリス――この当時はイングランド――を生き、「私は英国と結婚しました」という名台詞通り、生涯独身を貫き、処女王として君臨した女性である。


 彼女の長い治世は『黄金時代』と呼ばれ、いずれ7つの海を支配する大英帝国の基礎を作った。


「えーっと……」


 もう一度、これ夢だよな? と思って耳を引っ張ってみたが、普通に痛かった。


 もしかしてマジで現実なんだろうか……


 ぞっとしないが、一応その可能性も考えることにした。もし夢だったら、覚めれば終わりだ。だが現実だったらそうはいかないので、慎重に行動した方が得策だろう。


 想定できる選択肢の内、つねに最悪の場合を考える習性は、5年間の過酷な営業経験で身に染みついたものだ。


 現実だとしたら、私は今、16世紀のイギリスでエリザベス女王に成り代わっている…???


「それ、間違いないの? 本当に? 私の顔見て、何か違うとか感じない?」

「まさか。その透き通るような白い肌、黒くはっきりした瞳、輝く黄金の髪、神が全ての恵みを与えたもうたその美貌が変わることなどあるはずがない!」


 暑苦しく否定してきたのはロバートだ。


 外見を褒められることは別に珍しくないのだが、ここまで歯の浮く賛美は初めてだ。

 思わず聞き流してしまいそうになったところで、ふと引っかかった。


 ……金髪?


「……ちょっと、鏡ない?」


 そう聞くと、ウォルシンガムがどこからか手鏡を持ってきた。これもまた一体いくらするのか聞きたいような、聞きたくないような、宝石が散りばめられた芸術品だ。

 背面の装飾の見事さに呆気に取られてしまうが、気を取り直して鏡面を覗き込む。


「っていうか、私じゃん?!」


 顔変わってない! いや、変わってる方がおかしいのか?


 鏡に張り付いて、とっくりと己の顔面を観察するが、顔は完全に天童恵梨だ。

 だが、髪の色が違う……元々黒髪で、最近は面倒で染めてもいなかったのだが、今は完全な金髪だった。目の色は……元々こんなもん。


 何か家庭に問題があって、ぐれてパツキンになっちゃった天童恵梨でしかない。


「エリザベスってこんな顔してたの……?」


 確かに、海外に留学中も散々、現地の人間や他の国の留学生に、「日本人ぽくない」とは言われたけど。

 なんなら、フランスに旅行に行った時には、パリのおっちゃんにナンパされて、「ヨーロピアンみたい」と言われたこともあったけど。


「……ふむ」


 私はもう一度可能性を考えた。


「つまり今日の9時に一度死んだエリザベス女王が、しばらくしてまた生き返ったのよね?」

「そういうことになりますね」


 私の確認に、セシルが相槌を打つ。


「その間に、女王の身体が入れ替えられたりした可能性はないの?」

「それはあり得ません。貴女がこの寝台で息を引き取るところ、そして再び蘇るところを、私たちを含め、大勢の者が目撃しています」


 ウォルシンガムが否定する。

 じゃあ、何かの拍子にこっちに飛ばされた私の身体を、誰かが死んだエリザベス女王と入れ替えて死亡を隠蔽した――という線はなしか。


 多分この時期にエリザベスに死なれたらマズイから、そっくりさんを影武者に立てるくらいしそうだな宮廷って……と思って、そんな陰謀論を考えてみたのだが、外れたらしい。


 にしても、同じ日付の同じ時間に死ぬわ、顔はそっくりだわ……私はエリザベス1世の生まれ変わりかなんかなのか?


 なんかの間違いで、エリザベスの魂を引き戻すつもりが、私を引き戻しちゃったんだったりして。


 死んだ魂がどこに行くかなんて知らないけど、異次元空間的な、時の流れがごっちゃになったところに行ったとしても、おかしくはないよね。天国に時間ってなさそうだし。


「なるほどねぇ……」


 なんとなくその結論がしっくり来て、私は顎に手を置いたまま日本語で呟いた。


 これは転生っていうのか……? タイムスリップっていうのか……?? 


「陛下、先ほどからお使いになっているその言葉は、どこの言語ですか?」


 考えていると、ウォルシンガムが訊ねてきた。今度は、こっちが相手に説明する番か。

 ……こっちの方が、よほど信じてもらうのが難しそうだけど。


「これは日本語よ。ジパング……って言ったら分かるかしら」


 ジャポニズムがヨーロッパで流行るのは、もうしばらく後の時代だったか。だが、確かマルコ・ポーロの東方見聞録は、大航海時代に影響を与えたはずだから、知ってるんじゃなかろうか。


 歴史の知識を総動員してトークを考える。

 オタク少女にありがちだが、退屈な学校の授業の中で、世界史は一番好きだった。


 特に高校の時の親友がフランスかぶれのフランスオタクだったため、一緒になってフランス革命は独学でかなり勉強した。

 でもこの時代には、ロベスピエールもサン・ジュストもいない。


 どうしてあの時、フランス近代史なんかにハマってしまったのか!

 どうしてもっと、イギリス史を勉強しておかなかったのか!!


 おまけに、物語的に歴史を読むのは好きだが、細かい年号とか、人物名とかの暗記は苦手だったため、超有名だったり漫画とかで目にする偉人以外、ほとんど名前を覚えてないし、年号なんて遠い記憶の彼方だ。


「黄金の国? マルコ・ポーロですか」


 自分の記憶力の悪さと学生時代の趣味嗜好を後悔をしていると、セシルが食いついた。


「黄金の理想郷ジパングか! 何故そのような極東の国の言語を陛下が?」


 遅れてロバートも食いついた。やっぱり、この時代の人にとっては幻想郷なのか。


「頭がオカシイ、と思わないで聞いて欲しいの。あなたたちがこの話を信じられないことは重々承知している。その上で、今から事実を話すわ」


 予想される反応に対する予防線を張る。もっとも、どこまで効果があるかは疑わしいが。


 だが、信じてもらわないことには……少なくとも事実を伝えて、認識してもらわないことには始まらない。

 私はエリザベス女王でも16世紀の人間でもなんでもなく、21世紀の日本を生きた天童恵梨なのだ。


「私の名前は天童恵梨。1985年9月7日に日本で生まれた。そして、2013年1月10日、夜9時に事故で死んだ。そして、目が覚めたらここにいた。今、鏡を見たら、生前の私と全く同じ顔をしていたわ。ただ、違うのは髪の色だけ。日本では、金髪はほとんど生まれないから」


 自分の中でも整理するつもりで、ゆっくりと事実を羅列する。

 説得力を持たせるため、具体的な数字を出しながら、出来るだけ冷静に……取り乱さず、狂人の妄想だと思われないような態度を意識して語る。


「何を……」


 声を上げかけたロバートを、左手を挙げて遮る。今ここで否定されても、話が進まない。

 ロバートを黙らせたところで、私はウォルシンガムとセシルを交互に伺った。


 2人の表情は驚きに満ちていたが、それでもロバートのように遮って何かを言ってくることはなかった。続きを促されるような沈黙に、私は続けた。


「私には、21世紀の日本で生まれ育った27年と4ヶ月間の記憶がある。そして、その間に教養として学んだ、過去の歴史の知識がある。けれど、それしかない。この身体はどうやらエリザベス女王のもののようだけど、私にはエリザベス女王の記憶も人格もない。記憶喪失じゃなくて、初めからないの。私は、違う時代に違う人生を生きた、違う人間だから」


 違う人間。その部分を強調し、私は現状に対する、自分なりの見解を加えた。


「どうして今、450年も前の時代に遡って、エリザベス女王の身体を持ってここにいるのかは、正直分からないけれど……私とエリザベス女王に共通点があるとしたら、同じ日付の、同じ時間に死んだ、同じ顔の人間ということ。そして、21世紀の私が知る16世紀のイングランドの歴史では、1559年にエリザベス女王が死ぬことは、絶対にない。そんなことになれば、歴史が大きく狂ってしまう。だから……ここからは、私の個人的な見解に過ぎないけど、魂というものが存在するとして、それが肉体を離れて飛んでいく先――天国に通じる道が、時空を超えた空間にあったとしたら」


 私自身は、実はあまり天国は信じていないのだが、彼らには通じやすいであろうその単語を利用する。


「歴史が狂ってしまうほどの大きな誤算であったエリザベス女王の死に対して、何らかの――おそらくは神の力が働いた。そして、彼女の肉体に魂を戻そうとした。そのために連れ戻された魂が、私だった。それが偶然なのか、必然なのかは分からないけれど――」


 それが神の所業だとしたら、過ちであるはずはないという結論に達しなければ不自然なのだが、私はあえて結論を濁した。


 過ち、と断ずるのは今後の自分の処遇に対するリスクが高いし、神の思し召し、と言い切るのは、現代の私の感覚では抵抗がある。それに、下手にうそぶいて、邪心有りとでも思われてはたまらない。

 その辺りは、聞き手の判断に委ね、調子を合わせた方が無難だろう。


 一気に語りきった後、私はもう一度彼らの顔を見回して、静かに――だが心を込めた声で訊ねた。


「――この話を聞いて、貴方たちはどう判断する? 私は正直に、事実しか言っていません」

『…………』

「信じる? 信じられない? それとも様子を見る?」


 物事を提案して、相手に判断を委ねる時、漠然とした投げかけで終わらせるのは、下手な営業のすることだ。

 相手に無駄な時間を使って考えさせ、見当外れなことを答えさせずに済むように――そして、相手に、こちらにとって都合の悪い回答されずに済むように――さりげなく回答を選択肢化すること。


 そして多くの場合、適正な選択肢の数は3つ。


 1つでは否定される。2つでは、相手は選択を迫られる圧迫感を受ける。4つでは多過ぎる。

 3つあれば、相手は己が選んだ気分になれるのだ。


「信じる」――セシル

「信じられない!」――ロバート

「……様子を見る」――ウォルシンガム


 セシルが「信じる」と言ったのは意外だったが、後の2名はある程度予想通りだった。


「本当に? セシル。信じてくれるの?」


 次に、扱いを変える。

 私はロバートには見向きもせず、セシルを振り返って笑顔を見せた。


 ウォルシンガムは、この際保留だ。「様子を見る」と言っている相手には、こちらも様子を見ればいい。だが、ウォルシンガムはセシルに対しては敬意を払っているように見え、ロバートとは犬猿の仲だ。これは少し、良い風向きか。


 ともあれ、私は今最大の難所を突破した。

 最悪なのは、全員が全く耳を貸してくれず、烈火の如く否定され、狂人扱いの上、隔離されるか医師や祈祷師を呼ばれるケースだ。


 この中で、一番話が分かりそうなセシルが、仮にも耳を傾ける選択をしてくれたことは、この上ない幸運だった。

 私は運が強いのだ。


 ……って、交通事故で死んじまったヤツが言っても全然説得力ねぇ!


 あーもー泣きそう。でも泣いてる場合じゃない。


「貴女は今、とても慎重に、冷静に話していらっしゃった。我々に否定され、狂人扱いされることを予想して、恐れてのものです。そして、その采配、スピーチが素晴らしかった。そこまで物の道理が分かった方の話を、信じないわけにはいきません」


 ……この人、すごいかもしれない。


 全部お見通しと言うことだ。全て見通した上で、私の判断を評価してくれたということか。

 つまり、話の内容を信じたというよりは、私を信じたということだ。

 話の内容は……もしかしたら、信じてくれてないかもしれない。本音はウォルシンガムと同様、様子見というところか。


 相手の目を見つめ、声を聞きながら分析する。

 お互い、まだ探り合い。無条件に信用していい相手かは分からないが、対立しないで済むなら十分だ。

 かなり不利なスタート地点から、開始数十分でこの展開は上出来だろう。


 己の交渉力を自画自賛し、私は笑みと共に息を零した。


「ありがとう。正直ほっとした。誰も信じてくれなかったら、私、これからどうやって生きていけばいいか……」


 最悪の事態を想定し、張りつめていた緊張が解ける。呟いた台詞は本音だったが、言っているうちに涙が出てきた。

 あ、ヤバ……


 私が自分の一番嫌いなところは、実は涙もろいことだ。こればっかりは、自分でコントロール出来ない。

 映画の予告だけで号泣してしまう涙腺の緩さは、正直、焼き切りたいぐらいに疎ましい。


 俯き、必死に零さないように目の内に涙を堪え、それでも押さえきれないものをさりげなく指先で拭う。

 極力気付かれたくなかったのだが、ベッドを囲まれている状態では、見逃されようもないだろう。ちくしょう恥ずかしい。


 あんまり見ないでくれ、と思ったところで、いきなり左側から腕が伸び、強く抱きしめられた。


「!?」

「信じる!!!」


 ロバァァァトォォォォ!


「美しく清らかな貴女の心を傷つけ、涙を流させてしまった罪をどうかお許し下さい。このロバートは、女王の卑しくも忠実なる僕。貴女の言葉の全てが俺にとっては天使の預言にも等しく、ひとたび疑わば地獄の業火にも焼かれるほどの苦しみを味わうことを、今痛切にこの胸に刻みました。だからどうか、貴女を最も愛するこのロバートが、傷ついた貴女に寄り添うことを、その慈悲深い心でお許し下さい!」


 何言ってんのかよく分かんねぇぇぇ!

 要するに「疑ってゴメン! そんなこと言わないで許して! 僕ちん死んじゃう!」ってコトか? その解釈で良いのか!?


 ヒシッと抱きしめられ、怒涛の如く流れる長台詞に、もはや突っ込み所が分からなくなる。

 おかげで落涙の予感も引っ込むわ!


 ともあれ、お手軽なロバートは涙一つで「信じる」側についたらしい。

 あれか、コレが「女の涙」の効果ってヤツか。


 これを意図的に武器に出来る女は強いんだろうなぁと思いつつ……なかなか出来ないんだよなぁコレが。性格的に。

 ま、今回はラッキーって感じか……?


 さて、「女の涙」の効果は保留組の方はどうなのかなと思い、ウォルシンガムに目をやるが、彼は眉間に皺を寄せてロバートを睨みつけていた。

 うん、そうだね。こいつ邪魔だよね。


 いい加減、私もこれ引き剥がしたいんだけど、どう扱えばいいのか……


「分かった。分かったわロバート。信じてくれてありがとう。許すも何も、信じてくれるあなたの広い心に感謝します」


 出来るだけ丁寧に、淑女っぽく、彼の矜持を傷つけないように押しやって引き剥がす。


「情深き女王陛下に感謝します」


 許しが出て感激したらしいロバートが跪く。このノリ、そのうち慣れるんだろうか……


「神のみぞ知る真実がどこにあれ、陛下が今、これまでの記憶を全く持たないという事実を踏まえた上で、今後の対策を練らねばなりません」


 そう切り出したウォルシンガムの発言は、彼にとって必要最低限の情報だけを受け入れた形で発せられた。


 いまだ保留継続中ってことですか。


 やや不満は残るが、確かに直近の問題はそこだろう。

 いつまでここにいるのか、戻る方法はあるのか、っていうかこれは本当に現実なのか――その辺のことを考えると問題は山積みなのだが、とりあえず現状出来る――しなければいけない対策から、優先順位をつけていくのが肝要だ。


 起こってしまったことは仕方がないのだから。




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